第四十二話 憧憬の流刑地
いらっしゃい。
挿絵は、ご、後日や。→後日入れたや。
格ゲーの大会がありましてな、配信見るのがな、義務やってん。
痩せ細ったさえない男が、額に脂汗を浮かべ、視線を絶え間なく動かしている。男の名はスウェイク・スタイ。前方には、巌の如く泰然自若に構えた少女がいる。
スウェイクはこの少女が苦手であった。
スウェイクは、アマンドラの貧しい家に生まれた。母は病弱で父はいない。普通の子供ならば、何故父はいないのかと、一度は母に尋ねるのだろうが、彼はそうしなかった。自分の家はそういうものなんだと、深くは考えなかったし、幼心に何か理由があるのだろうと、尋ねることに抵抗があった。
母は体こそ弱かったが、頭は良かった。文字の読み書きができたので、修道院へ行き、写字の手伝いをすることで金銭や食料を得ることが出来た。時には、手先の器用さを活かして、装飾や挿絵を描くこともあった。だが、写字は本来、修道院に依頼されるものであって、母が正式に得た仕事ではない。より多くの仕事と信用を得るために、院長が個人的に人を集めたのだ。そのため、賃金の名目は協力的な善意に対する施しであって、驚くほどに安かったし、食料のみ支給される日だってあった。しかし、それでも、普通の労働に従事することが難しい体には、十分に有り難かった。
毎日、母はくたくたになって帰ってくる。食事は決まって味の薄いポリッジで、育ち盛りの少年にとって、十分な量とは言えない。それでも、生活は楽しかったのだ。母は帰ってくると、必ず写字した本の内容を話してくれたのである。南方のミルステックよりも、さらに南にある、無人の大陸を冒険した記録。胡散臭い貴族の一族史。人間の為に戦った天使を讃える歌。この世界で始めて魔術を生み出したという人間、ゼークムントを主人公にした物語。
話を聞き、想像力を働かせている間は、空腹なんて気にならなかったのだ。貧しくとも、母と一緒であれば、自身の境遇が恵まれていないとは、さほど思えなかった。
そんなスウェイクの生活に転機が訪れたのは、彼の歳が三十を過ぎた夏の日の事であった。
彼は母の伝手で、修道院で作られた酒を市場へ運ぶ役目を得ていた。母と同じく体が弱い彼は、他所で仕事が長続きせず、修道院の手伝いをすることになった。長年の働きにより信用を得ていた母のおかげで、院長が本来修道士が行う仕事を削って回してくれたのである。とはいえ、任されたのは肉体労働。ついでに小麦を製粉所へ運ばされた時には、体力の限界を超えて、その先にある何かを使い果たしたような感覚を覚えた。
それでも、自分には母がいる。精魂尽きた体で、味の薄いポリッジを異に流し込み、ただ日々を生きるだけの今日に、彼は満足していた。その日も、労働の後に訪れる、母の話を聞きながらの食事を楽しみにして汗を流す、そんな日であった。母が死んだのは。
「お、お嬢様、スウェ……スウェイク様、は、今話した通り、私が城から連れ出して……」
「メヒヤー、あなたには聞いていません。兄上に聞いているのです」
スウェイクが食堂に来た後、メヒヤーはすぐに戻ってきた。
実は、外へ出たのも、スウェイクと話しておいた方がいいとの判断からだったのだが、事態を察したルヴナクヒエがスウェイクを先に捕まえていたのだ。結局、メヒヤーは方方を探し回っても見つけられず、汗だくで途方に暮れていた時、食堂に入り込むルヴナクヒエとスウェイクを見つけ、慌てて戻ったのである。
「……そうか、そっちは、大変なことになってたんだな……」
「兄上も戦争が起こることは知っていたのでしょう? 家のことは考えなかったのですか? ザッツカークを離れることに、何か思うところはなかったのですか?」
「……は、はは……、私は、そっちに拾われる前は、アマンドラに住んでて……、その、戦争なんて、とても……」
イミーニアの視線は動かない。じっと揺らぐことのないそれを避けるように、スウェイクは額から流れる汗を拭い、言葉を詰まらせた。
イミーニアと出会ったのは、一年前。
母の遺品を整理していると、古びた手紙を見つけた。紙は変色し、文字も所々濡らしてしまったのか滲んで解読できず、送り主の名を確認することも出来なかった。だが、使われていた紙には特徴的な紋章が描かれていた。修道院へ行き、院長に相談してみると、自分でも理解が追い付かぬ速度で話が進み、気が付けば、自分の姓はスタイになっていた。
母が死んだのはどうしようもなく悲しい。院長先生は利に聡くて、父と思うには違う気もしたが、気持ちの良い関係で別れるのが寂しかった。
それでも、自分の中に期待のような感情があるのが分かった。立派な姿になって、自分は母の息子だと誇れるのではないか。母に聞いた広い世界を見聞出来るのではないか。
生活は苦しかったけど、満足はしていたはずだった。だけど、貧しさに挫けず働いていた自分が報われる日が来たのかと、そう思えてしまったのだ。
しかし、現実は、想像していた世界よりも大きくて重かった。
スタイ家の館で初めて会った父は、威厳に満ちていて、鬼ですら恐れるその眼光に、用意していた言葉などすっ飛んだ。最早、何を話したかなど覚えていない。覚えているのは、立ち去る後姿だけであった。
勝手に盛り上がっていた気持ちが急速に萎み、代わりに不安が広がっていくのを感じた。
だが、最も不安視していた義母は、驚くほどに優しく、修道院の手伝いをしていた話をすると、興味深そうに聞き入り、立派な行いをしたと褒めてくれた。腹違いの弟も、突然現れた貧相な兄を喜んで迎え入れ、慕ってくれた。
もしかしたら、自分も成長してうまくやっていけるのかもしれない。
そう思い始めた時に見たのが、この目だった。
「……何を、黙っているのですか?」
イミーニアの目もまた、あの時見た父の様に鋭く、内に秘める強さの、甚だしい違いを感じさせた。
自分は折れてしまったのだ。この目に。
庶民として育った自分の弱々しい姿と心を、全て見通されているような気がして。
多分、自分にも男の意地みたいなものがあったのだと思う。弟だって自分とは比べるべくもない強さと品位を持っていたのに、こんな気分にはならなかった。何故、イミーニアの前では、これほど自信を無くしてしまうのか。それは、自分よりも一回り以上歳が離れている小さな女の子なのに、自分よりよっぽど威厳があったからだ。
住む世界が違う。人の格が違う。そう心が認めてしまったのだ。
「ごめんね、イミーニア。私はね、自分のことで精一杯だったんだ。歩兵隊の中に入れられた時も、実は少しだけほっとしていたんだ。私なんかじゃ、貴族は務まらないから……」
スウェイクは、申し訳なさそうに言葉を漏らす。
「……私は別に責めていません。ただ、去るなら去るで、何か一言残してほしかっただけです。私だけ、何も知らされず、何も出来ないでみんないなくなってしまう……」
イミーニアの表情が暗く沈む。
その様子に、スウェイクは意外性を覚えた。
「ちょっと待って、メヒヤーに連れられて城を出たんだけど、それは、自分がスタイ家に必要のない存在だと、そう父さんに思われていたからで……、いや、実際には、父さんが逃がしてくれたみたいなんだけど……」
横で汗を拭き、息を整えているメヒヤーを見やる。
スウェイクも馬鹿ではない。メヒヤーがイミーニアを連れてきて、今も敬語を使っているのだ。その理由に思いが至らぬ訳がなかった。
「家に必要ない? 何故、そんな考えを? 私は、てっきり兄上に見限られたのかと……」
「え、いや、だって、君も私を……」
そこまで口に出して、スウェイクは気が付いた。
イミーニアがいつ、自分を嫌いだと言っただろう。
ずっと父に嫌われていると思っていた。だから、妹にも嫌われていると何故か考えてしまった。
それは何故か?
妹が父と同じ目をしていたからだ。
だけど、実際には、父は自分を嫌っていなかった。戦争から遠ざけてくれた。
「……なんてこった。私は、なんて思い違いを……。また、家族を……」
スウェイクは深く項垂れ、額を机に付けて体を震わした。
今になって、急に母の死が悲しくなった。父と初めて会った時の顔を思い出す。文字の滲んだ手紙に心が痛む。
「ど、どうしたのですか、兄上?」
急な兄の変貌にイミーニアが心配する。
イミーニアの記憶では、スウェイクはいつも控え目で、何に対しても他人事の様に物事を捉える落ち着きの様なものがあった。自分に対してこれ程感情を露にする姿を見せるのは、初めての事であった。
「……お嬢様、スウェイク様を連れ出したのも、貴女を逃がしたのも、全ては閣下の意思。スウェイク様には、城を離れるに当たって余計な情報は伝えぬよう、命じられておりました。恐らく、今の今まで閣下に捨てられたと考えていたのでしょう」
「そんな……、それでは、兄上があまりにも……」
「閣下は多くを語らぬ御方でした。それは、私に対しても同じです。ですが、その意思は全て我らを思ってのもの。イミーニア様、ご理解いただけますね」
「……分からない。私は、何も、知らなかった、から……。でも……、現実は受け入れないと、ただの駄々っ子になってしまうわね……」
「……感謝致します、お嬢様」
食堂が重い空気に包まれる。数刻前に響き渡っていた怒号が嘘のように、静寂が空間を支配している。
場違いな空間に残されたアンジェラは、誰かが口を開くことを期待するが、会話していた三人は口を開く雰囲気ではないし、シャヴィもルヴナクヒエも、そうした時に、変に茶々を入れるのは野暮であると理解していた。
「あれ? どうしたんですか、皆さん。イミーニアさんに村の案内をしたいと思って来たんですが」
雲の晴れ間から差す一条の光の如く、浅く開かれた扉の隙間から優男の声が入り込んできた。
「ジルか。見ての通りのお疲れだ。お嬢さんの部屋は決まったか?」
「ああ、決まったけど……、村の中じゃなくて、部屋までの案内をした方がいいのかな?」
「いいわ。村を案内なさい」
沈んでいたはずのイミーニアが頭を上げ、ジルナートに声を掛ける。
「いいのか? ガキが気を遣うもんじゃねーぞ」
「い、い、の! どうせ何も分からないなら、この村が何なのかくらいは、知っておきたいの」
それを聞いたアンジェラは、その場から開放されそうな空気にうんうんと頷きながら、静かに席を立った。
「じゃあ、アンジェラちゃんも一緒に行こうか」
「おぉん?!」
奇襲であった。青天の霹靂である。このジル……、ジル。ジルだな。部屋の空気を打開したジル君の功績は評価に値するが、このようなやり口は良くないと思うのだ。既に緊張の糸は切断された。切れてしまった糸を繋ぎ直す様な真似を私にさせてくれるなよ、ジル。
「アンジェラちゃんは人間じゃないけど、村のみんなからすごく慕われているんです。一緒に歩けば、それがよく分かりますよ」
「この子が? 慕われてるって……、可愛がられてる、じゃなくて?」
「ええ。実はすごい子なんですよ、アンジェラちゃんは」
ぐ、くくぅ……、断り辛ぇ……。
「それじゃ、行こうか」
「あ、あい……」
ジルナートが二人の少女を連れて外へ向かう。一人はしゃんと背筋を伸ばし、もう一人は老婆の如く腰を折り、背を小さくしていた。
「……しっかりした妹さんだな」
「……えぇ、私なんかとは大違いです」
残された男達が葡萄茶を啜りながら、静かに話し始める。
「すまねえな、スウェイク。今まで騙しててよ」
「いや、いいんだ。実はちょっとだけ変だなと思ったりもしたんだよ。でも、行く当てもなかったし、それでも良かったんだ。死にかけたりしたけど、昔母さんに聞いた冒険譚の主人公になったみたいで楽しかったしね」
「……へへ、人魚の連中にもまた会わねえとな」
メヒヤーの声はもう、先程まで見せていたスタイ家の臣下ではなく、友人と談笑する男のものに変わっていた。
「……なあ、一つ聞いていいか?」
スウェイクが十分に立ち直ったのを確認し、ルヴナクヒエは以前から抱いていた疑問をメヒヤーにぶつける。
「バゼットは、何で連れてきたんだ?」
遭難していた船には三人乗っていた。メヒヤーはスウェイクを連れ出すのが任務である。バゼットは必要ない人員のはずであった。
「……なあ、スウェイク、バゼットは村で上手くやれてるか?」
「いや……、いつも上の空というか、農業の手伝いをしているけど、ミスが多くて簡単な作業だけ回されてるって聞いたよ。その作業でも間違えてたり、何を任せるか持て余しているそうだ」
「そうか……」
「言っちゃ悪いがよ、どんくさくて、とても使える奴には見えねえ。最初は人手が必要だから連れてきたのかと思ったが、違うんだろ?」
「ああ……」
メヒヤーがぽつぽつと、バゼットについて語り始めた。
「あいつはよ、本当は兵士のままでいたかったんだ」
「……向いてるとは、言えねえな」
「だろ? あいつはな、元々は危険な鉱山で働いてたんだ。あんまりにも人がすぐに死ぬもんだから、ガキも集めて働かせてたんだ。体の小せえ方が動きやすいしな。そういう所には荒っぽい奴が集まるもんだから、喧嘩も日常茶飯事だ。そんな時、ガキだったバゼットを守ってくれる奴がいたんだ」
「そいつが元兵士で、憧れたってことか?」
「まあ、ざっくり言うとそうなんだが、そいつはよく英雄の物語を聞かせてくれたらしいんだ。小さい時からクソみてえな環境で友達もばたばた死んでいくんだぜ? そんな話を聞かされた子供がどう思うかは想像がつくだろ」
「憧れは、どうにもならねえな」
「ああ。結局、元兵士って奴は死んじまって、器用とは言えないバゼットが廃鉱になるまで生き残った。あいつにとって、兵士になることは必然だったんだろうよ。……だけどな、あいつじゃ、ただ死ぬだけだ。俺は、それを放っておけなかった」
「無理やり連れてきたのか?」
「無理やりじゃねえが、言い包めた。たとえ、兵士として運よく働きが出来たとしてもな、絶対に気持ちの良いもんじゃねえし、憧れるべきもんでもねえんだ」
「……メヒヤー、君は正しいことをしたと思うよ。私も感謝してる。ここはいい所だよ、本当に。きっと、バゼットもいつかは新たな憧れを見つけることが出来るよ」
話し終えたメヒヤーが葡萄茶を飲み干し、項垂れるように人生を巻き込んだ友人に思いを馳せ、音を立てて机にコップを置いた。
すると同時に、背後の強烈な気配を伴って温かなスープが目の前に登場した。
「あんたねえ……、やっと辛気臭い空気が抜けたと思ったら、何続けて浸ってんだい。あんた達ご飯食べてないだろ? さっさと食べてみんなの分を届けておくれ。みんな、いつもと違う雰囲気に、扉の前でとんぼ返りしてたみたいだからね」
「また俺が届けんのかよ。その代わり豆は抜いてくれよな」
「すまねえな、女将さん。有難く頂くぜ。旨そうな匂いだ」
「はは、確かに腹ペコだ。バゼットはあまり寄って来ないけど、今度連れてきて一緒に食べようか」
「そうだな。それがいいな。本当に……」
「うん? なんて?」
「いや、なんでもねえ。分かりきったことだ」
本当に。
ここはいい所だ、なんてな。
お疲れさまでした。




