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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第十三話 深淵より

 いらっしゃ。

 夏の暑さは増すばかり。畑の野菜も日に焼けて、世界が色に満たされる。木々の隙間を差し込む光は流るる水になでられて、涼風一陣緑に揺らぐ。

 力強い生命の息遣いに当てられ、村にも活気が満ちていた。アンジェラが村に訪れてから一月と少し。クリモリ村に祭りの日が近付いていた。夏は人と魂の距離が近くなる。村人たちは先祖を悼む慰霊祭の準備に追われていた。


「あ、あれは何?」

「あれは神輿を作っておりますのじゃ。毎年夏になりますとな、オホネ様に村が健在であることを見てもらうために輿を作るのが、この村の習わしとなっておりますのう」

「え? の、乗せる、の? オ、オホネ……」

「ほっほっほ、確かにそれは難しいですの。あの体ですからな。じゃからのう、オホネ様の代わりに村の子供を一人代表に選び、オホネ様の元からこの村を回りますのじゃ。子供の方が魂が清らかで精霊に触れやすいと言いますからな」

「そ、それは、な、なによ、り」


 すっかり痩せ細ってしまった忠心に思いを馳せる。おそらく、今の彼は自分よりも体重が軽く、乱暴に扱えば崩れてしまいそうなほどに華奢だ。出来れば移動の少ない座り仕事に従事しておいてほしい。


「アンジェラ様は本当にお優しいですな。祭りまではまだ一月ほどありますから、オホネ様の魂を迎え入れても恥ずかしくない、晴れやかな用意をしませんとな。あと半月もすれば葡萄が収穫できそうじゃから、お酒だけじゃなく、アンジェラ様が飲めるジュースも作るつもりですわい」

「ほ、ほんと? た、たた楽しみ、ふ、ふふっふ……」


 少女の無邪気に喜ぶ様子を見て、老人は誓う。今年は村にとって特別な、盛大な祭りにしてやるのだと。だが、一方で気になることもあった。


「? ど、どうした、そ、村長」

「あ、これは、アンジェラ様、申し訳ないですな。考え事をしていたのが顔に出てしまったようですじゃの。……実はですのう、この村には今いる人間以外にも、外へ出ている者がおるのです。その者らが村を出たのは、アンジェラ様に合う前のことじゃから、もう帰ってきてもいい頃合い

なのですがの……。彼らが戻らねば祭りは……」


 え? 外? 何しに? 魔獣がいるんじゃないの?


「おーい、カレフさん! 旦那たちが村に来たぜ!」


 遠くからよく響く野太い声が聞こえた。目を向けると、半裸の大男が手を振っていた。


「どうやら待ち人来る、のようですじゃの。さ、アンジェラ様も来てくだされ。紹介いたしましょう」


 ……はぁ、まだ知らない人間いたんだ。今までは流れで勝手に紹介が済んでたけど、やっぱり自己紹介せんといかんのかなあ。やだなあ。たぶん一生慣れないんだろうな、これ。

 それで、どんな奴が来るんだ? 森の外に出向いてヴァンデルに旦那って呼ばれるような奴だろ? 怖い相手じゃなければいいなあ。


 アンジェラは近付いてくる影に目を凝らす。来るべき決戦のためにも情報が欲しかった。そして気が付いた。村に訪れた者の違和感に。


「み、耳……が、なが、い?」


 姿は人間と大差ないが、耳が悪魔である自分と同じように長く伸びていた。帽子を被っているのでよく確認はできないが、角は持っていなさそうだ。亜人ということなのだろうが、あれは多分……。


「エ、エルフ……?」

「おや、アンジェラ様は目が良いんじゃのう。わしの方はすっかり目が悪くなって、よく見えませんがの」


 やはり、エルフなのだろう。村長の平然とした様子をみれば、それは確かなようだ。だが、気になる点はもう一つある。彼らが持つ肌の色だ。


「だ、ダーク……エルフ……?」


挿絵(By みてみん)


 エルフはプライドが高い。故に他の種族が情報を集めることは難しく、その生態や文化には謎が多い。性質は勇敢で賢明。そのミステリアスな魅力は私としても心惹かれるところだ。中でも、ダークエルフとなると、その興味は尽きようがない。普通のエルフであれば、普段は森の中に引きこもっているとはいえ、必要があれば、他種族と交流することもある。だからこそ書物にも種族の情報が残っているわけだ。しかし、ダークエルフに関しては分かっていることが一切と言っていいほどない。一説では禁を犯して呪われたとか、エルフの集落から追放され魔に堕ちたのだとか、いろいろ言われているが、全て妄想に近い推測で何も分かっていないのが実だ。

 まさか、こんな形で出会うことが出来るとは……!


 アンジェラはやや興奮した面持ちで手に描いた汗をスカートで拭った。


「ダークエルフですか、ほっほっほ。確かに見事な日焼けじゃからのう。彼らは海の近くで暮らしておしましてな、魚を取って生活しておりますのじゃ」


 興味は尽きた。


「だいたい一月に一度、海でとれた魚と塩を持ってきてくれますでな、わしらにとってはかけがえのない恩人であり、友人でもありますのじゃ」


 まさかの供給路。一の興味が無残に散り、一の疑問が唐突に解決した。

 以前、塩をどうやって入手しているのか考えたことがあったが、こんなからくりになっていたとは。魚にしても生で運ぶのは難しいであろうから干物にしているはずだ。ということはつまり、私は知らず知らずの内に、川魚だと思って海の魚を食べていた可能性が高いということだな。

 知らなかったんだから仕方がないんだけど、実にまぬけな気分だ。


「や~~、カレフさん、すっかり夏だあなあ。お天道様あえらくてなあ、汗があ止まらん。いやあー、えらいえらい」

「いつも遠路からすまんのう。すぐに水を用意するでな、楽にしてくだされ。それにしても、今回は随分と時間がかかったようですな。人手が足りないようであれば、もう数人は送り出せそうじゃが?」

「いいやあ、ちぃ困ったことがあっただなあ。まあ~、そおも後で話そうが。今年もちぃっとの間寄っけえ、騒がしが、よろしぐ頼む」


 少しばかり抱いていた印象とは違う。他種族との交流を嫌っていたエルフも時を経て丸くなったということか。なんにせよ、友好的なのはなによりだ。村には恩義がある。その村の恩人というのならば、私も礼を尽くそうではないか。


「それでじゃな、トルマノルさん。こちらの御方なんじゃがな、一月ほど前から村で共に暮らすこととなった、アンジェラ様じゃ。驚くかもしれんがの、この地の領主様になられた御方じゃ」

「え、ええ? こ、こげにこっまい……、いげねっ、ああ、えぇと、領主様だか? あぁ、もう、どしたらいいだあ!? あ、汗があ、ヤ、ヤシュヒン、ふ、拭ぐものくれぇ!」


 丸くなりすぎちゃうかな?

 アンジェラの抱くエルフのイメージでは、冷酷な面も持っているが誇り高く、常に知性に溢れた立ち振る舞いで気品の漂う種族だった。知識の大半を書物に依るアンジェラにとって、書物にかっこよく書かれていたエルフは童心を刺激するものがあった。故にかっこよくあって欲しかった

 変化を好まない保守的な性格のアンジェラにとって、イメージの瓦解は心にクリティカルヒットする。幼少期の憧れとのギャップに苦しみながらも、目の前の客人に礼を失さぬために平静を装い、意識して畏まった挨拶をする。


《初めまして、エルフの皆さん。一月と少し前からクリモリ村のお世話になっております、アンジェラ・ネームレスと申します。以後お見知りおき頂ければ幸いでございます》


 村に静寂が訪れる。

 少女の周囲に唖然とした顔が並ぶ。

 え? どしたん?


「あ、あのアンジェラ様、今のは……」

「え、あ……、あぁ~、あいあい。む、昔の、こ、言葉。え、エルフ、も、つ、つつ使ってた」

「昔の言葉ですか……? トルマノルさん」

「え? え、ええと、ちょ、長老呼んでくれえ。む、むむ、昔のことは、わ、分がんね!」


 世界の形は随分と変わってしまったようだ。もういっそ頑張って四角形とかになってないかな。


「長老! こっちこっち!」

「えぇ……俺ぇ? ……ほんに、こげな時だけ年寄りを前に出すがあ。あぁえらい、えらい」


 少女の前に押し出されるような形で、エルフの老人が愚痴をこぼしながら連れてこられる。


「あぁ、えぇど、俺があ、メイノーフィア族の大年寄てことぉなっでる、ヴァタクナーシュオンだあ。よぐ分がらねが、何かあしゃべれ。聞かにゃあ分がらん」


 ……いや、別に通じないなら人間の言葉話せるし、このやりとり重要じゃないと思うんだけど……。しかし、考えると、第一言語を使う機会が消失している可能性があるというのは恐ろしい話ではあるな。人間の言葉を上手く話せるようにしておいて本当によかった。

 とりあえず、何か話さなくてはいかんのだよな。そうだなあ……。


《あのぉ、言葉分かりますか? エルフも使っていたはずなんですけど、通じてますか?》

「……うぅん、言葉かあ? それがぁ、通ずう……、ああ。分がらん。もう数百年かもっどか、よう使うとらんが。だぁめだぁ、しゃべれんが」

「い、いや、あの、に、人間、の、こ、ここ言葉、し、や、しゃ、喋れ、る……」

「あ゛ぁ?」


 アンジェラは少し体を震わせた。

 分からん……。エルフのイントネーションが独特で乱暴に聞こえる……。怖い……。


「たぁまげただなあ、こっまいのにおめらの口利きよるが!」

「だあなあ、領主様言っとおが、確かごっついもんだがあ」


 何やら感心しているようだ。よかった怒っていない。彼らとの会話は心臓に悪い。


「ほっほ、さっき目の前でわしと話しておったじゃないか」

「そおもそだなあ。しぃっがしのお……」

「どうかされましたかな?」


 エルフの長老は少し考えた後、トルマノルに目配せをする。それを受けたトルマノルは長老とアンジェラを交互に見やり、納得したように話し始めた。


「アンズラ様だっただかな? 実はあ、お願えしいこっがあるだあ」


 トルマノルは被っていた帽子を脱ぎ、目線をアンジェラに合わせる。


「俺らとお、海に来て欲しいんだあ」




 テーブルには村の敷地内に池で取れた水に、今朝焼けたパンと蜂蜜が用意されている。

 村長は陽に焼かれていたエルフ達を食堂へ招き、軽い食事をしながら事の顛末を聞くことにした。


「人魚……、ですかな?」


 エルフ達は海の恵みによって、その生を支えている。船を繰り、彼らのみ知る沖の漁場にて魚を得ていた。しかしながら、最近はそれも難しくなっているのだという。

 原因は人魚だ。彼女達は――人魚に雌雄があるのかは知らない――エルフが漁を始めると邪魔をし、漁場を横取りしたのだという。魚がいなくなると、再び漁をするエルフに近付いてくる。仕方がないので、浅瀬で魚を取っているのだが、それでも寄ってくる時があるのだという。


「人魚さ相手じゃあ、どおも出来んが。船えひっくり返されっどお、なあも出来んだ」

「それは困りましたな……。夏の間に人魚がどこかへ移動してくれればよいのじゃが……」

「あいつらぁ、なあ考えとおか分がらんだあ。そおになあ……」

「トルマノルさん、それについては俺が話すよ」


 エルフ達に混ざって食事をしていた男が立ち上がり、こちらに近づいてくる。彼は村の人間で、どうやらエルフ達と海に行き働いていたらしい。


「村長、人魚達は確かに問題なんですが、妙なんです。人魚達が船使ってるんですよ。人の使う船ですよ? しかも船には人が乗ってて魚捕らせてるんです」

「なんじゃと!? 人がいるのか!?」


 村長が焦りの顔を浮かべる。先程の情報は余程重要なものだったらしい。


「俺も驚いたですよ。急いで隠れたんで、チラッとしか見てないんですが、やけにげっそりしてて、何か叫んでたんですよ。近付いて人魚に襲われてもいけないんで、いつも逃げてたから何言ってるのかは分かりませんでしたけど」

「困ったのお……。この村の存在が国に知られる訳にはいかん。昔のことではあるが、戦争から逃げたわしらは罰せられる対象じゃ。たとえ許されたとしても税を納めねばならん。余裕がなくなれば冷害には耐えられんじゃろうし、重い荷を森を通って届けねばならん」

「俺らが相手に事情を聞くわけにはいかないし、エルフさん達に聞いてもらおうにも、人魚がいて近づけないんですよ」

「なるほどのう、それで……」

「ああ、俺達じゃ人魚さぁなあ考えっか分らんが、アンズラ様あに話さしてもらいたいんだあ。おんなじよな文句言っとおが気いしただ」


 アンジェラはようやく話が理解できた。いきなり一緒に来てほしいと言われ、何らかの許されざる要因が確認されたために、連行されるのかと戦々恐々としていたのだ。

 しかし、思えば誰かに頼られるという経験は初めてと言っていいかもしれない。村民に魔術を教えてはいるが、それはただ知識をひけらかしているだけだ。だが、これは情報が少ない場所に自分が飛び込まねばならない。平穏を求める自分ならば、そんなものには絶対に近付かない。しかし――


「……それは、あまり気が進まんのう。アンジェラ様はこの地の領主様であられる。これもまた多くの者に知られるべき事柄ではなかろう。これはじゃな、わしの我儘ではあるのじゃがな、身の安全のためにも、出来るだけ村を離れて欲しくはないのじゃよ」


 …………。


「わ、私、は、い、行きたい」


 村長が複雑そうな顔をしてアンジェラを見つめる。


「これは貴女ではなく我々の問題じゃ。それでも、よいのですな?」

「い、いい。そ、それに……」


 アンジェラは少し顔を紅潮させながら、村長の目を見て話す。


「う、……海が、み、みみ見た、い」


 妙に気恥しく感じられた。自分の意思を伝える。自分には経験の不足した行いだった。


「ほ、ほんとかあ、ありがてぇだなあ。……たぁだあ、言いにくが、行げっなら明日にでも行きてんだあ」

「どういうことですかの?」


 村長はいまだアンジェラが村の外へ行くことを納得できていないのか、顔つきは厳しい。


「あの辺りの海は夏が深まると海が荒れ、しばらくは漁が出来んはずじゃなかったがの? ならば、漁が出来るようになる秋まで待てばよかろう。人魚もいなくなっているやもしれん」

「いいやあ、浜には塩田にぃ貯蔵小屋もあるだ。船ぇいた人間に荒らされど困あだあ。そおに、人魚さ増えてえど、もお魚あ捕れんが。他あ行くしかなくなぁだあ。だったらあ、海さ荒れる前え行っで話つける方がええだ」


 村長は苦悶する。可能性の話ではあるが、塩も魚も失うわけにはいかない。身体能力と感覚に優れたエルフの護衛がなければ森を移動することは難しい。自分の一存で決められることではなかった。


「……わしらは外の者に会うことはできん。だから、村の者が護衛に付いて行くことも出来なんだが……、それでもよろしいのですかな? アンジェラ様」

「……こ、怖い、けど、い、行きたい」


 村長は観念した。目の前の小さな少女は、子供の無謀さで判断したわけではない。恐怖を抱いた上で自分の意思を示したのだ。

 自分には少女の身を気遣うことしかできなかった。


「分かりました。そこまで言うのならば止めはしますまい。……わしは、アンジェラ様の意思を最大限尊重したいと思う。エルフの皆さん、どうか、どうかアンジェラ様をお頼みします」

「ああぁ、応とも! 元々ぉ俺たちの縄張い起きた問題だあ。お願えしてっは俺たちの方が。傷一つさつけさせんが!」


 深々と頭を下げた村長に胸を張って宣言したエルフ。

 彼らの間には深い信頼関係があるのだろう。もし、問題を解決できなければ、彼らの距離を物理的に離す結果になるかもしれない。本当に人魚の扱う言語は現代の感覚で言う古代語なのか心配だが、今この場で状況を好転させられる可能性があるとすれば自分だけだろう。村には恩義があるのだ。一員として受け入れられたからには、成すべき事を成してみせようとも。


 アンジェラは外の世界を知りに行く。純粋な好奇心と純朴な使命感をその胸に。

 お疲れ様でっしゃい。

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