第十九話 天使の如く
いらっしゃい。
悪魔は驚嘆した。
なんという可憐さだ…………!
悪魔は小さき者が好きであった。
故に、目の前に存在する幼き少女に対し、心の内は既に平伏せんとしていた。
「え、えっと……、ファ、ファルプニさん? でしたか?」
「ええ、その通りです。私の名はファルプニ。敵対意思はありません」
少女は動揺していた。
今まさに帰ろうと、そういう心づもりに切り替えて行動しようとしていたのだ。急なアドリブ要素は、少女らしいノミの心臓を跳ね上がらせた。
「……あ! え、えぇと、わ。私も悪魔でして、な、名前はないです」
「ほう……! やはり……。なるほど、貴女は並々ならぬ方のようだ」
困惑する少女。
名前を尋ねられていたのを思い出し、名前がないことを正直に答えたのだが、何を得心しているのかさっぱり分からない。そもそも、父様の知り合いを呼び出した筈なのだから、近しい者ならば私が誰か見当がつきそうなものだが……。
高揚する悪魔。
ファルプニは、瞳に映った者の能力を、大方見通す眼を持っていた。そのため、一目見た時から少女が自分に比肩するか、それ以上に強大な魔力を有することを見抜いていた。
そして、彼女は名前がないという。それは極めて古き者が持っていた習わしに合致する。みなしごが名を持たぬことも、ままあることではある。だが、強大な魔力を有し、召喚魔法を扱って私を呼び出したというのならば、疑う余地はない。
目の前の少女は、その幼き姿を残しているにも拘わらず、その存在の強さは間違いなく古き者が持っているそれなのだ。
「私を呼び出されたということは、助力の必要なことがあるということでしょうか。ご期待に沿えるか分かりませんが、貴女様のために力を振るうこと、これやぶさかではありません」
「さ、様? ……あぁ、えぇと、有難うございます。あ! あと、さっきは名前がないって言ったけど、今はアンジェラという名前で呼ばれてまして……。家の名前はネームレスで、アンジェラ・ネームレス」
「アンジェラ……!? ……様、ですか?」
「そうです。アンジェラです」
本当に驚かせてくれる。
まさか、悪魔の身でありながら天使の名を騙るとは。そして、記憶が正しければ『ネームレス』という名は、広大な森林を所領する大悪魔が名乗っていたものだ。
なるほど、この部屋に揃う魔導装置の数にも納得がいく。ここはまさしく、大悪魔ネームレスの居城という訳だ。となれば、目の前で至高の可憐さを振りまく小さき宝石は――
「なるほど、貴女がどのような存在であられるのか、見当がつきました」
「え? あ、そう……なの? えぇと、あ、よろしくお願いします」
「ハッ、このファルプニ、全身全霊をもって貴女様にお仕え致します」
「……ど、どうも……どうも……」
はあ、苦しい。
誰かと話すというのは、やはり苦手だ。村では流れの中に身を任せていて、考えながら喋るという感じではなかったからな。こうして、自分から呼び出して面と向かい必要なことを話さねばならない、この状況。頭の中で絶対に必要のない歯車が空回りしているのが分かる。相手の言葉が記憶回路を素通りして、今何を話してたかが分かんないよ。
ともかく、あー……ファルプニ? さんは、こちらの不躾なお願いにも快く応じてくれたようで、その点は非常に助かった。私が誰か分かるということなので、恐らく父様の御友人であったのだろうな。
父様とはどういった関係であったか知りたいところではある。が、そもそも父様がどんな悪魔で何をしてたか知らないんだよな。実の子供とはいえ、詮索し、足を踏み入れるというのは気が引ける。思い出の琥珀は眺めるものであって、子供がべたべたと触るべきものではない。なんにせよ、初対面の相手に対し、懐を探るような真似をするつもりはない。今は前を向いているのだ。いずれ来るべき時が来るであろう。
しかし、それにしても、だ。
私は可能性として、悪魔は既に滅んでいた、とも考えていたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。いや実質滅んでいて、私と目の前の悪魔2体のみしか残っていないという可能性もなくはない。けれど、それはあまりにも悲観的過ぎるものの見方だ。
しかし、3000年前の戦争は父様も母様も命を落とすような、熾烈な戦いだったのだ。そして、今では、人間が悪魔とではなく、人間同士で争っているという話だ。悪魔の大半が既に死に絶えていても何らおかしくない。事実、父様の知り合いで召喚に応じたのはファルプニさんだけだしな。
「あのぉ……」
「ハッ、いかが致しましたか? 悪魔ファルプニ、貴女様が望むのであれば、火の中の栗であろうと頃合い良く、素手で持ってまいります」
悪魔とは大仰な言い回しを好むのであろうな。父様も母様の話をする時は、内容の程度がいつも大げさであったのを記憶している。
「3000年前……の話を聞いてもいいでしょうか?」
「3000年前と言いますと……、あの戦争の話ですか?」
「そうです。当時、私は幼く、その行く末を自分の目で確かめていないので、何が起きたのか知らないのです」
「あの戦争は世界情勢の転換期とも言える出来事でしたからね。しかし、それを聞くということは……」
あなたの周りには誰もいなくなった。
喉元まで出かかった言葉を飲み下す。
目の前の少女もまた、世界に置き去りにされた存在というわけか。
先程飲み込んだ言葉を投げかければ、彼女は傷ついただろうか?
悪魔の持つサディズムが脳裏にゾクリとした感覚を与える。
「……失礼致しました。他者と話すのは久方ぶりですので、少々思慮に欠けておりました。では、3000年前、この地で起きた戦争の話をしましょう。」
「は、はい」
畏まり、姿勢を正す少女。
はぁ、可愛いらしい。
一生消えない傷をつけたい。
「とはいえ、私もその頃には既に俗世から離れ、一人隠遁しておりましたので伝聞でしかその内実を知りませんが、それでもよろしいでしょうか?」
「え? あ、はい。よろしくお願いします」
「分かりました。微力ながらアンジェラ様のために協力させて頂きたく……」
「…………」
なるほど、他者と話すのは久しぶりで、一人で過ごしてきたと。そんな悪魔が初対面の私に対し、妙に協力的である。怪しい。社会との関わりを絶った相手に不審悪魔の印象を抱くのは偏見であろうか。
そこまで考えたところで、自分が鏡を殴っていることに気づき、詮索することをやめた。漂うシンパシーには侘しさと寂しさがブレンドされていた。
「3000年前、悪魔は有力な領主が数多く現れ、勢力を拡大しておりました。中には好戦的な悪魔もおりまして、とうとう人間といざこざを起こしてしまったわけです。人間もまた、英雄と呼ばれる超越者が数人出現していたため、悪魔に屈さず、事が大きくなってしまいました」
「英雄……! 戦争が起こった経緯くらいは聞いていたけれど、やはり人間は強い……!」
「ええ、火の粉を飛ばした悪魔では彼の者たちに敵いません。そのため、他の有力悪魔を頼り、悪魔の連合が作られることになったのです。そうすると勢力図は悪魔連合に大きく傾きます。しかし、相手の領地では英雄だけでなく、精霊の加護を得た魔術師達が守りを固めていたため、攻めあぐねてしまいます」
「その膠着状態が何故、大戦争に?」
「……私も眉唾に感じてはいるのですが、どうも竜が呼び起こされ、争いに加わったと聞いております」
「竜が!?」
竜。世界の理に深く根差すとされる不滅の存在。
3000年生きた私にとっても、実在するのかすら疑わしいおとぎ話のような存在だ。だが、竜はその性質に闘争を好むとされている。登場するタイミングとしては道理が通る。戦争の拡大は思わぬ災厄を招いたといったところか。
それにしても、決して死ぬことがない体を持つ竜が現れたとなれば、悪魔も人間もただでは済むまい。一体どのような顛末となるのだ?
もしかすると、父様と母様はそのせいで……。
「そして、竜だけでなく、天使も現れ、人間達に加勢したそうです」
「天使!?」
天使もまた謎が多い存在だ。まず、どこに住むのかが分かっていない。世界の危機に突如として現れ、人間を救うとされているが、人間の創作話くらいしか情報が残されていないので、鵜呑みにするには剣呑な話である。
故に、天使はよく分からんのだ。
「天使が現れたのは竜を討つためではないかと、そう推察する者もいたようです。事実、天使との戦いで竜は命を落としたといいます。話によりますと、ネームレス様の居城の北東にある山脈にて戦いが行われ、竜だけでなく、その付近の領主であった有力な悪魔達も悉く命を落としたようです。ただ、竜は不死であると聞き及んでおりますから、どこまでが本当の話かは疑わしいものです」
「そうか……。多分、有力な悪魔が悉く死んだというのは正解だと思う……。やはり、父様と母様は天使と竜の争いに巻き込まれたのであろうか……」
少女はその姿に似合わぬ悲壮な表情をしていた。小さき体には、3000年という時の重みがしかと刻まれていた。動揺を見せず、ただ俯いて肩を落とす少女には、痛々しいほどの物悲しさが漂っていた。
その様子を眺めて、ファルプニは左肘に当てていた右手を顎に運び、考えるように話し始める。
「私はこれが事実だとは考えていません。膠着状態を崩す要因があったのは確かでしょうが、それが竜だったとは思えません。竜が暴れていたとして、天使が来ているのなら、彼らに任せてしまえばいいのです。まさか協力したという訳でもないでしょうし、わざわざ有力な悪魔がこぞって巻き込まれに出向くとは考えにくい。最初に悪魔の領地にて竜が現れたために被害が出た、という考えも出来ますが、不死と知る相手に突っかかる者はおりません。人間との主戦場からも距離が離れすぎています」
「? どういうことだ……ですか? 闘争を好む竜がたまたま悪魔の領地に眠っていて、領民を逃がすために、暴れた竜を有力な悪魔が集まって止めに行ったと、そう考えることも出来ると思いますが……」
「ええ、その考えも道理が通ると承知しております。これは私の想像なのです。被害の程度、これがあまりにも悪魔に寄っているものですから、少しばかり邪推してしまうのです」
「では、ファルプニさんは、どのように考えておられるのですか?」
「私は、竜は創作によって脚色されたもであり、実際には戦争に加わっていないと考えています。竜に立ち向かう英雄というのは人間の好むところですから、そういった噂話が悪魔の耳にまで届き、形を変えながら、とうとう私の元まで運ばれてきたのでしょう。それよりも、肝となるのは天使ではないかと……。彼らは人間が滅んでは困るのです。地上で大きくなりすぎた悪魔の勢力を調整すべく、有力な悪魔に狙いを定めて戦火を切ったのではないでしょうか」
「はあ……」
いまいちピンとこない。
そもそも天使に関する知識が不足しているので何とも言えない。
「なんにせよ、戦争は天使が加わったことで大きく動いたというのが、其の実でしょう。有力な悪魔が数多く討ち取られ、悪魔の陣に加わっていた戦闘部族のオークも死に絶えたと聞いております」
「…………オークか……」
かつてネームレス邸にもオークはよく訪れていた。悪魔は種族としてのまとまりや特別な意識がなく、毛に覆われた者や鱗の生えた者も等しく悪魔である。父様はその中でも特に寛容な目線をもっており、オークやゴブリンといった亜人でも礼節を知る者は受け入れた。
オークは中でも父様に恩があるらしく、忠義の限りを尽くしていた。戦争の際も父様に付き従い戦地に向かった。清廉な心を持った美しき種族であったのを記憶している。
「私の知る限りでは、こういった流れになっております。お役に立てたでしょうか?」
「あ、ああ、助かった……、あ、いや、助かりました」
「私は貴女様のお役に立つこと、これに喜びを感じております。ですから、年上だからといってお気遣い頂く必要はありません」
「え、あ、どうも……えーと、ありがとう」
「お褒め頂き光栄の極みでございます……」
恭しく頭を下げる悪魔。
それを見て、アンジェラは、様になってるなあと素直に思った。真っ黒な服を着ておりなす、慇懃な口上と所作は、なんというか、理想的な格好いい悪魔像そのものなのだ。大人びてると言いますか、こう、私もかくありたいと思わせる威厳と説得力が伴っているのだ。
最近はとある種族に出会い、頭に描くイメージを破壊されたこともあった。だが、目の前の悪魔は、悪魔と言えばこうだよねという安心感を与えてくれる。
「……お聞きしたいことがあります」
「え、な、何?」
「私は本来呼ばれるべき相手ではないはずです。おそらく、私の親がネームレス様と親交があったのでしょう。ですが、既に故人であったため、極めて近い性質を持った私に召喚魔法が反応したのだと考えられます」
「え、そ、そうなの?」
まっずい、召喚を片っ端から試したから、親御さんの名前が分からん。そっち方面で話が膨らんでしまうと、誰でもいいから適当に呼んだという事実が露見してしまう。
計画性のない己の軽挙妄動が、急速に脳内でフラッシュバックする。何が後の事は後の自分が耐えてくれるじゃ!
私は私だったよバカタレ!
苦み走った笑みを顔に張り付かせ、アンジェラは次に来るファルプニの問いに覚悟し、構えた。
「召喚を行ったのは、ただ戦争について知りたかったという訳ではないのでしょう? 他に助力出来ることがあるのならば、私は力の限りを尽くすと約束いたしましょう。しかし、それは本来召喚されることのなかった私に務まる事でしょうか? 耳に快き話でなくとも私は気にしません。どうぞ、遠慮なくお申し付けください」
は、話が早い……!
もしかして、すっごく性格のいい悪魔なのか? むしろ天使じゃね?
アンジェラは腹を括った。
悪魔を呼び出したのは、人間の村を守ってもらうためだ。だが、かつて争っていた人間と手を結ぶようなことを受け入れてくれるかは不安があった。しかし、目の前の悪魔には話してみる価値があるように思えた。
恩のある相手だ。魔導装置で強制的に送り返すようなことには、きっとならない。したくない。信じたい。
「悪魔は戦争に負けた。連合も瓦解し、もはや魔王様に従う古き世界ではない」
「……ええ、そうですね。確かに悪魔の負けです。魔王様も今となっては……」
「…………」
改めて聞くと、突き付けられる世界の厳しさを思い知らされる。魔王様との面識はないが、一度、ご子息が館を訪れたのを覚えている。そうか、魔王様は……。
少女はその目にさらなる決意を宿し、話を続けた。
「魔王様は死んだ。私は新しい時代を生きたい。……実はですね、ファルプニさん、私は今、人間と共に暮らしているのです」
「……!? なんと……!」
「この館のすぐ外には人間の村があるのです。人間達は私を快く受け入れてくれました。私はこの地の領主として彼らを守りたい。しかし、私の目だけでは村の端々まで届かない。私の手だけでは全てを救えない。そこでファルプニさんに頼みたいのです。村の守護を」
「なんと…………!!」
ファルプニは驚愕の表情を浮かべている。
やはり、私が異端なのであろうか。
汗をかいた手の平に、静かに魔力を込める。
「なんと素晴らしい!!」
「え?」
「私、感服いたしました。アンジェラ様の申し出、謹んでお受けいたします……!」
分からん。全く以て分からん。あまりにも都合がよすぎるのだ。不安が杞憂となってくれるのは有難いのだが、あまりにも多すぎる予想とのずれは、自分の数少ない頼みである頭脳に疑念を抱いてしまう。
ファルプニさん、一体あんたは私の何なんだい?
ファルプニは感激していた。
かつて、人間を支配せんと蛮行を為した愚か者がいた。力を持てば増長してしまうのが生物の宿命、限界だというのか。悪魔として、同族として迎え入れたはずの愚か者は、ただ暴力を誇り、好き勝手に振るう。信念なく、悪魔たる矜持を理解せぬ姿には、ただただ辟易とさせられていた。
だが、眼前に立つ少女を見るがいい。強大な力を宿していながら驕りが欠片も見えない。支配など眼中になく、人間を導かんとしているのだ。
悪魔の為すべきは恐れぬことと与えること。美しい。アンジェラ様は可憐で美しいのだ。
悪魔は自身の使命を見つけ、満足そうに笑みを浮かべる。
あぁ、この姿を見て、あの魔王はどう感じるだろうか……。
「……ってなわけでよ、ほんっと王様が気の毒だぜ。誰か味方になろうってやつはいねえのかよ」
「……おいたわしや。わしらのご先祖様は逃げ出したとはいえ、国への感謝は忘れておらんかった。影ながら、助力できることはないのかのう……」
「逃げたからこそ今があるんだぜ。生きてさえいりゃ、そのうち何かしら返せるもんも見つかるんじゃねえかな」
「だとよいがのう……。そうじゃ、あの方はどうなんじゃ?」
「あの方? ああ、期待できねえよ――」
相も変わらず、あの魔王様はよ。
お疲れさまでした。
投稿が不定期で申し訳なす。