第三十話 世界の殻
いらっしゃ犬。
オークの郷を目指し四日目、アンジェラ達はバランの先導を得たことで、順調に歩みを進めていた。
「いやあ、本当に助かったぜ。バランさんがいなきゃ、今頃、俺達はどうなってたことか」
「いえいえ~、僕ではなく、メヘトのおかげですよ」
謙遜するバラン。その後ろで、口を尖らせるアルメトラ。本来は自分が果たすべき役割をとられてしまったので、むくれているらしい。
というか、もう郷は目前なのだから、アルメトラが先導しても問題はないはずなのだが、代わろうとする気配がない。単に拗ねているだけなのか、はたまた、山に入ってもなお自信がないのか。藪蛇はつつくまい。
「しっかし、何度聞いても魔獣の研究やら、そっちの人形ちゃんやら、よく分からねえな」
「そうですね~、他でこんな研究してる人なんて、そうはいませんからね~。ただ、間違いなく人間にはないものを魔獣は持っています。メヘトは、その研究の成果と言えるかもしれません」
「人形に魔獣の研究が?」
「ん~、説明は難しいですね~。初めに合った時、メヘトが皆さんを感知したと言いましたよね?」
「ああ、あんたは魔法士だし、不思議な力があるもんだとは思ったが、そういや、あんたにその力はないのかい?」
「その通りです。僕にはありません。そもそもですね、この能力を人間は持っていないのです。感知とは、そこに存在する魔力の量を感じる力。そして、実はです。これこそ、魔獣が持っていて人間が持っていないものなんです」
アンジェラが興味深そうに聞き耳を立てる。館の中で3000年間書物を読み漁った、人知では及ぶべくもない知識の中にも、そのような情報はなかった。そもそも、人間について未だによく分かっていないのだが。
「あん? だったら、俺達の村は魔獣に丸見えってわけか?」
ルヴナクヒエも他人事ではない情報に食いつきを見せる。
「いや~、魔獣によりますかね~。魔力量が多くなければ目立ちませんし、少なければ逆になります。ほとんどの人間は小さな魔力ですから、感覚の優れた魔獣でなければ、気付かないかもしれません。メヘトが皆さんを見つけられたのも、アンジェラちゃんがいたからですし」
「あ、え? え、ん、え?」
「君は人間よりもずっと魔力量が多いのですよ。外を歩く時は目立たないように、力を抜いたほうがいいかもしれません」
「あ、あい」
少女は、外に出てから緊張で心が張り詰めていたことを思い出し、深呼吸する。
今はバランもいるし、目的地も近い。知らない相手に会うのは緊張するが、今までも何とかなったのだ。今回もきっと大丈夫。心を強く持て、私。
己を客観視せよ。大丈夫、私は美少女だ。鏡は嘘をつかない。
少女はなんやかんや自分が好きであった。
「で、ででも、な、なんで、メヘト、は、感知でき、る、の?」
「ん~、そうだね~。実は、よく分かってないんですね。おそらくですが、魔術が精霊を媒介して発現するように、魔力の感知もまた精霊を介しているのではないかと、僕はぁ、そう考えてます。ですから、存在の距離が精霊により近い位置にいることが、感知能力を得る条件ではないですかね~」
「つ、つまり、に、肉体と、魂の、ひ、比重、がえ、影響してい、る、と?」
「ただの推測なんですけど、魔獣は、魔力を得る際に獣から姿を変質させますよね? 肉体という殻に囚われず、魂の比重を大きくして精霊の力をより取り込もうとしているのでしょう」
「メヘト、も、人形、だか、ら、肉体に囚われて、な、い」
先頭を歩くバランとアンジェラの後ろで、大人三人は真剣な表情で沈黙を貫く。話が難しくて理解出来ないのだが、存外に少女が会話を弾ませているので、軽はずみに口を挟めば大人の威厳を失すると、本能的に理解していたのだ。
言うまでもないが、少女は三人より遥かに年上である。
「ただ~、分からないのが、人間は感知能力を得られないのに、亜人種はそうでもないというところですね~。特にエルフやオークは昔、強い感知能力を有していたようです」
「エルフが? トルマノルは確かに魔獣の気配を捉えるのが得意だって話だが、魔力量が分かるとか、そんな話は聞いたことねえぞ。アルメトラ、あんたはどうなんだ?」
ルヴナクヒエが話に割り込んでくる。自分の分かる話への反応は早い。立ち位置確保最速の男である。
「ふ? あ、へ? え、あ、私、ですか? えっと、私、は、純粋なオークではない、ので……」
半ば呆けていたアルメトラは、耳を通り過ぎた言葉を必死に手繰り寄せ、何とか言葉をつなごうと腐心した。
「や~、昔のこと、ですからぁ。今ではエルフの中で魔術を使える者も少なくなったと聞きますし、オークも同様に感知能力が弱くなっていても不思議ではありません」
「で、ですよね! ですよねー!」
オークの能力が失われているかもしれないというのに、アルメトラの声には喜色が混じる。
滑稽に見えるかもしれないが、アルメトラは威厳を保とうと必死なのだ。この場にいる誰もが一切気にしていないし、期待もしていなかったが、彼女にとって今の会話は、オークの誇りを一身に背負った決死的桶狭間なのである。
「しかし、それはそれで良かったのかもしれませんね~」
「? ど、どういう、ぅこ、と?」
「あー、や、僕のぉ、勝手な妄想ですけどね。エルフという種族って昔は森に閉じ籠っていたんです。それが今では人間の町で暮らす者も現れてるわけですよ。もし、感知能力が高いままだと、外にある危険がはっきりと分かるんですから、仲間と一緒に固まっていないと不安でしょうがないと思うんですよね。そしたら、今も森の中に閉じ籠ったままなんだろうなって。結局、それは世界の変化に取り残されて、いずれ自分達だけでは身を守れなくなってしまうでしょう」
「……た、確か、に、世界、は、か、かか変わ、る」
「ええ~、ですから~、エルフは無意識に人間化することを選んだのかもしれません。怖いもの知らずと言いますか、人間の持つ、ある種の無謀さは、世界を知ることに繋がりますから」
アンジェラは気ままに生きるエルフ達の姿を思い出す。彼らは感覚として気配を捉える力は残っていたが、魔術を扱える者は残っていなかった。力こそ衰えたのかもしれないが、そこに恐怖で思い悩む姿は見受けられない。
人間よりも強く、人間よりも呑気に生きる。そんな姿に憧れを持ったのが一月と少し前だ。思えば、短い間に様々なことを学んだものである。館を出なければ、私はきっと小さな世界で悩み、怯え続けていたのだろう。それは、エルフも同じだったのだろうか。
「えー、それで~、話は戻るのですが、何故、人間は感知能力を得られないのか、という謎なのですが、むしろ、魔獣や亜人種よりも人間が特殊なのではないかと思いはじめましてね~」
「と、特殊? に、人間、が?」
「そうです、だっておかしくないですか? 魔力を多く持った生物で感知能力が得られないのは、人間だけなのですよ?」
「そ、そうな、の?」
「や、ある程度の魔力量を持たねば、そもそも感知能力は得られないので、元々の魔力に乏しいゴブリンなどは確認が出来ていないですけどね~。ただ、今のところは人間の異質さが際立っていますよ。これはね~、僕の想像なんですけど、人間は他の生物と成り立ちが異なってるんじゃないかなあと。独自の神を信仰しているのは人間だけですからね~。まー、分からないことだらけですよ、この世界は。精霊は何故、領主を生み出すのか。魔獣は何故、領主になれないのか。不思議でいっぱいです」
「は、はぇ~……」
確かに、人間は特殊なのかもしれない。私は不安を解消するために知識を蓄えるばかりで、バランのように世界の真理を探るような考えは持たなかった。すっかり忘れていたが、館の修繕もバランに相談すれば、光明が見えてくるかもしれない。
それに、新しい知識が頭に入ってくるのは楽しいのだ。
バランとの会話で得られた新しい知識を脳内で反芻する。自信の知識欲が満たされていく充足感が感じられる。少女にとって思考することは、長年連れ添った孤独の友である。
しかし、何故か同時に違和感が込み上げてくるのも確認できた。
何かが引っかかる。
少女は現実時間で一秒、脳内時間で五秒フリーズした。すると、とても単純な違和感の正体にあっさりと気付いた。
なんで、私には感知能力がないんだ?
「おや、メヘトが遠くで複数の魔力を感知したようです。郷には強い方が集まっているようですね~」
「え、本当ですか! きっと鬼の国から応援が来てくれたんです!」
「はぁ、やっと到着か……。だが、鬼と対面となると気を引き締めねえとな」
「しっかしよお、こんな距離から分かるなんて、そのメヘトちゃんはすげえ代物だな」
「や~、自慢の娘です~」
先頭を歩くメヘトに目を向ける。
メヘトは言葉を話さない。ただ身振り手振りでバランの求める情報を伝えるだけだ。傍から見ると、ただくねくねと動いているだけで、何を意味した動きなのか判別できないが、そこは長年連れ添った製作者ということだろう。正確に意図を理解し、言葉にして皆に伝えている。
疲れを知らず、危険を察知し、反抗することもない。通常、人形創造の魔術で作られた人形は、術者の魔力量にもよるが、通常は数日で崩れるか機能が停止してしまう。だが、メヘトにそのような様子は見受けられない。
メヘトは異質であった。世界における魔法の異常さ、異端さを浮き彫りにしていた。
「ね、ねえ」
「なんでしょうか?」
「メヘト、に、は、た、魂が、入ってる、の?」
アンジェラも人形創造は扱えたし、それなりに高いレベルのものを作れるとは思っている。空間の存在する精霊を多量に使って、人形に自我を持たせることも出来た。メヘトの様に感知能力は持っているかを確認したことはないが、たとえ持っていたとしても、完成度は遠く及ばないように思える。
何かしらの秘密があるのではないか。もしかしたら、バランは疑似的な魂を作り出す方法に辿り着いたのかもしれない。
「……どうなんでしょうね。僕の魔法が成功していたらいいのですが……。真実は神のみぞ知る、でしょうか。願わくは、神の境地に至りたい、神に真実を知る力があって欲しい、ですかね~」
「そ、そう……。で、でも、きっと、た、たたた魂は、入って、る。メヘトみ、みたい、に、すすすご、いの、は、見たことな、い!」
「はは、有難い言葉です。や~、メヘトの為にも精進を続けなくてはいけません」
大した男だ。投げかけた言葉に返ってくる答えは、悉く私の胸を打つ。見習わねばならんな。
少女はバランの知識と探求心に舌を巻いた。
「なあ、バランさん、あんたえらく物知りだが、何年くらい生きてるんだい? 超越者ってのは、すげえ長生きなんだろ?」
「んー、そうですね~、皆さんの生きた年数を合わせたよりも、ずっと、ですかね~」
「ええ!? いや、それ……、あー、まじか、すげえな、あんた……」
「昔の英雄は千年以上生きたとか、ジルがよく話してたが、あながちただの伝説ってわけでもねーのか」
「はいはい! ちなみに、長老は千年以上生きてますよ! すごいですよね?!」
「まじか……。なんだか今まで必死に生きてきた自分が、急にちっぽけな存在に思えてくるな……」
談笑を続けながら進んでいると、メヘトが立ち止まり、前方を指差した。
岩場に人だかりが出来ている。いや、人ではない、鬼だ。
「おい、なんだあいつら、まさか探検家ってこともあるまいしよ」
「よく見ろ、後ろにオークの嬢ちゃんがいる。加勢だろ」
「加勢って……、人だろ? しかもあんな少人数で……」
鬼も気付いたらしい。こちらを向いてざわつき始める。
「……おい、メトラちゃんよ」
「へ? あ、そうですね、そうですよね」
アルメトラが鬼の元へ事情を説明しに駆け寄っていく。
「大丈夫かねえ。っていうか、あいつら何やってんだ?」
「さあな。何だか盛り上がってるみてーだが」
鬼達は時折歓声を上げたり、興奮した声で騒いでいる。
そんな中、比較的冷静にこちらの様子を窺っていた鬼が近づいてきた。
「おい、あんた達よ、どっから来た? まさか、マスティリオの野郎が寄こしたんじゃねえだろうな?」
その言葉にルヴナクヒエがピクリと反応する。
「……マスティリオ?」
「なんだ? 知らねえのか? 磔刑マスティリオだよ。自分の仲間まで磔にした、人間のイカれ野郎だ。あのクソ野郎の使いだったらブッ飛ばしてんぞ」
「大丈夫です、エイゼックさん! そちらの方達は南の村から来たんです!」
「南? あー、だったら違うな。しかし、そっちの人形は何だ? 男三人に、人形一体、それと……あん? そっちのは……」
エイゼックの視線がアンジェラの前で止まる。
「おい、あんた達、もしかして人じゃなくて鬼か?」
「……あんた、俺の頭に角が生えてるように見えるか? そっちの小っこいのは俺達の大将だよ。何者かは分かんねえ。記憶がねえんだとよ」
「んー? そうか。よく分かんねえが、色々と事情がありそうだな。ま、味方だってんなら、歓迎するぜ。俺達鬼は、人よりも懐深く、が信条だからな」
「なんか引っ掛かる言い方だな……。だが、喧嘩しねえってんなら、こちらもよろしく頼むぜ。それにしても、後ろはさっきから何やってんだ?」
「おう、東からすげえのが来てよ、あそこが平らになってっから集まって腕試ししてんだ」
「すげえの?」
「ルヴナクヒエさん、メヘトがあそこに一つだけ際立って巨大な魔力があると。とんでもないのが来たみたいですねえ」
エイゼックと連れ立って岩場に近付くと、人間の姿に周りの鬼が訝しげな眼を向ける。しかし、平然としたエイゼックの様子を確認すると、興味を失ったように視線を戻し、再び歓声を上げて騒ぎ始めた。
「一体、何が起きてんだ?」
「だから腕試しだって。あんたも殴り合いに自信があるなら混ざってもいいんだぜ?」
「生憎だが、化け物相手にすんのはこりごりだ。それに、俺が自信あんのは拳じゃなくて、こっちなもんでよ」
ルヴナクヒエが肩掛けの剣帯を掴み、腰に差した剣へ視線を誘導する。
「そうかい。ま、人に腕っぷしの強さ期待してもしゃあないわな。しかし、そっちは自信あんのか。後で見せてもらいてえもんだな」
「俺達は今の状況がよく分かってねえんだ。とにかく、万事落ち着いてからだな」
「おう、了解だ。……おっと、ほら、見えたぞ。あれだ。すげえだろ?」
「……なんだ、あいつは?」
目の前の平地に見えたのは、ちょうど一人の鬼が殴り飛ばされる瞬間であった。目の前にのされた鬼が転がり、奥に右拳を突き上げた怪物が見える。
「……ここに来る途中、僕は人間が特殊だって話をしてましたよね?」
「ああ、そうだが……、それが?」
「実は例外が他にもいるんですよ」
「ってえのは、目の前のあれも?」
「ええ、そうです」
バランが真剣な眼差しで前方を見据える。
「膨大な魔力を有するにも拘わらず、リザードマンも人間と同じく感知能力がありません。その鱗はあらゆる魔術を弾き、その力は竜に匹敵する。謎に満ちた化け物ですよ」
お疲れ様でしタヌキ。




