第二十話 冒涜の果実
いらっしゃい。
今日の昼食は何だろうか。
一時間ほど前から椅子にもたれかかり、何をするでもなく、ただ待っていた。
ここはアマンドラ。天使に守られし人間の都。英雄の眠りし地。
そして、哀れなる王の砦。偏屈物の根城。
ここに来て一体何年経っただろうか。最初の数年は新鮮であったし、それからしばらくも、しがらみから解放された気楽さがあった。だが、今となっては何も感じない。必要もないのに食べ飽きた食事を、驚きもなく、ただ待っている日々。やる事がないので、そんな食事を日々の変化があるはずとして、仕方なく楽しみということにしていた。
正確な体内時計がちょうど一時間を刻んだところで、ドアをノックする音が響いた。
「ああ、入っていいよー」
「し、失礼致します……」
食事を運んできてくれたようだ。
「魔王様、お食事のご用意が出来ました」
「様はいいよー。君、新入り? アグちゃんはどうしたの?」
「え……、あの……。アグニエさんはご高齢でしたので、その、昨日の夜に、あのぉ……」
「あぁ……。そっか、もうそんな時期か」
「はい……。えっと、そんなわけで今日より、私、ミケーネが世話役を務めさせていただきます魔王様」
「はいよ。よろしくねミケーネちゃん。それから、魔王様って呼び方は堅苦しいからやめてよ」
「えっと、それでは何と呼べば……」
「別に何でもいいよ、好きに呼んでくれていいよー」
新しい世話役はそれなりに真面目なようで真剣に悩んでいる。世話役の交代は何十度もあった。喜ぶべきではないのだが、退屈な日々の中に生まれる変化は興味深い。役目は同じでも投げかける言葉に響く音は違う。
「えっと、では烏賊忍者様と……」
「やっぱ魔王様でいいわ。希望としては魔王さんで。あと、その名前はもう二度と口に出しちゃいけないよ」
「え、あ、はい。魔王さ……ん」
何でこうなっちゃったんだろうなあ。
悪魔を統べる王、烏賊忍者。彼は苦悩していた。
王の座に興味などなかった。ただ父が王であったがために、気が付けば座る椅子が王座しかなかった。そもそも父である禿無双も王になることを拒んでいた。嫌だからこそ、王足り得ぬ名を考え、名乗ったのだ。だが、禿は良かったが無双は駄目だった。強そうな字面は通ってしまうのだ。
だからこそ、同じ轍は踏むまいと奇怪なものを選んだ。もちろん私は烏賊でもなければ忍んでもいない。信念無きクリティカルな名だ。そのはずだった。
グラウフォルトの野郎、青筋を立てながら戴冠式を敢行しやがった。
有力な悪魔の領主が大勢死んで、高齢で弱っていた父も心労であっさりと逝ってしまったのだ。必要だったんだろうね王が。しかしですね、それならお前がやれって話ですよ。あっ、人望がないから無理か! そうだよねーごめんねー、グラウフォルト。子供だった俺を無理やり傀儡にしようとする様な奴に人望なんてあるわけないか―!
…………はぁ、今思えば、あっちで魔王やってても大差なかったかもしれないなあ。
3000年前、天使との戦いで戦力の多くを失った悪魔ではあったが、人間の反抗を許すほど弱りはしなかった。天使は何故か戦争の途中で姿を消し、結局、悪魔の領地では悪魔が人間の領地では人間が優勢で、勢力図が大きく動くことはなかった。
領主のいる土地では精霊の加護を得られるため、極めて防衛側が有利で膠着状態に陥りやすいのだが、理由は他にもあった。
そもそも優勢であった悪魔側は連合という形を取りはしていたが、独立志向な者が多かった。そのため、兵の出し惜しみが横行しており、予想よりも余力があったのだ。それに加え、悪魔連合の調整役として宰相の地位についていたグラウフォルトの存在が大きい。彼が血を吐くような努力で兵を搔き集め、縦横無尽に動かしたのだ。散々に恨みも買ったが、彼のおかげで悪魔陣営は、領主不在の土地をいくつか失った程度で済んだ。
もし、戦争に賞があったのなら、彼は名誉を総なめにしていたであろう。だが、そんな彼の努力が報われることはない。
残された魔王の息子を王に据えるため、根回しに奔走し、下げたくもない頭を何度も下げた。しかし、自覚のない王は万事においてやる気がなく、恥もかかされる。それでも、戦争を機にまとまった人間の国を前にして、悪魔連合を崩すわけにはいかない。内務外務問わず、戦争指揮にまで奔走した結果、2000年という奇跡的な期間の防衛に成功した。
そんなグラウフォルト根性物語も人間の国アマンドラに英雄メイエンヴィークが誕生したことで瓦解する。
英雄メイエンヴィークは天才であった。成人する頃には既に魔法を会得し、教会の歴史上、最年少での聖人認定を受けた。過去の超越者のように武器や体術に頼らず、純粋な魔力量と強大無比な魔法で悪魔を討払った。
彼が現れたことで人間側に、だれてなあなあ状態に陥った戦争を決着すべしという世論が醸成されてしまった。
それからはグラウフォルトにとって地獄であった。
ただでさえメイエンヴィークに敵う者がいないのに、端々の兵まで士気が高いのだ。時には自ら陣頭指揮を執り、白兵戦までこなし、時には言葉の通じないリザードマンの文化を勉強して、傭兵のスカウト活動もした。
眠る暇すらない日々。実際に最初の三年間は横になる事すらなかった。
それでもだ。グラウフォルトはやりきった。
百年間の防衛に成功し、人間側に厭戦感情を芽生えさせることに成功した。グラウフォルトはその気を見逃さず、悪魔の得意とする森ではなく平野に陣を構え、人間達を誘った。近衛の精鋭兵を前に出し、圧力をいつもより強め、自分の周りには一週間契約で雇った大量の旗持ちゴブリンを置き、渾身の偽兵を見せつけた。
これによって、人間側からの休戦を引き出すことに成功した。もはや意義を失い泥沼化した戦争に、講和へと向けた道筋を作り出したのである。
余裕など欠片もない。だが、そんなものはおくびにも出さん。出してはいけない。我ら悪魔の方が優勢という体でなければいかんのだ。でなければ、相手側から休戦を引き出した意味がない。足元を見られてはいかんのだ。でないとこっちが終わっちゃう。
休戦を取りつけると講和へ向けての協議は順調に進んだ。自身が薄氷の上に立つことを知るグラウフォルトは、優勢であることをアピールする威圧を最小限にとどめ、寝不足によるクマで磨きがかかった目つきの悪さを活かし、人間達を黙らせた。全てを見透かしているような細い目は、後方で指揮を執っていた、肥えた人間の威勢を挫いた。
幸いにも英雄メイエンヴィークは戦争の継続を望んでおらず、講和に賛成のようだった。もしかしたら、彼は戦時中も手を抜いていたのかもしれない。
ようやく終わる戦争。久しく忘れていた平穏の二文字。万事が上手く回る。
そう思っていた。
アマンドラ国内で行われる講和条約の調印を一ヶ月後に控え、事件は起こった。
魔王烏賊忍者、アマンドラにて講和条約に調印。加えて、アマンドラに移住。
意味が分からなかった。
何故、一ヶ月後に予定されていた講和条約の調印が済んでいるのか。何故魔王様は何処にも見当たらないのか。
積み上げてきたものが瓦解した瞬間であった。考えるまでもなく、権限は宰相よりも、最高責任者である魔王の方が重い。無断で抜け出した魔王は、それまで悪魔側に有利であった条約の調印を適当に済ましてしまった。当然、魔王はアマンドラで猛烈な歓待を受け、歓迎式典まで開かれた。
無理やり王座に縛り付けていた報いなのであろうか。
グラウフォルトは考えていた。
どうやって支払われるはずだった賠償金を賄えばいいのだろうかと……。
テーブルに昼食が並べられる。ミケーネの手つきはたどたどしい。
あぁ、人間にちやほやされていた頃が懐かしい。そんな生活を望んでいたわけではないが、最近では魔王に対する関心が薄れ、無視されているのだ。いや、興味がないと言った方がいいか。
200年くらい前はどうだったかな。そうだ、罵倒されていたんだ。無能なただ飯喰らいであると。
ふっ、まったくおかしな話だ。私は無能ではないし、仕事を任されたこともない。食事は勝手に運ばれてくるのだから仕方あるまい。好意を拒むことが失礼に当たるくらいは知っているのだ。
200年前……か。メイエンヴィークが死んだ頃だな。
人間には寿命がある。彼は人間の理を超え、歴史上で最も長く生きたという。だが、いかんせん生まれ持った体が病弱であった。いつしか話してくれたことがあったけな。戦争中も心臓に負担をかけぬようにしていたと。
友人だったのだがな。この国に来る時も手伝ってくれたし、何故か引け目を感じていたようで、死ぬ間際まで話し相手を務めてくれた。別に魔王とかそんなこと気にしなくてもよかったんだけどね。
はあ、失って初めて気付くってことかね。今思えば贅沢な暮らしだった。友人もいたし、食事にデザートもついていた。今では不慣れな使用人に味の薄い食事。
何かすればよかったんですかねえ。まあ、何もやる気はないけど。
どうせ一日寝て過ごしてるんだったら、あっちの城の方が気楽だったかもなー。外に出ても視線を気にしなくていいし、戦争が終わったんだから忙しくもなさそうだしなあ。
こんなことだったら呼び出しの召喚に応じればよかったかな? どうせグラウフォルトからだと思って無視しちゃったけど、話くらいは聞いておいた方がよかったかな。
「あのお、お食事、お気に召さなかったでしょうか? 先程から手を付けていないようですが」
昔を思い出し、物思いにふけっているとミケーネが話しかけてきた。
そうだったな。食事だな。食指の動かない、意味のない食事。
「いや、なんというか、食欲がなくてね……。良かったら君が食べるかい?」
「い、いえとんでもない! 魔王様の食事に手を付けるなど! それに美味しくないし!」
やはり、新人ということもあって距離を感じる。最後聞かないほうが良かったことを聞いた気もするし。
「……いやいや、本っ当に気を使わなくていいからさ、食べてみ? もう全部食べていいからさ」
「ひ……、い、嫌です!」
ミケーネは首がちぎれんばかりにぶんぶんと振り、口に入れることを拒否している。
「新人いじめですか? 魔王さんの趣味の悪さには辟易としますね」
ミケーネが開きっ放しにしていたドアから、人間の女性がずかずかと入り込み、さも当然のように部屋の椅子に腰かけた。
「おや、ゼルネットちゃん」
ゼルネット・サヌトゥハ。現在ただ一人の友人。死期を悟ったメイエンヴィークが、残される自分を不憫に思い、弟子を鍛えて残してくれた。歳はまだ三百くらいだったかな?
「君も食べてみるかい?」
「嫌ですよ。そんなもの、身分の高い悪魔しか食べれません」
王国内で自分の扱いは一体どうなっているのだろうか? 日々の食事を繰り返すうち、いつのまにか自分の味覚はタフになっていたらしい。
「お、お食事が終わる頃には戻りますので!」
ミケーネは擦り抜けるように廊下へと駆けると、一礼して去っていった。
ドアはちゃんと閉めなさい。
「さ、あの子が戻ってきた時に残っていると困ってしまうでしょうから、さっさと片づけてください」
「……他人事だと思って。まあ、魔王様にとっちゃ普段の食事だしいいけどさ。でも、なんで君達にとっても優しくない物を僕に寄こすんだろうね?」
「そうですね、部屋に閉じ籠ってる魔王様は知らないでしょうが、今この国はごたごたしていて食料も不足しているのです」
……食糧が不足しているからといって、口にするのもためらわれる特別な調理法は必要ないだろうな。そう思いつつ、ゼルネットに話を合わせた。
「ごたごたっていうと、教皇が臥せってるっていう話が関係あるの?」
「おや、よくご存じですね。大雑把に言うとそうです」
「…………」
この娘はメイエンヴィークと違って話を弾ませようという思いやりがない。何事にもやる気がなさそうなのは自分と似ているが、皮肉屋で自分よりも偏屈が過ぎる。
「次期教皇が決まらないっていうのならさ、君がなれば話が早いんじゃないかい? 魔法も扱えるし、なんてったって英雄の弟子なんだからさ。みんな納得するし、国のためになるでしょ」
「いえいえ、私には魔王様の御傍付きという高尚な使命がありますから、光栄ではありますがお断りするしかありませんねえ」
「僕は個人の意思を尊重するよ?」
「私は故人の遺志を尊重しますね。メイエンヴィーク様の言いつけですから、ここにいますよ。私の弟子が帰ってくれば丸く収まるのですがねえ」
もしや、自分が面倒な役職に縛られるのを嫌って、その為の弟子を育てていたのだろうか? 目の前の人間は自分よりも実に老獪である。寿命の短さは細かな知恵を大いに育てる。
「心優しい友に好かれて嬉しく思うよ。一緒に食事でも出来れば最高だね」
「真の料理人というものは、食べる方に合わせた特別な調理をすると聞きます。魔王様への思いを込めた贈り物に手を付けるなど、私にはとてもとても……」
料理人はどういう思いを抱いてくださってるのかな?
ともあれ、ゼルネットが傍にいてくれるのは非常に助かっている。彼女がいなければ本格的な人間不信に陥っていただろう。やはり、気兼ねなく話せる相手は精神衛生上必要である。
ふと、召喚の呼び出しが頭によぎった。
「……そうだな、古い……、古い知り合いに会ってみるのもいいかもしれないな」
ゼルネットが目を丸くする。
「魔王様に知り合いなどいたのですか? にわかには信じがたいですね」
「……知り合いぐらいならいるよ。だから友達って言わなかったろ? 心に来る茶々は怒っちゃうかもしれないからね?」
「私は魔王様の寛容な精神には一目置いております」
……面白くない。言葉の応酬で彼女に勝ったことがない。
だからこそ、この図式を崩してみたい。古き知り合いは最上級の偏屈者である。
毒には猛毒をけしかけてやるのだ。
日々毒見をしているような毎日なのだ。今更毒など恐れぬ。
もう面白くなればそれでいいよ。
……しかし、重大な問題が一つあることを忘れていた。
あいつの名前、何て言ったっけな……?
お疲れさまでした。
週末にまた会いましょう。




