第二十九話 古の旅人
いらっしゃい。
「はぁ、はぁ、……参ったね、こりゃ」
陽の光がまばらに差す、鳥獣跋扈の新緑世界。己の背丈ほどに伸びた草を払い、道なき道を突き進む。
アルメトラに率いられた村の一行は、大自然の洗礼を受けていた。
「そろそろ陽が高くなって来ましたので、休憩にしましょう」
開けた場所を見つけ、先導役が皆に呼びかけると、後続の男がどかりと腰を下ろす。
「よもや、俺が足手まといになるとはな……」
ルヴナクヒエが汗を拭う。若く、体力にも自信があったのだが、慣れぬ悪路に余計な力が入ってしまったらしい。日に半日剣を振っているが、全身に疲れを感じたのは久しぶりであった。
「気落ちする必要はありません、予定より早く進めています。むしろ、皆さんが私のペースについてこれることに驚きです」
「へ、どうも。だけどよぉ……」
視線の先には、汗一つ掻いていない少女の姿がある。
剣の稽古をしている時も、まったく動きの鈍る気配が感じられず、うすうす勘づいてはいた。だが、実際に目の当たりにすると不思議な光景であるし、正直落ち込む。
才能とか、そんな生易しいものじゃない。何かを持っいてるとかじゃなくて、完全に違うのだ。
……難しいね。そんな存在でもガキだし、俺はそれを守ろうってんだから。
ルヴナクヒエは調息し、張り付いた汗の不快感を無視して体力の回復を図る。
心の乱れは、己の務めに支障をきたす。少女に嫉妬するなど、恰好がつかんし、今更なのだ。だが、もう一つ納得できないことがあった。
「なあ、オークの姉ちゃんよ、あんた三日で着いたって言ってたよな? ってことは、今の速さで進めりゃ、登りってことを考慮しても四、五日くらいで着くのかね?」
「あ、三日というのは、私が迷っ……、いえ、そうですね。四日程で辿り着けると思います」
「おー、そうかい。ありがとよ。それなら食料も十分持つな」
髭面の男が地面に布を広げ、食事の準備を始める。
「……おい、メヒヤー、お前何でそんなに元気なんだよ」
「俺は人生で外回りが多かったもんでね。年の功だな。要は慣れだ」
「その様子だと、山道にも自信がありそうだな」
「……まあそうだな」
ん? 海で会った時、メヒヤーは漁師町出身って言ってたような……。山に登る用事が多かったのだろうか。塩漬けの魚を運んだり?
少女はサンドウィッチを齧りながら、ぼんやりと考えた。
「あ、あの、領主様」
「ん、え、あ、あい?」
「やはり領主様なのですね、あの、最初に会った時、そうとは知らず、挨拶も出来ずに……」
「あ、あいあい。い、いやぁ、別に、き、きき気にしない、から」
「え、気にしていないのですか? よかった、流石領主様です。心がお広い。夜が明けてから歩き通しだというのに、お疲れの様子もなく、領主様の心身相優れたること、私、尊敬の念に堪えません!」
「……あ、うん……あい」
なんだこいつ?
……いかんいかん。私はオークに対して借りがあるのだ。アルメトラの情緒に疑念を抱いて何とする。本来もてなすべきは、こちらであるべきなのだ。
「あ、あの、あ、アルメトラさん、は、ひ、ひひ一人で、来た、ん、だよね?」
「は、はい、その通りです!」
「こ、この森、は、魔獣が多い、の、のに、あ、アルメトラさん、が、ひ、一人だけ、使者にえ、選ばれる、なんて、す、すごく、つ、強いんだろう、ね」
「え、あ、それは……。その、……実は、私が人間の村に行きたいと志願したのです」
「? な、なんで?」
さっきまでとは打って変わって神妙な表情を見せるアルメトラに、隣で食事をしていたメヒヤーも思わず手を止める。
「通常、オークは家の名を持ちません。しかし、私には、あるのです。私の名はアルメトラ・サーキュレ。人間との――」
「サーキュレ!?」
隣から驚きの声が上がる。
「な、なな、な、何、何々?」
「い、いや、ごめんよ嬢ちゃん。俺の知っている珍しい名前だったもんでつい……。はは、まさかな……」
「おそらく、そちらの方が想像した人物の通りだと思います。母は高名な方であったと、兄から聞いたことがあります」
メヒヤーが愕然とした表情を見せる。
「私の母はアルマディア・サーキュレ。人間の国で聖女と呼ばれていた方です」
アルメトラの言葉にルヴナクヒエも反応する。
「聖女? そういや親父から聞いたことがあったな。よくは覚えてねえが……。メヒヤー、どんな人なんだ?」
「どんな人って、そりゃ聖女様だよ。俺がガキの頃には既に行方不明だとかで、見たことはねえが、大勢の人に慕われててよ、悪い噂は聞いたことがねえ。今、国が荒れてるのも、聖女様不在が原因の一つみたいだぜ」
「そうでしたか……。やはり、母は立派な方だったのですね……」
「ちょっと待ってくれ、あんた、聖女様と一緒にいるんじゃないのか!? まさか、もう既に……」
メヒヤーが身を乗り出して、アルメトラに詰め寄る。その様子は、アルマディア・サーキュレという人物の存在が、国にとって決して小さくないだろうことを窺わせた。
「分からないのです。私の記憶に母の姿はありません。物心つく前に、年の離れた兄が私をオークの郷へ連れて来たのです。母がどこにいるのか、母は生きているのか、兄は何も教えてくれませんでした。そして、その兄も、私の歳が十を数えた時に姿を消してしまいました」
「それじゃあ、手掛かりはなしってわけかい……」
「兄は、母のことは知らなくていいと、それだけで……。ただ、どうやら最初にオークと接触を図ったのは母のようです」
「え、いや、だが、聖女様は教会に属する御方だぞ。オークを悪し様に教えてる教会が、それを許可するとは思えねえが」
「長老曰く、母は古き教えを嫌い、オークの姿を見極めるために、お忍びで郷を訪れたのだと。長老は甚く感激し、出来る限りの御もてなしを心掛けたそうです。しかし……」
アルメトラが言い淀む。
「ある日、聖女様の姿が忽然と消えたのです。若きオークの青年達と共に」
「な……、それ、は……」
「きっと、私は罪深き子なのでしょうね。兄が何を見て、何を思い、私を連れ出したのか。私には分かりません。しかし、私に見せたくないものがあっただろうことは理解できます」
「だ、だが、そうすると、オークは人間にとって本当に……。いや、まて、確かな情報がないと滅多なことは言えねえ。いなくなった奴らの行方は追ったのか?」
「もちろんです。しかし、とうとう見つけることが出来ず、郷に訪れた兄も何も言わずに去ってしまいました」
「……そうかい、真相は闇の中、か。ま、俺は必要以上には聞かなかったことにしとくぜ」
「私は、何とお詫びをすれば……。村に入った後も、それを伝えようと志願したはずなのに、とうとう言い出せなくて……」
「自分が生まれる前のことだろ? 気にすんな。今から行く郷の奴らが友好的ってんなら問題ねえよ。兄ちゃん見つかるといいな」
「……確かに、今は重要な使命の最中でした。私が落ち込んでいては、皆さんを不安にさせてしまいますね」
「その意気だ。飯に添える話が暗いと、腹よりも胸がいっぱいになっちまう」
話を終えて、食事を再開する一同。最初に会話していたのは自分だった気がするが、そんな事は気にしない少女。
……色々あるのだな。
アンジェラは食べかけのサンドウィッチを、二度、三度と齧った。
オーク達は私と同じように、狭い世界で生きてきた。しかし、その実は、竜という強大な存在の傍らで、自分達の役割を果たそうと奔走していたし、必要な交流は積極的に図っていた。
メヒヤーにしてもそうだ。一見、計画性がなく、国を捨ててふらふらしているようだが、言葉の端々には国を思う真剣さが滲む。国に対して未練があるというよりも、捨てたという意識が無いように感じられる。
見上げた空に流れる雲は、形を変えて群れていた。そこに一つとして同じものはない。もしかしたら、世の中で本当に単純なものなど、そう思いたい心が見せる幻想にしか存在しないのかもしれない。
私は正しく行動できているのだろうか。
もし、竜が不死でなければ、どうすべきであったのだろうか?
少女は、オーク達が平和を望むあまり、自分達の崇める神の不死性に付け込んで殺めねばならない状況に心を痛めた。
旅の一日目は順調に進んだ。相対的な物資の消費は軽微。魔獣の気配もなく、夜通しの見張りを終えても体力には余裕が生まれている。
二日目の昼には傾斜のある山林に到達するはずであった。
「……なあ、姉ちゃんよ、方角がずれてる気がするんだが……、水、探してたりするんだよな?」
「……そうですよ? ちなみに、急ぐというのであれば、そうしましょう」
「あ、ああ、水はいくらでも欲しいが、昨日汲んだ分があるし、遠回りしすぎると危険が増える。あんたは大丈夫かもしれねえが、俺が危ねえからな」
「…………」
「……どした?」
「い、急ぐ……急ぎますとも。え、えー、ひ……ひだ……」
「……姉ちゃん、右や。……太陽のよ、登った向きくらいはさ、覚えとこうな」
一向に暗雲が立ち込めていた。
若きアルメトラは、山での活動こそ体に染みついていたが、山を目指す経験には欠けていたのである。メヒヤーも経験豊富とはいえ、山に同じものは一つとしてないし、ここはまだ森だ。地形が把握できていない以上、進むという選択肢以後は考えの及ぶものではなかった。
「頼りにしてるぜメヒヤー。遭難の経験も豊富なんだろ?」
「うるせえ。今、俺達はむしろ、てめーの帰巣本能に期待しなきゃいけない瀬戸際なんだぞ」
「そうかい、誰かパンくず撒いてきたかー? 白い部分な」
メヒヤーは頭を抱えた。
まるで子供の御守りだ。三人の子供を引き連れたメヒヤー遭難隊だ。笑えるのは、一番頼りになりそうなのが、無口な本物の子供というところか。
「……おい、メヒヤー」
考え込むメヒヤーにルヴナクヒエが声をかける。
「んだよ、うるせーな。こっちは必死に考えてんだよ」
「こんな場所に人住んでると思うか?」
「……何だと?」
顔を上げ、薄暗い森の中に目を向けると、人型の影がはっきりと見えた。
「おい嬢ちゃん下がってろ! ありゃお迎えか、メトラっち!?」
「やめてください。なんですか、その呼び方? 友達に噂とかされると恥ずかしいし……」
「い、い、から゛!!」
人型の影が近づいてくる。
暗い森から抜け出し、陽の光に照らされたその姿は――
「……なんだこりゃ。人形……か?」
その背格好は人間の女性のようであった。帽子を被り、服を着ている。しかし、上半身に覗く
肌は、生身の質感が感じられず、硬質な人形の如き印象を与える。
「やあ、こんにちは~」
一同は固まった。
予想だにしない挨拶。生物かも疑わしい存在が発した人語。何よりも驚くべきは、女性のような
容姿から放たれた、明らかに中年男性じみた声。
恐ろしい。異常事態である。
「あ、僕はこっちだよ」
人型の後方から男の声がした。
「彼女はメヘト。僕の娘だよ。えっとそうだな、僕はね、バランって呼んでくれたらいいよ」
そこには、見るからに不審者然とした男がいた。細身の体にぼさぼさの長髪で、目つきは鋭く陰気。口髭こそ整えられ、口調も柔和だが、それがかえって気味の悪さを生んでいた。
「あんた何者だ!? ここで何してんだよ、それに娘って……」
「何だか驚かせてしまったようで、ごめんね。僕はここで魔獣の研究をしている魔法士だよ。この子は僕が作った人形なんだ」
「魔獣の研究? 魔法士? あんた、もしかして超越者なのか?」
一つの単語を聞いた瞬間、少女は縮こまった体を伸ばし、姿勢を正した。
え、超越者?
アンジェラはアルカハクと会った時に一度失敗している。敵意の有無にかかわらず、超越者と相対した時に気を抜くのはよろしくないのだ。
一体どんな奴なんだ?
メヒヤーの背中から体を出し、姿を確認すると、黒い外套を羽織った線の細い男が確認できた。少女の中で、超越者と言えば筋骨隆々で半裸というイメージが出来上がっていたため、その姿には相応の意外性があった。
まじまじと見つめる少女の視線が男の顔に移った時、互いに目が合った。
その刹那、両者の体に電流が走る。
この娘……
この男……
アンジェラがメヒヤーの脇を擦り抜け、前に出る。
「お、おい、なんだ? どうしたガキんちょ?」
アンジェラとバラン、対峙した両者が固く握手を交わす。
「君は、僕と同じ目をしているね。何だか友達になれそうな気がするよ」
「あ、あい。き、ききき気が、合いそ、う」
死んだ目をした両者の瞳が、キラキラと暗く輝いている。
「……何なんだよ…………」
置いてきぼりのルヴナクヒエが困惑する。
彼は知らない。外に出た少女は、村の人達を見て自分の目が死んでいると気づき、割とコンプレックに感じていたことを。
「あのさ、邪魔して悪いけどよ、何で声かけてきたのかだけでも教えてくれないかい……?」
「おっと、そうでした。あの~、あなた達はおそらくですが、オークの郷に向かっているんじゃないですか?」
「……そこの姉ちゃんに頼まれてな。あんたはここらの土地に詳しいのかい?」
「ええ、。この近くに住んでいますから、それなりには。最近は、メヘトが竜の活発な気配を感知していたもので、実は、僕もオークの郷へ向かう予定だったのですよ~。人手が必要なんでしょう?」
突然の援軍宣言にアルメトラが目をぱちくりさせる。
「え、本当ですか!? でも、なんで……?」
「魔獣研究家ですから。竜の研究は僕にとって最大の使命なのですよ」
魔獣の研究と言われても、正直ピンとこない。だが、こんな場所で暮らせる魔法士となれば、実力は折り紙付きだ。メヒヤー遭難隊へ加わるに、頼もしいことこの上ない人材だ。
「なるほどな。俺達としても、異種族の住処に少人数で行くのは心細かったんだ。有難いぜ。あんたも同じ人間を旅の同行者に見つけて、ついつい声かけたってところか」
「いやあ~、メヘトが皆さんを感知した時、道を逸れていたようでしたので、戻って声をかけたほうがいいかと思いまして~」
「……助かるぜ」
メヒヤー遭難隊の冒険はまだ始まったばかり。新たな仲間を迎え、迷いの森を攻略した一行はオークの郷を目指し、竜の住まう嶮山へ踏み入る。
果たして一行は迷わずに辿り着くことが出来るのか?!
次回 「到着」
来週もまた見てくれよな!
お疲れさまでした。




