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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
35/59

第三十五話 氷の秒針

 いらっしゃい。

 孤独の果てには何がある。


 何故、私は生きるのだろうか。

 何故、皆は死ぬのだろうか。

 何故、私は死ねぬのだろうか。


 私には名前がある。

 私には名前があった。


 もう、何も、ない。




 不思議なことが起きていた。


 少女の持つ宝剣は、柄から刀身まで全てが黒く濁っている。それが、竜を前にして光を放ち、美しく輝く白剣となっていた。


「え、え? え? な、なな、なんや、こ、れぇ……」


 少女はかつてないほどに戸惑った。

 何よりも不思議なのは、激突せんばかりの勢いで迫っていた竜が急停止し、固まったように動かなくなったことだ。


「下がれアンジェラ!」


 ルヴナクヒエの声がした。足元には、自分と同じく戸惑いながらも戦斧を構えるリザーの姿が見える。そう、脅威はまだ目の前にあるのだ。


 急速に己の覚悟が萎むのを感じる。

 少女は急いで地上に降り、ルヴナクヒエの後ろに走って隠れた。


「ガキが恰好つけんじゃねえ!!」

「あんたもだろ……」

「うるせえ、こんな時に茶々入れんな、俺はそういう性質なんだよ! 大丈夫か?!」

「あ、ああああ、あいぁいぁいぁい、あいぃひ、ひひ、ひ」


 大丈夫じゃなさそうだった。思わず竜から目を離し、状態を確認する。

 少女は目に見て分かる程に震え、輪郭がぶれていた。足元には、振動で微細動しながら地を這う小石が見える。

 ちょっと笑った。


「こりゃあ一体……。これは、嬢ちゃんの魔法なのかい?」


 少女の首から上だけが高速で左右に振れる。

 もしかしたら、笑わせようとしているのかもしれない。

 緊迫した空気の中、唐突に視界へ入る不自然過ぎる動きは、男二人の頬をひくつかせた。


「……っふぅ、と、とにかく、助かったのか?」

「だったらいいんだが、ナズフさんの話を聞かねえことには、気は抜けんぜ」


 竜は未だ動きを見せない。舞い上がった砂塵は落ち着き、視界も晴れてきた。

 未だ緊迫した空気は残っているものの、敵意が感じられぬ竜に、次第に緊張も和らいでくる。

 そんな弛緩した空気が漂い始めた時であった。


「グォオアアアアアア!!」


 リザーが激昂した。


「なっ、おい、どうしたってんだよ一体?!」

「知るか! とにかくやばそうだ、下がるぞ!」


 リザーは戦斧を振りかざし、地を蹴った。

 これが己のエゴであることは理解している。

 だが、それでもやりきれぬ思いがあった。


 己の幻想は露と消えた。目の前に存在するのは力の象徴などではない。メイエンヴィークに破れた自分よりも弱き、闘いの放棄者だ。


 何故闘わぬ!? 何故戦わぬ!? 何故決着をつけぬ!?


 我はお前を殺しに来たのだぞ!

 我よりも長く生きる太古の神獣というならば、抗ってみせろ!!

 

 我を打ち破って見せろ!!!


 戦斧に全身全霊の力を込め、竜に振りかざした。

 もし、命を注げるならばそうしただろう。もう終わりにしたかった。

 それほどの思いを込めた一撃であった。


「およしなさい。もう、いいでしょう?」


 リザーの体が動きを止めた。


 一瞬たりとも目を離していなかった。自分と竜との間には何もなかったはずだ。

 では、一体何なのだこれは!?




「ありゃあ……、魔法、か?」


 少女が静かに頷く。

 その場を離れる間もない、一瞬の出来事に、ルヴナクヒエとメヒヤーは目を白黒させていた。それは、魔法の知識がある少女であっても同じであった。


 リザーの前を岩石の巨人が仁王立ちしている。両の手には大盾を構え、リザーが渾身の力で振るった戦斧を受け止めていた。

 岩をも容易く砕く、リザーの一撃を。


「もう戦いは終わったのです。これ以上続けても、あなたの気が晴れることはありませんよ」


 動きを止めたリザーへ、諭すように言葉を投げかけた。

 巨人の横を浮遊する人間の姿。


 魔法士バランであった。


 リザーが何か言いたげにバランへ視線を移す。

 その時、まるで戦いが終わったことを確認したかのように、空中で固まっていた竜の体が崩れ落ちた。頭は岩石兵が受け止め、尾は穴の中へ落ちる。胴体が尾に引きずられるように穴へ吸い込まれ、竜の体は再び闇の広がる地の底へ隠された。

 大穴の底から響く音に、戦斧が仕方なさげに下ろされる。リザーの顔には複雑そうな表情が浮かぶ。リザードマンという種族の表情について、つまり、こうなってどうなっただとか説明するのは難しいが、とにかく、そんな感じだったんや。

 竜の姿が消え、少女も落ち着きを取り戻した。膝が横軸への高速運動を止めることはないが、冷静になり、今頃どうすればよかったのかが頭に浮かんでくる。それは今後の課題にするとして、ひとまずは安堵の息を吐き、バランをみやった。


「バランさんよ、こんな魔法が使えるなら、最初から使ってくれよ。俺は死ぬかと思ったぜ」

「やー、僕にも出来ることは限りがありますし、戦いたい方に任せた方がいいのかなあ、と」

「そりゃ冷静でいられる強い人の考えだよ。この巨人も魔法なんだろ? 人形創造って言ってたっけな」

「んー、そうですね。僕の~、一番得意な魔術ですからね~。すごいでしょう?」

「いや、大したもんだよ本当に。リザーのあんちゃんもありがとよ。あんたのおかげで助かった」

「…………」


 アンジェラは見ていた。リザーと同じく、一瞬たりとも目を離していなかった。だから分かる。あれは人形創造ではなかった。巨人自体は人形創造で作ったものかもしれないが、何もない空間にあれだけの大きさのものを瞬時に作ることは不可能だ。

 ならば考えらるものは一つしかない。空間魔法だ。バランは巨人をこの場で作ったのではなく、別の場所から召喚したのだ。それも一瞬で。

 そんなこと、アンジェラにだって出来っこない。いや、頑張ればできるかもしれないが、空間魔法は色々と難しいのだ。少なくとも、今は館にある魔導装置でも使わねば出来ない。


「なあ、ところでそれ……」

「あ、あい?」


 思考に意識を割いていると、横から声が掛かった。振り向くと、声の主は視線を下に落としている。そこまで確認して、興味が自分が抱えている物へ向いていることに考えが至った。


「あ、えっと、こ、これ、は、だ、大事、なけ、剣、で……」

「いや、どっから出したんだ?」

「え? いや、ま、魔法で?」

「……そうか。他にもたくさん出し入れ出来たりすんのかね?」

「うん」


 すごくあっさり言うなあ。

 ルヴナクヒエは思った。もしかして、目の前の少女に頼れば、重い荷物を担いで山道を移動する必要はなかったんじゃあ……。いや、今更何も言うまい。ただ、帰りは荷物をお願いしようかな。

 ルヴナクヒエはこれまでの長い道のりに思いを馳せた。


「やー、アンジェラさんも無茶をしますね。見ているこちらが冷や冷やしましたよ。しかし、その剣は一体何ですか? 白く光ったように見えましたが」

「こ、これ? これ、は、と、とと父様、の、形見の、剣」

「お父様のですか……? ……それは、聞きにくいことを聞きました」

「い、いや、む、昔のことで――」

「……形見? 記憶が残ってたのか?」

「え? い、いやぁ……、え、えへ、ふ、ひ、ひひひ……」 


 記憶ぅ? そんな設定もありましたなあ……。迂闊!

 少女は親しき者に囲まれて気が緩んでいた。加えて、開放的な山の頂である。存分に肝を冷やした後とあっては、心に蓋した言葉も口から洩れようというものだ。

 少女は、せっかく出来た気心の知れた相手に疑いの目を向けられないか、しばらくの間どぎまぎした。


 一方、ルヴナクヒエは一人勝手に納得していた。


 記憶を失っても、本当に大事な事は忘れていなかったのだ。竜に向かって飛び出したのも、咄嗟に自分が一番信じる物を選んで俺を守ろうとしたのだろう。


 ルヴナクヒエは少女に対する見方を改めた。少女は自分と同じなのだ。父親を誇りに思い、皆を守ろうとしている。そして、自分は守れずに、守られた。少女は自分よりも強く、気高くもあった。だが――


「なあバランさん、よければ、しばらくの間村に寄ってくれないか?」

「え? いいのですか? 僕もアンジェラさんと離れるのは寂しく思ってたんですよ~」

「え、え、や、やったあ!」


 強くなってやる。アンジェラはまだ子供だ。足だってまだ震えてる。本来は俺が守るべきなんだ。なのに、竜を前にして出来たのは横にいることだけだった。

 俺はアンジェラが自分よりもよっぽど強いことを知っていた。だから、心の奥底では、期待していたのかもしれない。お前なら何とかできるんだろう、と。

 まだ自分の中には卑屈な心が残っていた。いつの間にか勝つことを諦めていた。

 勇気が足りないとは思わない。ただ、ひたすらに力が足りなかった。アルカハクが言っていたことに従うのは癪だが、やってやろうじゃないか。

 魔術を使えるようになってやる。魔法を使えるようになってやる。超越者になってやろうとも。


 ルヴナクヒエは静かに決意した。燃えるような闘志をその胸に抱き、己よりも強き者を守るため、父の剣に誓って決意した。


「領主様! 御無事ですか、領主様!?」


 砂と岩の被った坂道を、苦もなく駆け上ってくる老人の姿があった。オークの長老ナズフである。この老人、本当に元気である。


「あ、あいじょう、ぶ、です。そ、そち、そっち、は?」

「おお、御健在であられましたか! わしらは大丈夫です、少し足を挫いた者がいる程度で、大きな怪我をした者はおりません」

「よ、よかった……」


 自分の魔術が少しは役に立てたのだろうか。思えば、これだけはっきりと誰かを助けるという経験は初めてだ。逃げなくてよかった……、と言えるほど上手く動けたとは思わないが、外に出て意義のあることが出来たのだ。父様と母様も誇りに思ってくれると信じたい。


「ところで、その剣は……? まさか、領主様自ら?!」

「い、いいぃ、いや、は、はは……。こ、これ、は、と、とと父様の剣、で、お守りみ、みたい、な、もので……、か、片し、ま、ましょう、ね。は、はは……」

「お守り……にございますか……?」


 ナズフの顔には不審の二文字が見て取れる。

 ちゃうねん、私もな、頑張ろうとはしたねんけどさ、そういうキャラちゃうかったんや。長老、察しろとは言わん。いや、察してほしないねん。多くは望んでへんからさ、少しばかりの達成感に浸らしてくれや……。ほんますまんな、私は雑魚やってん……。


「おーい! 無事かナズフさん、メヒヤー?!」


 どうやらエイゼックも無事だったらしい。

 ええタイミングや。場を流してくれエイゼック。


「おう、無事で何よりだ! さっさと逃げた割に戻るのが随分と速いじゃねえか。近くで隠れてたのか?」

「馬鹿野郎、あんだけ揺れてて飛礫が飛んでたら走れるわけねえだろ。走った奴は転げ落ちるし、頭上げてた奴は岩が当たって目え回してるよ。死んだ奴がいねえのがなによりだ」

「まあ、俺もここで見てたが、揺れどうこう以前に竜がこっちに倒れてきてたら、全滅してただろうしな。生きてるだけで上等だ。っていうか、本当にもう竜は大丈夫なのか?」

「それならば心配ありません。わしは、竜様の魂が再び眠りにつくのを感じ取り、ここへ駆け付けますれば。大事なく済みましたこと、誠奇跡の様にございますな。後は洞窟が崩れていなければよいのですが……」

「や、それなら大丈夫です」

「は、それは……?」




「魔法士様、これは……、なんとお礼を申せばいいか……」


 洞窟に戻ると、以前見た光景とは様相を異していた。

 洞窟内は砂埃で散らかり、メヘトが掃き掃除をしている。それは、いい。いや、有難いけどね。一番の異変は、立ち並ぶ石像である。洞窟内では、岩石の巨兵が天井を支え崩落を防いでいた。


「少し~、狭くなってしまいましたが、しっかりと固めましたので、以前より丈夫になっているはずですよ」

「こんな所にまで気を配って頂けるとは、心の底より痛み入ります。この御恩、必ずや……」

「いえいえ~、それよりも、豚や作物の様子を見にいってはいかがですか? 私もそこまでは手が回りませんでした。水の流れも変わっているかもしれませんよ?」

「あ! い、いかんぞ! 皆行くぞ、洞窟奥の食料も確認しろ! 急ぐのじゃ!!」


 ナズフが再び走り出す。オークの体力侮り難し。


「おい、メヒヤー、俺達も部屋の掃除すんぞ。荷物をまとめる」

「あ? 掃除はいいけど、何で荷物? 後でいいだろ、今日も泊まるんだし」

「いい物置が見つかったんだよ」

「? まあ、世話になってるんだから、掃除くらいはせんとな」


 オークの郷が日常の騒がしさを取り戻し始める。運び込まれる怪我人は先程までの非日常を物語るが、その顔には一様に安堵の色が混じる。


「んー、こういう周りの方が動き回ってる時って、手持無沙汰だと何だか必要のない罪悪感を覚えちゃいますね~」

「う、うん。お、落ち着か、ない」


 やろうと思えばいくらでも出来ることがありそうな二人が取り残される。


「……。あ、あの、さ」

「何ですか~、アンジェラさん?」


 疑問があった。


「な、なんで、竜、を、お、お起こした、の?」

「……やっぱり、バレてましたか?」


 バランは竜を攻撃せずに傍観していた。タイミングの良すぎる地震に、洞窟の崩壊を防ぐ用意周到さ。どうも不自然に感じる。そもそも、魔獣を研究しているというだけで、わざわざオークの郷まで人間が来るだろうか。

 彼は、竜を殺すことには反対だと言っていた。だが、何故ここまでするのだろう?


「怪我人も出てしまいましたしね……。僕を、軽蔑しますか?」

「……い、いや、オーク、のみんなも、竜、を、こ、殺さずにす、すんで、よ、喜んでる、し、わ、わわわ私も、せ、成長で、出来た気が、す、する」

「はは、本当に優しいんですねえ。でも、やっぱり悪いことをしたと思います、僕は」

「け、怪我人は、よ、予定通り、で、でも出た、と、思うし、じゅ、重症者、も、いなか、った。そ、それに……」

「それに?」

「な、なんでも、ない。そ、それより、も、な、何で竜、を?」

「んー、僕は竜に死んでほしくなかった。ってことなんですけど~、それ以上の理由は、どうしましょうかね。……アンジェラさんのお父様の話を聞かせてもらえたら、私も話す。っていうのはどうです?」

「え、ええ~……、えっと、と、父様は、その……、す、すごくてぇ、あのぉ……」


 いつのまにか話の主導権が移り変わり、少女が怯む。少女はアドリブ能力に乏しいのだ。


「お互い、落ち着いて話がまとまったらにしませんか? 僕もどう話していいか悩んでます。ルヴナクヒエさんからも村へお誘いが来ていることですから」

「う、う~ん……、そ、そうす、る」

「ええ~、そうしましょうか」

「……」

「どうしました?」

「い、いや、な、なんでもな、い」


 少女は飲み込んだ疑念について考える。

 オークや鬼が強靭な肉体を持っていることは、ここに来てよく分かった。だが、それにしても怪我人が少な過ぎる上に、重症者がいない。私が飛散する岩を防いだのもあるだろう。しかし、それは私が防げる範囲でのことだ。別の方向に逃げた者は救えない。それでも怪我人が少なかった理由は何故か。バランが防いでいたのかもしれない。

 だが、最も大きな理由は、私の方向に竜の攻撃が集中していたからだ。


 もしかしたら、竜の攻撃を私のいる方向に誘導していたんじゃないか? 


 ただの推測だ。だから口に出せない。

 突風を吹かせ、竜を援護したのもバランなのか? などと。


 ただの偶然で、自然現象だったのかもしれないし、私に防がせたかったのかもしれない。

 バランは友人だ。きっと本当に攻撃が偏っただけで、逸れた飛礫はバランが防いだのと思う。それ以上は考える必要がない。口は禍の元。不確かな情報を軽はずみに扱えば、友情を壊すだけだ。


「おや、あちらでスープを振舞ってるみたいですね~。ゆっくり味わって手持無沙汰を解消するとしましょうか」

「う、うん、うんうん!」


 ただ一つ、確実に分かる事がある。バランはいい人間だ。

 それさえ分かっていれば、それでいい。


挿絵(By みてみん)




「はあ、またあの険しい道を歩くのかと思うとげんなりするな……」

「帰りは登りが少ない分楽さ。荷物も嬢ちゃんが預かってくれてるしよ、そう気落ちすんなって」


 洞窟の前ではアンジェラ達が帰路に付こうとしていた。その見送りに一同が勢揃いしている。


「メヒヤー、祭りの日時はナズフさんに頼んで、そっちの村にも伝わるようにしてある。こっちは今しばらくごたごたすると思うし、冬になると雪で歩けねえから、多分春になる。それまで気長に待って、連れてくる奴を集めとけ」

「おう、村長にしっかりと伝えとくぜ。そっちは怪我人いるみてえだが、オークさんに迷惑かけねえように、さっさと帰れよ。じゃあな」

「言われるまでもねえ、俺達も今から帰ろうと思ってたところだ」

「え、そんな――」

「うるせえ!」


 一通りの挨拶を済まし、オークの見送りがアンジェラ達に付いて行く。場には百人の鬼とゴブリンにリザードマンが残される。騒がしい鬼達とは対照的に、リザードマンはじっと黙り込んでいる。一方、その横でゴブリンは旅を許可してくれた主君を思っていた。

 グラウフォルト様には、どのように報告しようか。

 リザーを連れてくれば、他のゴブリン達の身が危険に曝される。それでも、自分とリザーの思いを伝えると、あっさりと許可し、リザーが離れる間は責任を持つとまで言ってくれた。

 お待たせするわけにはいかない。早く帰らなくてはな。


「では、私も帰るとしましょう」

「ゴブリンの兄さんも帰るのかい? でも今はオークさんもいねえし、帰ったら後でお礼がどうとか騒ぎ出すんじゃねえか?」

「ははは、それは大変だ。ですが、それでいいんです。私が欲しいのは友好です。それ以上貰うのは、私の小さな体には重すぎる。ただ一点、頼られた、その事実だけで私には十分なのです。それに、責任をほんの少しだけ果たすことが出来ましたからな」


 ルヴナクヒエという青年。彼は怒っていた。だが敵意はなく、むしろ真っ直ぐな心根を感じられた。

 会えてよかった。本当に、そう思う。

 この旅が、どれ程多くのことをもたらしてくれたか、いずれ分かる事だろう。横を見れば、友の吹っ切れたような顔が見える。彼もきっと、探していた何かを見つけたのだろう。曇りない、真っ直ぐな視線がそれを物語っている。


「責任?」

「いえ、こちらの話ですよ。では、さようならエイゼックさん、鬼の皆さん」

「おう元気でな、エダーさん、リザードマンのあんちゃん! あんたのおかげで助かったぜ!」


 無愛想なリザードマンが背中を向けたまま手を上げるのを確認し、エイゼックが満足そうに笑う。


「世の中にはすげえ奴がいっぱいいるもんだ。俺らも強くならねえとな!」

「あの、エイゼックさん……」

「どうした?」


 近習の鬼が思いつめた様子でエイゼックに尋ねる。


「竜との戦いは、どういった風に書けばよろしいでしょうか……?」

「……」


 鬼は困っていた。この旅は竜退治に参加した鬼の物語として、本にするつもりであった。そもそも予定通りであっても戦うことはないのだが、オークの支援に道具を用意し、後の備えとして布陣したという事実を誇張して書くつもりであった。だが、実際は道具は使われることなく、鬼達は竜を前にして、百人悉く雁首揃えて逃げ出したのだ。これを物語とするのは、非常な難題であった。


「……何を言っているんだい? 我らは親愛なるオークの願いに心を打たれ、荒ぶる竜様へ祈りを捧げに来たのだよ? 我らは矛を持たず、強大な竜の前に身を曝し、一心に祈り続けたのだ。そして、この身を顧みぬ我々の姿が竜様の御心にも通じたのか、遂には怒りが静まったのだ。……分かるな?」

「……はい」


 こうして歴史は作られる。一連の出来事を文書として残したものは、この "事実" の他に存在しない。




「じゃあな! 元気でな、じゃあな!!」


 オークの見送りが山の中腹までついて来た頃、メヒヤーが別れの言葉を強調し始める。村までついて来るのではないかと思えるほどに別れを惜しむオークの姿は、割と重かった。持ち帰るとなると、心の疲労骨折である。


「わしらは、あなた達を決して忘れません。いつ何時でも、お呼びとあらば駆け付けます。どうか、お元気で……」


 ナズフの目には涙が見えた。周りを見れば、純真なものが多いオーク達もつられて泣いている。


「お前達、領主様をどうか頼むぞ。決して御不興を買うことのないようにな……!」


 クリモリ村には五人のオーク隊が来ることになった。猪を捕えるというミッションを果たすのに加え、一行を無事に送り届けるという役目が与えられている。


「では皆さん、またよろしくお願いしますね」

「あ、ああ、姉ちゃんがいるなら道中心配ないな……はは」

「村の男は無視していいからな」

「よ、よよ、よろし、く」


 オーク隊には第一志願者として、アルメトラがリーダーになっていた。オークの郷では心意気が優先されるのだ。


「長老、領主様が手を振っておられますよ」

「お、おお……、わしなんぞのために……」


 涙に滲む目を拭い、小さな姿をしっかりと目に焼き付け、視界から消えるまで手を振り続けた。


「……」

「どうかされましたか、長老?」

「領主様じゃが……、わしは老眼の上、恐れ多くて今まではっきりと御顔を見れていなかったが……。領主様には角が四本あるのだな……」


 ナズフの脳裏にアンジェラの抱えていた白剣の姿がよぎる。


「そうか、あの剣、伝え聞く色ではなかったが、そうであったのか……」

「何か、お気づきになられたのですか?」

「ああ、そうだとも。この老いぼれは、今頃になって、ようやく気付いたとも」


 ナズフは不思議であった。あの小さな体に、何故あれほどの魔力が内在しているのか。その理由がようやく分かった。


「領主様は、我らの先祖が仕えたアノニム・ネームレス様のただ一人の娘」

「え!? それは、つまり……」


 老人の目が細む。


「竜様の御子だ」




「あら、お戻りかしら、ビスカント様」

「ああ、ベツェクオールの仕事を終えて、たった今戻ってきたところだ。アルカハクの方はどうだ? あいつも戻ってきたのか?」

「ええ、一週間前には」

「一週間前? 随分と早いな……」

「そういえば、また出かけていきましたわね」

「そうか、まだ終わっていなかったのだな。それで、何か言伝はあったか?」

「いいええ、特には。あ、でも、出かける前に武器庫へ寄ってらしたわよ」

「はあ!? 武器庫だと、何故だ? それで、バニッセル、お前は鍵を渡したのか?」

「あら、いけませんでした? 必要だと言うのなら、お好きにやらせれば?」

「駄目に決まってるだろ! 事によっては責任問題でお前の首も飛んでしまうぞ!」

「あたしを心配してくださるのですか、ビスカント様。お優しい」

「く、私は出かける、暫く頼むぞバニッセル!」

「あら、残念、ゆっくりしていかれないのですね。いってらっしゃいませ」

「……何故こうなる! くそ、これも人が少なすぎるせいだ! 重拳はどこへ行ったのだ! 戻ってきても真面目に働いてはくれないんだろうが……。く、何故、まともな奴がいない。アルカハク、私は信じているぞ。お前は口下手だが、真面目な奴だ。うちではまとも部類なんだ! 問題を起こさないでくれ、頼む、本当に頼む!」

 お疲れさまでした。

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