第四十四話 流木の行方
いらっしゃい。
例の如く、格ゲー大会配信があったため、挿絵は後日。→挿絵入れました。
追記:花粉症からの中耳炎デスコンボをくらったので、次話遅れます。
「まったく、二人揃って濡れ鼠で帰ってくるんだから、何事かと思ったよ。はしゃぐのはいいけどさ、浅い川でも頭ぶつけたら、瘤になるだけじゃ済まないことだってあるんだからね。これからは気を付けて遊びなよ」
食堂の女主人が、ビショビショになった二人分の服を竿にかけ、天日に曝す。
「……あんた、分かってるわよね? 絶対誰にも言っちゃ駄目よ。約束よ?」
「……あ、あい……。い、言えな、い……、ひ、秘密、秘密」
一時的に寝間着姿に着替えた少女二人がひそひそと、内密の約定を交わす。
「何か言ったかい?」
「い、いいえ、何も。た、ただ、川を見るのは初めてだったものだから、少し不用意だったな、と!」
「ふふ、楽しんで頂けて何よりだよ。大人びてる風でも、あんたはやっぱりまだ子供ってことかね。ま、こんな暑い日は水浴びがしたくなるのも納得だよ」
「ぐ、くう……、そ、そうね、ザッツカークよりも随分と暑く感じるわ」
「……」
誠に酷な事件であった。同じ時を共有したイミーニアとは、戦場で肩を組んだ友の如き固い絆が築かれたように思う。
まさか、あのような事が起きようとは、予想だにしていなかったのだ。
静謐を誇る古の森に、絹を引き裂くような乙女の悲鳴が響く。
「ぶ、ぶぶ、無礼者ォ! わ、わわわ私ィ、はァ! ス、スタ、スタイ家ノォ!」
「あ、あわ、あわわ、あわわわわ……」
少女たちの眼前には、白枯れた腕が伸びていた。古びた祠の陰から伸びたそれは、離れた距離以上の存在感をもって、恐慌の主と化していた。
「わぁ、すごいなぁ! 一体どうやって動いてるんだろう? アンジェラちゃんは何か分かる?」
「あ、あわわ……あ、え?」
混沌の最中にあって存外に冷静な者が一人。ジルナートは、目の前で起きた新鮮な体験に、ひたすらの高揚を覚えていた。
「え、あ、え? わ、わわ、私? が?」
少女は狼狽した。そもそも現在進行形で色々なものが体外に排出されていて、狼狽し続けているのだが、ジルナートが発した問い掛けの意図をはかりかね、その胸中は混迷を極めていた。
「さっきお嬢様って聞こえたからさ、まさかイミーニアさんのことじゃないだろうし、アンジェラちゃんに向けて言ったのかなって」
「あ……、あ、あー、あ、はあ……、へへ……」
何を笑っとるんやろなあ、私は。やばいやん。私は今、岐路に立たされている。私という存在をよく知る者が目覚めたのだ。この地で築き上げた虚構の城が、不測の事態によって瓦解せんとしている。どうすればいい、どうすれば。
そもそも記憶喪失なんていう設定は、自分で蒔いた種と言えるのかも怪しい代物なのだ。この際、流れでそうなって言い出せなくなったと、洗いざらい告白するべきなんじゃないのか?
いや、でも、その説明を一からせねばならないとなると、精神的に来るものがあるぞ……。
ああ、もう、どうすりゃええんや……。だいたい事の主導権は私じゃない、門兵にあるんや。なるようになってくれ……、あたしゃもう疲れたよ……。
「まー、分かんないか。本人に聞きたいところだけど、どうもまた動かなくなっちゃったみたいだし」
「へ?」
恐る恐る視線を向けると、門兵は伸ばした手をそのままに固まっていた。どうやら死んではいなかったが、完全に生き返ったとも言えない状態のようだ。
そして、ジルナートがアンジェラには分からないと判断した理由を、足下の水鏡に映る自分の顔を見て、少女は深く察した。
「……」
冷静になるにつれ、心が失われていくような感覚に苛まれる。それは、隣の少女も同じらしい。地面に出現した水鏡は二つあった。
「なんなのよ……、なんなのよ一体……」
イミーニアは膝を折ってその場にへたり込んでいる。その目は、事情が分からぬゆえの恐怖からか、手を伸ばした白骨を警戒して見開いたまま動かせないでいた。
「うーん、ファルプニさんなら何か分かるかなあ」
「ふぁ、ファウプ、二が?」
「お呼びですか?」
「エェア!!?」
アンジェラは首を百八十度回さんばかりの勢いで振り返り、尻餅をついた。いつの間にか、背後に長身の悪魔が姿を現していた。
「あ、来てくれたんですかファルプニさん、助かります」
「ええ、アンジェラ様の声が聞こえたもので、急ぎ駆け付けました」
そうか、私を案じてくれたんやなあ。思いやりやね。心臓を仕留めに来る系の思いやり。
「な、なに? 誰? 悪魔?」
「おや、初めましてですね可憐なお嬢さん。私はファルプニ。少し前から、この村のお世話になっております。貴女のお話は伝え聞いておりますよ。ちなみに、私は天使です」
「て、天使ィ?! そうは見えない、の……だけど、確かに天使を見たことはないけれども……、あの、冗談を言ってるわけではないのよね?」
「……少し混乱が見られます。随分と怖い思いをしたようですねお嬢さん。安心なさい、私は嘘をつきません。私は小さき者の味方。貴女をお守りしたいのです」
妙に親し気な悪魔の圧力に、イミーニアは思わず顔を引きつらせ、とりあえず頷いた。物理的に距離感の近すぎる笑顔は、大柄なファルプニの体も相まって少女を黙らせるだけの迫力を伴っていた。
「しかし、それにしてもアンジェラ様、彼は思ったよりも早かったですね。いや、無理をしたということなのでしょうか」
「はぇ?」
「ん?」
気の抜けた返事に、ファルプニの視線が少女へ向かう。それに対し、アンジェラは恥ずかしそうにスカートの裾を掴んで広げた。
「……気が付かず申し訳ありません。しかし、恥じることなどないのですよ。私だって不意を突かれれば、きっと大洪水です」
「え、だ、大洪水?」
「ええ、大河の如く」
「た、大河ぁ? ほ、ほんと、う?」
アンジェラの表情がにわかに色を取り戻す。
「もはや世の摂理です。そうですね、ジルナートさん?!」
悪魔の標的が、最初からその場にいた優男に移る。
「……え? なんのことですか? 何かあったんですか? それよりも、陽があんなに高くなってきたことですし、近くの川へ涼みにでもでも行きませんか?」
「おお、それはいい考えですね。確かに、暑い……うっ、頭が。おや、私、ぼうっとして記憶が混濁しております。この数分間の記憶がはっきりしておりません」
「……」
悪魔の嘘は勢い重視の力技で、割と下手だった。
ジルナートにしてみれば、水溜まりの存在にはあえて触れないようにしていたのだ。事の一部始終を目撃した上で、着衣の濡れていない自分に、粗相をするのはむしろ当然と同調を求められても、答えるべき言葉を持つはずもなかった。
「さあ、そちらのお嬢さんも行きましょう、川へ」
「……違う、違うもん、あ……汗! そう、汗だから! 私汗っかきだからああ!!」
誇り高き乙女の叫びが木霊する。少女は抗うことを選択したのだ。アウト寄りのアウト。レッドゾーン真っ只中で少女は叫ぶ。大貴族の娘として、決して取り繕えているとは言えない文言でも、口から吐き続けなければならなかった。
退避無き人生。少女は生まれながらの戦士であった。
透明な水は、その色の無さに反し、大地の豊かさを保障する。各々が派手に主張する社会は、多様性に富んでいるようで、実のところ各々が喰らいあう修羅の大地を作り出す。主張無き水は、雄大な自然を支え、より高次元な調和を促すのである。
……ああ、水の色が今、若干濁ったよ……。
清涼な流れに身を浸し、汚れを落として魂の救済を求める。
炎天下の川は、体に纏った不快さと共に、己の罪を払ってくれる。なんとなく、許された気がした。
「替えの服は取ってきた方がいいかな?」
「いえ……、駄目よ、私は堂々としていたいの。私の失敗は私のせい。川に落ちてしまったのだから、仕方ないわ」
「……」
「……何よ」
「いえ、何も。魚がいるなあ、って」
事情により背中を向けているジルナートに、イミーニアの眼光が刺さる。
「それにしてもファルプニさん、オホネ様が動いたのは一体何だったんですか?」
気難しい子供に付き合うのも大切なことだが、時に間を置くことも肝要である。ジルナートはこれ以上イミーニアを刺激しないよう、意識的に話を逸らした。そもそもで言えば、こちらの方が重要な話題なのだ。
「ああ、それはアンジェラ様の御慈悲によるものですね」
「……あん? あぃい?」
聞き捨てならぬ言葉が耳に届いた。
なんのこっちゃ。流言の飛語は犯罪やぞファルプニはん。
「白骨の彼には、まだ微かに魔力が残っていました。つまり、動けずとも、ずっと生きていたのです。問題は、魔力の器たる肉体を失い、活動に必要な力を留めることが出来なかったのですよ」
「え? あ、おおん……ふぅん……」
すごいなあ、この悪魔。私の知らないことを知っている。うちの門兵のことやのに。
……っていうか、それはつまり、独り言とかも聞かれてたってことなんかな……。ああ、あかん、考えたらあかん。体温上昇顔面大噴火や。そんなん恥ずか死直行やん。
「そこでアンジェラ様が、肉体の代わりに魔力の器となる、新たな魂の殻を授けたのです」
「かぁ、らぁ??」
「そう、殻です。少しづつ魂を馴染ませ、魔力を蓄えていたのですが……、気持ちが逸ったのでしょう。万全な状態となる前に動いてしまい、魔力を放出させてしまったようですね」
どうやら、この悪魔は私とは違う世界線を生きているらしい。私はやね、門兵は死んどる思てたし、さっき大変な事にもなったんやわ。甚だしい過去の捏造は査定に響きますぞ? ファルプニはん。
「なるほど、そういうことですか」
「んん……?」
ジルナートの納得した様子に、アンジェラの混乱は続く。
「あの大きな白い玉がそうなんですね」
「ええ、あれは魔に変じ、巨大化した二枚貝が残すと言われる宝玉です。海魔の生への執着が長い年月をかけて魔力により形を成したものと言われ、その決して曇ることなき輝きは、古来より永久不滅の象徴とされております。しかし、数が少ない上に見つかるのは海中深く。世に残されていた物は不老不死の薬として砕かれ、全て消費されてしまったとか。こうして現物を見る機会が訪れるとは、私も想像だにしておりませんでした。そのような宝玉を、他者に与えてしまうとは、アンジェラ様、流石としか言いようがありません」
「へえー! やっぱりアンジェラちゃんは凄いなあ! いつの間にか玉が供えられてて、なんだろうと思ってたんだよ!」
「……は、へへ……い、いやぁ……」
そんなん知るわけがないやん!!
いや、知ってたよ? 存在はさ。でもな、本で得た知識には限界があんねん。そんなすごいもんを、人魚があっさりくれるとか思わへんやん。自分が持っててもしゃあないし、出し渋るとかはないけど、恐ろしい話やで。今までも、なんか間違って凄いもん駄目にしてへんやろか?
はぁ、つるかめつるかめ。
「ちょっと、その話本当なの?」
「あ、イミーニアさん、もう大丈夫ですか?」
「ちょっと! まだ洗っ……、み、水浴びしてるんだから、覗いたらたたじゃ済まさないわよ!」
赤面したイミーニアが濡れた服を水の中から掬い上げ、体を隠す。少女は男勝りで大人びてはいたが、何処までも乙女だった。ちなみに、ジルナートは面倒臭い子供だなとしか思っていなかった。
「そ、それより、ほら! その話は本当なの? 貝の宝玉がどうのって」
「本当ですよ。アンジェラ様の素晴らしい――」
「それ以上はいいから! それで、何であんたがそんな宝玉持ってんのよ。不滅の宝玉って言えば、かつてミルステックの領主が王様に献上して爵位を賜ったっていう、秘宝中の秘宝じゃないの。こんな森で採れるわけないし……」
「……に、人魚、に、も、貰って、あ、あの……」
「アンジェラ様は以前、エルフ達の嘆願により森を抜け、海へ向かわれたことがあります。そして、漁場を荒らしていた人魚を説得し、平和裏に共栄の道を示されたと。そのお礼に差し出されたのだとすれば、人魚達が抱いた感動の大きさ、これ伺い知ることが出来ますね」
ファルプニが悦に入った表情で少女を讃える。
ファルプニは知らない。それが悪魔の尺度でしかないことを。野性に生きる人魚にとって、巨大真珠にそこまでの価値がないことを。その真珠の大半が人魚の遊び道具にされ、破壊されてしまったことを。
ともかく、悪魔のそんな大仰な話を聞いた少女は、人魚にその命を差し出されたかのような気分に陥り、顔を青ざめさせた。
「……なんだか、目の前にいるあなたと話に聞くあなたとで二人いるみたい。自分の目が信じられなくなってくるわ」
「アンジェラ様は慎みの権化です」
「……そ、そうなの。……あの、天使さん、あまり凝視しないでくださる? 少し恥ずかしいのだけれど……」
「心配無用です。私、天使の役目は、貴女方可憐な存在をお守りする事なのですから」
「……」
長時間川の流れに身を浸していたためか、イミーニアの体に寒気が走る。
「そ……、そろそろ戻りましょうか! ほら、あなたも、もう十分でしょう?」
「……ぁぃ。……ぁぃぁぃ」
「ちょ、ちょっと、どうしたの? っていうか、あなた顔色が悪いわよ、唇も紫色じゃない?!」
少女は与えられた情報が自身の容量を超え、もう胸がいっぱいいっぱいであった。
「!! い、いけませんアンジェラ様、さあ、私の胸で温めて――」
「駄目ですよ、体調が悪いなら無理に体を動かさない方がいいです。日当たりのいい場所へ静かに移動して、まずは体を拭きましょう。これ、僕のシャツを使ってください」
「え、あ、い、いや……」
「いやーーーー!! ちょっと、あんた何こっち向いてんのよ!!」
「緊急時ですから。それより、君も早く上がった方がいいんじゃないかい? 川の水は思った以上に冷たいみたいだから」
「……あ、あの――」
「お、覚えてなさい、露出狂の変態!!」
「忘れたほうが良さそうだけど」
「うるさい!! さっさと向こう向きなさいよ!」
「……」
アンジェラは濡れた服をさっさと着ると、高い場所にある日当たりのいい岩の上へ移動した。確かに血の気は引いていたが、元々顔色は悪いこともあって、周りから見たほど深刻な状態ではなかったのである。
「アンジェラ様! 自らの足で……、御立派です!」
「うーん、大丈夫みたいだね。じゃあ、これは君が使ってよ。風邪引かせるとメヒヤーさんが心配しちゃうし」
「ちょ、ちょっと、だから、こっちを――」
「大丈夫。目は瞑ってるし、興味ないから」
「そ、それはそれで失礼な話ね……。使わせてもらうけど……ありがとう……」
おやおや? 初心なお嬢さんが顔を赤くしているよ。箱入り娘が初めての青春ですかの~?
アンジェラは小高い岩の上から、イミーニアを眺めた。冷えた体に夏の陽光は、得も言われぬ心地よさを与え、自然と心にも余裕を生み出した。
まあ、なんとかなるやろ……。
少女は負の感情が強くなりすぎると、反転して楽観的になる性質を持っている。朝に感じていたイミーニアへの苦手意識も、より大きな出来事に直面したことで吹き飛んでしまった。
冷静になって見れば、気丈で強く見えた姿も、親から離れた子供が必死に虚勢を張っているようで、庇護欲すら生じてくる。
「それじゃあ、しばらく陽に当たったらシャヴィさんのところに戻ろうか」
「あ、あい!」
きっと大丈夫さ……。
少女は諦めと悟りの入り混じった、運命に身を任す流木の如き心持ちで、今という時を楽しんだ。ただ一つ、シャヴィさんに濡れた服をどう説明すればいいのかという不安を残して……。
お疲れさまでした。




