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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第十八話 見下ろす者

 八月の台風からずっと体調不良やったで。気圧の変化に弱いんや。

 ちなみに、昨日も軽い食あたりやったよ。

 最後までは書くつもりやから安心してな。

 ただ、ちょっと待ってくだされ。

 祭りの後に白む空。

 村に満ち満ちた喧騒を夜風が払い、村は再び日常へと移る。


「み、水をくれ……。吐きそうだ……」

「あぁ……今日は無理だ。無理なんです……。うぷ、気持ち割い、勘弁してくれぇ……」

「お、おめえら、情けねえな、し、仕事に……、ゔぉぇっ! ぅお゛ろ゛ろ゛ろろろろろ!」


 祭りの後には毎度見られる日常的な光景である。


「何やってんだいあんた!! ここは飯を入れるとこで出すことじゃないんだよ! ぶち殺すよ!」

「おふっ……、はぁ、はぁ……。す、すまねえ。背徳的な開放欲求が俺にすっきりしろと囁いてきてよ……。だが、もう大丈夫だ。俺のことは気にしないでくれ」

「あんたがどうだとか知ったこっちゃないんだよ!! さっさと後片付けしな!!」


 祭りの日は、普段飲むエールよりも度数の高い蒸留酒が振舞われるため、日が明けるとお調子者は深刻な機能不全を起こしてしまう。故に、村はほぼ全滅と言って差し支えなかった。


「ちょっと、あんたも飯食い終わったんなら手伝いな。今ここは食堂じゃなくて、もはや野戦病院だよ」

「なんで酒飲んでねえ俺が割り食うんだよ。酔っぱらいだったら外に放っぽりだしゃいいし、二日酔いだってんなら床にでも寝かしときゃいいじゃねえか」

「あんたねえ……。今のこいつらは赤ん坊だと思うんだね。赤ん坊は吐いたもの詰まらして死ぬこともあんだ。様子見ながら水渡すだけでもいいから、今日はここにいな」

「赤ん坊に怒鳴りつけてんのかよ……。あー面倒臭え。今日はメヒヤーに聞きたいことがあったんだがな」


 階段横にある柱の影から、友人に労働が課せられる様を確認する。心の瞼を閉じ、こっそりと外へ抜け出す。可憐な悪魔には向き不向きがあるのだ。どうにも力になれるとは思えないので、この場を離れようと考えたわけである。

 それに、もう臭いのは嫌なのだ。


 外へ出ると黒髪を焼く熱に、頭上から見つめてくる夏の支配者を感じた。影が伸びず足元に留まっているということは、時刻はもう正午を回っている。

 窓から眺めていた限りでは、いつもより仕事に向かう人間が少なく感じた。理由は考えるまでもない。さすがに見張りや畑の見回りを休むわけにはいかないので、いくらかは険しい顔つきで無理矢理に足を動かしていた。汗に塗れた青白い顔に並ぶ二つの目は、焦点が定まらずに彼方を見つめ、光なく揺れていた。


 難儀なことだ。まったくもってお疲れさまである。


 ともかく、うら若き乙女である私は、酒のもたらす功罪に曝されず済んだ。あまりにも美味そうに飲んでいるものだから、密かに拝借しようかと罪深き童心が脳裏をかすめもしたが、正しき行いには正しき結果が返ってくるらしい。酒造場で働いていた人間の忠告に従ってよかった。この幼き体には想像もつかぬ大毒になっていたやもしれん。


 さて、健康体の私はどこへ向かうべきか。シャヴィさんの手伝いは断念したことだし、村長かジル……えぇと、あの、……村長の息子、を探すべきだな。流石にないとは思うが、あの二人も倒れていたら村は死に体も同然だからな。




「……国王様は今、苦しい立場におられるのじゃな?」

「ああ、有力貴族たちの覇権争いでいつ国が割れてもおかしくねえぜ。俺も他人事じゃなかったんで話を聞き回って脱走を決意したよ」

「しかし、20年以上前から熾烈な権力争いはあったはずじゃが、戦争に繋がるほどの話は聞いておらぬ。何やら国に異変が起こったのじゃろうか」

「……ああ、そうか。あんた達はずっと森にいるから知らねえんだったな。国……っていうより、教会の問題だな。今、アマンドラの教皇様は50年以上務めてるじいさんなんだ。その教皇様がどうやら危篤らしいんだよ」

「ほう、この世に生を受けたのであれば甘受せねばならぬ定めよの。それが何故、国の危機に繋がるのじゃ?」

「いねえんだよ。教皇の後継になり得る人物が教会にはよ。みんな魔法が使えねえんで教皇はおろか、領主になれる人物がいるかも怪しいって話だ。人気のあった聖女様も行方不明だしよ。それで、貴族たちがここぞとばかりに、お抱えの魔術師連中を連れて国王様に陳情しにきたもんだから大混乱、って流れらしいぜ」

「なるほどのう……。教皇様の庇護と国王様の統治が両輪となってこそ、国は安定するというのに……、まったく嘆かわしい話じゃの」

「まったくだぜ。教会にしたってよ、教皇様が50年以上気張ってる間に何してたんだって話だよ。最近は頭でっかちのぼんぼんばかりが幹部になって実力が度外視されてるとも聞くしな。はぁ、聖女様も嫌気が差しちまったのかねえ……」


 ……何やら真面目な話をしている。

 村長を探して集会所へ来たものの、とても入りづらい。話を遮っておいて、自分から差し出す情報もなく、『何かやることありますか?』と相手に要求するのは、少し気が引ける。邪魔をしても悪いので、他へ移るのがベターと考えるべきか。話の内容に興味がないでもないが、盗み聞きは趣味が悪いし、人間社会の内紛まで頭に入れて私がすべきこともない。

 それにしても、昨日メヒヤーは浴びるほど酒を飲んでいたはずだが平然としている。少し前まで余所者だったくせに、村の誰よりも飲み白眼視されていたので、よく覚えている。体が頑丈という自負は伊達ではないようだ。心はより頑丈なようだが。

 扉の前で聞き耳を立てていた少女は、話し込んでいる二人の目には映らないお辞儀をすると、体を返し、忍び足でその場を離れた。


 日差しが角度をつけて目を焼いてくる。

 アンジェラは当てが外れ、村の中を目的もなく彷徨っていた。当然の如く、少女の脳内からジル何某の存在は消え失せている。しばらく考え事をしながら歩き続けていると、ふと水の流れる音に気づいた。顔を上げると視界に水車が映る。


「まるで私は鳥や獣の様だな。帰巣本能というやつがあるのやもしれん」


 気が付けば、館と門兵の座する方角へと足を運んでいた。

 思い返せば、村へ来た時、この道を通り、初めて見る水車や魚に新鮮な知の喜びを得たものだ。今ではそれなりに村の暮らしにも馴染めてきたと思う。


「……そうだな、ちょうどいい。一度帰ってみるか。そして、私のやるべきことをやろう」 


 水車小屋の前を通るといくらかの人間とすれ違う。ここの水車では車軸と臼を連動させて小麦の粉挽きを行っている。そのため普段使いの小麦粉を得る為に毎日人間が集まるのだ。軽く挨拶を済まし、日常の息遣いを横目に慣れ親しんだ我が家へと足を向ける。今となっては、挨拶くらいならば、ほどほどに緊張する程度だ。村の人間達も慣れたようで、アンジェラという名がついた頃くらいからは、一人で出歩いても目的を尋ねられることもなくなった。

 館を隠すように茂る森へ入ると、口寂しくなった時の為に持ち出した酢漬けの卵を一つ頬張る。久しく忘れていた、周囲の目を気にしない一人きりの時間である。身軽になった自身の待遇を思えば、足取りも弾むというものよ。


 木漏れ日の差す森の中、狭まった陽の光が悪魔の住まう館へと道を示す。長きに渡る人間の往来によって草木の開けた道の先、純白の宝玉を抱いた館の守護者が姿を現す。今日も変わらず仕事熱心に佇む門兵に一礼すると、地に伏したままの門扉に足を取られぬよう気を付けながら、我が家の敷地に踏み入った。


「おお、懐かしき我が城、我が砦よ。朽ちてなお他を圧倒する荘厳なる佇まい、感涙であるぞ!」


 余談だが、アンジェラは長大な寿命を持ち、3000年以上生きているので、その感覚からすると、村で過ごした3ヶ月は大した時間ではない。ただ、館を出るという経験が初めてだった彼女にとっては、海峡を横断するが如き、決死の大冒険だったのである。

 ちなみに、館の敷地に踏み入りはしたが、原生林と化した庭の木々に遮られ、館の姿は目視出来ていない。ロマンチストは感動を目的とする時、都合の悪いものは目に入らないし、考えてはいけないのだ。


「私がおらぬ間も、よくぞ無事で……、よくぞ健在であったな……。今……、あっ、くそっ! 帰って……、ああっもう!」


 自分の背丈よりも高く生い茂る草と、草を払うたびに突撃してくる有象無象の虫に苦戦を強いられる。己の体に結界を張っているので、ぶつかっても大事ないのは分かっているのだが、眼球めがけて飛来する存在には反射的に顔を背けてしまう。

 季節が進んだことで、家を出た頃よりも大地を覆う緑の支配は、より顕著なものとなっていた。目を背けてきた現実である。予想はしていた。館に戻ろうと思えば、すぐにでも戻れる距離なのに、足を向ける気になれない理由であった。


 館の眼前にそびえる古の大樹をどうすべきか、途方に暮れながら館に身を入れると、埃の臭いが鼻についた。館の主が留守にしていて、魔力の供給を怠っていたために、館の維持機構もまた相応の仕事しかしていないらしい。かといって、館に留まっていても根本的な解決は得られないのだから、仕方なきことではあるのだが。

 刻々と迫るタイムリミットを突き付けられた気がして、アンジェラは肩を落とす。これまで避け続けてきた焦りの感情が、その小さき身にはたまらなく重く感じる。

 だが、悲願成就に向けて事は確実に前進している。偶発的であることは否定できないが、目標の一つである人間との交流も達成し、友好な関係を築けている。今日、この館に訪れたのも考えあってのことなのだ。


「あまり気乗りはせんが、館にとっても村にとっても一助となるはずだ」


 独り言を自分に言い聞かせ、冬の寒さに震える小動物の如き行動力を奮い立たせる。

 意識して歩く速さは変えない。大広間を抜け、最奥の部屋から階段を下り、地下へと向かう。地下空間に広がる暗闇に火を灯すと、壁伝いに鐘のような形をした魔導装置が数十台並ぶのが見える。部屋中央の床には円が刻まれ、それに沿って古代文字が書き込まれている。


「ここに入るのは、何百年ぶりになるんだったかな」


 今日は独り言が多めである。村では周りの目を気にして抑えていた分、解放されて舌がよく回るのだ。また、久々に一人きりなので、若干の心細さが無意識に落ち着きを失くさせていた。


「まだ使えるかなー、壊れてないかなー」


 部屋の隅にある机の引き出しから、帳面を取り出し、自分の背丈ほどある魔導装置に目を向けた。

 この部屋は召喚魔法を執り行うために作られたものである。台帳には館の使用人や、古い知り合いの名前が記され、横に番号が振られていた。鐘型の魔導装置にも対応する番号が刻まれている。召喚したい者に割り振られた番号の魔導装置を使って魔法を発動し、この部屋に呼び出すわけである。


 アンジェラは3000年前に帰した使用人を呼び出してみようと考えていた。

 外界の情報を得るという意味でも有効な案ではあるし、何より、村にとって必要に思えた。

 アンジェラは海から帰ってきた時のことをよく覚えている。慌ただしく駆け寄ってくる村民達、自分の不在時に近付いてきたという魔獣。

 守る者が必要だ。ここは本来、人間の住まう場所ではないのだから。今日まで命をつなぐことが出来たからといって、明日もまた同じ太陽が望めるとは限らない。世の理とはいえ、私の目に入ったのならば、手をこまねいている訳にもいくまい。

 もし、使用人が戻ってきてくれれば、私の不在時でも、ある程度の危機ならば善処してくれるだろうし、信用も出来る。


 だが、問題もある。

 3000年も経てば状況も変わる。呼び出しに応じてくれるかは相手次第であるし、既にこの世に存在しない可能性だってある。その点は致し方ない。しらみつぶしに当たるしかないだろう。だが、それは小さな問題だ。元々頼るつもりはなかったのだから、0が0になるだけの話。

 最大の問題は、私が使用人の名前を正確に把握していないということだ。本当に申し訳ないと思うが、仕方がないのだ。使用人は私が生まれる前から務めている。おそらく幼い頃に自己紹介が済んでいたのであろう。当然のように親しく接してくる使用人に、とうとう名前を尋ねることが出来なかった。彼我の置かれた状況の違いによって生じた悲劇である。


 故に、誰が召喚されるか分からない。出来れば避けたいのだが、父様の知り合いを呼び出してしまう可能性が大いにある。父様の友であれば、ご無体な所業はされないと思うが、頭を下げて村に便宜を図ってくれるよう頼まねばならない。考えただけで憂鬱である。

 加えて、古き者は得てして名前が適当なのだ。父様のアノニム・ネームレスという名前で分かるが、便宜上必要ならば名乗る程度で、名前自体に価値は求めていない。そのため、非常にノリが軽く、当時の流行りなのか、『疾風狼虎』だとか、『獄炎雷王』などという格好良すぎて体温を上げてくれる名前が帳面には連なっている。

 また、奇をてらったのか、『烏賊忍者』や『禿無双』といった、後で絶対改名したであろう名前も散見され、眺めているだけで頭を抱えたくなる。『慈愛』や『豊穣』といった、大悪魔の知り合いには似つかわしくない名前もあり、当時の混沌とした名づけ事情が垣間見える。

 どんな相手が召喚されるのか全く予想できない。館の中で飛び交っていた単語の記憶から、使用人らしき者はある程度推測出来るとはいえ、館に閉じ籠っている時に、この方策を用いなかった理由もご理解いただけることだろう。


 帳面をめくりながら、部屋中央の床に刻まれた円まで歩みを進め、床に顔を近づける。

 召喚の際に呼び出した相手にぶつからないよう、目印として刻まれた円には、模様の様に古代の文字で注意と説明が記されている。館の主ではあるが、この部屋を利用したことはないので、魔導装置の扱いには細心の注意を払いたい。


「……はぁ、……やるかぁ…………」


 使用人らしき者に振られた番号と同じ鐘形の魔導装置に魔力を込める。机の横に立て掛けてあった金属の棒を顔の高さまで持ち上げ、深呼吸する。

 そして、力が入りすぎないよう気を付けながら、ゆっくりと三度、鐘をノックした。


「…………………………」


 反応がない。

 大きく息を吐き出し、目を瞑ってもう一度ノックする。


「………………ふぅ、や、やっぱり3000年前だもんねー、こんな呼び出しに応じる奴なんていないよねー」


 応じない、ではなく応じれないが正しいのでは――と、胸中では思うが、悲しむには緊張や焦り、困惑と若干の安心で感情が渋滞していた。

 鳴らす鐘の数の数は、まだ数十はあるだろう。一つの鐘に対峙するだけで我が心の蔵は早鐘を鳴らしているというのに。


「……ええい、ままよ!」


 こうなれば自棄を起こすしかあるまい。考えてはいけない。後の事は後の自分が耐えてくれるはずだ。

 帳面に記載されている名前を片っ端から呼び出す。


「………………次!」


 呼び出しに応じるものは現れない。


「…………次やぁ!!」


 薄暗い部屋の中、空中に漂う魔術の火が、鳴り響く鐘の音と少女の声に寂しく揺れていた。



「………………ハァ、ハァ」


 部屋には静寂が広がっていた。


「…………全滅……か」


 無念である。が、助かった気がしないでもない。


「は、はは……、あっちゃー、仕方ないよねー。うん! 精一杯やったし、頑張ったよ私は! うんうん、しゃーないわ!」


 重要なのは正しき方角を見つめて目指すといふこと。今日の働き見事という他あるまい。


 あっぱれアンジェラここにあり。


「さ、さあ、帰って何か食べよう。うん、日が暮れる前に帰らなくちゃね、うんうん、そうしよう、そうすべきだ。間違いない」


 常日頃、不安に苛まれているアンジェラは、生き抜く必要性から自己肯定能力には一日の長がある。

 不安に尾を引かれながらも、素早く頭の切り替えを行う。


 帰路に就くため明かりの火を消そうとすると、部屋の中央から強力な気配が現れるのを感じた。


「………………私を……呼び出されたのは、貴女ですか?」


 暗闇の中から声がした。

 真っ暗な闇に溶け込むような、漆黒の衣服を拘束具の様に肌に張り付けた双角の者が、宙に浮かぶ火によって照らされる。


挿絵(By みてみん)


「私は悪魔ファルプニ。よろしければ、貴女の名前をお聞かせ願えませんか?」


 …………帰りたい。

 お疲れ様でした。

 お互いに体を壊さないよう気を付けるやで。

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