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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第四十話 十字架、燃ゆる 後編

 いらっしゃい。

「合図はあったか?」

「いえ、ありませんな」

「そうか」


 ザッツカーク辺境伯は、十字城の見張り塔に作られた隠し通路を使い、城郭中央にの館へと向かっていた。連れ添いには老いた魔法士の姿があった。


「ラスめ、なかなかやる。ヴァリエンテの猪をよく操っている」

「我輩も、あの者の魔術兵団には少々手こずりましたぞ」


 隠し通路には外へ伸びた道もある。だが、包囲する敵軍は動かず、周囲の警戒を強めている。間者を送り込むどころか、逃げ出すことも出来ないだろう。

 しかし、そんな状況であっても二人の表情には、一切の陰りが見えず、どこか晴れやかであった。


「爺、我らの負けだな」

「ええ、完膚無き負け、ですな。はっはっはっ!」


 石造りの通路内を老人の甲高い笑い声が反響する。この通路の存在は、スタイ家の人間と、この老人しか知らない。老人の名はオーリアン・ジストニール。スタイ家に四百年仕えている魔法士である。


 通路を二十分程歩くと、壁にある無数の傷の中に、黒く変色した十字架を確認する。天井を強く押すと、少しだけ浮き上がり、それをずらすと長く続く登り梯子が出現する。完全な闇の中を登り、辿り着いた天井を再び強く押すと、視界が明るくなり、煤けた赤から暗い紫へと変化した空が見えた。

 ここは、スタイ家の住む館の裏手にある、裏地であった。


「お帰りなさいませ」


 少女の声と共に、天上を塞ぐ石板の抵抗がなくなる。

 マスティリオとオーリアン以外に隠し通路の存在を知る、もう一人の人間。


「うむ、帰ってきた。食事を頼む」

「今、料理長に伝えてきますね、父上!」


 父の無事を確認した少女が駆け足で館の中へ入ってゆく。


「唯一の心残りと言えば、あの子ですな」

「…………」




 食卓へ向かうと、既に食事の準備が整っていた。食卓に並べられた椅子は六つ。用意された食事は三つ。マスティリオとオーリアン、そして少女の分。


「イミーニア、我らスタイ家の紋章の意味が分かるか?」


 マスティリオは食事の用意された席に腰掛け、目に映ったテーブルクロスの刺繍を指でなぞりながら尋ねた。刺繍の意匠は燃える十字架。スタイ家の紋章である。


「はい、我がスタイの家訓は、死で贖え。それは即ち必罰を意味します。罪は明らかにして罰せねばならない。まさしく、誇り高きスタイ家の精神を表していますわ」


 イミーニアは、何をいまさらと、少し戸惑いながらも、尊敬すべき父の言葉に答えた。


「……正解だ。ビュッヘルトは断罪せねばならなかった」

「その通りです。私は父上の行いが間違っていたなどとは、露ほども思っておりません。ただ、私はベツェクオールより、大公が許せません! 出来ることならば、私自らが戦って兄上の仇を討ちたいほどです!」


 興奮した娘の姿に、マスティリオは話を続けるべきか考え、やはりやめることにした。


 食卓に並ぶ主を失った椅子の内、二つは兄の物だった。一人は今回の戦で命を落とした。苦戦する歩兵を助けようと、駆け付けて無理をした結果、馬を潰してしまった。最後はヴァリエンテの兵に飲み込まれるようにして命を落とした。最前線で兵を率いて戦うスタイ家の誇りを体現した死に様であった。

 対して、もう一人は行方が知れない。そもそも、スタイの血こそ流れているが、生まれた時は平民であった。一年程前に落とし子が見つかり、受け入れはしたが、その虚弱な体には、とても家の務めを果たせるとは思えはなかった。長兄として館に置いておくわけにもいかず、歩兵の中に放り込んだが、しばらくすると脱走した。


 スタイ家の命脈を繋げるのは、いまや実質的にイミーニアただ一人となってしまった。

 この戦が負けることは分かっていたのだ。だから、アマンドラの司教の娘であった妻と別れ、国に戻した。娘と一緒に逃げてもらいたかった。

 だが、それをイミーニアは固辞した。皮肉なことに、逃がそうとした娘こそが、誇り高きスタイ家の血を、最も色濃く受け継いでいたのだ。


 マスティリオがオーリアンの顔を見やると、老人はやれやれと言った風に肩をすくめた。




 太陽が身を隠し、闇が深まると、城内は静寂に包まれた。城を二万近い軍勢に包囲されているとは思えぬほどに異様なほどの静けさであった。敵兵の工作を許さんと、城兵が緊張を保っていたのだ。その中では物音一つ立てることすら憚られ、生み出された静寂が城内の民にまで伝播していた。


 静寂に包まれた館の中で、マスティリオは横になり目を瞑っていた。

 眠れないのだ。だが、城を統べる者が疲れを見せてはいけない。だから横になり体を休ませるだけでもせねばならない。

 剛勇の男が、今夜ばかりは不安に駆られていた。己の命とは比べるべくもない、大きな気がかりが残されていたからだ。


 そんな、閉じた瞼に思い出を映している最中の事であった。足音がした。それは、扉の外に突如現れた音であった。


「誰だ?」


 扉の外で、驚いたのか少し強い足音を響かせて、誰かが立ち止まった。


「我輩ですぞ、若。少々火急の要件がありましてな。入っても?」

「……よかろう。爺が言うのならば、それは大事なのだろう」


 仮に、敵の手に落ちたのなら、もはや私が抵抗したところで意味はない。


 甚だしく可能性の低い上に、縁起でもないので言葉には続けなかった。

 もしかすると、そんな言葉が頭に浮かぶ時点で、自分には限界が近づいているのかもしれない。

 頭に垂れ流される思いを掻き消せぬまま、扉を開けた。

 すると、見慣れた顔の老人が――


「聞くべき価値のある話と思いましてな。我輩が保証致しましょうぞ」

「どういうことだ?」


 そこには確かにオーリアンがいた。だが、その腕には眠ったイミーニアが抱えられ、後ろには見知らぬ男と、ここに居るはずのない男がいた。


「閣下、サリエンの血はまだ生きていましたよ」


 その、かつての友の名を聞いた一瞬、マスティリオは頭の中の不安を忘れた。


「バルメニヒトが生きていたのか?!」

「……いえ、亡くなったようです。しかし、息子は生きていました。ルヴナクヒエ・サリエン。あの方によく似た気取り屋で、軽口は多いですが、芯の通った男です」

「そうか、息子が……」


 マスティリオが複雑な表情を作る。言葉にはせぬが、明らかに落胆していた。


「いや、すまぬな。それで、そちらは?」

「初めまして、私は教皇庁に仕えるケンプ・フィンド・ビスカントと申します。本日は、彼の協力者として参りました」

「教皇庁? アマンドラの人間か?」

「若、三十年程前に王国内で二人の天才が生まれたと騒がれていたのをご存知ですかな? 魔術師の間では話題になりましてな、この者はその内の一人。教会の麒麟児ですぞ。空間魔法で天界を覗くなどと言って、皆から異端者扱いされたという、例の」

「ああ、例の頭の……、いや、ここにメヒヤーと入り込めたということは……」


 イミーニアを抱えたオーリアンがにっかりと笑う。


「この者の能力は我輩の御墨付ですぞ。先程も扉の前へ転移し、この目でしっかりと確かめましたからな」

「そういうことか。だが、イミーニアは聞かんだろうな」

「可愛い子には旅をさせよ、ということですな。時には厳しきことも愛情ですぞ。この通り、眠らせておりますでな、安心なされよ、若」

「そうか……、私は今に至って、初めてスタイの当主にも不安が募ると知ってな。礼を言うぞ、メヒヤー。……だが、イミーニアを連れて何処へ行くのだ? 聞いていなかったが、バルメニヒトの息子は何処にいたのだ?」


 メヒヤーは、果たして村の存在を漏らしていいものかと考えたが、目の前にいる主が決して口を割らぬ男であることを思い出す。


「クリモリです。呪われた地ですよ。森の深くに村があったんです」

「クリモリ……? というと、もしや、そこの民は、かつてベツェクオールに住んでいたのではないか?」

「おそらく、……そうでしょう。特徴的な赤毛の者が大半を占めていました」


 その返答に何か合点がいったのか、普段は眼光鋭く、気難しい顔を崩さないマスティリオが、頬を緩め、笑みを作った。


「ふ……、はっはっはっは、バルメニヒトめ! 奴の隠し事がようやく分かったぞ。ビュッヘルトのサリエン家に対する恨み節もあながち嘘ではなかった訳か。サリエン家は昔、ベツェクオールの民が逃げるのを手伝ったのだ! それも、村の私財や家畜を運ぶ護衛までつけてな!」

「なるほど、だから、あの村ではサリエン家の待遇が特別良かったのか」


 メヒヤーの脳裏に、一日中剣を振っていて、一切仕事をする気のないルヴナクヒエの姿が浮かぶ。


 補足しておくと、ルヴナクヒエは魔獣や猛獣が侵入せぬよう、見張りとして、村はずれの柵付近で鍛錬することが多いし、農作業は村長が恐れ多いと、回さぬようにしているのだ。少女が村に来て少し経った頃なんかは、狼の魔獣を退治している。鳥獣の世界に生きていると、腕っぷしが強いということは、それだけで頼りになるのだ。だけど、新参のメヒヤーはそんなこと知らんのだ。


「……メヒヤー、それで、あの男はどうなった?」

「は、御子息は無事にございます。クリモリの村では、有力者の息子に気に入られ、村民のために知恵を貸しております」

「そうか。あの男は母に似て体が弱かった。ここでは、無為に命を捨てるだけであったが、どんな者にも収まるべき場所は存在しているようだな」


 メヒヤーはザッツカークの歩兵団に混じり、スウェイクを連れて抜け出すよう命じられていた。その命令は、マスティリオが戦場に馴染まない息子を案じての事に違いない。だが、そんな息子に対する言葉は、何処かよそよそしくもあった。


「して、どうやって村を見つけたのだ? あの森は歴史から放置されて久しい。強力な魔獣も育っているはずだ。情報を掴んでいたとして、鬼の統治するネフレスクの山に潜り込むのとは、訳が違うだろう?」

「……サリエン家の者が東に向かったとの情報は得ていましたから、森を海沿いから探っていると、偶然にも、村と交流のあるエルフと出会いまして」

「なるほど、エルフか。元はただの村人であった人々が、森の中で生き抜けたのにも納得がいく」

「……」


 腕利きの密偵として通っていたメヒヤーは、主に小さな嘘をついた。まさか、託された息子を連れて遭難し、偶然助けてもらったなんて言えるはずもない。一歩間違えれば、スウェイクの命はなかったのだから。


「どうかしたか?」

「いえ、少し昔のことを考えていました」


 言葉に間違いはあるまい。


「そうか。これからは思い悩むことも少なくなるだろう。剣を置き、クリモリの村で静かに暮らすとよい。お前の剣を握る手が鈍くなっていたことなど、とっくに気が付いている」


 その言葉に、メヒヤーは愕然とした。息子を託すのに自分が選ばれたのは、腕を信用されていたからだと思っていた。だが、実際には、剣を振るうことに罪の意識を抱いていた自分を戦地から離すためだったのだ。


「人は誰しもが罪に囚われて生きるのだ。お前は特に優しすぎた。だからこそ信用できたが、だからこそ生まれるべき場所を間違えたのだとも思う。これからは自由に生きよ。時々、イミーニアに慎みでも教えてやってもらえれば助かる。この娘は、少々気が強すぎるからな」

「……承知しました、閣下。スウェイク共々、私がこの身に変えてもお守り致します」

「ふっ、自由にせよと申したのだがな。まあいい、頼んだぞメヒヤー。いや……、この名はもはや不要か。確か……、ウェスヘルだったか」

「私の名を覚えていたのですか、閣下。ですがいいんです。私はメヒヤー。ただのメヒヤーでいいんです。閣下に仕え、友と出会った名ですから」

「そうか。では、もう行くとよい。ビスカント殿、頼めるか?」

「はい、いつでも。……しかし、その、ジストニール様はよろしいのですか……?」


 抱えたイミーニアをメヒヤーに渡すオーリアンに、ビスカントは残念そうな目を向ける。


「我輩か? 我輩はスタイ家に四百年仕える、ザッツカークの領主であるぞ。運命はスタイ家と共にある。おめおめと逃げ出すなどできるものか」

「それがジストニール様の使命ですか。魔法の究明を志すものとして、残念ではありますが、納得もせねばなりませんね」


 ビスカントは溜息をつきながら、自身の作り出した空間転移の法、天門を開いた。


「これでお別れです閣下。イミーニア様には、私がよく説明致します」

「世話を掛ける」

「……閣下、御子息には、我が友スウェイクに何かお言葉は……」

「……不要だ。あれは息子ではない。あの体の弱さは母親に似たのだ。今更スタイ家の責を負うこともあるまい。ただ私の最も愛した女が残した、たった一人の子供だったというだけだ」


 マスティリオは、過去を思い出すように俯き気味に目を細めながら、そう伝えた。

 メヒヤーはただ頭を下げる。真意を痛いほどに理解し、言葉が胸でつかえた。

 暫く下げ続けた頭を上げると、振り返り、無言で開いた天門の中へ踏み出した。別れの言葉など、いまの自分では伝えれそうになかったし、余計な言葉が必要でないことも理解できたから。


挿絵(By みてみん)


「では、私もこれで。……教会に、王国に仕える者として、此度の戦争がより平和的に解決されることを、私は祈りますよ」


 ビスカントもメヒヤーに続いて天門へ足を踏み入れると、暫くして空間に発生していた光の膜が閉じた。


「平和的に、か」

「はっはっはっ、我々の花道だと言うに、水を差しおる!」

「爺、我々の一族が野蛮なのだ。名誉のため、真実のためならば争いが起ころうとも、罪人を磔にせねば気が済まんのだからな」

「結構結構、野蛮で結構ですぞ。長く生きますとな、真実が歪められていくのを何度も目撃するものでしてな。我々の様な人種がいることを世に知らしめるのも、世界には必要と考えますぞ。野蛮なスタイ家に仕えれたことは、我輩の誇りであります」

「ふふ、爺は流石だ。その揺ぎ無い信念は、まるでスタイ家の魂のようだ」

「はっはっはっ、褒め過ぎですぞ、若。人間、死期が迫ると正直にしか生きれんのです。百年も前から、我輩はいつ死んでもおかしくない老いぼれですからな!」


 老人の甲高い笑い声が響き、マスティリオはふと、静寂の中で抱えていた不安が全て掻き消えていたことに気付く。

 そして、真に己が成すべきことに気が付いた。


「……爺、私は明日、敵軍に投降しようと思う」

「なんですと?!」


 老人の驚嘆の声の後、館を静寂が包んだ。

 マスティリオの一切揺らぎのない瞳に、オーリアンはその言葉が本気であることを悟る。


「……本当に、よいのですかな? 兵は納得しませんぞ」

「それは爺に任せる」

「……はっはっはっ、なんと、勝手な! 若の命ならば仕方ありませんな。して、何故、そう決断を為された? 降参など我らの作法にはありませんぞ?」

「爺、我らの紋章を見よ」


 マスティリオが部屋の壁に飾られた紋章旗を指差す。


「スタイ家に生まれた者は、決してその意味を見失わぬよう、自室には必ず紋章旗を飾る。燃える十字架。罪を明らかにし、死によって贖わせる。ならば、ビュッヘルトへの断罪は済んだ。そして、行方知れずとなっていたサリエンの血脈も見つかったのだ。これ以上は、我が家の使命ではない」

「……そんなことは、分かり切ったこと。戦いを望む兵への言い訳には使えませぬ。本当はなんです?」


 オーリアンが飄々とした態度を消し去り、マスティリオにその真意を問う。オーリアンの覚悟したような強張った顔は、まるでその答えを知っているようであった。


「……爺も四百年仕えていれば知っているのではないか? 燃える十字架の真の意味を。我らは戦を生業とする。その結果として得られる罪は、戦場に立つ兵ではなく、我らスタイ家の当主が負わねばならん。故に、当主は死期を迎えると体を磔にして最期を迎え、火葬されるのだ。これは当主となった時に初めて知らされるスタイ家の伝統」


 マスティリオは部屋に飾られた紋章旗に近づくと、その裏に隠された壁の窪みから、古び、丸められた羊皮紙を取り出した。


「爺よ、我らスタイの血を引く者で、この城に残されたのは、この私しかおらんのだ。もし、戦を続けて私が死ねば、誰がこの地に生まれた罪を背負うのだ?」

「……スタイ家の葬送も、アマンドラでの磔も、本質的には変わらぬということですな。あの子に、その紋章の意味を伝えなかったのは……」

「イミーニアは、未だ負えるほどの罪など犯していない。だが、あの娘はスタイ家の血が色濃く流れ過ぎている。この城に残っていれば、一族同様、剣を持つか、いずれ紋章の意味に気付き、務めを果たそうとするだろう」


 覚悟は出来ていると思っていた。だが、それは己の夢想する死に様でしかなかった。


 オーリアンは膝を落とし、床に手をついて嗚咽を漏らした。

 本当の終わりを悟ったのだ。己の最後は、スタイ家と共に死ぬことではなかった。スタイ家の終わりを見届けねばならなかったのだ。


 泣きじゃくる老人を横に、マスティリオは、静かに身支度を始めた。最早、死にゆく己には睡眠も必要ない。汚れた鎧を磨き、伸びた髭を整えて、深まった闇が明けるのを待っていた。

 お疲れさまでした。


 まだ四十話しか書いてないのか、と思いつつ計算すると一日に1000字以上は書いたことになるらしい。挿絵も描いているので、割と頑張っていたようである。しかし、別に趣味絵も描きたいので、もっと早く書けるように努力したいものである。

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