第三十七話 熱情の花冠
いらっしゃい。
「この……はぁ、変態……が、そろそろ、はぁ……諦めな、さ……い……!」
「……ふぅ、私の心は、ぜぇ……、今、充実して……いる、ぞ。まだ……だ、まだだ、ファルプ、ニ……!」
……。
「もっと……、もっと、気持ちよく……なろう、ファルプ、ニ!」
「それ、は、……その、言葉は、流石に……はぁ、おかしくない、か?」
……なんやこれぇ。ファルプニはん、あんた何をやっとるんや……。
オークの郷からの帰路は、バランとオーク隊の警護が加わり道中の安全が確保されたことで、尋常ならざるスピードでの帰還を実現した。それも僅か三日。山道に慣れた者が十日以上かける道のりを、先導するアルメトラの健脚に引っ張られる形で踏破した。
流石に疲れの顔を見せるオーク達。その後ろを死人の如き顔で歩くルヴナクヒエ。彼の名誉のため言わねばならぬが、彼の体力は並外れている。登山経験に乏しい人間の身で付いて行けることがすごいのだ。夜間であろうとお構いなしに半日以上進むなど、人間の常識ではあり得ぬのだ。
「おい、顔が死んでんぞルヴナクヒエ、大丈夫か?」
「……うるせえ……。ゲロ吐きながらでも付いて行く。俺を気遣うな……」
「そう自信なくすな、体力自体は俺よりあんだからよ。まあ、今回はしゃあねえ。行きの疲れも残ってたし、俺も実際へばってる。とりあえず帰ったら安静にしとけ。骨や筋がいかれたら、まともに歩けなくなるからよ」
木の棒を杖にして、気合のみで足を前に出すルヴナクヒエ。オーク達がおぶろうかと提案もしたが、かたくなに固辞した。そんな姿に、少女は心配そうに眺め、バランはそっと地面を舗装し、アルメトラは気付かず進んだ。
「さ、そろそろ村が見えてくる頃……ですよね? ここって、こんな感じでしたっけ? み、みんなの言う通り進んだだけだし、私の所為じゃないし、ですよね、ですよね?」
「いや、確かに道は合ってると思うんだが……、変だな。なんでこんなに木が倒れてんだ?」
村から少し離れた森の中、木々に覆われたはずの大地に、そこだけぽっかりと穴の開いたように、赤みがかった空が覗いていた。幹を半ばから粉砕された木々が立ち並び、倒木が道を阻む。さらに、倒木は雨が降ったように濡れ、辺りには湿った空気が漂っていた。
「や~、向こうの空を見てください。何か浮かんでますよ」
「ん? 本当だ。鳥……じゃねえな。動きが少ねえし、妙に光ってる」
「あれは、剣ですね! 斧や鎌、でっかいのもありますよ!」
「お、おう、目えいいなメトラちゃん。だけどさ、なんでそんなもんが空に?」
「おい、まさか村に何か起こってんのか? だとしたら、少し急いでもらいてえんだが」
「んー、そうお焦りにならずに。実は、あちらの方角に強い魔力を二つ感知しているんですよね~。ちょっと行ってみませんか?」
「そりゃ……、誰か戦ってるってことか? だったら危ないんじゃねえのか?」
「や、おそらく大丈夫だと思いますよ。どうします、アンジェラさん?」
「……ん? えぇ?」
そうかぁ、私が決めるあれなんやなぁ。領主のあれ。
慣れへんわ。ほんま慣れへん。えっと、なんやったっけ。そや、向こう行くかどうかか……。心は拒否してる。危なそうやし。せやけどね、そんなわけにもいきませんわな。だって、村から近いもん。放っとくわけにもいかへんやん。
それに私は決めたんや、村を守るって。ここで逃げたら、冥府で眠る父様母様に笑われる。笑っては欲しいけど、そういう感じじゃなくてや。
「う、うん、い、いい行こう……」
「ええ、マジかよ……。な、なあバランさん、安全は確保してくれよ?」
「ええ~、もちろんです。さあ、早くいきましょう。向こうも大変そうですし」
「向こうも?」
「や~、行けば分かりますよ」
霧がかった森を夕日が照らし、連なった倒木が道を指し示す。村の方角から離れ、バランの先導に付いて行くと、倒木の数は増えてゆく。次第に濃くなる霧の先からは、強く打ち付けられたような鈍い音が聞こえてくる。
「……ん……たい」
「……い……ぞ」
鈍く響く音の中に、混じる声があった。
「こ、ここ、声が、す、する」
「声? 嬢ちゃん、俺には何も聞こえねえが、本当か?」
悪魔の聴覚は人間をはるかに――
「この、はあ、変態、めが!! もっと、はぁ……強く、ぶたれたい、か!?」
「そうだ、ぜえ……、いいぞ! お前は、最高だ! ひゅぅ……心の底から、腕を……はぁ、振り抜け!!」
旅の一行に沈黙が重く圧し掛かる。
「……帰った方がいいんじゃないか?」
「お、おい、ガキに見せていいもんじゃねえだろ、やべー方向で大変じゃねえか!」
「え? 何が行われているのですかぁ? 私気になるから見てみたいのですが、ふふふ」
「や、そうですね。随分と張り切ってるみたいです。見にいってみましょう」
「おい、こら、おっさん、どんだけだよ! あ、おい、ガキんちょ、先に行くな! クソ、足が……!」
ところどころ隆起し、異様な形で固まった地面を進む。木々が粉微塵に破砕されて開けた大地には、鉄槍が飛び出し針山のようになった場所や、大穴の開いた岩のドームが並ぶ。それは、ここで何かとてつもない、激しい戦いが行われていたことを物語っていた。
そして、一層濃い霧の先、音の強くなる方へ向かうと、そこにもまた、とてつもない光景が広がっていた。
「……」
汗みずくになった半裸の男が、拘束着のように張り付いた真っ黒な皮の服を着た悪魔とひたすらぶちあっていた。紅潮した顔と漏れ出る息。湿度の上がった空間は、他の場所よりも気温が5℃は高かったに違いない。
「おお! これは、すごい……!」
「……」
興奮するアルメトラと、絶句するアンジェラ。
少女は困惑していた。喧嘩は良くないと言い聞かせていたつもりのファルプニが、アルカハクとまた諍いを起こしている。信頼していただけに残念であった。
少女は割と純真だったので、いかがわしい想像はしていなかった。
アルメトラは割と不純にいかがわしい目で見ていた。素直に興奮した。
「ふぁ、ファウプ、二……」
「きさ……え、あぇえ?! ア、ンァア、アンジェラ様!!」
悪魔は素早く両手を後ろに回し、鋭利に伸びた爪を隠す。突然急停止した悪魔に、半裸の男は、勢い余って鳩尾に正拳を突き入れた。
「あ、悪い」
「…………ッンハァ゛ア゛ア゛!!! 」
延べ五時間に及ぶ闘いの中で、一度たりとも膝をつかなかったファルプニが、体をくの字に折り曲げて大地を転げ回る。耐えれない一撃ではなかった。しかし、意識が逸れた瞬間にクリティカルヒットした上に、戦闘意志が途切れ、気合と根性で保たせていた足腰の踏ん張りを失った影響が大きかった。
「ファウプ、ニ、だだだ、だいじょう、ぶ……?」
目の前の惨事に、少女は結構自分の所為っぽいこともあって、かなり焦っていた。
もっと気を遣うべきだったかもしれない。あちらの事情もあったろうに、自分の機嫌を優先して横から口を出してしまった。その結果がこれだ。威厳があってクールだったファルプニが、今や親を失った子山羊の如き可哀そうな姿になり果ててしまった。
かける言葉も出てこない。だが、これ以上憐憫の目に晒すわけにもいかぬ。ファルプニは、毅然とした恰好良い姿が似合うのだ。そうであってほしいのだ。
「……ツァァアイッ!」
「な、ななな、なに、何?!」
「…………アンジェラ、様、この通り、私、は、大丈夫、です、よ」
「え、ほ、本当ぉ?」
「……長旅、お疲れ、様、でござい、まし、た。ご無事、で、何より、です」
「う、うん。そ、そっちも、だ、大丈夫そう、で、よ、よよよかった」
ファルプニは先程までの姿が嘘のように、立ち上がって私に微笑みかけている。流れる汗が気になるが、それだけ激しい運動をしていたということなのだろう。内向きに揃えられた両足は、歴戦の武術家が見せる構えの様であった。
よかった、流石ファルプニだ!
私の憧れる格好良い悪魔の姿だ、風格が違うもの!
内股で滝のような汗を流す悪魔を背に、アルカハクは所在なさげに立ち尽くしていた。
「お前……、何でここにいんだよ……」
「……確か、ルヴナクヒエだったな。なんでも何も、出直すと言い、その通り出直してきただけだ」
「うちの村を営業先みたいな扱いすんなよ。っていうか、お前その牙……」
ルヴナクヒエの視線が自分の牙に向かっていることに気付く。外した兜は何処へ置いただろうか。返答を待つルヴナクヒエを無視し、森の中を探し回る。そして無事に見つけ出すと、ひしゃげた鉄兜で再び顔を覆った。
「ファルプニは、我が人生最良の好敵手となった。決着まで続けられなかったのは残念だが、私の胸の内はかつてない充足感に満ちている。ルヴナクヒエ、お前も後れを取らぬよう鍛錬を続けるのだな」
「くっ、長々と待たせた挙句、堂々と話を逸らしやがって」
「さて、帰るか」
「あ、おい待て、こらっ!」
疲れで足のもつれるルヴナクヒエを置き去りにして、アルカハクが歩き出す。
「待ってください!」
呼び止める声があった。
「兄さん、カハク兄さんなのですか?!」
「……メトラか。随分と大きくなったな」
「やはり、そうなのですね!」
感動の再開である。汗まみれの半裸で悪魔とぶちあうのに熱中し、妹に気が付いていなかった兄と、その兄の様子を見て興奮していた妹の、二十年ぶりの再開であった。
「今までどこにいたのですか、何故私を残していったのですか!?」
「悪いことをしたと思う。だが、自分なりに正しいと思う選択をしてきたつもりだ。そして、私にはまだやり残したことがある。それが終われば、お前にも兄の為そうとしたことを理解出来る日が来るだろう」
「カハク兄さん……、やっぱり昔と変わらない……。何も、話してくれないのですね……」
ちなみに、今まさに衝撃の出会いをしたように会話しているが、アルメトラがここに到着して五分以上経過している。アルカハクは、そろそろ帰ろうかな、くらいしか考えていなかったし、ルヴナクヒエが牙というワードを口にするまで、アルメトラの視線は謎の半裸男が持つ、汗に光る胸板に注がれていた。
お互い、さっきまでの数分間は無かったことにしている。兄妹間に通ずる、言葉を必要としない暗黙の機微であった。二人とも、不必要な情報の存在は理解出来ていた。
「兄さん、これだけは教えてください。母さんは……、母さんは無事なのですか?」
「…………母さんは、…………忘れろ。お前は知らない方がいい」
「そんな! それでは、やはり…………!」
「今はそれ以上考える必要はない。お前はオークのみんなと幸せに暮らせ。……それから、その服装は布地が少なすぎる。はしたないからやめておけ」
半裸の男は妹にそう忠告すると、歩みを再開した。
「カハク兄さん……」
幼き頃に別れた兄との邂逅は、当時と変わらず何も伝えてはくれなかった。
哀愁の漂う娘の姿に、事情を察したルヴナクヒエは声を掛けようと近づいた。
「何故、半裸なのですか……」
ルヴナクヒエは、この兄妹について深く考えるのをやめた。
そもそも、アルカハクは悪魔との殴り合いとは別に、本来の目的があったはずなのだが、満足して帰路についている。根っこの部分では、やはり兄妹ということなのだろう。地面に埋まった鉄槍を頑張って引き抜いているアルカハクを見て、ルヴナクヒエはそう思った。
ふと、妙な影に気付く。アルカハクの背に差す黒い影。
「何をしている、白牙」
頭上から声がした。
外套をはためかせた、見知らぬ男。
「これは、なんだ。何があった? 仕事は……、どうしたのかな?」
男の名はケンプ・フィンド・ビスカント。
教皇庁特務班『羊角の剣』の長を務める魔法士。またの名を『天門』のビスカント。アマンドラ王国の歴史上、唯一空間魔法の創造に成功した人間であった。
お疲れさまでした。
最近ドラゴンボールZのブウ編を見返しました。僕達は天使だったんやね。




