第十六話 願う村
いらっしゃい。
予約投稿ミスった日はアクセス数が伸びたので実験。
正直、挿絵を先に投稿しているのは若干ネタバレでよくなかったからね。
潮の匂いは記憶の中へ。
アンジェラとエルフ達一行は、 クリモリ村を目指し、森の中を進んでいた。海へ向かった時と違い、戻りは病人も連れている。自然とエルフ達の軽口も減っていた。
アンジェラもいつになく気を張り、警戒を続けている。風が強まり、道中夕立に降られもした。森は今、野生に生きる者に有利な条件が整っている。海へ行くと決断したのは自分だ。人間を連れ帰る決断を下したのも自分だ。
全ては自分の責任。絶対に守らなくてはならない。
「……おかしいだあ。なあんも聞こえん。森が静か過ぎっだ」
「……」
森は不気味なほどに静まり返っている。この二日間、慎重に慎重を重ね進んでいたとはいえ、聞こえるのは木々の間を擦り抜ける風の音のみだ。生物の気配が感じられない。ただ自分たちの草を掻き分け、踏みしめる音が響く様は、あたかも生者の歩む世界を脱し、異界に取り残されたような錯覚を起こす。
「早え帰った方がええが。ええど、メヒヤーだっただな。悪かあ、えらあが急ぐだ。疲れだら言ええ。俺らぁおぶっだ」
「……あ、おう。大丈夫だ。早く進む分には俺も賛成だ。……何て言うか、ここには長居したねえからな……」
メヒヤー達は額に汗を流し、顔色も悪い。未だ健康体とは程遠い状態なのもあるが、汗の多くは不気味な緊張感によって作り出されていた。無理はさせたくはないが、急ぐのが彼らのためにもなるだろう。
木々の隙間に漏れる光が増え、見慣れた風景が瞳に移り込む。
結局、村に着くまで魔獣に遭遇するどころか、気配を察知することも出来なかった。森に慣れたエルフ達も首をかしげるばかりだ。一体、何が変わったのだろうか。
ともあれ、クリモリ村に到着である。明らかな人工物である木の柵を見て、メヒヤー達も安堵している。門扉の前まで移動し、傍らに立て掛けてある木の棒を打ち鳴らして住人に合図を送る。
「ここが、あんた達の住む村なのか?」
「んん? あぁー、んだなあ、住むっでえが、世話んなっとおだなあ」
「世話、ですか?」
門の向こうで慌ただしく駆けてくる音が響く。
「大丈夫か!? 今開けるぞ、急いで入れ!」
どうやら、事が平穏無事に進んでいたのは、外に向かった側だったらしい。
急かされるままに村の中へ入ると、全員が入ったのを確認したと同時に門が閉じられた。周りを見渡すと、心配そうな顔を浮かべた村民たちが集まっていた。
「何かあったあだか?」
「その様子だと、そっちは大丈夫だったみたいだな。実はよ、すぐ一刻ほど前に魔獣が現れたんだよ」
「魔獣だか? 被害は何もなあだか?」
「ああ……、柵にぶつかる奴はいたが、そのまま向こうへ走って行っちまいやがった。それよりだな、その魔獣が来たのは、あんた達が歩いてきた方角からなんだよ。もう少し待って来なかったら探しに行こうって話になってたんだぜ」
やはり、想像通り森には異変が起きていたようだ。あの静寂に満ちた空間、村の近くを走り去る魔獣。この現象を説明できる理由があるとすれば、それは……
「まさかぁ、強力な魔獣さ現れただあか?」
まず、その可能性が高いだろう。おそらく、自分達の歩く先を強力な魔獣が進んでいたのだ。獣の鋭敏な感覚が強大な気配を察知し、周囲一帯を無人の地、いや無獣の地へと変えたに違いない。
「これこれ、皆さんは長旅でお疲れなのじゃ。立ち話させるのも悪かろう。それに、新たなお客人もおられるようだからのう」
村長の言葉に誘導されるように、村人たちの目がエルフ達の後ろで事情が分からず固まっていたメイヤー達に向かう。
「あぁ、忘れぇだあな。海でぇ人魚さ一緒ぉいだあ方々だあ」
「あ、えぇと……、俺はメヒヤーだ。こっちの毛深いのがバゼット、ガリガリの骨みてえなのがスウェイクだ。……あのよ、俺もここが何なのかも知らねえし、いきなりで悪いと思ってるんだが……、後ろの二人に飯と寝床をやって欲しいんだよ……」
目線をバゼットとスウェイクの二人に移す。体がふらつき目が虚ろで、喋る気力も失っているだろうことが見て取れた。特にスウェイクと言う男は痩せ細っていることもあって、半ば幽鬼の如き様相を呈していた。
「こりゃいかんな。誰か彼らに肩を貸してやりなさい。それから、食堂の一角にベッドを二つ、急ぎ用意するのじゃ。……そちらのお方は大丈夫なのじゃな?」
「ああ、すまねえな。俺はこの通り体が丈夫だからよ、何か聞きたいことがあるなら、あいつらじゃなくて俺に聞いてくれ」
「うむ、そうするとしようかの。皆の者! 最大の心配は払拭された。いつまでも張り詰めていては、いざという時にへばってしまうじゃろう。見張りは順次交代し、食事を摂るようにするのじゃ」
村長が村人達に指示を出し、海から帰ってきたアンジェラ達を食堂に招く。
「お帰りなさいアンジェラ様、ご無事で何よりですじゃ」
「た、ただい、ま、そ、村長」
角の生えた少女に老人が声をかける。
驚愕の表情を浮かべるメヒヤーを横に、アンジェラは旅の終わりをようやく実感できた。
「では、人魚に敵意はなかったのですな?」
「ああ、エルフさん達には迷惑かけちまったが、悪さしよう、痛めつけようって感じではなかったぜ。飯を分けてやれば、案外仲良くやれると思うぜ」
食堂では、エルフが村に来た時と同じように、村長が共に食事をしながら事の顛末を聞き出していた。海で助けたバゼットとスウェイクは、看病せねばならないほどに弱り、食事も人の手を借りてやっと口に出来る状態だ。その一方、メヒヤーは相変わらず元気で、食事に舌鼓を打ち、すらすらと自分の知る情報を吐き出していた。
「それにしても、あんた達は一体何者なんだい? こんな所にいりゃ外の情報も全然入らないだろ? よければ知ってることは話すが……」
そこまで話したところで村長が手の平を前に出し、話を遮った。
「メヒヤーさん達の素性はあらかた分かった。エルフさん達もしばらくの間、ここに留まるでな、これ以上の詳しい話は、あの二人が回復してから聞くとしようかの。それよりもじゃな、実は村の祭りが近づいておってのう。皆忙しくて長話する時間も惜しい。話の続きは祭りが終わってからにしようかの。メイヤーさんも祭りを楽しむといい。その時には、わしらがどんな人間かも分かってくるじゃろうて」
「……そうだな、恩に着るぜ。俺に手伝えることがあれば言ってくれ。体は丈夫だし、船を修理したこともあるんだ。あの二人の分も働くよ」
情報は時として黄金に勝る。
メイヤーは村の長ネイエイ・カレフの言葉が持つ意味を正しく理解していた。自分は村にとって価値のある情報を持っているだろう。だから喋らなくていい。自分がそれを持っている間は村から放り出されることはない。そして、それを求めないということは、自分が価値を失っても無下に扱うつもりはないということ。
ここは人の住むはずのない、魔獣の徘徊する見捨てられた森の中。正体不明の村人たちに、メイヤーはこれまでの人生で得られなかった、確かな安心と信頼を感じていた。
「そう言えばよ、今これを言える立場ではないと思うんだが、もし、またあの海に行くことがあるんだったら俺を連れて行ってくれないか? あそこに行きたいんだ。今言わねえと心の中がついでになっちまうみてえでな。……検討してくれるかい?」
意外な言葉である。聞けば仲間と揃って死にかけたという話だったはずだが。しかし、目の前の男は嘘をつくようには思えない。きっと魂を結びつける何かがそこにはあったのだろう。
「わしはかまわんよ。あそこはエルフさん達の仕事場じゃから、トルマノルさんに話しておくといい」
「本当か!? こんな今日村に初めて来た余所者にそんなあっさりと……」
「ただし、外に人がいても出来るだけ接触はせんようにしてほしいんじゃ。この村は存在自体が知られていないでな、外に村を知る者がいると色々とややこしくなるのじゃ」
「? どういうことだい? だったら俺たちを助けるのも本当は良くなかったんじゃないのか? 俺が言うのもなんだが、そう簡単に外出許可を出しちまうのも少し甘い気がするぜ?」
「それはじゃな……」
老人は小さく笑う。
「あんた達を助けると決めたのはアンジェラ様だからじゃよ」
「……!」
急いで辺りを見回す。
……気のせいか。誰かに呼ばれた気がしたのだが……。
ここは、食堂の裏手にある部屋の中。騒がしい場所が苦手なアンジェラは、食堂に人間が増えると時折ここに来る。部屋には鳥がけたたましい鳴き声を響かせている。悪魔の鋭敏な聴力を持つアンジェラには想像を絶する騒音なわけだが、これが逆に周りの音を掻き消してくれる。それに、普段いる食堂の一室ということもあって随分と慣れた。
最近、部屋の中で鳥の産んだ卵から雛が生まれた。変化があるというのは面白いもので、最初に出会った時よりも警戒心の薄れた親鳥と、その下で顔だけ出してこちらを見つめてくる雛を見守るのが少女の日課となっていた。
ちなみに、アンジェラがこの鳥を鶏であると知ったのはつい最近のことである。それまでは、村の中を闊歩する鳥がやけに多いなあという素朴な感想をもっていた。卵に関しても、薄茶色の妙な玉が置かれているとは思ったが、触った感触からまさか食べ物だとは想像もしていなかった。意外と脆そうだったので、一切触らないようにしていたのだが、それを見たシャヴィ・サリエン氏が誤解し、チーズよろしく少女の食事には卵を出さないようにしていた。それが卵だと認識できたのは、村の生活に慣れ、食事中でも周りに目を向ける余裕ができ始めた結果である。自身の知識と照らし合わせ、シャヴィ・サリエン氏にも尋ねることで、村では鶏を大量に飼育していることが判明したのだ。
「おや、またここにいたのかい? 随分と気に入ってるんだねえ」
「あ、あい。シャ、シャビさんは、な、何しに? わ、私を、さ、探して、たの?」
「え? あ、え、えぇとね、そ、そうだね! 外から戻ってきたのに、すぐにいなくなるからさ!」
「ご、ごめん、な、さい……。わ、わるい、こと、した」
「……」
本当は鶏を一羽拝借しに来たのだけれど、気の強い女主人は素直で謙虚な少女に弱かった。
今日は居候の少女も帰ってきて、病人も運び込まれた。精のつく豪勢な食事を作ってやろうと考えたわけだが、少女が部屋の中で佇む姿を見た日にそれは、嗜虐的な実験を行うようで気が進まないのだった。
顔に手を当てて立ち去るシャヴィさんの後姿を見て少女は考える。
やはり、村を守る方策を考えねばならない。森に異変が起きたのは明らかだ。自分がいる時であれば何かしらの対処も取れるだろう。だが、自分がいない時はどうだろうか。今日はただ運がよかっただけなのだ。考えの甘さは心にいつか苦みを与える。
「やはり……、気は進まないが、やるしかないのかな……」
少女は心の中に渦巻く葛藤をけたたましい鶏の声で流し込み、決断を下そうとしていた。
お疲れさまでした。
とりあえず、次の話で一時休載です。
十八話から物語が動き出す予定なので、よく匂うよう練っておきます。
絵も描きたいから、ちょっと休みたかったんや。