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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第二十六話 山、呑まれし

 いらっしゃい。

 生きるということは何か。


 悠久の歴史の中で幾千夜討議された、限りある者を患わせる不滅の難題。そもそも答えはあるのか。答えを出すべきなのか。

 考えても致し方なし。矮小なる人間には、雲をつかむに似たる。考えず、ただただ食べて、明日に命を繋ごうか。これこそ最も単純な生きるということに違いなし。


 太陽が傾き、胃に物足りなさを感じ始めた頃、食卓の上に焼き菓子が並ぶ。生きる上で、必ずしも必要でない間食だ。


「お、おぉ、お、おやつぅふ!」


 少女はこれが好きであった。

 村に訪れ、サリエン邸に居候するようになって三か月。朝昼夕に食べる正規の食事以外に、週に一、二度はおやつが提供されていた。特別に豪華というわけではないのだが、相対的な頻度の少なさが希少価値を与えて、妙に有り難く感じられたのだ。

 おやつの内容は焼き菓子であることが比較的多かったが、パンであったり、干し肉であったり、酢漬けの卵であったりと、その時用意できるものが気分で選ばれていた。アンジェラはこれを一度で全ては食べず、自身の魔力領域にしまいこんでしまう。折を見て、ちびちびと食べるのだが、貧乏性なために魔力領域には卵と焼き菓子が半ダースずつストックされ、他の物も食べきらず、どんどんと増やしていた。

 もちろん、シャヴィ・サリエン氏はそのようなこと露とも知らない。たくさん食べる子だ、とそれ以上は深く考えず、満足そうにしていた。


「ごめんねファルプニさん、こんな簡単なもので。本当は歓迎の食事も作りたかったんだけどさ、そうすると、みんな欲しがって、結局全員分作らなきゃいけないのよ。今度、カレフさんと相談してみようかね」

「いえいえ、お気遣いなく。余所者である私には十分すぎるほどのもてなしです。なにより、人間の食事を頂くという貴重な体験が出来ているのですから」

「……」


 人間の出来た悪魔やでほんま。横ではしゃいでる私は何なんすかね?

 まあ、ともかく、おやつが来たのだ。美味しく頂かねば礼を失するというもの。暗い顔を調味料とするには、ちと年季が足りん。感謝感謝。おやつ感謝。さ、頂きますか。


 この日のおやつは、焼き菓子であった。

 固くなったパンを砕き、水と卵と少量の塩を混ぜ、バターを引いたフライパンで焼き上げた一品。木のプレートに添えられたレーズンをつまみながら食べる。ほんのりと塩の効いた素朴な味わいが感じられるクリモリ村の家庭料理。

 焼き菓子に合わせて葡萄の葉を煎じた茶も出され、熱したバターの香ばしい匂いと合わさって、鼻腔に豊かな刺激を与えてくれる。クリモリ村で採れる葡萄は香りが強く、その葉もまた同様である。また、葡萄の葉は茶以外にも塩漬けが作られ、その付き合いは村人が森に移る以前から続いている。故に、この香りは自然と安心を抱かせる。


「お、おぉ、おいぃひ、ひひひ、ひ!」

「ふふ、落ち着いて食べな。あんたはよく食べるからね。こっちも作り甲斐があるよ。それに比べて、お隣は本っ当に不愛想だね」

「……あー、美味い美味い。これでいいか?」

「まったく……。これでいつも残してたら、もっと怒れるんだけどねえ。それで、ファルプニさんはどうだい? 端が焦げて固くなっちまったと思うんだけど……」

「とても美味しいですよ。食感に変化があるのは好ましく感じられます」

「そりゃよかった! たまに焦げた部分が苦手な人とかいてさ、不安だったんだよ。ファルプニさんに太鼓判押されたんなら、誰にも文句は言わせないさね」


 少女はチーズ以外であれば、だいたい美味しいと感じていたので、焦げがどうとかは考えたことがなかった。痩せぎすな体に似合わぬ頑健な顎は、その咬合力によって固さなど物ともしなかった。

 余談ではあるが、少女は甘い物が好きなので、はちみつをかければ全ての食べ物は、より美味しくなると信じている。そのため、真剣な顔で酢漬けの卵を持ち、蜂蜜をかけるのが一番美味しい食べ方なのではと、サリエン氏に問いかけたことがある。それ以来、シャヴィ・サリエンは少女の味覚に疑念を抱いているのだが、それはまた別の話である。


 ……平和だ。

 一時間程前に起きていた喧噪が嘘のようだ。思えば、短い間に色々起こりすぎたのだ。皆の顔を見て、食べて、眠る。それでいいのだ。特別なことなどいらない。普通でいい。普通が良いのだ。


「あ、あのぉ、村長いますぅ……?」


 ドアが半分だけ開かれ、その隙間から女性の顔が覗いていた。


「おや、どうしたんだい? カレフさんなら来てないけど」

「あ、そうですか……。あのぉ、村長が来たら伝えてもらえたらぁ……?」

「別に構わないけど、何事なんだい?」

「えっとぉ……、また、誰か来たみたいでえ……」

「なんだって!?」


 室内の視線が一点に集中し、ドアに体を隠した女性は、顔も半分引っ込めた。

 我関せずで聞き流していたルヴナクヒエも目を見開き、首を九十度曲げて固まっていた。


「あ、あの野郎、また来やがったのか!?」

「ぁ、あ、こ、こんにちは、ルヴナクヒエ。こ、こんな所で会う、会うなんて奇遇ねぇ、うふふ……」

「いや、ここ俺の家だから……。それで、アルカハクが来たのか……?」

「えっと、そうじゃなくて、あのぉ、なんていうかぁ……」

「……」


 ルヴナクヒエは若干疲弊していた。

 少女は考える。各々には各々のペースというものがあるのだ。あの女性は決して悪くない。逆にルヴナクヒエ君の持つペースが早いために、無駄にイラついてしまうとも言えるのだ。

 誰も悪くない。心を静めるのですルヴナクヒエ。


 少女はマイペースな女性に対して、ちょっとシンパシーを感じていた。


「その、変、なんですけどぉ……、自分を、オーク、って言ってるんですぅ……」

「オーク!?」


 ……普通の日常、それがええんですけどねえ……。




 伝言はシャヴィさんに任せ、女性に案内してもらうと、門とは離れた位置にある柵の辺りに人間が集まっていた。何故か男ばかり。


「ですから、私にそのようなつもりはありません」

「いや、でも、へへへ、村に入るなら門から来ないとさ、ね?」

「私はただ、真っ直ぐ来たらここに着いただけで、門がどこにあるか知らなかったんです」


 なにやら言い合いになっているらしい。声から判断するに、オークと名乗る者は女性のようだ。


「おい、どうしたんだ?」

「おう、ルヴナクヒエか。なんかよ、妙なお嬢さんが入り込んでたんだ。どこから入ってきたって聞いたら柵の方を指差すからよ、どうしたもんかと思ってさ」

「……なんか対応が緩くねーか? あの野郎の時は、あんだけ大騒ぎしたってのによお」

「いやさ、お前も見てみろって、分かるから」


 促されるまま、ルヴナクヒエは男達の輪の中に入る。


「……オーク?」


 ルヴナクヒエは呆気にとられた。

 そこには、見目麗しき女性の姿があった。浅黒く、緑がかった肌の化け物の姿はどこにあるというのか。オークを示す特徴があるとすれば、少し尖った耳と口端から伸びた牙が見える程度だ。牙に沿ってめくれた唇は、湿り気を帯びてたまらなく淫靡であった。


「えっと、あんたオーク……なのかい?」

「何かおかしいのですか? 私はオークに見えないのですか?」

「いや、そうじゃなくてさ、まあ、いいけどよ……。ところで、だけどさ、そのお……、服は、どうしたんだい?」


 オークと名乗る女性は非常に軽装であった。必要最低限の布とベルトで構成された、人間社会において、あまりにもいかがわしい服装であった。軽犯罪である。

 もちろん村の中においても、これを看過することは許されず、男達は鋭き眼で一挙手一投足を監視する。見逃すまい。いや、見逃してたまるか。

 腰布の隙間に除く影は過去りし青春の蜃気楼か。


「服? ですか? この通り着ていますが?」

「いや、ええと、それじゃ森を移動する時に怪我したりしない?」

「私は鍛えていますから、そんなヘマはしません。それに、私はオークとして生きることに誇りを持っているので伝統を重んじます。この服はオークの伝統的な装束なのです。多分」

「ああ……、ならいいんだけどよ……」


 周りの男達は大いに納得したようで、伝統は大事だ、尊重するべきだな、と皆一様に視線を固定しながら頷いている。ルヴナクヒエは、腑に落ちない様子であったが、尋ねるに重要な事柄でもなかったので捨ておくことにした。


 ちょっと待て、おかしいぞ。


 男達の間に潜り込み、姿を確認したアンジェラは一人混乱していた。

 3000年前、館でオークを何度か見ていたが、あのような破廉恥な格好をした者はいなかった。あの顔つきは確かにオークだと思うのだが、現在に至るまでにオークの伝統はどうかしてしまったのだろうか。それに、肌の色が人間と変わらない。妙である。


 しかしながら、今なおオークが生き残っていたというのならば、それは喜ぶべき事だ。ファルプニからオークが死に絶えたと聞いた時は、心の片隅に飾ってあった思い出の欠片を失ったような、切なさに似た感情を覚えたものである。

 父様に付き従ってくれた者達よ。私は恩を返さねばならん。生き残ってくれたこと、礼儀を通せることを感謝するぞ。……同じ部族の方達かは知らんけど。


「あー、とりあえず、場所を移した方がいいか。飯でも食いながらの方が――」

「ざ、っけんじゃねぞ、クソガキ! てめえは帰って美人な母ちゃんと乳繰り合ってやがれ!!」

「ただでさえモテ野郎のくせに、こんな時まで出しゃばってんじゃねえぞジャリが!!」

「分をわきまえるのじゃな」

「おめーよぉ、そのなりで浮いた話聞かねえってんで、女達からはホモだと思われてんだぞ?」

「そうだ引っ込んでろよ色男。そこのネリーちゃんとしっぽり仲良ししてろよ!」

「えぇ!? わ、私がぁ? しょ、しょうがないにゃあ、行きましょうル、ル、ルヴナクヒエぇ」


 ルヴナクヒエの腰にネリーが手を回す。身長差のために指先は腰ではなく股間へと伸びてしまう。身長差のためである。


「やめろ!! 分かったよ、俺が話すのはやめる。ただ、話は聞かなくちゃならねえだろ? だったらジルに任せりゃいい。あいつは話し合いが得意だからな」

「ジル……、ああ、ジルナートの坊ちゃんか」

「そうだな、村長の息子さんなら問題ないだろ」

「まぁ、あいつなら……」


 村人たちの間で、ジルナートへの信頼は絶大である。


 あいつなら抜け駆けはすまい。


 村の中で彼に男の気概があると信じる者は皆無であった。

 妙に物分かりのいい男達に、ルヴナクヒエは戸惑いを覚えるが、話がこじれるのは好きじゃないので、詮索はしないことにした。ともかく、迷い込んだ美女が野獣のような男達に囲まれている状況は絵面として非常にまずい。村の沽券に関わるのだ。

 というか、何も話聞けてないんだから、重要なのはそこじゃないんだけどな。




「どうです? 食事は口に合いますか?」

「ええ、とても、口に、合い、ふ……まふ。あふ」


 気品のある顔立ちの女性は、慌ただしく食事を口に運びながら会話に応じている。これが話に聞くような醜悪なオークであれば、嫌悪感も抱こうが、こうも美しく無邪気であると、可愛らしく見えてしまうのは、人間の罪深き性質であろうか。


挿絵(By みてみん)


「僕はジルナート・カレフといいます。まずは、あなたの名前を聞かせてもらえますか?」

「はふ、私は、オークのアルメトラと申ひま、ふ」

「アル……メトラさんですか」

「はひ」

「それで、柵を超えて村の中に入ってこられたと聞いてますが、何故そんなことを?」

「ふ、……ん。ええと、柵と言いますと、木の板を壁のようにしていましたが、あれのことですか? 登って入りましたが、何か問題があったのでしょうか?」

「ああ、そうでしたか。文化の違いですね。私達は森から来る魔獣や獣を阻むために木で壁を作っているんですよ。そこから何者かが入るということは、村の危機を意味しておりまして、平時は門から入ることになっているんです」

「なるほど。あっ、そ、それでは、とんだ失礼を私は……、ごめんなさい。私達オークは強く、故郷も高い山の中にあるので、身を守るといった意識が薄いのです」


 周りで見守る男達は口々に、そういうことか、それは仕方がないな、と不自然に大きな声で女性の擁護に回る。その目は極端に瞬きが減ったため充血している。ちなみに、彼らは集中力が高まりすぎていたので、彼女を取り囲んでいた三十分の間に聞き出せたことは、無いに等しかった。


「いえ、お気になさらず。村の者との間で誤解があったことは分かりました。しかし、高い山と言いますと、北方の山脈でしょうか? 大変な長旅だったのではないですか?」

「問題ありません。この通り鍛えていますから、三日で辿り着くことが出来ました」


 アルメトラは自慢げに大きな胸を張って答えた。同時に、周囲の男達からどよめきが起こる。


 ジルナートは考える。

 意外と近い。オークの能力を詳しく知らないので、村からオークの住む土地までを推測することは難しいが、遠くないということは分かる。単身で辿り着いたとするならば、エルフよりも身体能力に優れているのだろう。それに、山道も慣れているはずだ。人間であればより時間がかかるし、それに伴って携行する食料や装備も増える。そうすると足取りはさらに重くなる。となれば、人間だと一ヶ月以上かかる距離という可能性もある。

 一度、場所を確認する必要があるかもしれない。もし、自分達に対してオークが害意を持てば、一方的に村が攻撃される状況になりかねない。

 幸いにも、目の前の女性は敵対意志がなく、情報も簡単に出してくれる。用件次第ではあるが、こちらとしても、友好的に済ませられるならば、それに越したことはない。本題に入れば、気を引き締めて情報も出にくくなるかとも考えたが、そちらも問題なさそうだ。そろそろ切り出してもいい頃合いか。

 アルカハクの存在が気にかかるが、彼の存在は、いざという時の持ち札が加わったのだと考えておけばいい。彼が戻ってくるまで幾らかの時間はあるはず。それまでにオークの戦力と能力を探り、秤に掛けることが出来れば、それが最良だろう。


「山からこの森を経て三日は大したものですよ。それで、遠路遥々どういった事情があって、この村に来たのですか?」

「は、そうでした。私には重要な使命があったのです」

「使命ですか?」

「はい! つい最近、この村では領主が誕生されましたね? 私は、領主様に力を貸して頂きたいと、この村を訪ねたのです。どうか、領主様に私達の村までご足労お願いしたく……!」


 ジルナートに対応を任せ、隣でやりとりを見守っていた村長の眉がピクリと動く。決してアンジェラの方に視線を向けないようにしながら、アルメトラに尋ねた。


「お嬢さん、領主、ですか? この地は何と呼ばれているか知っておりますかな?」

「はい知っております。呪われた地ですね。私が幼少の頃より、長老達がよく嘆いていたのを記憶しております。しかし、先日長老が魂に強い力を感じ取ったのです。この地に領主が現れたのだとおっしゃられました」


 誤魔化すことは難しそうだ。どうやら、オークの住む土地は思った以上に近いのかもしれない。領主の影響下に入る程度には。

 どうして忠誠を誓わずに領主の力を感じ取れたのか謎ではあるが。


「……何故、領主が必要なのじゃ?」

「世界の危機なのです。こう言っても信じては頂けないかもしれませんが……」

「大きく出ましたな。世界とは。どうやら他人事ではないらしいの。お嬢さん、どうぞ、お聞かせくださいな」

「はい……、では」


 真剣な顔で水を飲み、大きく息を吐き、パンを二齧りして十分に間を取ってから、レーズンを数個口に含んで水を飲み、アルメトラは言葉を吐き出した。


「竜が、竜が復活しそうなんで、ふ」

「竜……?」


 食堂の空気がクエスチョンマークで包まれる。




 え、竜!? え、え、竜? は? マジで、や、ややば、やーやっ、や!?


 少女だけは、割と焦っていた。

 いや、超焦っていた。

 お疲れさまでした。

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