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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第三十三話 天地、人来たれば

 いらっしゃいのしし。

 オークは高き山に住む。竜の眠るこの山は、広大な山脈の中で最も高き場所に位置する嶮山であった。人間の国からは、呪われた地クリモリと鬼の国ネフレスクに阻まれ、到達困難な人類未踏の地とされている。周囲を正円状に長大な壁を築いたネフレスクは、これまでに人間の侵攻を許したことがなく、その背に位置した山脈はネフレスク攻略の先にあるとして、ネフレスク山脈と呼ばれていた。

 しかし、それは人間側から見た場合の話である。比較的名に拘らぬオークは名前など付けていないし、鬼達も古くは固有の名で呼んでいたのだが、オークと交流を持つようになってからは、親しみを込めてオーク山と呼び、昔の呼び名は忘れ去られていた。ちなみに、人間の間でも、山脈の名を耳にするタイミングがまずなく、軍人しか興味を持っていないので、クリモリ村の人間も例に漏れず、ただ北の山脈とだけ呼んでいた。足を運ぶこともないので、それで不便はなかったのである。


「そこ、洞窟の明かり穴開けてるんで、石の囲いに近づかないようにしてくださ~い」

「あいよー」


 竜退治の予定日、一同は緩やかな斜面となった洞窟の屋根に当たる部分を登り、山の頂上を目指していた。ところどころ洞窟内に光を採り入れるための穴が山肌を貫いているので、安全のための囲いが作られている。

 オークはすいすいと登っていくが、後ろをついて行く者達もそうとはいかない。少人数で登る分には走る事さえできそうだが、転べば後ろを巻き込んでしまうし、前を行く者の背中が視界を遮り歩幅を窮屈にする。人数が多い場合は、自分のペースで歩ける先頭が足場も選べて安全なのだ。幸い、鬼は数が多かったため、クリモリ村一行は先を譲られていた。


「これは、本当にここで竜を迎え撃つのかい?」

「はい……、仕方がないんです。想定していなかった事態なので」


 先導役のアルメトラが顔を曇らせる。身の丈の三倍ほどはありそうな長槍や人間には扱えそうにない強弓を幾らか用意してはいたが、整地する時間までは取れなかった。足場が悪くては、せっかく集めた戦力も半減してしまうだろう。


「まあ、そもそも俺らはこの嬢ちゃんを連れてくるのが任務だったわけで、竜とやりあうつもりはないんだけどよ。危なくなったら逃げるが、いいんだよな?」

「ええ、領主様が来て我らも魔術が強化されているようなので、十分に仕事をして頂けたと思います。皆様の手を煩わせぬよう、精一杯頑張ります」

「そうかい。悪いな。俺は魔術が使えないし、自分より何倍もでかい相手と戦う術は習ったことが無くてな」

「それでも来てくれたのは、誰よりも勇気があったということです。誰も恥だとは思いません。ほら、見てください。この大穴の底に竜様が眠っているのです。私達と一緒に穴の底へ降りて戦いましょうなんて、とても言えませんよ」


 山頂へ辿り着くと、まるで地面が刳り貫れたように、下方向に向かって空間が伸びていた。太陽が昇りきっていないとはいえ、底に広がる闇は大穴の甚だしい深さを物語っており、陽の下で生きる者全てに本能的な恐怖を想起させた。


「こりゃ……、思ったよりも穴がでかいな……。下に降りるのも一苦労だと思うが、穴を囲うにはオークと鬼の数合わせても足りねえんじゃねえかな。それに向こうの方は足場大丈夫なのか? 竜が穴から出てきても、守りの薄い方に行ったら止めらんねえぞ」

「致し方ありません……。全ては有限なのです。物も、時間も、我らの数も」

「では、僕が向こう側半分を守りますよ」


 聞き間違いだろうか。妙な言葉が聞こえた。

 不思議そうな顔を向けるアルメトラに、メヒヤーが俺じゃないと首を振る。


「僕ですよ、アルメトラさん。向こう側は任せてください」

「何を言っているんですか、バランさん? 貴女がどれほど強いのかは分かりませんが、いくら何でもたった一人で任せるわけにはいきませんし、無理がありますよ」

「や~、大丈夫です。一人じゃなければよいのでしょう?」


 突如として地鳴りが響き、足元の地面が盛り上がる。


「な、何ですか?! これは?!」

「魔術です。僕は、得意ですから」


 地面からせり上がってきた岩が、まるで子供が泥を捏ねるように姿を変形させ、人の形に近づいてゆく。見渡せば、大穴の周囲でも同じように人型の岩が形成され、軍隊の様に整列していた。


「ま、魔術師様、これは一体……!!」


 オークの長老ナズフが、老いた体とは裏腹に素早い身のこなしで駆け寄ってくる。


「ん~、人形創造という魔術ですね~。僕の一番得意な魔術です」


 岩の人形はまるで人間の兵士の様に、鎧姿を模して形作られている。ナズフが近づくと槍を持った手を胸に当ててから頭上に掲げ、敬礼した。


「こ、これは、しかし、どうやって、これほどの……! い、いや、失礼致しました! 御厚意、有難く頂戴致したく思います、魔法士様。この御恩、老い先短き身ではありますが、一生忘れませぬ」

「いえ~、僕が好きでやる事ですから、お気になさらず~」


 幾らかの岩石兵を残し、バランが浮遊魔術で大穴の向こうへ移動する。魔術によってバランは大地に囚われない。加えて、岩石兵は足を地面と同化させ、急な斜面や、足場ともいえぬ岩肌を苦ともせず移動する。その様子に、多少の魔術は扱えるオークと鬼も目を丸くした。

 実際、アンジェラから見てもその規模と精度には目を見張るものがあった。人間は他の種族と違い、魔術を学問や技術として体系化し、歴史の積み重ねによって質を昇華させる。寿命の短さという枷があるものの、才ある者は時に軍隊をも凌ぐ力を身に着けた。


「おいメヒヤー、あいつはお前んとこのだよな? ザッツカークにもすげえのが一人いるが、遜色なく見えるぞ」

「ジストニールのことか? それが本当なら、バランさんはザッツカークの領主に匹敵する大魔法士ってことだな。俺は直に見たことがないから何とも言えねえが、本当にそう見えたのか?」

「い、いや……、はっきりと数字で見れるもんじゃねえし、やばそうだったら逃げるか隠れるかしてるから、近くで見たって奴はいねえが、少なくとも俺達鬼の中でこんな魔術使える奴はいねえんだよ」

「確かに、信じがたい光景だな。貴族の間で剣を使うのが野蛮で古い戦い方だって考えが広まるわけだ。あんなことが出来るなら軍隊は必要ねえ。エイゼック、お前も逃げたのは正しい判断だったな。大魔法士オーリアン・ジストニールは当代一との呼び声が高い」

「げっ、そんなにすげえ奴だったのか。あの爺さんが来ると、急に向こうの動きが速くなるし、攻撃も跳ね返されるしで、どうしようもねえんだよ。今度、あのバランさんとやらに魔術を習ってみてえもんだな」

「人間との戦争に勝つために、人間呼んで魔術習うのか?」

「それもそうか、ウハハハハ! まあ、マスティリオの野郎が死んで、良い奴が次に来たら俺達も戦う必要もなくなるんだがな!」

「……そうだな」

「どうかしたか?」

「何でもねえ。それより、配置はこれでいいのか? オーク達はもう行くみてえだが」

「おっといけねえ、明かり出さねえと。挨拶も済ましとかんとな」


 エイゼックが鬼達を雑に怒鳴りつけながら指示を出す。整列したオークの前に立つナズフに近付くと固く握手を交わした。ナズフの横に立ち、オーク達の方へ体の向きを変えると、大仰な言葉でオークの勇気を褒め称え、オーク一人一人の肩を叩き激励の言葉を送った。

 どうやら、国に帰った後、この出来事を物語として本に書き残すらしい。近習の鬼が慣れぬ筆に悪戦苦闘しながら、エイゼックの言葉を書き留めている。ネフレスクは長大な壁に守られ、領地を侵されたことはないが、反面、勝利の歴史も存在しなかった。故に、友であるオークのため、竜に立ち向かう勇敢な鬼という図は、非常においしいものだったのだ。


「いつもすみませんなエイゼックさん。鎖にカンテラまで用意して頂き、さらにはこれ程大勢を動員してくださるとは……」

「いいってことよ。俺達の魔術では穴の底まで照らすことは出来ねえし、何かあってもここからじゃ出来ることはゼロだ。体を張るあんた達への敬意を形で示したかったんだよ」


 エイゼックがにっかりと笑う。その顔には、オーク達の肩を叩いて回った際、ついでにアルメトラの腰を撫でた御釣りが、拳型に赤々と主張していた。。


「これが終わったら祭りにするぞ! オークの皆さんも呼んで盛大にだ! ゴブリンの兄さんにリザードマンのあんちゃん、それにメヒヤー、お前達もだっ、いいな!?」


 エイゼックが白い歯を輝かせてこちらを見る。


「おいメヒヤー、御指名だぞ」

「いや、そうだけど、鬼の国だぞ? 俺が勝手に決めるのは……」

「いい。返事しとけ。俺も興味がある」

「そうか? なら……、了解だ! 俺はクリモリ村の酒を飲み干した男だ! 酒蔵の心配をしとけエイゼック!」


 エイゼックが満足そうに頷く。


「だったら飲み比べだ! ここはいいとこだが、何かが物足りなかったんだ。それは酒だ! オークの皆さんに目を回すほどの酒を振舞おう! アルメトラ嬢に極上の酒を!」


 屈強な鬼達の目が一斉に輝き出し、気炎を揚げる。

 いつか見た光景であった。村の恥なので思い出したくはなかったが。


「頼もしい限りですな。さあ、わしらも行かなくてはな」


 オーク達が大穴の外周に彫り込んだ階段を下る。それに合わせて鬼達が火魔術で穴の中を照らし、足元の安全を確保する。しかし、階段も明かりも底までは続いていないので、中ほどからはカンテラのみを頼りにロープを使って伝い下りねばならない。底には正午前に辿り着くよう進んでいたが、それでもなお厳しい環境での戦いが予想された。


「このまま何事もなく終わってくれりゃ、帰って、旅して、ただ酒飲んで、それで終いなんだよな」

「十分色々あった結果だがな」

「終わりよければそれでよし、だ。要は何が起きても最終的に糧にして笑えりゃいい――」


 十人目のオークが階段に足をかけたところで、突如として轟音が響く。


「何かが起きたみたいだな」

「……」


 地鳴りが響き、大穴に彫り込んだ階段が崩れる。階段を下っていたオークが急いで戻り、底へ向かう手段を失った大穴を呆気にとられたように覗き込んだ。


「一体何が……、竜様はまだ目覚めては……」


 階段の一部が巨大な岩の塊となって剥がれ落ち、闇の中へ音と共に吸い込まれてゆく。

 大穴の周囲に集った者全てが一様に息を止め、想像の中に岩の行き着く先を見た。


 意外と小さな音であった。いや、実際は大きかったのかもしれない。だが、その音の意味するところを考え、必要以上には耳が機能しなかった。所謂、頭真っ白であった。


 数秒の間を置き、大穴の底から咆哮が駆け昇る。

 大地が裂けそうなほどに空気が震え、天を突くような突風が吹き上がった。


 その後に出現するであろう姿を、各々が思い描き、幻視する。巨大な体は山を囲めそうなほどに長く、鱗に覆われていて手足がない。不完全な肉体はところどころ骨が見え、頭骨から四本の角が伸びていた。

 不思議なことに、皆の目に映る姿は一様である。


 それも当然であった。そこにあったのは本物の竜の姿だったのだから。


挿絵(By みてみん)


「い、いかん! 皆さん、止めてくだされ、竜様に意思はなくとも、あの体が山を下りれば災害となる!」


 ナズフが懇願するように叫ぶ。

 しかし、未だ体の全体が見えてこない竜の巨大さに圧倒され、ほとんどの者は言葉を失い、何をすればいいのか答えが出なかった。


「グォオオオオアアアア!!」


 咆哮が響く。


 しかし、おかしい。それは前からではなく、横から聞こえた。


「皆さん、下がってください! リザーが全力を出すと!」


 後方からエダーの指示が飛んだ。


「グォアアア、グォオオア、グァアアアァアア!! グォオオオア、ア!!」


 巨大な戦斧を掲げ、白銀の鎧を着込んだリザードマンが高らかに叫ぶ。割と長めである。どうやら、戦闘前の名乗りと口上らしい。惜しむらくは、それを理解できるのがゴブリン一人しかいないことか。


「で、出来れば、早めにお願いを……!」


 ナズフが焦れる。口上の間も竜の体は外に出続けているのだ。空に出れば、もはや補足することは叶わないだろう。

 リザーもさすがにまずいと思ったのか、後半は早口で唸り声をあげ、地に伏せる様な構えをとった。全身の筋肉が収縮し、軋むような音を立てる。


「は、早く!!」


 竜の尾がしなり、外に出た尾の先端が大穴の淵を弾く。


 刹那、辺り一帯に飛礫を炸裂させてリザーの体が影も残さず消えた。


「な、なんだあ?!」


 周りにいる者達は事態が飲み込めず、空に舞い上がる竜を眺めて立ち尽くしている。エダーの言葉に従い、リザードマンに任せたため、もはや槍も弓も届かない距離に離れてしまった。


「ああ、もう届か――」


 皆が諦めかけた時、再び轟音が響いた。

 ただし、今度は地の底ではなく、天から。


 その直後、大地に巨大な影が差す。

 総勢三百近い人員を覆う影。そんなものが作れるのは、この場に一つしかない。


 竜の体がすさまじい勢いで大地に迫っていた。


「に、逃げろぉおおおおおおおおおおお!!」


 エイゼックが叫び、皆一斉に斜面を駆け降りる。

 少女はルヴナクヒエに抱えられながら、今の状況をひたすらに考える。


 どうしますねん、これ……。


 少女はテンパっていた。割とどうにか出来そうな力はあるんじゃないかと思いつつも、何をどうすればいいとかは、人生経験の薄さが発想に蓋をした。

 少女はアドリブ能力が貧困であった。

 お疲れさまでしたりぼう。

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