第二十八話 東雲を負いて
いらっしゃあ。
「……えー、本当にその……、不覚……で、ございました。申し開きも出来ません。何とお詫びすればよろしいか……」
昼食をとる男達の集まりがいつもより多い食堂。異邦人の娘はすっかり気落ちし、ひたすら頭を下げていた。
太陽は既に頭の上で煌めき、動きを押さえつけるように溢れんばかりの熱を放っている。
「そもそもで言えば、酒の強さを伝えずに勧めてしまったこちらにも落ち度があります。ですから、どうか気に病まず、前向きな話をしましょう」
「うう、失態を犯した今の私には染み入る言葉です。分かりました、こうなれば汚名返上です。今度は酒に負けたりなどしません。さあ、杯を酌み交わし、これからの話をしましょう!」
「まだ酔ってるんですか?」
「酔ってませんよ? 少し頭に痛みはありますが」
文化の差は難しいな。ジルナートはしみじみと感じた。おそらく、文化というよりはアルメトラ個人の資質なのであろうが。
「オークの郷までの道のりについてお聞かせ願えますか? 道中、領主様に危険があってはなりませんから、安全が約束できないようであれば、私達はこの話を反対せざるを得ませんよ」
「え、あの、お腹空い……、うう、道のり……、ですね? はい、森の中、山の中どちらも私にとっては庭のようなものです。私よりも強い領主様を先導するだけならば、問題は起きようもありません。人数が多ければ話は別ですが……」
「そうですか。予想通りの答えではあります。しかし、そうなると、送り出す人を複数付けることは難しそうですね。体力や自衛する力を考慮すると、人選も限られてしまう」
どうしたものか。条件を考えるならば、ルヴにヴァンデルさん、メヒヤーさんくらいが候補だろう。だが、ヴァンデルさんの巨体は否応なく森での活動を目立たせる。魔獣に気づかれる危険性を高めるのは避けるべきだ。それに、体質の問題もある。ヴァンデルさんは、人の何倍も食事を取らねば命を保てない。運べる食料には限りがあるし、狩猟採取に時間を費やすのは本末転倒だ。
ならば、メヒヤーさんに頼むべきだろうか。体は頑丈で身軽、足音も静かだ。適任ではある。しかし、彼は少し前に村へ来たばかり。それを村の代表者として危険に向かわせるのは、筋が通らない。
となると、付き人はルヴ一人になってしまうけど……。いや、だめだ、付き人は最低でも二人は欲しい。その身に何かあった時、アンジェラちゃんが一人になってしまうし、村に情報を伝達する人間もいなくなってしまう。
やはり、もう一人の候補が付いて行くべきなのか。しかし、そうすると……。
「なあ、ルヴナクヒエから聞いたんだがよ、山へ行くんだってな。もし必要なら、俺が同行者に頼まれてもかまわないが、どうだ?」
思案中に突然割り込んできた声の方を見ると、そこにはメヒヤーの姿があった。
「……願ってもない話ですが、よろしいんですか?」
「お、そりゃよかった。なに、俺もあの嬢ちゃんに助けられたからよ、返せる恩は返しとかねえとな。それによ、俺は漁師村に生まれたもんで、農作業が肌に合わねえんだ。海に行かせてもらいてえが、今は休漁期だしよ。帰ったら、これが手柄ってことで海に行くのを許可してくれるかね?」
「もちろんですよ。アルメトラさんもよろしいですか? 領主様と付き人二人で計三人が同行する予定となりますが?」
「かまいません。その人数であれば、私の目も届くでしょう」
「はは、大した姉ちゃんだな。頼もしい限りだぜ」
メヒヤーさんにどのような思惑があるのか。それについては、今考えなくてもいいだろう。まずは目に見える問題を解決するべきだ。
ジルナートは当初から感じていた疑問を尋ねることにした。
「それにしても、アルメトラさんは何故一人で来られたんですか? 領主を迎えたいというならば、道中の万全を期すためにも、複数人で来られるべきではなかったのですか?」
「う!? そ、それは余裕がなかったと言いますか……」
「どうしたのですか? 隠し事は交渉を不利にしてしまいますよ?」
動揺を見せるアルメトラ。少し呆れるジルナート。まだ話していないことがあるらしい。明らかに尋ねられる可能性が高いことを聞かれて動揺されると、信用して大丈夫なのか不安にもなる。本当に話し合いに慣れていないようだし、そんな人物を送らねばならない程の緊急事態ということなのだろう。
「ち、違うのです! 隠しているわけではなくて、今、郷で動ける者は本当に少ないのです! 我らの数は200を超える程度で、竜様が目覚めた時の対応をするために大半は残らねばならず、武勇と健脚を誇る者が五名ほどで付近の有力者に協力を募りに出ているのです! 少ない人数で魔獣の住処を超えられる者は限られていて……!」
「ちょっと待ってください。付近の有力者、ですか?」
「はい! 西にある鬼の国と、東の地を治める領主様の元へ他の四人は向かいました」
ジルナートは気が遠くなるような心持ちがした。
不安を感じるのが正解だったらしい。
「ええと……、順番にお願いしますね? まず一つ聞きますが、人間と鬼の仲が良くないことは、知っていますよね?」
「そ、そうなのですか?」
「……そうなんです。てっきりそれを聞かせたくないから隠しているのかと思いましたが……」
「申し訳ありません。私はオークの中でも若輩で世情に疎く……。私はただ、オークの数が少なく、余裕がないことを伝えると不安を与えてしまうのではないかと……」
「いや、まあ、あなたの人となりは理解できました。そうですね、鬼、についてはなんとかなるでしょう。情報として鬼の国があるということは聞いたことがありました。幸い、私達の先祖は争ったことがありませんし、国とは袂を分かった状態ですから。その事実と領主様の姿を加えれば、諍いが起こるにしても、手までは出さないでしょう」
人間の事情に疎いアルメトラは、話をよく理解できなかったが、とりあえず頷いた。
「次に、東の地を治める領主様とのことですが、どのような方なのかお聞かせ願えますか?東の地で有力とあれば、おそらく悪魔なのでしょうが」
「えっと、実は私も詳しくは知らないのです。私達オークは鬼の国とは古くから交流しておりましたが、東の領主様の存在を知ったのは七年前と、最近のことなのです。そして、正確には、その地に住まうゴブリンさん達と会い、領主様の存在を知ったのが七年前で、実のところ面識がありません」
「なるほど、人間を嫌っていないことを期待しましょうか。しかし、ゴブリンですか。あまり強さや賢さをイメージしたことはありませんが、その口ぶりからすると、ゴブリンの方々は言葉が通じるのですね?」
「ええ、棟梁を名乗る方は様々な言語を習熟していて、領主様とも面会したことがあるらしいです。此度も棟梁さんを頼みに、領主様に御目通りを願おうという話でして」
「ゴブリンに面識のない領主、戦力としては期待しない方がいいかもしれませんね」
「はい……、残念ながら……」
西の鬼に、東の領主。この村からなら、西北と東北に位置しているのだろう。今回、オークの郷へ赴けば、この地に人間の村があることを知らせてしまう。確かにリスクはある。
しかし、どの道それぞれの勢力が広がれば、自然と接触する可能性は高まる。オークのように高い山で活動していれば、森に開けた場所があることはすぐ気付くはずだ。
ならば、先にオークが接触を図ってくれたことは、村にとって重畳と言えるかもしれない。鬼やゴブリンと今後の関係を築かねばならないとなった時、仲介役にオークを挟めるのは大きい。
「分かりました。まあ、なるようになるでしょう。予想できないことに対して万全を期すなんて、現実には難しいことですから」
「は、はい!」
アルメトラが笑顔を見せる。もう、気落ちした様子は見られない。自分の言葉によって不安を与えてしまったという予想に反し、前向きな言葉が聞けたことが嬉しかったのである。
「では、そろそろ食事にしましょうか」
「はい!」
話し合いをあらかた終え、アルメトラは疲れを感じていたが、内心では安堵の感情が広がっていた。領主を招くという使命を抱いて村を訪れはしたが、何の伝手もなく、着いて早々に失態を続けてしまったことで、気が気ではなかったのである。
肩の荷が下りたことで、昨日と違って固くならずに食事を楽しめる。
昨日に増して大酒を食らい始めるアルメトラ。
ジルナートは言葉と表情筋を失うが、放っておくことにした。出発は明日の朝。今日一日は村で過ごすのだ。村の見学ではしゃぎ過ぎ、旅の先導役が疲れていては支障をきたす。今はまだ昼なので、ちょうどいい。気持ちよく気を失って頂こう。
半日以上響いた寝息の音が消え、山の背から再び光が差す。村の正門前には幾人か集まり、そこには悪魔と若きオークの姿もあった。
「さあ、行きましょうか!」
元気はつらつである。その姿は、寝ぼけ眼を擦る者達には眩しすぎた。夜が更けても、乏しい明りで討論し、必要な準備を考え用意していたのだ。しかし、それでもジルナートは動じない。
「アルメトラさん、猪の件はよろしいのですね?」
「任せてください。仲間の協力を得れば猪の生け捕りなど容易き事です。……時間は一ヶ月ほどもらいたいですが……」
「構いません。出来るのであれば、問題ないんです。オークと友好が築けた上に、このような約束まで交わして頂けるとは、感謝の念に堪えません」
「え? あ、そうですよね! 私、頑張ります!」
この娘、強い。
約束の念押しをしたつもりだったのだが、意に介さないどころか、好意的に捉えてきた。普通、お願いされた方が感謝してくる事に疑問を持つべきじゃないだろうか。こういった手合いは嘘や驕りがない分、足元をすくおうとしても、気が付けば相手を見上げているのだ。
要するに、手強いのである。
「メヒヤー、良かったな。こいつが飼い主の元に帰りたいってよ」
「おう、相変わらず趣味の悪い面だ。二度と見たくなかったぜ」
剣を渡されたメヒヤーが慣れた手つきで剣帯を装着し、腰に剣を差す。
「なあ、あんたなんでついて来るんだ? まだ俺は外にいるべきだとか、青臭いガキみてえなこと考えてんのか?」
「やめろ、大人を辱めるな。俺には俺の考えがあんだ。見聞を広めるのも悪かねえだろ」
「嘘くせえな。けど、嘘じゃなさそうだな」
「疲れるからやめーや。ま、お互い見知らぬ土地へ行くんだ。精々ハイキングを楽しもうぜ」
「……嘘か?」
「やめんかい!」
男二人の会話は、明らかに緊張感を欠いていた。
だが、今の少女はそれが頼もしく感じられる。
「アンジェラ様、お体が震えているようですが……」
「い、いいいい。いや、そ、そそそそ、そんなこと、な、ななない、よ?」
少女の心は張り詰めていた。
「シャ、シャシャシャヴィさん、は?」
「……貴女様にこれをと」
「こ、これは、お弁、当? こ、これは、で、でででも」
「分かっておりますアンジェラ様。サリエンさんが見送りに来ないのは、それをサリエンさんが望んだからです。彼女はただ、帰りを待っていると、それだけを私に……」
「……う、うん。わ、分かった……」
ああ、おいたわしやアンジェラ様。
これこそが死を恐れる生物が持つべき、感情の機微なのでございます。今生の別れには決してするものか。そうした思いを形にした誓いであり、運命に対する強がりなのです。
「おい、ガキんちょ、出発すんぞ。生憎と俺は暑さが苦手なんでな。朝の内に距離を稼ぎたい」
「あ、あい!」
門が開かれ、小さな背中が魔獣の住処へと進んでゆく。
「悔しいのう、わしの足が健在であれば……。アンジェラ様、どうかご無事で! 神の御加護があらんことを!!」
村長の声が響く。
小さくなった少女の影が手を振って答えたのを確認し、村長は静かに腰を落とした。
「父さん、大丈夫ですか?」
「……すまんの。年寄りの体に夜更かしは、いささかこたえたらしいわい。どうやら此度の件、お前に任せて正解だったようじゃ。知らぬ間に子は育つものじゃな……」
「父さんの子ですから。さ、摑まってください。家に帰って休みましょう。村の長が地べたにうずくまっていては見栄えが悪いですから」
「ふ、確かにの。じゃが、肩は借りん。わしは一人で帰るから、お前は自分のすべき事をしなさい。なんてったって見栄えが悪いからの」
父親と息子。お互いの顔を見合わせ、口端を緩めた。
父さんは七年前に受けた魔獣の襲撃以来、すっかり弱ってしまった。昔は村で有数の体力自慢で通っていたが、今となっては見る影もない。足を怪我した影響もあるだろう。だが、それよりも精神的な負荷が大きいようだ。顔こそ健康的に日焼けしているが、皴が深く刻まれ、その髪は白く染められていた。
だけど、きっと今はまだ大丈夫。アンジェラちゃんが来て、生きる目標が出来たように見える。村が活性化すれば、またきっと元気になる。そう思いたい。
ジルナートは遠ざかる父の姿をしっかりと瞳に焼き付けると、村の正門に視線を映した。今後の方策を練らねばならない。アルカハクが来た時の対応を考える必要があるのだ。
村に来たオークと鉢合わせする最悪の展開に思案を巡らせる。予想では、村が害を被るような大事には至らない。勘が当たっていれば、話し合いで決着がつく。あまりに都合が良すぎるとは思うが、それは次に会えば分かる事だろう。
しばらく思案に耽っているといると、ふと視界の下部で動きがあることに気づいた。
いつのまにか、足元に何者かの陰が伸びている。
「貴方は不思議な方ですね」
背後から声があった。
「私には分かります。貴方はこの村で最も力があるにも拘らず、決してそれを誇ったり、見せようとしない。貴方はアンジェラ様と似ています」
「ファルプニさんですか。有難うございます。何だか照れますね。でも、買い被りですよ」
「しかし、誰よりも力を求めている」
悪魔の眼が青年を射抜く。
「…………僕は」
「いえ、分かっておりますとも。貴方は人間です。立派な人間ですよ」
その言葉を最後に残し、長身の悪魔は村の上空へ飛び立った。
微かに笑みを浮かべながら。
「僕は……」
朝焼けに照らされ、門の前には一人青年の影だけが背を伸ばしていた。
お疲れ様でし。




