第四十三話 回生日和
いらっしゃい。
「カレフさぁん、こぉ、ここお置いとがあ、よかあが?」
「おー、そうですそうです、いやあ、すみませんなトルマノルさん、荷運びまでさせてしまって」
「いんやぁ、俺らあ世話ぁなっとう間、なあんもしとらんきい、こおんがせにゃあ悪があ。宿賃だあなあ」
「そう言ってもらえると助かりますわい。なんせ急な事でしてな。力持ちのエルフさん方にも手伝ってもらわねば、終わる頃には秋どころか、冬になってしまいますからの」
「えぇだええだぁ、任せえ。よぐ分がんねが、偉あ人ぉ来とっだ? 俺らあ気張っと、覚えめでたがあ、はっはっはっはっ!」
「わしら人間の勝手な事情じゃから、お礼する役目はわしらになってしまいますがのう、ほっほっほ。猪の家畜化に成功したら、エルフさんに真っ先に振舞うとしますかな」
「ああ~、そらええだあ。オークぅべっぴんちゃあに気い張ってもらあだあなあ」
クリモリ村の村長ネイエイ・カレフは、ジルナートの提案通り、イミーニアの住む家として、集会所の改修を早速始めていた。
集会所は、大部屋と物置のみの簡単な間切りをしかなく、広さはあるが、生活をするには不足も多い。そのため、建築用に乾燥させていた木材を使って新たに部屋を作るわけである。しかし、その前工程として、集会所内の荷を運び出さねばならない。物置に仕舞い込まれた祭具に、椅子や座卓はそれなりの数と重さがあって、相応の大変さもあった。だが、それ以上に厄介なのが、いつの間にか溜め込まれた所有者不明の私物であった。
集会所には、老人達が手遊びに趣味の催しを開いて作られた刺繍や彫刻が所狭しと飾られている。使用した道具もわざわざ組み立てた棚に収納され、勝手に動かすには判断に困る物が多かった。運び出すにしても、見るからに脆そうで持ち手の見つからない物は、神経を擦り減らし、余計に体力を使う羽目になった。
また、誰もが自由に入れる場所だったこともあって、どうも、村民の間でここは遺失物の保管場所と勝手に認定されていたらしい。細やかな善意は、そんな物の持ち主が見つかって一体どうするのか、僅かに中身の残った酒瓶まで保管していた。
「なあ~、カレフさん」
「なんですかの?」
「さっきぃあ、調子よお言いだが、実はあ、お願えっがあんだあ」
「ほっほっほっ、長い付き合いじゃからな。いやに張り切っておるから、そんな事ではないかと思うっとったわい」
「面目ね。そんでえよ、お願えったあ、俺ぇのお嫁っこのこっだあ。ちい前に腹あ出っでき、海い行くさ間、こっちい置かせでくれえ」
「なんじゃ、めでたい話じゃないか。妻の大変な時に手伝わせてしもうて、余計心苦しくなるわい」
「はっはっは、悪かあ、俺のぉ惚気だったあ。そおより、あんたあ見てくれ、えらあくたびれっだ。休め休めえ。俺らあに任せえ」
「そう……見えますかのう? 確かに休む暇がなかったのは事実じゃが……」
「ああ~、くたびれもくたびれとお。朝っぱあが働きいに、飯ぃ、ま、食っとらんが。心配さすなあ」
カレフはその言葉を聞き、作業が一段落したら食事にしようと考えていたことを思い出す。
「はは、わしもすっかり年じゃな。息子に負けんと張り切って食事まで忘れるとは、ボケもここまで進んだのかのう」
「年寄りは逆だあ。俺らあの長老なんざあ、飯い食うたこっも忘れよっが。頼りいなっ息子ぉいっに、それえ張り合う力あんだあ。若えってこっだあ、長老も羨ましがっだあな」
「お世辞でもそう言われると、わしもまだまだやれそうな気がしますの。とはいえ、今頑張るのは皆を心配させますからな、お言葉に甘え、食事休憩にするとしますわい」
「ああ、そおすっがええだ。俺の飯いは、嫁っこが持ってくっだあ」
「それでは、すみませんの。それと、うちの長老方の機嫌が悪くなるでな、作品はなるべく日焼けせんよう、陰に運んでくだされ」
「おうよぉ、任されい」
カレフは杖を取り、椅子にしていた角材から腰を上げた。腹は軽いはずだが、体は妙に重く感じる。やはり、日々の疲れに、空腹により不足した体の熱は、侮れない影響を与えているらしい。
こんな体で、一体どれだけのことが出来ると思ったのか。
カレフは、己の心ばかりが逸っているのを、少しだけ恥じた。
指示をして、分からないことを教えるだけでも役に立つだろうと考えていた。だが、こんな老人まで前に出れば、皆が休みづらくなるし、疲れた状態で座りっぱなしの姿で指示ばかり出していると否が応でも不興を買うというものだ。
これがもし、村の黎明期と言うならば、前に出て皆を引っ張る長も必要となっただろう。しかし、今、村は安定し、豊かさを享受できる段階にまで成長したのだ。焦る必要はない。豊かさを守るために働く者を急かすのは、長期的に見て村の基盤を脆くすることに繋がりかねない。
息子は育ったのだ。自分はもう、ただ村の長となった老人でいい。
後はもう、ただの老人で。
太陽が砂利道を白く照らす。熱気を放つ小石は足の裏にまで夏の鼓動を感じさせる。
陽の光で白さを増した白髪頭を揺らし、ネイエイ・カレフは遠い昔の記憶を揺り起こしながら、ゆっくりと食堂へ向かった。その胸中にある、過去に抱いた使命感、達成感、無力感、罪悪感、様々に入り混じった懐かしき感情を天日に曝すように、ゆっくりと、ゆっくりと足を進め続けた。
「や、これは村長さん、こんな日差しの中をお仕事でしたか? お疲れ様です~」
「おお、魔法士様、お食事中でございましたか。本来ならば、村総出で歓迎せねばならぬところを、挨拶もおざなりに……、対応を後回しにしているようで、大変心苦しく思っておりますじゃ」
「謙虚謙遜は美徳ですが、何事も過ぎるのは良くないですよ。ルヴナクヒエさんも言っていましたが、僕もそう思います。美味しいご飯が食べれて、気楽でいられるこの村が、僕は好きですよ」
カレフが食堂に入ると、そこにはスープに舌鼓を打つバランの姿があった。横には、帽子を被った人形が静かに座っている。
朝食には遅すぎるが、昼には少し早い時間。他に食事する者の姿も見当たらず、イミーニアも出かけたようであった。
もしかすると、バランは気を遣い、人の少ない時間を選んで食事をとりに来たのかもしれない。カレフは、物腰の柔らかいバランの印象から、そう感じとった。
「これは失礼を致しましたな。このような辺鄙な村で客人が現れるということは、それだけで大事件でしてな、何か粗相をしておらんかと、気が気でありませんのじゃ」
「分かりますよ~、その気持ち。僕も人と話す機会が久しくありませんでしたから、今も内心はびくびくですよ~。お互い自然体でいましょう、自然体で」
「いや、まったくすみませんな。それでは、席をご一緒してもよろしいかな?」
「もちろんですよ」
カレフがバランの正面に座り、食堂の奥に手を振る。すると、赤髪の女主人が素早くスープをよそい、水瓶を片手に机へ運んでくる。
「なんだいカレフさん、あんたまだ食べてなかったのかい。てっきり家で済ませたのかと思ったよ」
「いやはや、年甲斐もなく張り切ってしもうたんじゃ。年寄りの冷や水よの。温かいスープでかじかんだ体をほぐさねばのう」
「ふふ、夏場に何言ってんだか。今パン持ってくるからちょっと待っておくれよ。それに魚の残りも焼き直すとするかね」
「いつもすまんのう。シャヴィさんの料理は美味いから、つい頼ってしまうわい」
「いいよ、あたしもこうして忙しく働いてる方が胸を張れて気が楽さ。……それと、カレフさん、さっきまで辛気臭い空気が続いてね、やっとこさ追い出したとこなんだ。まさかとは思うが、暗い話を始めたりはしないね?」
「ほっほっほ、老人の愚痴が聞くに堪えんことなど百も承知じゃ。バランさんにそんな話が聞かせられるものか」
「それもそうだね。何だかカレフさん疲れてるし、思いつめたような顔してたからさ、変な事聞いちまったよ。本当は駄目なんだけど、お酒もあるからさ、飲みたかったら言っとくれ」
「ううむ、やはり疲れが顔に出とるようじゃな。今はよいが、そのうち羽を伸ばすとするかの」
「その時はたっぷりサービスしとくよ」
シャヴィがコップに水を注ぎ、水瓶を机に置く。夏の日差しで干からびた体に、水は何よりも美味となる。本当は、温い水ではなく、よく冷えたものが欲しくなってしまうが、先程年寄りの冷や水などと言った手前、そんなことは口に出さない。体に浸透させることを意識して、少しずつ口に含み、体の熱を逃がしていった。
「それで、私に何か話したいことがあるようですが、なんでしょうか?」
シャヴィが奥に戻ったのを確認し、バランが話しかける。
「……お見通しでしたか。流石ですな」
「こう見えて凄く長く生きてますから、何となく経験で。それで、なんでしょう?」
「いや、これは単なる一老人の飛躍した想像でな、見当違いであれば軽く聞き流してくだされ。それで、その……、バラン様はどれ程の時を生きておられるのですかな……?」
「……質問は段階を踏むようですね。えー、そうですね~、実は、長く生きてるのは確かなんですが、人里から離れて過ごす期間が長すぎて、正確な年齢が分からないんですよ~」
「では、五百年前は?」
カレフが真剣な面持ちで尋ねる。一方、バランは頬を指で描きながら、照れ臭そうに目線を逸らした。
「あー、やっぱりバレましたか。これ言うと、変に持ち上げられそうだから黙っておきたかったんですが……」
「おお……、それは、やはり貴方様は、この村の……!」
目を見開き、感激するカレフに、バランは口の前に指を一本立てる。
「やめておきましょう。あの時は、本当にただの気まぐれだったんです。感謝されようなんて思っていません。魔術をちょっと教えただけで守ろうともしませんでしたから。こんなに村が大きくなっているなんて想像もしていなかったし、それは、間違いなく、あなた達が努力した結果ですよ」
「それが気まぐれだったとしても、わしらのご先祖様は確実にそれで救われたのです。最初に魔術が使えるようになった、サナリア・カレフは息を引き取る前、バラン様に永遠の感謝をと、言葉にしたそうです」
「……まいりましたね。僕はあまりしがらみを作りたくないんですが、そんなに影響を与えてしまったとは……。でも、やっぱり僕は、気楽でいるのが一番です。このことは秘密にしていてくださいね」
「し、しかし――」
カレフが声を大きくした一瞬、バランがにこりと笑った。その意味を考え、声を止めた直後、胃袋を刺激する良い香りが足音と共に近付いてきた。
「どうも、またせちまったねカレフさん。しかし何だい、声を大きくしてさ。バランさんと何を話してたんだい?」
「え、いや……」
目の前にはただ静かに微笑むバランの姿がある。
「なんでもない、バランさんの奇術に少し驚いただけじゃ。こんな人形は見たことないからの」
「なんだっけ、メヘトちゃん? だっけ? 本当凄いもんねえ、魔術ってのはさ。まるで本当に生きているみたいだよ」
「いや~、僕の自慢の娘です~」
バランは満足そうにメヘトの頭を撫でる。
カレフはその姿を見て、自身が身に余る重責を勝手に背負込んでいたことを悟った。目の前の偉大な魔法士は、小さな平穏をあるがままに受け止め、満足しているのだ。
何を焦る必要がある。
自分は魔術師でもない、ただの老人だというのに。
カレフは、机に並べられたパンを齧り、川魚の香草焼きに舌鼓を打ち、温かいスープを流し込んで、体に溜まった疲れが心地よい充足感に変わるのをゆっくりと楽しんだ。
太陽は頭上に移動し、燦燦とその姿を誇っている。ジルナートはイミーニアとアンジェラを連れ、水車の見える川沿いの道を歩いていた。
「ちょっと歩きすぎたかな?」
「……なんてことないわ。ちょっと履き慣れない靴だから歩きにくいだけよ」
「そう? 畑も見てきたし、そろそろ疲れたんじゃないかと思ったんだけど」
「いいの! この子だって平気な顔しているじゃない、気遣いは私が許さないわよ!」
「本当だ、元気そうだね。じゃ、次は向こうの森に行くよ」
「……そう、なさい」
ジルナートは少女二人を連れ、既に二時間近く歩き続けている。武家の生まれとはいえ、貴族の娘として大切に育てられてきたイミーニアにとって、この運動が軽いと感じられるほど屈強な体を有しているはずもなかった。
「それにしても、この子、なかなかやるようね。魔術も使えるって話じゃないの」
「うん、アンジェラちゃんはこの村で魔術の先生をしているんだ。今日声掛けてきた人が予定聞いてたでしょ? 長旅の後だからって断っておいたけど」
「……ふん、だったら私も習ってみようかしらね」
「え、えぇ……」
アンジェラは肩を落とした。少女は、この強気で妙に勘の鋭いイミーニアが苦手なのである。何となく、流れで付き合いが長くなりそうなのを察し、胸に鉛を流し込んだように足取りを重くした。
「ほら、ここがアンジェラちゃんと出会った場所だよ」
森に入り、しばらく歩くと、少しだけ開けた空間が出現した。
「……壁? かしら? 奥に何かあるの?」
イミーニアが目の間の空間を指差した。
今までの道は木々によって視界が遮られていたが、ここには明らかに人工的な物体が蔦を張り、植物に覆われながら左右に長く伸びていた。そして、イミーニアの指差した部分だけ、ぽっかりと何もない空間が広がり、先にある深い緑の世界を覗かせている。
イミーニアが確かめるため、足を踏み出すと、何かに躓き体をよろめかせた。
「きゃあっ!」
「危ない!」
イミーニアは思わず目を瞑り、手で頭を押さえる。
しかし、その後に続いた感覚は予想外のものであった。
「あ、れ……?」
体が地に触れる直前で停止し、浮いていた。
これは先ほど聞いていた魔術なのではと、頭を働かせていると、頭上から声がした。
「いやー、ごめんごめん。言い忘れてたけど、そこ、門扉が倒れてるんだ。直そうっていう話もあったんだけど、重すぎて人手がいるし、危ないしで後回しになってるんだ」
ジルナートが落ちるすんでのところでイミーニアの服を掴んでいた。声を掛けると、掴んでいたイミーニアを持ち上げ、体勢を直して下ろす。
「あ、ありがとう、あなた、見かけによらず力があるのね」
「まあ、僕も男ですから」
「……今、片腕、じゃなくて、片手で持ち上げたように見えたのだけど……」
「あれ、そうでしたっけ? 火事場の馬鹿力ってやつなのかな? でも、気のせいじゃないですか?」
「いえ、絶対そうでした! ねえ、あなたも見たわよね!?」
「え? あ、え?」
イミーニアが鋭い目つきで少女に詰め寄る。しかし、少女もまた咄嗟の事に反応できず、目を瞑り手で顔を覆っていたのだ。ただでさえ気が動転している上に、恐ろしい剣幕で詰め寄られ、罪悪感とない交ぜになった感情の混乱に拍車がかかった。
「え、あ、あぁぁあ、あ、あい! す、すみま、せ、ん、すみま、せ、ん!」
「なんであなたが謝ってんのよ!!」
「あ、あい、すみませ、ん!」
両耳の上にある角を掴んで震えるアンジェラに、イミーニアは激しい徒労感に見舞われた。
「……もう、いいわ。そうね、私が転んで、それを助けてくれる人がいた。それだけでいいわ」
「怪我がなくて何よりです」
「……やっぱり、なんか引っ掛かるわね……。でも、ありがとう。それで、ここは何なの?」
イミーニアは溜息を吐き、感情の切り替えを行うと、すぐさま最初に抱いた疑問をジルナートにぶつけた。
「何だと思う?」
「あなた嫌われたいの?」
「君の印象を聞きたかっただけだよ。どうも勘が鋭そうだったからね」
「? 遊ばれているわけじゃないみたいだけど……」
「実は、僕も知らないんだよ。壁もあるし、この先には館があるみたいなんだけど、どうなっているのかはさっぱり」
「どういうこと?」
「僕たちの先祖がここへ来た時に、中へ入らないよう決めたんだってさ」
「何故? 誰か既に住んでいたとか?」
イミーニアの機嫌の変化を恐れ、チラ見していたアンジェラがドキリとする。
「そうだったら面白いね。でも、理由はそこの祠にあるんだ」
「祠って、……! ちょっと、何よアレ、白骨じゃない?! 何で死体飾ってんのよ!?」
門扉がかつてあった場所の横には、祠が作られている。館へ入ろうとする者を阻むように、辺りを睨みつけて座したまま白骨化した、忠勇の士を慰めるために作られた祠。
「オホネ様だよ。人がここへ来る前から、あの姿で座っり続けていたらしいよ。その姿に感動した先祖が村の守り神として崇め始めたんだってさ。だから、オホネ様に敬意を表して中には入らないんことにしたんだって」
「……昔の人が考えることはよく分からないわね。……あら?」
イミーニアの顔つきが急に険しくなる。
「どうしたの?」
「い、いえ、気のせい……だと思うのだけれど、今、一瞬、動いた……ような……」
「オホネ様が?」
強気な少女が人形のようにコクコクと、首だけを動かしている。
その様子に、アンジェラはイミーニアもまたうら若き乙女であることを思い出し、落ち着きを取り戻した。
「お、落ち着い、て、落ち着い、て(笑)」
せやな。仕方ないわな、怖いわな。私かて最初見た時はたまげたわ。でもな、それ死んでますねん。動くわけあるかいなお嬢ちゃん(笑)。
「…………ぉ……ぁ……」
アンジェラの顎が若干しゃくれる。悪魔の鋭敏な聴覚が不穏な空気の変化を感じ取ったのだ。
「……お嬢、さ……ま」
声を確認した。
色々漏れた。体からいっぱい漏れた。口から飛び出した以外のものは、マイナス乙女チックポイントのバーストであった。
お疲れサマソで↓溜め。




