第十四話 野性の片隅
いらっしゃい。
二日ほどパソコンを触れなかったので、予約投稿してなかったの忘れてました。
「だあじょぶだかあ? 三日はかかる道があ、くたびれやあ言えぇ」
「あ、あい、だ、だいじょう、ぶ。へ、へい、平気」
アンジェラとエルフの一行は海を目指し、暗い森の中、道なき道を進んでいた。
てっきり、川下を伝って進むのかと考えていたが、水辺は魔獣の縄張りになっていることが多く、危険なのだという。であれば、敷地内に水源と池のある村は魔獣が寄り付きそうなものだが、魔獣が出没することはめったにないと聞いている。
「ほおにあん村ぁ不思議だあ。オホネ様あ守る言うんが、そらあ真だぁかなあ」
「あ、あの村、は、す、すすすご、い」
すごいと言えば、この魔獣の出没する森を、自分の庭の如くすいすいと進むエルフも大したものだ。森での移動は一族が数百年以上続けてきた習慣であり、彼らの感覚は研ぎ澄まされている。獣が近付いてくれば即座に気づき、それが魔獣かどうかも判断が出来るのだという。なんでも、魔獣は独特の気配を発しているらしい。
そもそも、本来エルフは森の中で暮らし、精霊の知識にも長けた種族なので、驚くほどのことではないのだが、イメージの外にいる彼らに対しては驚いてもいいような気がした。それに彼らには、もはや魔術を扱える者が残っていないらしい。
「昔はあ、森に精霊さいたあ言いよっが、今じゃあ見いこっがもんおらんだぁなあ。きい、森さ変ぁっちいだあな」
「……」
変わっちまったんはね、エルフさん、あんた達なんやで。
面識があったわけではない。だが、アンジェラにとって、自分を自分として支えてくれる存在は、3000年の時で培った膨大な知識量である。知識内容との齟齬は思い出が破壊されていくような侘しさを伴っていた。
時は世界を追い立てる。変化は隙間風、心のひびを気付かせる。
「さ、暗くなってきい、ここらあで陣張っだあ。飯さ食うだな」
もう陽が落ちる時間か。外の世界だからと気を張っていたが、存外トラブルはなかったな。むしろ、猪や猿に派手な色をした鳥、様々な獣を見ることが出来てちょっとした観光気分だ。
「やー、魔獣も寄ってごねし、随分ど調子よがったあなあ。こおなら、明日さつけっかもしんねえが」
「ああぁ、カレフさもアンズラ様あ心配しでっから、へえく終わっしで、へえく帰っだあ」
順調なのはなによりだ。それにしても、海か……。知識としては持っているが、物事と言うのは得てして、知ると見るとでは世界の形を大きく変える。それは村に来て身に染みた。
緊張するなあ。ドキドキとワクワクが止まらないである。海は書物でも分からないことだらけだ。陸地の魔獣よりも強大な海魔が潜むと言われているし、人魚についても亜人なのか悪魔なのか魚なのか、明確な結論は出ていない。
父様と母様も海は見たことがあるのだろうか? できればお土産も持って帰りたいものだ。
「……ほんっどに、なあも起きなんだな。こおもアンズラ様あ領主様だあってこっがねえ?」
「んだあ、加護さぁあっただあ違えねが」
村を出て二日目、アンジェラの少女離れした体力に加え、警戒すべき魔獣が全く寄ってこず、迂回せずに済んだため、エルフ達一行は日が落ちる前に海へ到達した。
「お、ぉぉお! す、すごぃひ、い! ひ、ひひ広い、ぞ、で、でっかい、ぞ!」
館に閉じ籠っていたアンジェラは、これほど莫大な質量の水が一所に集まっているのを見たことがない。人間でも海沿いの町に住んでいなければ、一度もその目に映すことなく生を終えるものは多い。実際、クリモリ村の住人も女性や体の弱い者は海へ訪れる機会に恵まれない。
「はっはっは、そおに喜んでくれえっど、来てもらったあ甲斐さあるが。しっがし、人魚さあおらんっだあなあ。ヤシュヒン、小屋さ見てくっがな」
「おうよぉ、人ぉいんも、村あ言ったあいがんがあ」
「わぁっとるが、一応武器持っどけえ」
トルマノルにヤシュヒン、加えて若いエルフ達が警戒しながら小屋に近づく。
「あぁー、だあじょだあ。まんまだあ。出え時と変あらん。足跡もね」
「ってこたあ、海かあ」
「そおしか考えれんが」
どうやら探し人はいないようだ。完全にこの地を離れたと確証が持てるのならばよいが、見つからないのは非常に困る。自分が領主という立場である以上、村を長く空けるわけにはいかず、こちらに滞在するにしても、今日を入れて四日までというのが村長との約束だ。
なにより、出向く際にサリエン家は非常に渋い顔をしていた。村長と、ジル……ジル、二人の説得に期待したい。
「しゃーねえだな。海さ来いんだ、飯い捕っが」
「んだぁ、そおがええ。アンズラ様、おめさも海い来いんに、遊べえ」
「あ、あい!」
へへ、自由時間だ。何かお値打ち物は出てきますかな。
アンジェラは浜辺の探索を開始する。靴は砂がまとわりついてくるので脱ぐことにした。辺りは潮による独特の匂いが満ち、水の中や岩場の陰に蠢く無数の生物が確認できる。一見すると開けた場所で、ひたすらに砂と水が続いて岩が露わになっているだけだが、後ろに見える木々の連なりに勝るとも劣らない豊かさがある。
すごい場所だ。遮るもののない陽の光が真っ白な砂と透明な海の水に射し、体が光に包まれているようだ。暗い館の中で過ごしてきた私は、これを知らなかった。求めようともしなかった。館の中で知を蓄えはしたが、これこそが知るということなのかもしれない。
しばらく浜辺を歩き、、自分がエルフ達とはぐれていないか確認するために辺りを見回す。遮るものがないため、首を動かすだけでいい。エルフ達は岩場に手を伸ばす者や、海藻を集めて選別する者、平然と海中に身を沈める者等、各々が各々の働きをしているようだ。
プロフェッショナルやな。その慣れた手際の良さにアンジェラは感心する。てっきり話に聞くような釣り竿や網を用いるのかと思ったが、ちょっとした食材を手に入れるくらいならば素手で問題ないらしい。
自分も自分の為すべきことをせねばな。まあ、やる事はお土産探しで遊んでるだけなんだけどね。少し申し訳ない気もするが、門外漢である自分が出しゃばるのも危ないし、気を使わせて悪かろう。
アンジェラはエルフ達の位置を確認すると、視界の端にある岩場よりも向こうには行かないと決め、その範囲内で目ぼしいものを探すことにした。
少し歩いただけだが、影がなく光のはねる砂浜は森の中とは比べるべくもない暑さで、気が滅入りそうになってくる。アンジェラは先ほど見たエルフを習うことにする。どんな生き物が潜むかも分からない水辺に近づくのを躊躇していたが、勇気を出して波打ち際まで近付く。すると、規則的に揺らぎを繰り返して泡を抱いた水が、砂に塗れた素足を心地よく洗う。意を決して足を海中に差し入れると、陽に温められた海水には安心感があり、海中の砂は粒子が細かく、水の冷たさをを保ったまま容易く指の間を抜ける様は、背筋から脳までが怖気立ち、不思議な快感があった。砂の感触を踏み締める楽しさに一歩二歩と進むうち、膝までつかる深さに来たところで足先に急激な冷たさを覚える。どうやら温かく感じるのは陽の光の当たる浅い部分のみで、これが海水本来の冷たさらしい。
そう考えた瞬間、アンジェラは少し怖くなった。自分の立つ位置よりもずっと先まで広がる海は、その深さもずっと増していくのだろう。陽の届かない深みは冷たく暗い世界を作り出しているだろう。足先に感じる冷たさは、その暗黒の世界へと続いているのだ。
アンジェラは活動範囲を膝がつからない程度の深さまでにしようと決める。自分の身長よりも深い海中に身を投じているエルフには、頼もしさと共に尊敬の念を抱かずには入れない。イメージと違ったからと言って勝手に幻滅していた自分を恥じた。
砂浜に座り、陽が空を赤く灯し海に光の道を映す様を眺めていると、エルフ達の呼びかける声が聞こえた。食事の支度が終わったらしい。
「アンズラ様あ、こらあ食うこったなかあな」
トルマノルの手には、ぶよぶよとしたヌメリのある肌に幾本かの触手を持つ不気味な塊がこちらを睨みつけながら蠢いていた。
…………え、これ海魔ですやん。
私知ってますよこれ。本に載ってましたもん。大船を海中に引きずり込み、鯨とかいう巨大な魚を食らうんでっしゃろ?
「あ、あの、そ、そそ、それは、や、やめた、方が……」
「はっはっは、娘っこにぃ気味悪があな。けんど、味ぃあうんめんだあ。食え食えぇ」
そう言うと、慣れた手つきでナイフを眉間に突き入れると、内臓を取り出し、塩で揉んでから解体していく。
……無知とは怖いものだ。あれは恐らく、大きさからみて海魔の幼体に違いない。エルフ達は知らないのだろうが、これは……。
「こらあ、生でえ焼いでえ茹でえも、全部うんめが、とおれ、こお食うてみいだあ」
触手の一本を薄く切って差し出してくる。
自分は、この者たちに世話になっている身だ。どうして断れようか。私には善意に応える義務がある。彼らの期待を裏切るわけにはいかんのだ。願わくは、海魔の怒りに触れんことを。
意を決し、ぬらりと光る海魔の肉片を口に運び入れる。
「どだぁ? うめえかあ?」
「……」
まぁ、いけるよね。味はいいよね。あと触感もね。生臭さとかもなかったしさ。
よく考えたら、たくさんいるっぽいし、エルフ達が消費するくらいだったらええんちゃうかな。そもそも、海魔も海の魔獣なわけで、放っといたらよくない討伐対象なわけだから、ここで数を減らすっていうのはさ、ここらで暮らす者にとっては良い行いなわけですよ。
まぁ、まるっと一匹いけちゃうよね。
この世界で新鮮な魚介類を食べる機会は少ない。市場に出回るのはもっぱら魚の干物であり、新鮮な魚にタコやエビ、貝といったものは、港町に住む者の特権として食されていた。クリモリ村においても、エルフの手伝いに出向いた者だけが得られるご馳走となっており、危険が伴っていてもエルフに同行したがる者は多い。アンジェラが舌鼓を打つのも無理はない。
この日の夕飯は、魚や海藻や貝にカニ、タコといった海で捕れたものを海水で味付けして、焼いたり茹でたりしただけのものだった。だが、それでも間違いなく美味かった。魚介という食材には、そうしたフィジカルの強さがあるのだ。
アンジェラはふとシャヴィさんの顔を思い出す。こんな適当な調理でがっついているのが、なんだか申し訳ない気がする。別にシャヴィさんの料理より美味いという話ではない。ただ、空に星が顔を出し始めた、この開放的な浜辺で、スプーンも使わずに素手で食べるのだ。抗い難い。純粋で粗野な食事には、何か心の奥底を刺激する独特の魅力があるのだ。
シャヴィさん、ごめんなさい。
満腹になり、砂の上に寝転んだアンジェラは心の中でつぶやく。そして、同時に強烈な眠気を覚える。思えば、朝は森を移動し、昼は太陽に照らされながら海ではしゃぎ、一日を動き回って過ごした。疲れるのも無理はない。
日中温められた砂に、暑さの引いてきた夜風が少女の体を重くし、瞼を落とさせる。
明日は何をして過ごそうか。
人魚に会うという目的を忘れつつ、少女は夏旺んの明日に向けて寝息を立てた。
お疲れさまでしたまねぎ。




