第三十一話 孤独の巣
いらっしゃい。
「遠路遥々ようこそおいでくださいましたな、オークの郷へ。竜様が起きるには、まだ時間があるようでしての、まずは、旅の疲れをお取りくださいな。何もない所ですがなあ……」
「おう、もう足がくたくたなんだ。勝手にくつろがせてもらうぜ。何もないと言ったが、広くて快適そうじゃねえか。こんな山の上で雨に降られずに眠れる場所が十分にあるのか不安だったが、これなら安心だよ」
「ハハ、そう言って頂けてると助かりますな。夕刻に食事が出来ましたらあ、お呼びしますよ。その時には、長老もお顔見せ出来ると思いますわい。……あと、アルメトラ、ちょっと来なさい」
「はい?」
オークの郷は高い山の上にある天然の洞窟を整備し、切り立った崖に穴をあけて作られた住居は、太古の姿をそのままに残す。作りは簡単だが、長い歴史によって保証された頑健さは、村にある建物よりも格段に信用が置けるだろう。
かつては五百を超えるオークが暮らしていただけあって、居住スペースは広い。闘争を好む性質故に、武骨で余計な装飾は見られないが、長く使われていただけに、部屋の間切りといった最低限の快適さは求められていた。広間中央の天井に明かり穴を作り、床は傾斜と溝によって雨水の排水が行われるよう工夫が施されている。他の光が届かない場所にも、その都度明かり穴が配置され、薄暗いが昼間であれば活動に支障はきたさない。部屋は扉がなく、開放的すぎるきらいはあったが、オークはそんなこと気にしないらしい。眠る時は一応、光除けに木の板を立て掛けるので、文明社会の観点からもセーフ判定は出ているはずである。
「……お前、村でちゃんと郷のことを説明してきたのかい? 洞窟の中に泊まることも伝わっていなかったようなんだがあ……」
「え、あのー、……大事な事、は、ちゃんと伝えましたし、村の方とも打ち解けて、お酒を酌み交わしたりするほどで、そのー……」
「……はあ、お前という子は……。若いから酒に張り切るし、若いから酒に飲まれる。だがな、いつまでも失敗を若さのせいには出来んのだぞ? それに、なんだその恰好は。若い娘がはしたない」
「こ、これは、オークの娘として伝統をですね……!」
「違うから。多分、違うから。昔は分からんがあ、今は今。少なくとも今風の格好をしなさいな」
「違くないもん! 多分、違くないもん!!」
洞窟内を反響して聞こえてくるオークの会話を耳に流しながら、クリモリ村の一行は荷を下ろし、パーソナルスペースの確保に勤しんでいた。
ここは、鬼達が集まっていた岩場の先にある洞窟内だ。外では未だ鬼達の騒ぐ声が聞こえる。まずは到着の挨拶をした方がいいと、リザードマンへの興味に後ろ髪を引かれながらも、ここへ来たのだが、オークの長老は仮眠中らしい。竜の動向を探る日々に、老体が悲鳴をあげているのだという。
自分達に割り振られた開放的すぎる部屋から洞窟内を眺めると、慌ただしく動き回るオークの姿が目に入る。なんでも、協力に来た鬼は百人以上だとかで、食事の準備や寝所ををどう配備するかに奔走しているらしい。二百人ほどいるというオークも、食料の調達と外にいる鬼達への不便伺いに出ているので、ここに残っているのは随分と少ない。
「なあ、食い物はどんくらい残ってる?」
「二日分は残ったな。切り詰めりゃ、四日はいけるだろ」
「てことは、いざとなりゃ、俺達だけでも村には帰れるな。山は登るよりも下る方が難しいとは聞くから、選択肢として考えたくはないが」
「いざとなりゃ、な。ま、のんびりできる内はのんびりしとこうぜ。気を張り詰め過ぎたら、いざという時に動くもんも動かなくなんぞ」
「そうは思うが、俺は図々しいだけでなく、小心だからこそ生き残ってこれた経験がある。自由に動ける内に情報は集めておきたい。だいたい、竜が目覚めたらヤバイって言われてるのに、外で騒ぎすぎだろ。大丈夫なのかここは? エルフの奴らみたいに、どっか抜けたところあるんじゃないのか?」
「自由にくつろがせてもらうとか言ってた割に、やる気満々マンじゃねえか」
「そう言った方が向こうも安心するだろ。とりあえず、外行って鬼と話してくるわ。お前はどうする?」
「俺は、まあ、俺の仕事をするさ。お袋に頼まれごとをしたんでな。それに、聞きたい情報が聞けたとしても、森の中に住む俺にはどうしようもねえさ」
「……そうか。面白いことが聞けたら、後で一応教えてやるよ」
「おう、おめーもせいぜい仕事を頑張るんだんな」
フッと小さな笑いを残し、メヒヤーが外に出る。部屋の中には三人と一体が残された。
「あのー、僕も一緒でよかったんですかねえ?」
「俺は別にいいぜ。余所者どうし固まった方が安心だろ。バランさんは一人でも平気そうだが」
「いえいえ~、誰かと話すのも久しぶりでしたし、こんな大勢いるところでメヘトと二人きりは心細いですよ。とても助かります」
バランは不審な見た目に反し、とても人当たりが良い。ルヴナクヒエは、この謎の人物が一体何者なのか計り兼ねていたが、今は一緒にいた方が安全だと判断していた。なにより、少女が懐いたのなら、それを優先すべき気がした。
「失礼、少しばかりの邪魔を……。お時間よろしいですかな?」
考え事をしていた頭に突如として、何者かの声が響いてきた。いつのまにかメヘトに頼りきり、気が緩んでいたらしい。部屋の入り口付近で、背の低い人物が部屋を覗かぬよう視線を落として立っている。
衣服は立派な作りで、一目しただけで上等な一品であることが分かる。まるで貴族の一張羅だ。態度は控えめで、服に着られるでもなし。村の者よりも教養がありそうに見えた。ただ一点気になるのは、肌が緑色という部分か。
「今さっき一人外に行っちまったが、それでいいなら俺は構わねえぜ。バランさんはどうだ?」
「や、僕も構わないですよ。何故話しかけられたのか気になりますしね~」
「感謝致します。私は、大悪魔グラウフォルト様の治められしフェテリより来ました、ブレイネン・エダーと申します。分かりやすく申しますと、東の森から来たゴブリンの棟梁でございます」
「ご、ゴブリン! は、は、初めてあ、ぁ、ああ会った!」
初めて……、初めて、か。
ルヴナクヒエは困惑する頭に冷静さを保つよう呼びかけ続ける。確かにゴブリンと会うのは初めてなのだが、想像していた姿と違いすぎて、旧来のイメージと決別する二重の意味での初めてが胸中を交錯していた。
ちなみに、少女もまた同じ思いではあったのだが、エルフの件もあって驚きは緩和されていた。悪魔は成長するのだ。
「喜んで頂けて何よりです。ゴブリンは人目に付かぬ場所で暮らすうえに力を持ちませんので、西に出る者はほとんどおりませんから。そう考えますと、異種族が同じ目的を持って会するのは珍しくもあり、感慨深くもあり……。事態がどう転ぶかも分からぬ内に、こう言うのも何ですが、私は嬉しく思いますよ」
「そうだな。知らねえと得体の知れない相手だが、直に見て話が通じたってんなら、気のいい隣人だと思いたくもなるな。それで、何の用なんだ?」
「おっと、そうでしたな。ですが、まさしく今の会話が用と言えましょうかな」
「……人間の村と友誼を結んでおきたいのか? オークから俺達がどこから来たか聞いて、興味を持ったわけか。先に言っとくが、こっちから攻撃することはねえからな」
「それは得難き情報ですな。実のところ、村の存在は以前から知っていたのです。我がゴブリンの一族は、日々森の開拓を続けていましてな、安全確保に高台へ登ると、どうやら南西に人間が住んでいるらしいなと……。そこまでの道を確保する手も足りませんでしたし、刺激するのは避けるべきとの判断を致しました」
「なるほど、俺たち村の人間は森の有名人だったわけか。バランさん、あんたもそうだろうから聞くまでもないと思ってたんだが、あえて聞くぜ。あんたも村、知ってたんだろ?」
「ええ~、ま-、長いこと住んでますから。それに、あそこ大きな館有りましたよね? 今は緑に呑まれちゃってるみたいですけど、亜人の方の中には知っている方がいてもおかしくなさそうですよね」
「……そりゃあ、そうなんだが……、はあ。周りに危ない奴らがいなくて本当によかったよ。しかし、エダーさん、森を開拓しているっつったが、魔獣はどうしてるんだ? ゴブリンってのは本当は強いのか?」
「ああ、それはですな、皆さん。外で何か気になったことがありませんでしたかな?」
エダーが髭の剃り跡を確認するように顎を撫でながら三人を見回し、口を開く。
「我らゴブリンはリザードマンと契約し、守ってもらっているのです」
「そういうことか。それが、見るからに戦いに向いてなさそうなあんたが、ここにいる理由か。しかし、契約? あいつは言葉通じんのか? 横通った時は唸り声しか聞こえなかったぞ」
「彼にも言葉はありますよ。リザードマン以外で理解できるのは、私とグラウフォルト様くらいのものでしょうがな」
「ええ?! リザードマンの言葉が理解できたのですかっ、それはすごい! 僕にもご教授願いたいですねえ!」
「く、くくく、詳し、く、お、お願いし、ます!」
何気なく尋ねた疑問に、目つきの悪い二人が食いついた。
どうやら、この中で俺の頭の出来がドベなのは間違いないらしい。
ルヴナクヒエは真顔で、何故か盛り上がっている旅の同行者二人を見つめた。彼はただ、純粋に不思議だな、と。ただ、そう思っただけであった。それ以上は求めていなかったし、それ以上を知って何になるのかがよく分からなかった。
「お褒め頂き光栄ですな。ですが、今は私の話は置いておきましょう」
「や、これは失礼しました」
「あ、ぁ、ご、ごめんなさ、い」
なんか、似てるな。
何となく疎外感を覚えたルヴナクヒエは、同じタイミングで頭を下げる二人を見て、ぼんやりとそう思った。
「我が友であるリザードマンの名は、南の森の主を屠った勇者と言います。変わった名前でしょう? リザードマンは、戦いで打ち破った相手を自分の名に冠するのですな。とても他人と呼び合う名ではありませんから、私はリザーという愛称で呼んでおります」
「やー、ここからだと南東の森ですね~。あの辺りには確か、八百年以上生きる魔獣が住んでいたはずですが、さすがはリザードマンと言ったところですねえ」
「ええ、巨大な熊の魔獣でした。リザーが戦った中でも最強の魔獣だったとのことで。……時に、これが七年前のことでございます」
話に飽き始めていたルヴナクヒエの体が一瞬固まる。頭の熱が急速に下がり、心臓の鼓動が早くなる。射る様な眼差しをエダーへ向けると、覚悟していたように、エダーは既にルヴナクヒエの正面に顔を合わせていた。
「熊の魔獣に、七年前……?」
「……やはり、そちらの村へ魔獣が迷い込んでしまっていたのですね。あの時、私はまだ人間の村があることを知らなかったのです。領地の安全を確保するため、私の願いによって、リザーは魔獣の討伐に向かい、使命を果たしました。しかし、誤算がありました。魔獣はつがい作っていて、リザーが戦っている間に片割れが逃げ出してしまったのです」
ルヴナクヒエはエダーを睨みつけたまま黙っている。
「一帯の主であったメスのほうを倒した頃には、オスの姿がなく、周辺を探しましたが、力無きゴブリンでは森を回るにも無理があり、リザーも追跡は不得手で……。結局、感覚の鋭い魔獣を捉えることは出来ず、警戒の範囲を広げていたところ、人間の村が見つかったのです」
張り詰めた空気が漂う。
少女は狼狽えた。普段見知った人間の、知らない顔が隣にある。隣にいるのだから何とかしてやりたいが、じっとするしかない。だけど、何もせずその場にいるのが辛い。この場を離れて心が遠のくのはもっと辛い。
分からない。私には経験が足りない。でも、きっとどうすることも出来ない。バランもそうしているから。表情も変えず、平然としている。私には出来ない。ただ、悲しむ時は、私も一緒に悲しもう。それが、何もしなくても出来る唯一のことだから。
「……なあ、エダーさん、あんたも察しているだろ?」
「……はい、……とても……お辛いことがあったのでしょうな……」
「もしもだがよ」
声が震えぬよう、全身に力を入れながら呼吸を整えて話す。左手の拳を右手で固く握りしめ、深い怒りを抑えている。
「もしも、一生消えない傷があったとしてだ。男はそれを見ねえようにして生きるわけだ。傷が出来た原因もきっとどうしようもないことだからな。後悔はし続けるが、どうしようもない。そんな男に、知らない奴が現れて、いきなり原因を教えてくれるわけだ。その内容は、やっぱり、どうしようもないことでした、だ。……それを聞いて俺はどうするんだ? もし、目の前の奴が悪党でしたってんならよ、ぶった斬りゃ、ほんの少しだけ心の決着がつくかもしんねえさ。だがな、てめえがやってんのはな、一生消えない傷を再確認させただけなんだよ。これからは、もしかしたら、どこかに恨みを果たすべき相手がいるのかもしれねえって、クソみたいな想像することすら出来ない。てめえの方は罪の告白をして、少しは心に決着つけることが出来たかい?」
怒りではなかった。怒りと表現するには、度が過ぎていた。その顔に刻まれていたのは、感情の先にある深い絶望であった。
「……申し訳なかった。それでも私は贖いたい。人間との友誼はその先にあるでしょうから。私は貴方を救えない。そして苦しめるのだと思う。それでも、あなたが大切に思う人、あなたを大切に思う人、その方達のために力を尽くすことは出来る。非力な我が一族が繁栄を手にするには、他者との協力が必要不可欠なのです」
「……あんた達の為に仲良しごっこすんのか?」
「私達の為です。一族の棟梁は皆を導く責務があり、絶望してはいけないのです。私は立ち止まれまん。ここへ来たのは、それを正直に伝えようと思ったからです」
「ふん、そもそも村のことで俺がどうこう言えるもんじゃねえし、あんたは別に悪くねえんだから、好きにやれよ。ただ、俺がイラついてるだけだ」
「……伝えるべきことは伝えました。後でまた話しましょう。いずれにせよ遠くない未来、一族の者があなたの村と接触する時が来るでしょうから」
エダーがバランとアンジェラの両方にゆっくりと目を運び、深々と頭を下げる。ここへ来た時と同じように視線を落とし、静かに去っていった。
部屋から離れるエダーの背中には寂しさが漂っていた。先程までの威風堂々とした姿で気が付かなかったが、それなりに老齢であるように見えた。
「……悪かったな、話したいこともあったろうに、俺がこんなんでよ」
「気にすることはありません。怒りや悲しみ。感情は、たとえ太古の神であろうと抗えぬ、命有る者の理ですよ」
「わ、わわ、私、も、き、ききき、気にして、ない、か、から……」
「まいったね、護衛役の俺が慰められることになるとは。ざまあねえぜ。ま、こういう時は考えてもしゃあねえ。足手まといは飯まで寝て英気を養うとするよ」
ルヴナクヒエが荷袋を枕にし横臥する。情緒不安定な時は眠るに限る。眠れずとも、横になって目を瞑っていれば疲れが取れるし、少しは冷静になれるだろう。
四角く形成した干し草に毛皮を被せたベッドは、日に焼けた草の良い香りがした。確か、豚を飼っているという話だったか。なら、食事にも期待できるかもしれないな。
「……あー、頭痛え。腰にも違和感があるな。やっぱ、慣れねえ柔らかいベッドは罠だな」
「寝るのがお前の仕事だったのか? のんびりを有言実行しすぎだろ」
食事の時間となり、洞窟内の広間中央では火が焚かれ、大勢のオークと鬼が集まっていた。
「色々あんだよ。何もしないよりかは、寝て体を休めたほうがいいだろ。そっちはどうだったんだ?」
「……まあ、色々聞けたよ。ちなみに、今日の飯はキビとヒエにネズミだ。後は豆と木の実だな」
「ネズミ? 洞窟ん中走り回ってるやつか? 食える部分が少なそうだが。けど、山の上じゃ手に入る物も限られるし、仕方ねえか。……豆、苦手なんだよなあ」
「この人数じゃ仕方ねえよ。鬼があんだけ来てんだ。毎日豚食ってみろ、小屋が空っぽになっちまう。お、ほら、来たぞ。鬼も手伝ってるみてえだな」
オークの女性がメヒヤーの前にスープの入った器を置く。その際、意味深に片目を瞬きして目配せをした。それにルヴナクヒエが訝しんだのも束の間、今度は鬼が近づいてくる。
「おう、メヒヤー! 俺が用意したわけじゃねえが、たっぷり食ってくつろげや! 隣座るぜ」
「エイゼックじゃねえか。おめーの顔もボロボロだな。誰か気合見せた奴はいなかったのか?」
「ウワハハハッ、全員ブッ飛ばされたよ! あいつまじでバケモンだ! 明日はお前に期待しとくぜ!」
「俺は死にに来たんじゃねえんだよ! おめーがボコさたれんだったら、俺はスクラップになっちまう」
メヒヤーとエイゼックが談笑を始め、周囲には次第にオークも鬼も集まり始める。
どうやら、本当に仕事が出来る男だったらしい。ルヴナクヒエはメヒヤーの評価を見直し、少し尊敬した。でも、面倒臭そうだなとも思った。
男は群れると格好がつかんのだ。
「……あ、う…………」
何故か近くに知らない相手が集まりだし、少女は館を出てすぐに抱いた初心を思い出していた。食堂も大勢に囲まれる空間ではあったが、ここは規模が違う。
落ち着け、落ち着くのだ。流されろ、流されて時をしのぐのだ。村に来た時も、なんやかんやでどうにかなって、なんとかなったのだ。大丈夫、大丈夫や。私、美少女やもん。
「おやー、見てくださいこのスープ、ネズミの肉にある臭みを消すために香草が使われているようです。それに、ほら、こちらは私も見たことがない食材ですよ」
「あ、ほ、ほんと、だ」
気を使って話しかけてくれたのだろう。つい先日会ったばかりだが、バランは既に心の友と言っていいような、それほどの親しみを抱く。生まれ持つ性質が私に近いのだろうか、近くにいると妙に安心感が湧くのだ。
「これは、オークの郷特産のキビでございます魔術師様。中央は固い芯になっていますので、周りの黄色い実だけを食べてください。元は普通の形をしていたらしいのですが、味が良くて実が大きく連なる物を選んで育てていたら、長い年月が経つうちに今の形になったそうです。生で食べられるほどに味が良く、これも軽く茹でただけですが、歯ざわりがよくて甘みも感じられますよ」
突然、影の如く動いたオークの女性が料理の説明を始める。
「ほ~、それは楽しみですね~」
「は、はあ……、た、たのし、み……」
「こちらのスープは香草を擦り込んだネズミ肉と豆を具材に、たっぷりの塩で味をつけ、ヤマビル (ギョウジャニンニク) で風味付けをしております。ここから少し下りたところに塩水の湧き出る場所がありまして、オーク料理は塩辛い味付けが自慢となっております。鬼の皆さんからは辛すぎる何て言われたりするのですが、慣れ親しんだ味ですから、こちらも意地になっちゃうんですよね。でも、ヒエと一緒に食べるとちょうどいいんですよ? それから、こちらは、ドングリを引いた粉から作ったガレットに郷特産のキビを混ぜたものです。郷に古くから伝わるお菓子で、噛みしめる内に染み出てくる仄かな甘みが楽しめます」
「あ、あい……、そ、そっす、ね……」
何が引き金となったのか。それは分からないが、何かが彼女に火をつけたらしい。
きっと、親切心なんやろな。せやけどな、今必要なんは、私の空間を維持する事やねん。たぶん、胸いっぱいで味分からへんと思うよ?
「あ、お水がありませんね。ただ今お持ちしま~す!」
女性は完全に自分のペースで事を進めている。歩幅が少女の三倍くらいはありそうだ。
「あ……ばい、ばい……」
「ん~、気持ちは分かりますが、それはお別れの言葉ですね~」
「え、あ、そっか……、また、く、来るの、か……」
アンジェラは、頑張っている女性をがっかりさせたくないので、両手の指で口角を押さえて嬉しそうに話を聞く顔を練習した。
笑顔の女性は魅力的と古来から伝わる。しかし、その反面、よく笑う女性は皴が深くなるとも。クールビューティを自認する少女は安売り笑顔否定論者であった。故に、笑顔の練習には抵抗がある。その一方で、寡黙な女性がここぞという時に見せる笑顔は、最大効率での魅力伝達効果があると信じていた。ならば見せようとも。世界がそれを望むのなら。
……おかしいな。長く一人でいすぎたために、表情筋の動かし方を忘れてしまった。まずいな、笑顔って何だろう。
少女は焦った。焦ることで、ますます忘却の深みにはまる。もちろん、表情筋の動かし方が本当に分からないなんてことはないのだが、元来考えすぎる性質のため、考える必要のないことを考えてパニックを起こしていた。
しばらく俯いて頬をこねくり回していると、ふと、おかしなことに気付く。水が来ない。それに、いつの間にか、周囲が静かになっている。
「……アンジェラさん」
横から何かを促すようなバランの声が聞こえる。
「よくぞ……、よくぞ、わしらの郷へおいでくださいました……。領主様」
前方から声がして顔を上げると、知らない老人が膝をつき、額が地面に付くほどに深々と頭を垂れていた。
表情筋が完全に固まったまま左右を見回すと、隣のバランと目が合う。少女だけに見えるよう口元に手を添えて隠し、声を出さずに口を動かす。
ちょ ・ う ・ ろ ・ う
唇の動きを読み取るに、そう言っているように見えた。なるほど、オークの長老であるか。はは、一大事やなバラン君。ウケる。
胸が張り裂けそうや!!!
少女は叫ぶ。天を裂く雷鳴の如きそれは、機能を失った表情筋によって飛び立つ翼を失っていた。
お疲れさまでした。
山で塩水が湧き出る場所は本当にあります。温泉地の水からは山塩が出来るのです。
でも、大量に作るのは難しいのです。オークが塩を沢山使うのは、備蓄がそれだけあるとでも考えてください。きっと、製塩に使う薪を毎日拾ってくるのでしょう。近くで採りすぎると禿山になってしまいますから、わざわざ遠くに出かけたり、植林をしたりするわけです。
いやあ、面倒臭いですねえ。




