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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第四十一話 陽が昇れば

 いらっしゃい。


 挿絵は後日やあ。→挿絵入れたあ。

 悪魔にも、体臭はあります。


 いきなり何を言うのかと思われますでしょうが、匂いというものは、より良き生活を送る上で、決して忘れてはならぬ重要なファクターなのです。現在、屋根裏部屋を根城としております、私悪魔は、幸福への道筋として、クオリティ・オブ・ライフという考えを採用している次第であります。

 と、ここまで申しまして、なんだお前は臭いのか? などと思われたかもしれません。確かに、つい先日大汗を掻く出来事があって、服は匂わないだろうか、などと繊細なる乙女心を働かせたのは事実であります。

 しかし、ここで私が言いたいのは、臭い、ではなく、生きる者全てが各々持つ、匂い、な訳です。森を散策している時に、幾らか動物を見つけたりしましたが、彼らも匂いと言うものを重要視しているように見えました。マーキングと言いましたか、木々などに己の臭いを擦りつけることによって、そこが縄張りであることを主張するそうです。

 尤も、野生に生きる者の獣臭というのは、我ら文明社会に生きる者が嗅いで快いかと言いますと、首を捻らざるを得ぬ代物ではありましたが。


 えー、少し前置きが長くなってしまいました。つまりは、何が言いたいのかと申しますと、私がこうして、己の寝所へと戻ってきた、ということですね。生きる上で最も長く体を預ける場所でありますから、己の匂いというものが宿っているように感ぜられる訳です。実際のところは、魔術で細工して汚れぬようにしておりますし、晴れた日はシャヴィさんがシーツを天日で干してくれますので、錯覚なのかもしません。


 と、ここまで考え気付きましたが、どうもその匂い自体よりも、匂いに付随する己の場所という安心意識が重要であり、その部屋を己の臭いと錯覚させるようです。

 もちろん、十の内十がそうだというつもりは毛頭ありません。理屈で言えば、己の体臭は四六時中纏っていて、最も慣れ親しんだ匂いであることは確かでしょうから、中には、枕に作った汗染みに親しみを覚える者もいるのでしょう。あまり想像したくはありませんが。


 ともかく、文明に生きる者、野生に生きる者、すべからく心の故郷を求めると言いましょうか、腰を下ろすべき場所が存在しているということが、心の安寧をもたらすのですね。たとえ、それがかつて住んでいた場所とは比べるべくもない小さく質素なものであろうと、その場所がはっきりと己を確立させてくれるよう感ぜられれば、もはやそれは宮殿城郭と言っても、本人さえ納得すれば差し支えない訳であります。


 暗く煤けた石造りの壁。木の板をはめ込むだけの簡素な窓。足を着けば軋む床板。


 昨日は、旅の疲れに加えて喧嘩騒ぎに急な来客と、心が休まる暇もなく床に就いてしまいましたので、日常への帰還を意識することは出来ませんでした。しかし、窓を開け、いつもと同じ角度で入る陽光に、肉体の記憶が歓喜していることを、はたと気付かされた訳です。

 僅か十日ばかり空けただけだというのに、なぜこうも懐かしく感ぜられるのでしょうか。床板を鳴らすことに抵抗があって、おっかなびっくり歩いたのも、今となっては懐かしき思い出であります。

 この部屋で音を出したからといって、どうなるというのでしょう。ここは私に与えられた一室。生活の息遣いがけたたましく木霊する、クリモリの村の、まさしく一部なのであります。今もこうして耳をすませば、この通り、日常を騒ぐ声が――


「ここはどこ!? 父上は、父上は何処にいるのですか?!」


 ……日常というものは有り触れているようで、一度手から離しますと、途端に貴重であると思えてくるものであります。少なくとも、未だ取り戻せていないのは確かなようです。




 現在、クリモリ村では人口の増加傾向を鑑み、家屋の増設、耕作地の拡大が急務として、急ピッチでの作業が推し進められていた。

 元より、夏場はエルフ達を村に受け入れることもあって、それなりの余剰施設が造られてはいたのだが、ここに来てキャパシティの限界が訪れようとしていた。


「さて、どうしましょうか。オークさん達は予定通り、新設の家を使ってもらおうと考えますが、あのお二方は、少し判断に困りますね」

「うーむ……、まさかのう、魔法士様にスタイ家の姫君とは……。しかし、バラン様と言ったかの? うーむ……」

「どうしたんですか父さん? バランさんは、言っては悪いのですが、アンジェラちゃんが友達と言って連れてきたので、何とでもなるような気がします。それよりも、今考えるべきは、メヒヤーさんの連れてきたイミーニア様でしょう。ビスカントさんにも事情は通っているので、必要な物が有れば、幾らかは都合して貰えると思いますが」

「ん……? いや、そう、そうなんじゃが……。……のう、ジルナート、バランという名は有り触れた名かのう?」


 村長が神妙な声で息子に尋ねる。声こそ真剣ではあったが、その表情はどこか呆けているようでもあった。


「……珍しい、と言えるほどの名ではないと思いますが、それがどうしたのですか?」

「……いや、すまぬな。お前に尋ねても詮無き事じゃったな。気がかりは自分で確かめよう。今は、イミーニア様をどうすべきかじゃな」

「……ええ、今は食堂でメヒヤーさんが事情を説明しているようですが、日が暮れる前に何処を寝所とすべきか決めて用意せねばなりません。そこで提案なのですが、集会所を改修してお姫様の家屋としませんか?」

「集会所を? 確かに大きさは、我らの差し出せるものでは一番じゃな。長老連中が怒りそうではあるが……」

「構わないでしょう。たいして機能していなかったのですから、村の意思決定に議論を減らして効率化出来ますよ。必要ならば別の場所を使えばいいのです。大仰でじっくり腰を下ろせる空間だから、黙ってたり勝手なことを言っても、議論している気分になれてしまうんです」


 冷めた目をする息子に、村長は面倒ごとを押し付け過ぎていたことを悟る。

 一度、労る必要がありそうだ。だが、不満を聞いたからと、露骨過ぎるのは、却って気を悪くする。今も表情に変化を与えてはならぬ。賢いジルナートならば、それでも気付いてしまうのだろうが。


「分かった、わしが皆に言い聞かせるとしよう。老人の愚痴り場所を別に作らねばな。それで、集会所を改修するとは言ったが、今夜中となると、簡単なものしか用意出来ん。何か考えがあるのじゃな?」

「ええ、どうせお姫様に住んでもらうなら、中途半端なものではなく、しっかりと整備した状態でお招きしたいです。ですから、それまでの一時凌ぎとして、僕の部屋を使ってもらいましょう」

「何? お前の部屋を? 年頃の姫様を、男の部屋に泊まれと言うのかの?」

「問題ないでしょう。綺麗に使ってますから。僕は暫く集会所で寝泊まりしときますよ」

「いや、そうは言うが、感覚の問題としてのう……」

「あの部屋は、曲がりなりにも村長の息子の部屋ですし、作りが頑丈で、外から覗き見ることが出来ないようになっていますから。分かるでしょう?」

「……そうじゃな。お前が言うのなら、それが最善策なのじゃろうな」


 話がまとまり、村長が傍らに立てかけていた杖を取る。ジルナートはまとめた荷物を背負い、足の悪い父に肩を貸す。


「なんじゃ、もう既に用意しておったのか」

「ええ、物が少なくて幸いでした。早速引っ越しです」


 息子は聡明である。賢いだけでなく、謙虚さと優しさも併せ持っている。だが、一方で、その美徳が結論に至る筋道に並べられた撒き餌で、手玉に取られているのではないかと感じることもある。

 実際そういった部分もあるのだろう。それは強さであり、頼もしさなのだ。いずれ近いうちに村の長を継ぐことになるのだから、したたかであることは喜ばしいことである。

 しかし、複雑に感じてしまうのも親心か。


 才気に溢れているが、老成するには若すぎる。こう育ったのは、恐らく自分の行いが原因なのだろう。


 もし、生まれ方が違えば……。

 いや……、これは老人の戯言だな。詮無き事である。わしの下に生まれ、わしが育てたのだ。今はただ、頼もしく育った息子を誇りに思おう。


 老人は、自身のものよりも細い肩に摑まりながら、外へ向かった。




 食堂では、うら若き乙女の声が木霊していた。

 歌を歌っているのだろうか? 違う。

 では、青き恋の物語でも聞いて盛り上がっているのだろうか? 違う。


 怒号である。


 床に膝をついた男を見下ろし、乙女は持ち得るだけの罵詈雑言を浴びせ、激昂していた。


「今すぐ、私を、帰せと言っているのだ!! この恥知らずの臆病者め、私はお前の様な卑怯者ではないぞ!!」

「……ですから、協力してくださった方は、今王国の方へ戻っていまして……」

「だったら、歩いてでも戻ると言っているだろうが、この腰抜けめ! さっさと支度をして案内をせよ、何年かかろうとも、私は父上の城へ行かねばならんのだ、分かったか不忠者のたわけが!」

「これは、閣下もご理解の上での事でして、危険な森を連れて行くのは、本末転倒と言いますか……」


 怒鳴られ続けていたメヒヤーの顔には血の気がなく、冷たい汗を垂らし、主君に勝るとも劣らない強気な娘にひたすら頭を下げていた。


挿絵(By みてみん)


「ちょっと、いいかげんにしとくれよ。何か事情があるって聞いたから黙ってたけどさ、いつまでも騒いでここを占領されたら、ご飯食べに来る人が入れないじゃないかい。ほら、あんたも大の男がこんなでこっぱちの小娘にいいように扱われてんじゃないよ」


 食堂の奥から、強気な娘が生まれる以前から、さらに強気な女性が現れる。手に持った鍋をカンカンと打ち鳴らし、うんざりだからやめろ、と呆れ気味の顔でアピールしていた。


「で、でで、でこっぱちですって! あなたの額も同じようなものじゃないの、飯炊き女がしゃしゃり出てこないでくれるかしら?!!」

「あぁ? あたしゃ料理する時に邪魔だから髪をまとめてんだよ。これ見よがしにでこ広げといてさ、少し揶揄されたくらいでピーピー騒ぐんじゃないよ。で、ご飯食べんの? 食べないの?」

「あ、あの、この方は高貴な家の出でして、出来れば声のトーンを少し……」

「っさいね! あんたもさ、家じゃなくて、人を見て態度を変えな! こんな行儀のなってない小娘は、いっそ引っ叩いてやりゃおとなしくもなるさ!」


 メヒヤーはもう気を失いそうである。


「ふん、飯炊き女がいい度胸じゃないの。いいわ、食べてあげる。食事の用意をなさい。どうも、ビスカントとかいう誘拐魔が来なければ話しにならないようだし」


 じゃあ、さっきまで怒鳴られていたのは何だったのだろう。


 メヒヤーは、今後続くであろう娘との関係を想像し、暗澹たる思いを胸に満たした。


 対して、イミーニアは思いの外冷静であった。

 世の理不尽に曝された娘のやり場のない怒りを、八つ当たりとしてメヒヤーにぶつけていたのである。どうしようもないことはどうしようもないと、分別は付いていたのだ。


「ったく、言葉遣いがなってないねえ。うちの居候とは大違いだ。……おっ、噂をしていると、丁度来たみたいだね。今ご飯用意するからちょっと待ってな」


 シャヴィと階段から様子を窺っていたアンジェラの目が合った。見知らぬ人間の騒がしい声に、少女は階段を降りるをタイミングを探っていたのである。


「……あ、あいあい、お、お早う、ございま、す……」


 気まずい。今日はもう一日部屋で過ごそうかとも考えていたのだ。ただ、それでは、シャヴィさんが心配するだろうし、一度避けると二度目の事態に備えねばならない。結局は抱える不安を大きくし続けるだけなのだ。

 これでいい。これでいいはずなんだ。シャヴィさんがきっかけを作ってくれて、それに乗っかった。今この一瞬が山場なのだ。山登りを経験した私なら、乗り越えられぬはずもなし。


 少女は体を強張らせ、カクカクと手足を動かしながら席に着いた。イミーニアは鋭い双眸でその姿を凝視している。

 少女は緊張のあまり、顔を俯かせて頬を引くつかせた。


「……メヒヤー、この子は、鬼、じゃないのですか?」


 さっきまでとは打って変わったイミーニアの平坦な声がメヒヤーに向けられる。


「い、いや、ち、違うんじゃあ……ない、ですかねえ……。ほ、ほら、つ、角は有りますけど、四本角なんて聞いたことがないでしょう?」


 不穏な気配を察したメヒヤーが、場を取り繕う努力をする。スタイ家の使命は鬼を討つこと。なるほど、これはまずい状況である。


「……確かに、そうだけど、じゃあなんなの? 不気味にニタニタと笑っているわ。鬼でないとすれば悪魔なのかしら?」


 少女の心臓が一瞬止まった。物理的に止まったのだ。これまで少女の正体について、幾度も矢を放たれたが正鵠を射られたのは、これが初めての事であった。


「ちょっとやめとくれよ、うちの子をいじめるのは」

「い、いじめてないわよ、失礼な事を言わないで!」


 少女の秘密が撫でられたその時、タイミングよくシャヴィが料理を運んできた。


 我が女神よ……、貴方の背には後光が差している……。


「だいたい聞きたいことがあるならさ、本人が目の前にいるんだから直接聞きゃいいじゃないかい」 


 あえ?!


「それもそうね。ねえ、あなた一体何の種族なの?」

「……えぇ、き、記憶が、がが、なな……、あ、ありません、の、のので……」


 これでええんか?! これでええのんか?!


「……ふーん、そうなの。人間と一緒に住んでるんですものね。何か事情があるとは思ったわ。ま、悪魔だったからといって、どうということもないんだけれど」


 え? あ、そう? そんなんでええん?


「そういうことさ。今はこの家の子だから、優しくしてやっとくれよ。いい子なんだけど、引っ込み思案なところがあって、自分から同年代の友達を作ろうとしなくてね。あんたの方がちょっと年上に見えるけど、よかったら仲良くしておくれ」

「……まるで、私がこの村に住むことが確定しているみたいな物言いね。私は諦めませんわよ。でも、まあ、ここに居る間くらいは話し相手になってあげるわ。軟弱な髭面男を見ているよりは、ずっと有意義そうだもの」

「……お嬢様、ちょっと、外の空気を吸ってきます……」


 放心して抜け殻のようになったメヒヤーが、席を外す。


「ちょっと可哀想じゃないかい? いつもは周りから顰蹙を買うほど厚かましい人なのに、あんなに弱々しくなっちまって。娘っ子の言いなりなあの人も情けないと思うけど、慰めの一つくらいは掛けたほうがいいと思うよ、あたしは」

「……そうね。私も言い過ぎていると思うわ。でも、メヒヤーは知っている顔なだけに、見ていると父上が今どうしているのか想像して、気が気でなくなるの……」

「はあ、今度はこっちが落ち込んじゃったよ、可哀想に。でもさ、あんたの父さんはさ、あんたを逃がしたかったんだろ? 男が娘のために決断したんだ。それだったら納得するしかないさ。落ち込んでてもいいけど、無茶な真似だけはしちゃいけないよ。親ってのが何よりも望むのは、子供が無事でいることだからね」

「……知った風なことを言うのね。私も分かってる。けど、私は家の務めを何にも果たせてない。私だけ何もせずに置いて行かれて、私だけ何も成さずに生きている」

「子供が難しいこと考えてんじゃないよ。詳しい事情は知らないけどさ、何も出来なかったってのは、それだけ大事にされてたってことじゃないかい? 特に年頃の娘なんてのは、何もさせずに片時も離したくないもんだよ。それでも、ここへ寄こしたってんなら、そういう事情なんだろうさ。悔しいだろうけど、親心なんてのは、そんなもんさね」


 シャヴィの言葉に、イミーニアは目を閉じて深く息を吐き、内から湧き上がる不安やイラつきを振り払う。その己を自制せんとする一挙手一投足は、おおよそ齢十三の娘がとるには、堂に入りすぎていた。


「ありがとう、あなた、言葉は乱暴だけど優しいのね」

「優しくしない理由もないからね。でも、やれやれ、変に大人びた子供ってのも調子が狂うよ。泣き喚いてくれりゃ、その内疲れておとなしくなるんだろうけどねえ……」

「武家に生まれた者が泣き顔を見せるなど、もっての外ですわ」

「武家ねえ……。まあ、家にも色々あるってことかね。それよりも、さ、食事にするとしましょうか」


 今日の料理は、ほんの三十分前に焼き上がったパンに、川魚の香草焼きと、早採り人参のポタージュである。

 メヒヤーと村長から、出来るだけ良いものを作って欲しいと頼まれたのだが、ここ最近そういったお願いが続いていたため、備蓄された食材の運用にも工夫が求められていた。今回は、対象が小さな女の子な上に、高貴な育ちと聞いていたので、この村で良い物と言えば真っ先に上がるであろう肉を敢えて使わないことにした。川魚をエルフに獲ってきてもらい、甘みのある人参を少し早めに収穫させ、育ちのいい女性でも抵抗なく食べられる食材を揃えた。

 川魚は食べやすいように魚の小骨と内臓を取り除き、塩と細かく刻んだ香草をまぶしてバターを溶かしたフライパンで両面をじっくりと焼き上げた。小ぶりで細い人参は、摩り下ろして牛乳と塩で煮ることにした。隠し味に、昨日の残り物のチキンスープを加えているが、高貴な方に出すには聞こえが悪いので秘密にしている。


「どうだい? 美味しいかい?」

「……悔しいけど、料理長が作ったものより美味しいわ」

「そうかい、これ以上ない褒め言葉さね。手間をかけた甲斐があったよ」


 実のところ、クリモリ村の食事事情はかなり良い。まず、自給自足で新鮮な食材が採れる上に、エルフが協力してくれるので、極端に飢えるということがほとんどない。そして、税を取り立てられることもないため、採った食材は自由に扱える。

 また、深い森の中で生じる娯楽の少なさは、必然として食に楽しみを見出すことになった。故に、一般的な村と比べ、クリモリ村では料理上手の地位が高く、尊敬を集めるし、とてもモテるのだ。

 割と真面目に、シャヴィさんは村長に次いで信望が厚かったりする。


「ご、ごちそうさ、ま。と、とても、お、美味しかった!」

「あら、もういいのかい?」

「え、あ、う、うん。け、剣の稽古、に、い、行かなく、ちゃ」

「剣? その子、武芸の修練をしているの?」

「ああ、実はあたしの息子が剣術馬鹿でね、一日中剣を振り回してるんだけどさ、どうも、この子も興味持っちゃったみたいなんだよ。息子を慕ってくれるのは嬉しいんだけどねえ……」

「へえ……。この村は中々見所がありそうね」

「あれ、そういえばあの子、朝早く出掛けたきり戻ってきてないねえ。何も食べてない筈だし、あんたもまだ出かけず、一度帰ってくるのを待った方がいいんじゃないかい?」

「え、あー、あ、あい。そ、そうす、る」


 少女は立ち上がりかけた腰を下ろし、パンを齧りながら待つことにした。本音を言えば、会話に混ざる自信もないし、話しを振られても場の空気を濁すだけのように感じられて、さっさと離れたかった。

 しかし、その場を離れる尤もらしい理由を失った今、なお外に出ようというのは、目前の娘を露骨に避けているようで、心に抵抗があった。この娘を嫌っている訳ではないのだ。心の中でどう取り繕おうとも、ネガティブな方向に状況と行動が重なれば、それが真となって

相手に伝わるかもしれない。


 ……ルヴナクヒエ、早く帰って来ないかなぁ……。




 食堂の息子が帰ってきたのは、それから二時間後の事であった。


「お……、おかえ、り……」


 少女は疲弊しきっていた。イミーニアの質問攻めは、一々鋭かった。

 どこから来たのだ? どうやって入り込んだのだ? 森に一人でいるのはおかしくないか? 何故、魔術が使えるのだ? 記憶を失っているにしては、思い出そうとしたり、過去を調べようという気が感じられないのは何故だ?


 まるで罪を犯して詰問されているかのようであった。

 それだけに、遠方から近付いてくるルヴナクヒエの足音と手をかけた扉の軋みは、福音の如く、少女に救いを感じさせた。


「おや、やっと帰ってきたのかい。ほら、お嬢ちゃん、あれがうちの息子だよ。その子はもう疲れてるみたいだから、開放しておやり」

「んー……、なにか釈然としないんだけど、まあいいわ。また暇な時、あなたのルーツを探りましょう」

「ふ、ふへ……へへ」


 まさか、3000年前からここにいて、気が付いたら人間の村が出来ていて、初めて人間と会った時、その場の流れで記憶が無い設定になりました、なんて想像もつかんわな。私もな、そんな生き方は想定しとらんっかたんだわ。


「おい、ガキがえらくくたびれてんじゃねえか。女なら女らしいガキの遊びしとけよ」

「な、何ですかあなた! 私をガキですって、無礼者め!」

「あー、うるせえうるせえ。それよりも、お前が話すべき相手はこいつなんじゃないか?」


 ルヴナクヒエが自分の背を右手の親指で示す。よく見ると、後ろに誰か隠れている。


「ほら、しっかりしろよ」


 ルヴナクヒエは、背後で縮こまっていた男を前に押し出した。

 痩せ細った骨と皮の様な体に、年齢の割に後退した頭皮。見るからにさえない男が、もじもじと照れ臭そうに、恐る恐る口を開く。


「や……、やぁ、イミーニア、げ、元気?」

「……何故、ここにいるのですか、……兄上」

 お疲れさまでした。

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