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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第二十五話 生き弱う

 いらっしゃい。

「すまんかったのう、わしがいの一番に駆け付けねばならんところを、お前に任せることになってしまって……。村をまとめるはずのわしが、自分の目で丘の様子を見に行きたいなどと我儘を言ったせいじゃ。村が活気づいてきて浮かれていたのかもしれん」

「考えても仕方ないことを悩んでも、村の活気に水を差すだけですよ。それに、みんな元気になった父さんを見て嬉しそうにしています。村の長は誰かが犠牲になって務めるものじゃないんですから」


 アルカハクの帰宅後、各々分かれての反省会が開かれていた。


「申し訳ありません、アンジェラ様。あの男が来ていることを察知していながら、あのような無礼をむざむざと許してしまいました。村の守護を任されていたにも拘らず……、私、弁明の予知もございません」

「い、いいよぉ……。べ、別にぃ……」


 ファルプニは反省しきりの様子であった。

 アンジェラは、ファルプニが何かミスをしたとは思っていない。自分もアルカハクに対して敵意が感じられず、帰ろうとしたのだから。あんなやんちゃする奴とは全く以て思わなんだ。

 真面目が過ぎるなと思いつつ、同じ失態を犯した者として隣にいてくれるのは、なんとなく心強く感じられた。


「害意が感じられなかったので、私のような異形が姿を現しては人間同士の会話が却ってこじれてしまうのではと危惧したのですが、認識に甘さがありました」


 え? あっ、そういう感じか……。


「本当に守りたいのであれば、アンジェラ様のなされた通り、不測の事態に備え前に出て、皆の盾となるべきでした」

「い、いやさ、そ……、それはぁ、け、結果、論だ、だだだしぃ? せ、正解は、なないし、む、むしろ、さ、最善だと、お、思ったな、ら、ぜ、全部せ、正解?」

「何と……。寛容と含蓄に溢れたお言葉にございます。私は失態を恥じるばかりで、失態を受け入れることが出来ていなかったようです」

「…………ふ、ふへ、へへへ……」


 もう、なんか変な笑い声出たわ。

 ファルプニさんや、私はね、そこまで考えてなかっただけなんやで。


「さ、アンジェラ様、そのような格好を私との長話で衆目にいつまでも晒すのは忍びない。急ぎサリエンさんの家に戻り、お召し物を都合して頂きましょう」

「あ、そうだ、ふ、服……」


 気が重い。

 何かの事故という形であれば、ここまで思い悩みもしない。だが、これは完全に私のミスだ。父様は優しい方であられたから、叱られるという経験が積めていない。もしかしたら、私がもっと大きくなっていれば、叱られるということもあったのかもしれないが……。分からない。どうやって謝意を示せばいいのだろう。どんな顔をして会えばいいのだろう。


「ふぁう、プニ、こ、これ、な、直せ、ないか、な……?」

「修繕は可能でしょう。サリエンさんならば、そうした技術も持ち合わせていると思われます。しかし、完全に元通りとはいかないでしょう。修繕ではなく、復元を求められるならば、相応の魔法が必要となりますね」

「……ま、魔法、かぁ……。つ、作っとけば、よ、よかった、なぁ……」

「…………アンジェラ様」

「……う、うん?」


 ファルプニは真剣な顔つきで話しかける。


「もし、貴女がそう望むのであれば、私が叶えましょう。アンジェラ様は私にそれを求めますか?」

「え……、で、出来る、の?」

「ええ、今であればまだ」

「じゃ、じゃあ……」


 少女は目の前の悪魔に感謝した。

 だが、


「……い、いや……、や、やめと、く……」

「よろしいのですか? 時間が経つと難しくなります。もし、サリエンさんにとっても大事な衣服なのであれば、なおのこと直すべきではありませんか?」

「…………そ、そそうかも、しれないけ、ど……」


 何か、引っ掛かるものがあった。それが何かは分からない。


「よ、世の中は、万能じゃ、ない。ま、魔法も、き、きっと、そうだし、ば、ば、万能であるべきじゃ,ない。ふ、不完全で、しょ、正直な、なななのが、いい」


 村に来て感じたことは多かった。村の人間から見て、自分が優れた能力を持っているだろうことも理解出来てきた。だが、彼らが劣っていると感じたことはなかったし、自分が全知全能なわけもなかった。失敗ばかりで申し訳なくもあったが、この村は真正面から受け止めてくれる。都合のいい、高い能力で誤魔化すことは、彼らの思いや努力を蔑ろにしているような気がした。

 正直な生き方がいい。私が馬鹿なだけなのだろうけど。


「こ、これは、私のせ、責任。しょ、正直、に、謝る。き、嫌われた、たくは、ないけ、ど……」

「……不完全で正直であることが良い、ですか。確かに、私は完全でより良き道を得ることを求め過ぎていました。私自身が不完全であるにも拘わらず。私も人間の生き方から学ぶことは多いのかもしれませんね」

「う、うん、そ、そうそう」

「では、正直に話し、替えの服を頼みに行きましょうか」

「う、うん……」

「私もサリエンさんに何があったのか証人になるとしましょう」

「う、うん!」


アンジェラはとりあえず、地上に降りて翼と尻尾をしまうことにした。

ゆっくり歩いて行こう。目立つのは嫌いだし、人間と暮らすには日常生活で不便だ。私はこれでいい。今はこれで。




 人が去り、静かになった門の前で、男はじっと座り込み、考えていた。


「……なあ、これ返すよ」


 メヒヤーが剣を差し出す。


「良い勝負だったと思うぜ。あいつも剣では負けたって言ってたしよ。やっぱ俺にこいつは無理だ。住む世界が違う。やっぱ大した奴だよ、あんたは」


 ルヴナクヒエは剣を差し出すメヒヤーを見て呟く。


「嘘だな」

「……」

「嘘が下手な奴に褒められても嬉しくねえな」


 ルヴナクヒエは剣を受け取ると立ち上がり、歩き出す。


「……確かにな。あんたの完敗だ。あの野郎にとって、あの勝負は稽古だ。不意打ちを想定して、真正面に敵を据えての構えをよしとしなかった。その上、あんな視界を遮る兜を外さずに攻撃を受けきったんだ。殺気もねえし、本気でやってたら魔術を使わずに勝てたのかもな」

「分かってんじゃねえか」


 メヒヤーに背を向けたまま、ルヴナクヒエは歩みを止めない。


「……何処へ行くんだ?」

「家に戻んだよ。ちと無茶しちまったからな。ガキも戻るみたいだし、お袋に叱られる役が必要だろうからな」

「なあ……、あんた、どういうつもりなんだ?」


 歩くことを阻むように肩を掴み、メヒヤーが問い詰める。


「どういうつもりって……、別にどうもこうもねえよ」

「とぼけるな。お前、俺の歩き方で剣が使えるって言ったろ? 兵士か? 傭兵か? いや、真っ当な剣じゃないわな。分かるだろ? 俺がどういう生き方をしてきたか、その想像くらいはついてるはずだ」

「……だったら何だよ」

「俺は村を出たほうがいいのかと聞いているんだ」


 ルヴナクヒエが振り返る。


「そりゃ……困るんじゃねえか? 村もお前も」

「だったら縛り首にでもするか? いつでも覚悟はしてたし、人魚につかまるなんてヘマもしたんだ。今生きてるのは運が良かっただけだ」

「なあ、剣は持ちたくねえってのは本心なんだろ? だったらいいじゃねえか別に」

「お前は俺が何をして生きてきたか知らないだろ? 少なくとも平和な村にいていい人間じゃない」

「お前が何してきたかなんて知りたくねえよ。それに、だったらなんで今村にいんだよ」

「……居心地が良かった。ここは人を疑わなくても、剣を振らなくても良かったからな。だが、許しがあれば、俺は海で働こうと思っていた。人魚と約束もしたし、村の外にいられるからな」


 ルヴナクヒエは頭をクシャクシャと掻き乱し、メヒヤーに詰め寄る。


「ああ、もう面倒臭えな! こう言うのは、アルカハクの野郎みたいで嫌なんだが、俺は話し合いが得意じゃねえんだよ! そういうのはジルに相談しろ。俺は勝負に負けてご機嫌斜めなんだ」

「面倒臭いって……、お前! 俺は! 俺はお前に見透かされて覚悟したんだぞ!」

「うるせえ! 年上ならもっと堂々としてろ! それに、お前は嘘が下手なんだよ。秘密はまだあんだろ? そして、俺がどんな人物かも見当がついている。お前はそれを黙ってるが、俺は気にしないし、どうだっていい。分かったか? これで終いだ」

「な……」


 メヒヤーは言葉を失った。体を返し、再び歩みを進めた男に、投げかける言葉がすぐには出てこなかった。

 だが、どうしても答えが聞きたかった。


「お、おい、待ってくれ! 本当にいいいのか!?」

「何がだよ」

「俺のこと全てだよ!」

「……知らねえ。人間生きてたら嘘くらいつく。正直に生きれるのは強い奴だけだろ」


 本気なのか。

 俺を見逃すというのか。


「……もう少し。もう少しだけ、嘘を続けてみるよ。しばらくは弱く生きていたい」

「好きにしろよ。俺が心の底から強いと思った奴は今までたったの一人だけだ。それに、本当のこと聞くのが良いことだとは限らねえしよ」

「…………俺は人を沢山殺してきた。だが、夜盗や山賊してたってわけじゃねえ。それだけは言っておくよ」

「そうかい。別に強盗やってようが、村のみんなは今のあんたを見ると思うけどな」


 自分は罰せられたかったのだろうか。それとも逃げたかったのか。

 多分、両方なのだろう。

 それに気付いた。そして、生きたくもなった。


 メヒヤーはもう、歩き去る男の影を呼び止めようとはしなかった。




 食堂では、毎日昼と夕の二回、百人分近い量の食事を作る。そのため、早朝より女主人シャヴィ・サリエン氏の陣頭指揮の下、半日がかりのミッションがこなされる。手伝いに来る者も村有数の料理自慢ではあるのだが、日々培われる経験の差によって、こと料理に関してはシャヴィ・サリエン氏が絶大な権力を握っていた。

 この日も、村の騒ぎに気づけぬほどに忙しくしていたのだが、少女の帰宅によって異変を知ることになる。


 破れた服を隠すように布で少女の体を包み、長身の悪魔――村人の認識では天使――から事のあらましを聞いた。その間、女主人は目を瞑って真剣に聞き、少女は落ち着きなくもじもじとしていた。

 ファルプニの説明が大方終わった時、タイミングよくルヴナクヒエも戻ってきた。

 アンジェラとルヴナクヒエは即座に状況を察する。審判の場は整えられた。後は懲罰を待つだけであると。


「……ふ、服、ご、ごごめん、な、さぃひ……」

「ガキは巻き込まれただけだ。悪くねえよ」


 叱られ慣れていない少女と、叱られ慣れている息子。どちらも覚悟をしていたが、その様子は対極であった。

 女主人は少女の前に立ち、肩に手をかける。

 アンジェラは体を強張らせながら、勇気を出して顔を上げた。


「随分怖い思いをしたんだね」


 小さな体が、そっと抱きしめられた。


「え……、あ、あの、ふ、服が……」

「馬鹿だね。そんなこと気にしなくていいんだよ。あたしが直してやるさ。ちょっとつぎはぎになっちまうけど、許しとくれよ」


 その目には寂しさと慈しみが宿っていた。


「いいかい? その服はね、今までつぎはぎを作ることも出来なかった服さ。物ってのはさ、どんなに丁寧に使っても手直しが必要になるんだよ。あたしは、その服がつぎはぎを作れたってことが、なんだか嬉しく感じるよ」


 アンジェラは不思議だった。服が破れたのは自分のせいだし、シャヴィさんの顔には確かに寂しさが見えた。だが、自分を抱きしめ、つぎはぎを作ることを嬉しいとも言った。

 分からない。シャヴィさんがただ優しいだけ? いや違う……。

 そこまで考えたところで、抱きしめられた温もりに思いが至った。


 自分が、私が大切にされているのだ。


「さ、そこに服がしまってあるから、早く着替えてきな。あんたはすこぶる物持ちがいいからさ、タンスの肥やしになってたんだ。着替えたらまた来な。夕飯までは時間があるから、何かおやつでも用意するよ。ファルプニさんもどうだい?」

「お心遣い、有難く頂戴するとしましょう」


 シャヴィはアンジェラの肩をポンポンと叩き、背中を押す。


「ちょっと待てよ」


 ルヴナクヒエが呼び止めた。


「俺に、何か言うことはねえのか?」

「……そうだね。あんたにも言うことがあったね」


 シャヴィはルヴナクヒエの目をじっと見つめた。


「ありがとう」

「……え?」


 予想していない言葉であった。


「あの子を守ろうとしたんだろ? そのくらい分かるよ。あんたはあの人によく似てるからね……。でも、無茶はさ、やっぱりしないでほしいよ」


 叱られようと、そう考えていた。だから、用意していた言葉が吐き出せず、何を言えばいいのか分からなくなった。


 母には弱さが見える。あのガキにだって弱さがある。

 だから、自分が守らねばならない。そう思っていた。


 だが、自分も父と同じだ。

 胸を張って背伸びをして、意地を張った。

 決して強くはなかった。


「……善処、する」

「ふふ、何だいそりゃ? ま、前向きな言葉があんたの口から聞けて嬉しいよ。それで、あんたも食べるんだよね?」


 必死に捻り出した言葉は、悔しい思い出から掘り起こされた。

 まだ自分の命すら守れないが、意地は通したい。父のように。

 きっと、それが俺の弱さなんだろうけど。


 ルヴナクヒエは、案外自分の弱さが好きだったことを自覚し、料理する母の姿を眺めながら、バターを焦がす臭いに口角を上げた。


挿絵(By みてみん)

 お疲れさまでした。

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