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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
17/59

第十七話 残されたもの

 いらっしゃい。

 今回は長いよ。


 登校時間をずらした結果、アクセス数が3倍になりました。

 気が向いた時間に投稿をしようと思います。

 メヒヤー達を村に連れ帰って一ヶ月、結局バゼットとスウェイクの二人が快復したのは祭りの行われる間近の日であった。


「お、おお、か、完成、したの、か、そ、村長」

「ええ、メヒヤーさんも随分と手伝ってくれましたでの。何とか間に合いましたわい」


 村の広場には祭りの主役ともいえる神輿が置かれていた。装飾自体は質素なものだが、目を見張るのはその大きさだ。子供が乗るとは聞いていたが、取り付けられた椅子の四方を柱が囲み、屋根までついている。巨大な四本の棒が神輿の下を通り、三十人ほどの男が担いで動かすのだという。


「それではアンジェラ様、早速乗ってくれませんかの」


 ん?


「え、いや、で、でもこれ、は、こ、子供が……」

「ええ、ですからアンジェラ様に乗って頂きたいのですじゃ。村の中にアンジェラ様ほど清らかな心を持った子供はいませんからな。きっとオホネ様の魂を導くことも出来ましょうな」


 私は村長の中で一体どのような存在と化しているのだろうか?


「そ、そもそ、も、ま、祭りは、あ、明日」

「おっと、話していませんでしたな。確かに祭りは明日なのじゃが、今日はお迎えの儀がありますじゃ。昔は夜に行っていたそうですがの、お迎えは早い方がいいということで、特に時間は決まっておりませんのじゃ」

「は、はあ、な、なるほ、ど」


 ともかく、乗らねばならないらしい。別段断る理由もないし、おそらく、名誉な役割なのだろう。衆目監視の中に晒されるようで気は進まないのだが、乗らねばならないというのも失礼な話か。

 流されるままに了承をする。


「では、体を清め、こちらの服を着てくれませんかの」

「え?」

「それから、夜まで何も食べないようにして頂きたいのじゃ」

「え?」


 後出しはこすいで村長。


 なんでも、オホネ様に失礼のないよう計らった結果の伝統なのだという。オホネ様の体の様に白い装束を着て、オホネ様と同じく何も食べない。これが一体何の計らいになるのかは全く分からないが、どうやら、私は家臣に対して礼を尽くすため断食をせねばならないらしい。

 元々、食事が必要ない体なんで問題はないんやけどさ。


 真っ白な服に着替えたアンジェラが神輿に乗り込む。すると、待ちわびていたのか、村の力自慢達がぞろぞろと集まってくる。痩せぎすの華奢な少女に屈強な汗臭い男達が群がってくる。絵面自体は大変よろしくないが、良心の集約した結果である。許されたし。


 巨大な神輿が持ち上げられると周りで眺めていた村民達から歓声が上がった。

 神輿には、その大きさ相応の重量が備わっており、初めて持ち上げる者はまるで肩が砕かれたかのような錯覚を覚える。これを炎天の下、オホネ様の鎮座する森の手前まで、三十分ほどかけて練り歩くわけである。男たちの熱気に周りも当てられるのだ。

 立ち昇る男たちの熱気。それに最も当てられる少女。


 気が遠くなりそうな夏空の下、悪魔の鋭敏な嗅覚をただ呪うのであった。




「お疲れ様じゃったな、アンジェラ様」


 結局、神輿で散々揺られた後はミスターオホネ氏の前で30分ほど待ち惚けして、再び神輿で帰還するという、オホネ様の正体を知っている身には、その意味を考えさせられる行程であった。

 いかれてしまった鼻を土産に、ただただ言葉にならない感想が胸の内を占めていた。


「明日は神輿で昼に村の墓地を、夜に池を回り、それから広場に戻りますじゃ」

「あ、あい……」

「今夜は前夜祭として特別な料理も出ますでな、楽しみにしていてくだされ」


 特別な料理か……。空腹もまた調味料。目に見える対価があるのならば、辛さは嬉しさにも変じような。……何だろう。まだ見ぬ料理に思いを馳せていると、何か心に引っかかりを感じる。

 何かを忘れている気がする。


 ハッとして目の前の空間に腕を突っ込む。確かな感触があった。

 空間魔法『魔力領域』。アンジェラの開発した究極魔法。魔力によって形成、固定化された空間は、時の流れすらも固定化する。

 アンジェラは急いで駆け出した。うっかりしていた。適切なタイミングを逃した。もし、思いに鮮度があるとするならば、私の心は腐敗臭。だが、腐っても礼。通さねばならぬ筋がある。


「シャ、シャビさん!」


 普段はおとなしい少女が慌ただしく駆けこんでくる。心なしか汗臭い。


「どうしたんだい? お腹が空いたんなら、こっそり食べるんだよ」

「え、いい、の? じゃ、じゃなく、て、こ、こここれ!」


 少女の手には、ヌメリのある物体がこちらを睨みつけながら蠢いていた。

 思わず一歩下がり、少女に解を求めた。


「こ、これは、……何だい?」

「あ、……えぇと……、な、生でも、ゆ、茹でても、お、美味しい。う、海の、お、お土産」

「そ、そうかい」


 欲しかったのは、「それ」が何なのかという答えだったのだが、お土産として貰ったものを無下にすることも出来ない。女主人はこの少女にめっぽう弱い。心を殺し、震える両の手で受け取る。


「あ、ありがと、よ……、ヒッ……」

「シャ、シャビさん、は、う、海にい、行ったこと、が、ないから。な、生のもの、は、た、食べた、ことがな、ない、とお、思って………」

「た、確かにそうだね! そうなんだよね、食べた……ことがない。……ないねえ」


 よかった。食べたことがあるものでは面白くない。食べれば、その美味しさにきっと驚くに違いない。お土産を渡すのが遅れてしまったのは失敗であった。だが、この祭りという、村にとってめでたい日に渡せたのは僥倖であったと言えような。


 どうしよう。見たことがないので調理の方法も分からない。美味しいと言っていたので、味はいいのだろうが……。しかし、どうやって運んできたのだろう。海に行ったのは一ヶ月ほど前だったと思うけど、この謎の生き物は明らかに生きている。それほど生命力が強いのだろうか……。ただでさえ前夜祭の料理を作らねばならないのに、これはどうしたらいいんだろう。


 気の強い女主人は、ヌメリのある謎の生物が触手を手に絡みつかせて来るのを眺めたまま、暫し途方に暮れねばならなかった。




「お腹、空いたなあ……」


 悪魔である少女は食事が必要な――

 そういうことではない。気分の問題である。食事はもはや習慣となっているし、なにより楽しみなのだ。待ち惚けている時間も、期待を隠すことが出来ないので、思いを言葉として吐き出し、気を紛らわしているのだ。


「……待たせたね。料理が出来るから、広場に来な。昼は何も食べてなかったからお腹空いたろ。みんなも集まってるよ……」


 若干疲れた様子のシャヴィさん。今日は手伝いがいつもより多かったとはいえ、よほど調理が大変だったと見える。ほんまお疲れ様やで。


 シャヴィさんに連れられ広場に向かうと、日が暮れているというのに昼間よりも熱気に満ちていた。人間の多さもあるが、辺りに篝火がいくつも焚かれ、それによる熱気と明るさが周囲に広がっていた。


「おや、祭りの主役が来られましたな。さあ、皆さん食事を始めましょう。アンジェラ様もどうぞ召し上がってくだされ」

「あ、あい」


 どうやら、私が来るのを待っていたらしい。少し悪いことをしてしまったな。


 広場には皿に盛られた見たことのない料理が二つ並んでいた。一方は魚を熱した物のように見えるが、もう一つは……。


「アンジェラ様、これが何かわかりますかな? これらはじゃな、鯉を調理したものですじゃ」

「こ、鯉? お、おさか、な」

「ええ、この鯉はじゃな、湧き水によって作られた池で育ったものでしての。その清らかな水で育った鯉は、神聖なものとして大切に育てておりますから、普段は食べることがないのじゃ。祭りの日のみに食べられる御馳走なのじゃよ」

「へ、へえ、な、何だかす、すご、い」


 もう一度皿に目を移す。一方の料理は姿形はそのまま残っているが、鱗が取り除かれ、丸ごと油で揚げられているのが確認できた。摩り下ろしたニンニクとレモンの塩漬けを乗せ、酢をかけて食べるのだという。

 もう一つの方はよく分からない。頭や皮は見当たらず、ピンクと白の肉片が綺麗に並べられているだけに見える。確か、魚、特に川や池で捕れるものは、生で食べると良くないはずだったが……。


「こ、これ、は、な、生?」

「気になりますかな? 内臓を取って身だけを適切に処理すれば問題ないと聞いておりますじゃ。ただし、今は夏じゃからの。手早く調理をして最後に熱湯をかけておる。一時間も経てば駄目になるじゃろうが、新鮮なうちは大丈夫じゃ」


 見れば、皆が食事をしている間も、料理番の者は生きた鯉を持ってきて手早く下処理を施している。魚は鮮度が命。皆、危険性を理解した上で大丈夫と判断し食しているのだ。


「そ、それじゃ、い、いい、いただき、ます」


 意を決し、一見生に見える鯉料理に手を付ける。

 実にシンプルな料理だ。鮮度のいい魚の身を薄く切り、塩をつけて食べる。クリモリ村の人間はレモン中毒なので、これにもレモンの塩漬けを刻んで乗せるようだが、レモンの味が強すぎて魚自体の味が分からなくなる気がして塩のみで食べた。


 感想もまたシンプルであった。美味い。旨い。終わりだ。

 新鮮な鯉は魚の臭みが一切なく、海の魚にあった磯臭さもない。清廉な水の中で培われた肉は、汚れを知らぬ純粋な旨さの塊であった。ちゃんと泥を吐かせたのだろう。素早く血抜きをしたのであろう。

 訂正しよう。これは美味い、旨い、上手いなのだ。


「お気に召したみたいだね。暑い中腕を振るった甲斐があったよ」

「こ、これは、と、とても、い、いいも、の。シャビさん、は、す、すごい」

「フフ、鯉は今日しか食べれないからね、いっぱい食べとくんだよ」

「あい!」


  最近は少女の持つ食の嗜好に惑わされることが多いため、果たして美味しいと思ってもらえるか不安であったが、杞憂であったらしい。褒めてくれたのだから、自分は自信をもって料理を振舞うとしよう。

 しかし、それはそれとして「これ」はどうしたものだろう。とりあえず、放っておくわけにはいかないので調理してみたが……。


「よお、シャヴィさん! 相変わらずいい腕してるぜ! なあ、ビル?」

「え、ちょっと、やめてくれよ、そんな……」


 ……。ちょうどいい。


「フフ、ありがとよ。……ところでなんだけどさ、珍しい食材が手に入って料理したんだけどさ、どく……味見してみないかい?」

「え!? シャヴィさんが俺のために料理を!?」

「え? いや、まあ、……そうだね。それでいいよ。是非食べとくれ」

「か、感激だ……」


 禿げあがった頭の男は涙を流し、正体不明の生物によって作られたブツを食べ始める。時折、嗚咽を漏らして体を震わしてながら貪り食う。


 え? どっち? 食べたらやばいやつだった?


「あ、あのさ、無理して食べることはないんだからね?」

「とんでもねえ! シャヴィさんの料理は最高だ! 今まで生きてきた中で一番うめえよ!」


 どうやら少女の言葉に嘘はなかったらしい。別に疑っていたわけではない。ただ、主観というものがあるので、不安を抱かぬというのは難しくて……。

 女主人は数時間前の葛藤を胸中でリフレインしながら、鍋に入った謎の食材を口にした。


「……うまい」

 



 クリモリ村の夏に行われる慰霊祭。

 先祖と故人の霊を偲び、感謝を忘れず力強く生き抜くことを誓って村の団結力を高める。祭りの性格として追悼こそ念頭にあるが、クリモリ村では明るく、盛大に執り行うのが通例となっている。くよくよしては生き抜けぬ厳しさが身近にあったし、そうせねばならないからと暗い顔をするのは、村の気質に反していた。楽しければ楽しいほど村に対する帰属意識も高まるのだ。

 前夜祭の夜も、そうして普段は真っ暗な広場に盛大な明かりを焚き、美味しいものを食べてだらだらと喋りながら夜を更かしていた。


 祭りの当日、村の中を神輿が派手に練り回る。神輿にはむせ返るような熱気の中、今日も少女が座していた。これから墓地へ向かい、私たち元気ですよアピールをするのだという。見物する者が盛り上がるせいか、神輿は上下左右に大きく揺らされ、わざわざ悪路を進む。

 お分かりいただけると思うが、担ぐ方は辛いが楽しんでもいる。しかし、担がれる方はただひたすらに辛いのだ。


 えっさえっさ。やっやっや。おうりゃ、おうりゃ。

 タイミングの合っていない思い思いの掛け声で進む神輿。


 先祖の霊が眠る墓地の前に着くと……、通り過ぎて広場の方角に戻り始めた。


「え、こ、これだ、け?」

「おう、ご先祖様にも一応顔見せしとかねえといけねえからな。墓地なんていても楽しくねえだろ?」


 神輿の先頭に立つヴァンデルが答える。伝統的に先頭は村一番の力自慢が選ばれるのだが、彼は十二歳の時から三十年間選ばれ続けているらしい。


「で、でも、せ、先祖に、か、顔見せ、だけ、な、なの、は……」

「大丈夫だ! 会いたきゃ向こうから来るだろうよ! それより早く帰って飯食うぞ、夜も担がなきゃいけねえんだからな!」


 ヴァンデルの声に呼応して調子を上げる男達。揺れすぎて、もはや輪郭を失っている薄幸の少女。悪魔の持つ強靭な三半規管がかろうじて少女の意識を保っていた。


 広場に戻ると、食事の準備が行われていた。羊に山羊、鶏が丸焼きにされるようだ。何となくだが、こういう安直な料理は祭りっぽさがあって実際の味よりも良く思えるものだ。ともかく、まだ食事までには時間があるので、一度家に戻り、水で体を洗うことにした。食欲を減退させる時間が続いたため、体に着いた匂いを記憶ごと洗い落したかった。


 ふと思う。祭りとは言うが、楽しみは食べることばかりな気がする。今まさに昼食を楽しみにしているのだが、既に夜出される食事に期待している。村の人間も飲んで食べて騒ぐばかりで故人を悼むだとか、そういった素振りも見せない。


 こういうものなのかもしれない。

 

 落胆したわけじゃない。私はこの空気が嫌いではない。これは私の好きな平穏に違いないのだから。悲しみに浸るに、この身はまだ幼すぎる。


 少女は体を清めると広場に戻り、羊のあばら肉にかぶりついた。残念ながら汗の匂いが染みついてしまった真っ白な装束を身に着けて。




 陽が落ちると、聞いていた通り神輿は池に向かう。昨日の夜食べた鯉が捕れた池で、大層水が綺麗らしい。神輿が向かうということは、それだけ村にとって特別な場所なのだろう。私自身はルヴナクヒエに一人でうろつくなと言われたこともあって、離れた場所にある池はお目にかかる機会に恵まれていなかった。

 神輿が池に近づくにつれて、草むらに光が見えることに気が付いた。


「あ、あれは、何?」

「おう、あれか。あれはな、魂だ」

「た、たまし、い!?」


「昔はそう言われたらしい。実際はただの虫なんだけどな。ただ、夜の水辺を飛び回る光ってのは妙な雰囲気があるからな、先祖の霊が虫の体を借りて会いに来たって考えた方が有難みがあるだろ?」

「は、はあ。む、虫」


 確かに、火も使わぬ虫がその体に明かりを灯し、光の軌跡を描く様は幻想的でこの世のものとは思えぬ趣がある。館に閉じ籠っていては見ることの出来なかった光景だ。しかし、これは体験する未知の一端でしかない。


「す、すごい……」


挿絵(By みてみん)


 夜の闇に支配されているはずの池を、辺り一帯光虫が飛び交い柔らかな光で包んでいる。辿り着いた世界は、遠目に見た光景と一線を画していた。村の人間も大勢集まり、自然が作り出した幽玄の世界に浸っているようだった。


「この虫はね、水の綺麗な場所にしか住まないらしいよ。夏になると川でも見れるんだけど、今の時期に見れるのは何故かここだけなんだ。僕はここに精霊が多く住んでいて、生まれた生き物に何らかの影響を与えているんじゃないかと考えているんだけど、君はどう思う?」

「ジ、ジル……」


 影から現れた影の薄い人物が突然語り掛けてくる。彼はジル……、村長の息子だ。


「そ、その、通り、かも、し、しれな、い」

「やっぱりそうなのかな! ここは万人が見て万人が神秘的な美しさを感じる場所だからね! 生物が本能的に求める特別な何かがあるんじゃないかと思ってたんだよ!」


 急に騒ぎ出す優男に、光虫が驚き離れていく。周りの者も眉を顰めるのが悪魔の目には映った。この男の脳内もさぞ幻想的なのだろう。

 ともあれ、ジル何某の言うこともあながち間違いではなさそうだ。この池には精霊が多く集まっているのは事実で、光虫の生態に変化をもたらしているのも確かなのだろう。もしかすると、魔獣の様に精霊を介して寿命が延びたのかもしれない。その説を飛躍して考えると、人間は魔術が不得手にも関わらず、クリモリ村の住人が魔術を使えるのは、この土地のおかげという可能性が……。まあ、ただの想像だな。


「よし、そろそろ最後行くぞ」


 ヴァンデルの声が響く。

 実に美しく、得難き体験であった。

 子供連れの家族が先ほど見た光景について団らんしている。少女は屈強な男達に担がれ、体をぶれさせながら、楽しげに横を歩く親子を広場に着くまで眺めていた。


 広場の中央に着くと、神輿から降りて離れるように促される。広場には神輿を中心に、村の者が円陣を組むように広がっていた。その手には酒も握られている。

 そう言えば、これからの予定を聞いていない。日も暮れて大したことはできないと思うが。


 周りにいる人間達がしているように、自分もただ黙って眺めることにする。すると、男が一人近付いていき、明かりとして使っていた松明を神輿に置いた。


「ええ……」


 少しだけ煙を上げ始める神輿に、男はさらに火を追加し風を送っている。

 あれは、皆が汗を流して作り上げたことを私は知っている。それは眺めている人間も同じだろう。だが、止める者はいない。それどころか火が付き始めると、周囲からは嬉しそうな声が上がっていた。

 

「アンジェラ様、お待たせしましたな。以前約束した葡萄のジュースですじゃ。送り火を眺めながら食事するとしましょうかの」

「あ! や、やった、じゅ、じゅじゅ、ジュース!」


 渡されたそれは深き紫で満たされ、湧き上がる芳醇な香りが魂を輝かせた。分かる。これは私が生物として根源的な部分で求めていた、心を満たす至高の――


「そ、そうじゃ、なくて、あ、あれは何、を、し、してるの?」


 幻惑する紫宝の杯に脳をホールドされながらも、目前に立つ大火の意味を問う。意味も分からず、ただ火を眺めながら食事するのは、村に住む私ではなく、ただ太らされるだけの豚でも出来る作業に違いないのだから


「送り火、ですな。夏は魂が降りてくるとはいえ、やはり魂が落ち着ける場所は天上じゃからの。火は燃えがると天に向かいますから、それを道として、ご先祖様の霊を送り出しますのじゃ」

「へ、へえ、お、面白い、か、考え。で、でも、み、神輿を、も、燃やし、ちゃ、ちゃったら、も……、オホネ、様は……」

「ほっほっほ、ご安心くだされ。ご先祖様と違ってオホネ様は近くに住んでおりますからな。皆で食事をし、帰りも皆でゆっくりと歩いて送りますのじゃ」

「な、なるほ、ど。け、結構、か、考えられ、て、る」


 人間は種族としての命が短いせいか、独自の文化を築くのも早いようだ。まるで、あの光虫のように、短い時間を輝かせ、心に強い印象を与える。


「さあ、食事を持ってきたから食べましょう。ジャムに蜂蜜、ジュースのおかわりもあるでの。村の外にいたメイヤーさん達も美味いと唸る一品ですじゃ」

「ご、豪勢だ! あ、甘いもんの、こ、コロッセオやあ!」


 神輿から伸びる火柱が辺りを煌々と照らし、この日のために用意していた食料を持ち出して騒ぐ。酒は普段飲んでいるエールではなく、エールを蒸留して作ったクリモリ村産ウィッカだ。冬に行われる祭りでは、これにレモンを漬け込んだものが振舞われるらしい。エルフ達もこの日にしかありつけない珍しい食事と酒にはしゃいでいるようだ。

 皆、普段の世話しない生活を忘れ、思い思いに楽しんでいる。


 ……皆?


「ル、ルブナクヒ、は?」


 村長に尋ねると、村長は少し顔を曇らせた。


「……彼はのう、責任感の強い男じゃからな。慰霊祭の意味を一番よく理解しておる。じゃからこそ、浮かれることに気が進まんし、かといって、皆が楽しんでいるのを邪魔したくもないんじゃろう」

「……」


 一人でいることが多い奴だが、村で浮いているだとか嫌われているなどということはない。出会った時から親近感を感じてはいたが、やはり、私と同じように、どこか冷めた部分があると言うべきか、心の中で村の人間から一歩引いて生きているのだろう。


 天を突くような火を眺めながら、大量のジャムを塗りたくったパンを口に運ぶ。

 こんなに賑やかなのに。


 寂しさによって出来た心の隙間を、口に入れた甘さで埋めているような、そんな夏の夜を感じた。




 食事を終え、広場に上る火が勢いに衰えを見せたころ、村人たちは館の方へ歩き出した。真っ白な装束を身に纏ったアンジェラを先頭にして。


「よう、祭りは楽しんだか? がきんちょ」


 聞き慣れたはずの声に驚く。


「なんだよ、その顔は。夜の森は危ねえからな。祭りの決まりで森の手前までしか付いて行けねえが、妙な奴が入り込まねえよう気張ってやるよ」

「あ、あい、た、助か、る」


 こいつも、これでいいのかもしれないな。各々には各々の距離というものがある。一生の間に己の距離を詰めることが叶うとは限らない。自分で折り合いがつけられるのならば、それはそれでいいのだろう。得てして物事は成功のみが幸せとは限らんのだからな。


 暗き森の前に明かりを持った無数の人影が集まり、新たに篝火が作られる。


「さあ、アンジェラ様、オホネ様をお送りくだされ」

「あい」


 松明を持った少女が森の中へと消えていく。

 人間達の考えでは、生きた人間と魂は別の世界に住むのだという。生きた人間の気が大勢集まると、魂の住まう世界は隠れてしまう。故に、魂を送る時は特別な儀式が必要だと考えられ、オホネ様の魂を送る時は、連れ出した者が一人で祠に向かうのが慣例であった。




「昨日ぶりだな、門兵よ」


 主の呼びかけに応じぬ不真面目な真面目過ぎる忠臣。


「お前に渡そうと思っていた物があってな」


 目の前の空間に手を伸ばし、手の平にピタリと収まる大きさの、純白の球体を取り出す。


「実は少し前、海に行ってきたんだ。そこで会った人魚に人間の言葉を教えたんだが、お礼としてこれを貰ったんだ。海魔と化した巨大な貝が死んだ後、これが残されていたらしい。真珠のようだが、普通の物と違って見つけた時から一切劣化していないという話だ」


 忠臣の手に収まるよう純白の球体を置く。


「今のお前とお揃いだと思ってな。……本当は父様と母様に見せたかったんだが、そんなこと出来ないからどうしたものかと考えている内に、お土産として持って帰ってきたことを忘れてしまった。今のお前も、これを本当に見せたことになるのか、その判断がつかなかったからな……」


 職務に忠実で無口な忠臣は瞬きすらしない。


「人間はな、生物は死しても魂は残ると考えているらしい。だからこそ、死しても悼み、弔い、盛大な祭りを行った。……これがお前の魂に、ほんの少しでも安らぎを与えてくれることを願うよ」


 父様と母様の体はもう残っていないのだろう。だが、父様母様と唯一繋がりがあると言っていい忠臣の体は残っている。


「私も村の人間達のためにすべきことがあるな。それは、きっとお前の望むことでもあるんだろ?」


 表情の乏しい真っ白な忠臣の頬が、少しだけ緩んだ気がした。

 お疲れさまでした。

 この話で一時休載となります。再開は九月の予定です。

 もう一話ぐらいは、物語の予告的に八月中の投稿があるかもしれません。

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