第十二話 守護者
いらっしゃいまし。
仕事の合間の昼休み、村の中では新たな習慣が作られようとしていた。
広場に人が大勢集まっている。その中心には少女の姿があった。以前にも見たことのある光景だ。だが、この前とは違い、村人たちの少女を見る目には真剣さが宿っていた。
村は話し合いによって少女を一員として受け入れる道を選んだ。それは保護ではなく、共に村を守るという意味でもあった。
故に村人たちは頭を下げた。再び魔術を教えてほしいと。
「うぅん、上手くいかないねえ……」
「人形創造とは勝手が違うな」
「まだ始めたばかりだからな、しょうがないさ」
村人たちは少ない時間をやりくりしつつ、出来るだけ訓練に参加するようにしていた。
少女は前回の反省を生かし、危険の無い初歩的なものを丁寧に教える。しかしながら、経過は芳しくない。ただ地面の石を動かすなど、明らかに人形創造よりも簡単なものから教えているのだが、何故かうまくいかない。
おそらくだが、人形創造だけは代を重ねることで、生まれつき情報を保持した遺伝子のようなものがあるのだろう。そのためか、人形創造の精度が家系によって大きく異なっている。村自体は600人くらいしかいないそうなので、そこまで血はばらけていないのだろうが。もしかしたら、最初の代で使えるようになったのは数人程度だったのかもしれない。
なんにせよ、新たな魔術習得は厳しいかもしれない。人形創造にしたってルヴナクヒエなどはからっきし使えなかった。向き不向きがあるのだろう。素直に人形創造の精度を上げていった方が現実的な判断と言えるかもしれんな。最初に魔術を教えた人間は実に優秀だったのだろう。
「だめだ、うんともすんともしねえ」
「おっかしいなあ、人形創造の方が難しそうなのに」
「まあ、そんなに簡単に使えるようになれるんだったら教会や貴族も威張ったりしないだろう」
「…………」
それにしても……、不器用過ぎないだろうか? ただでさえ魔力量が少ないのに、その強弱をコントロールすることも出来ていない。人間にとって、魔術とはこれほど難解に感じるものなのか。高等なものであれば神の御業と錯覚もしような。人間社会が魔術至上主義に走るのも無理はない。
「くそっ、だめだ! 森の外だったら……」
「やはり、呪われた地では難しいのか……」
? 何の話だ? 呪われた地?
「そ、村長、の、のろわ、れた? ち、と、とは?」
「……そうじゃったか。記憶を失くしているとは聞いておったが、この土地も分かっておらんかったのじゃな」
「は、はぁ、あい、あいあい」
どうやら、私には知識として重大な部分が欠落しているらしい。真っ当に生きてきたつもりだったんだがな。
「この森はじゃな、領主がおりませんのじゃ」
「……領主?」
「そう。土地を支配する者ですじゃ。全ての土地は何者かが代表となって領主となることが出来るのじゃ。領主となればその土地に住まう精霊の力を得られると言いますじゃ。そして、そこに住む者は領主に忠誠を誓うことでその恩恵を得ることができる」
「…………」
「ただし、領主と認められるには高度な魔術を扱えねばならぬらしいのじゃ。かつて、この地にも高名な魔術師が何度も足を運んだと聞いておりますの。じゃが、結果はいずれも失敗し、とうとう領主の存在を拒む、呪われた地と呼ばれるようになったそうじゃ」
「領主がいない……」
「土地を求める者は多くいたようですがの、領主がいなければ戦争になれば守り切れぬし、統治も出来ない。結局、放置される間に魔獣が育ち、人間の寄りつけぬ土地となったと言いますじゃ。だからこそ、わしらのご先祖様は森の中に逃れることが出来たと言えますがの」
……なるほど、つまりは――
「りょ、領主が、い、いない、から、せ、精霊、の、ち、ち力を、つ、使う魔術、が、あ、扱い、づ、づづらい、と」
「そういうことになりますかのう。そもそも領主とは精霊に認められた者を意味するそうじゃから、わしらはまだ精霊に認められていないのじゃろうな。それでも人形創造が扱えるようになったのは、きっとご先祖様を見捨てない天使様の御心が届いたからなのじゃろうの」
……。
「そ、村長。か、考え、が、ある」
「考え? ですかの?」
「わ、私、が、り、領主、にな、なれば、い、いい」
衝撃的だった。
自分の耳を疑った。
この森は自分が生まれるずっと前から呪われた地として存在している。言わば、領主がいないことが普通であり、当然であった。そのため、新たな領主などという発想を持つことが出来なかった。
だが、目の前の少女は事も無げにそれを口にした。そんなことが出来るのか?
いや、出来る訳がない。領主になるということは、その土地を得るということだ。ならば、国が放っておく訳がないのだ。王国最高の魔術師が派遣されたに違いない。それでも、この森が呪われた地として存在しているということは、つまりはそういうことなのだ。出来るわけがない。
しかし――
「……お嬢さん、その言葉は嘘や冗談ではなく、本気なのかい?」
「あい」
出来るのかもしれない。
足を悪くし腰の折れた自分を見上げる、小さな女の子が領主になれるのかもしれない。
なぜなら、この少女は特別なのだ。
「それで、何か必要なものはあるのかい? もしも、本当に可能なのだとしたら、わしらに出来ることがあれば何でもするし、何でも差し出そう」
「だ、だい、じょう、ぶ。な、何も、いら、ない。精霊、にみ、認め、ら、られれば、そ、それで、お、おわ、り」
意識が遠くなりそうになる。もしかすると、目の前の少女は自分が考えている以上に特別な存在で、自分のような一村人が口を交わすことも憚られる、雲上の身なのかもしれない。
「皆の者! よく聞くのじゃ! もしかすると、わしらの生活が大きく変わるかもしれん。知っての通り、この地は呪われておる。じゃが、これから新たな領主を得ることが出来るかもしれん」
地面に落ちた石ころ相手ににらめっこをしていた村人たちが一斉に振り返る。
「カレフさん、何言ってんだい? 領主ってそんな」
「領主? 領主ってーと、精霊の力が借りれるってやつか?」
「すごい魔術が使えなきゃいけないんでしょ? ちょっと気が早くない?」
反応はしたが、いまいち要領を得ない。
「領主って誰がなるんだ? 村長がなるのか?」
「この子じゃ」
村長が傍らに立つ少女に目を落とす。
「……あ」
村人たちに動揺が走る。心情ではあり得ないだろ、と突っ込みを入れているのだが、以前、強大な魔法を目の当たりにしているだけに、好き勝手言いたくともぶつけるべき言葉を持たない。
「必要なものはないと言っていたが、本当に出来るのじゃな?」
「も、もう、お、終わった!」
「なんですと?」
妙な言葉が聞こえた気がした。年を取ると耳が遠くなる。
「も、もうおわ――」
「お嬢さん、すまないな。わしはどうやら緊張しているようだ。言葉を聞き逃してしまった。この地を人が安心して暮らせるようにすることは、ご先祖様の悲願じゃった。悲願成就のためにも、領主は必要不可欠な存在だったと言えような。半ば諦めていた。いや、諦めていたのじゃ。それが今、夢でなくなるやもしれん。年甲斐もなく興奮しておるのじゃ。すまなかったなお嬢さん。話を続けてくれるかい?」
「…………さ、さっきのはじょ、冗談。い、今から、がほほ本、番。や、ややや、やる、……よ?」
村人たちが固唾を飲んで見守る。はっきり言って、どうしたらいいか分かっていない。領主についても、生まれてから一度もその恩恵にあずかたっことがないため、有難さの程度も判断できない。ただ、村長の真剣さに、村に重大な事が起ころうとしていることは理解していた。
少女がゆったりとした動きで村人たちに背を向ける。そして、天に両手を掲げ、唸りだす。
「ゃ、や……やぁああああああ、ぁ、ああああ……。あ、あい、お、終わり、こ、こんなもの、で、
い、いいかがで、でしょう、か……?」
状況が上手く呑み込めない。
「お、終わった……? のかい……?」
少女は何故か引きつった顔でゆっくりと首を前に倒す。
「あの、村長、これ、は……」
「……いや、……うむ。とりあえず、じゃ。とりあえず魔術が上手くいくか確かめてみるとしよう」
村人たちにとって領主の不在は、自分たちの命を脅かし続ける世界の理であった。それだけに、さぞ壮大な儀式が行われるに違いない、という期待感のようなものがあったのだ。
村人達の心中は一様である。
わくわく感が足りない。
「あの、村長、これ、動いてません? 石」
「お、こっちもだよ。なんか動くぞ」
「まじかぁ、さっきとは何が違うんだろ?」
魔術が成功するか確かめる村人たちから落ち着いた驚きの声が上がる。あまりにもあっさりと変化が現れたため、気持ちが追い付いていない。
そんな中、ただ一人だけ明らかに違う空気を纏った者がいた。
「……皆分かるか? 奇跡じゃよ。わしは信じられんかった。今さっきまでじゃ。いや……、信じたくなかったのかもしれんの……。わしは諦めていたんじゃ……。本当は望んでいたはずなのにじゃ。村を思えば望まずにおられんかった……」
村長である。
その言葉は感じ入るあまり、完全な一人語りとなっている。村の中で領主の価値を正しく理解する数少ない人物なので、正しく感動しているのだが、他の者よりも感動を受け入れるスピードが早かったため、若干浮いていた。
「そ、そうだよな村長! すげえんだよな、そうだよな?」
「そうだね、石が動いたってことはさ、もっとすごい魔術も使えるかもしれないじゃん」
「もしかすると、火なんか出せたりしてな! そしたら朝は俺が卵焼いてやるよ」
「こんな田舎者の俺達でも魔術師になれるかもしれない……ってことなのか……?」
「少なくとも素質はあったってことじゃねえか?」
「へー、素敵! 魔術師ってさ、貴族とも結婚することあるんだってさ! 知ってる?」
村長を見て、村人たちにも段々と喜びが追い付いてきた。中には今まで知らなかった自分の素質と可能性を知り、体を震わす者も現れた。
村長を筆頭に、いつのまにか村の広場は喜色に包まれていた。ただし、広場の中心にいる俯いた少女を除いてではあるが。
え~、この度はこのような事態になってしまったこと、これは本当に申し訳ないことをしていたなと、心よりお詫び申し上げる次第であります。もしも償えることがあるのならば、誠心誠意の努力をお約束したい。これが嘘偽らざる本心であります。
悪魔の少女は脳内スピーチを行うことで精神の均衡を保っていた。
……何も言うまい。
…………そうだとも。いやさ、そうだとも! 最初から私がここの領主なんだよ!
だが、仕方ないのだ! 元々は父様が領主だったから、私は領主になりたかった訳じゃなくて、引き継いだだけだから! 本当に申し訳ないのだ! ごめん!! ん!!!
私自身も領主だったなんてすっかり忘れてたし、3000年前は人間住んでなかったし、館に籠ってる間にここらが呪われた地扱いになってるとか、もう、そんなん知らんやん。
……ここで領主、って聞いた時はさ、あちゃーって思ったよ。でもね、私自身それを忘れてたんはそこまで悪いことちゃうと思てたんですよ。人間達とはつい先日まで面識なかった訳やし。だからね、閃いた訳ですよ。このタイミングで領主なったことにしたろ、て。記憶失くした言うた手前、私が領主ですなんてよう言いませんよね。これがね、ベターだったと思うんすわ。ところがやね、村長の具合が妙なんですわな。それ見たらね、やっぱり思うよね。「そんなにか」ってさ。そしたらもーたまらんのですよ。あ、ここにいる私、本当ちゃうやんって。
少女は高速で情報の脳内謝罪処理を行い、なんとか冷静さを取り戻す。
落ち着け、落ち着くんだ。トランキーラ、あっせんなよ私。
そもそもだ、そもそも、人間も人間で勘違いをしているのだ。
村長は精霊に認められるとか、そんなことを言っていたので話を合わせたが、精霊はそんな親しみの感じられる存在ではない。確かに、精霊は世界の理の一端を担っているし、自我も少なからずある。だが、あれは魔力を適切に流せば反応をして魔術や魔法に変換させる媒体のようなもので、熱を加えると変化する水の関係に近い。どこにでも存在するので、魔力に反応する大気と言った方がいいか。
何が言いたいかというと、領主なんて言うのも、結局は精霊がより強い魔力を持つ者になびく現金な性質がある結果ということだ。理由は分からないが、精霊側が力を求めているのだ。何故そんなことを精霊がしているのかと問われれば、そういう習性があるんでしょうとしか答えられない。火や水に自我があったとして会話は出来んのです。世界がそう求めるから、そう動いているのでしょう。
なんにせよ、私はいまだ領主として精霊に認識されているわけだ。領主であることを意識して魔力を大気中に流すと感覚として理解できた。先程も確認のために魔力を流すと精霊たちの「せやで」という声が響いた気がした。……彼らにも少なからず自我があるわけで、役割を果たしてるだけだから。会話はしてないから。
しかし………、困ったな。村の人間にとっては幸いかもしれないが、中々に厄介な問題だ。私自身、領主であることを忘れていて、精霊に魔力を提供することも怠っていたのだが、一度領主に認定されると死ぬか何かしないと新たな領主が生まれないようだ。ほんまシステムの欠陥やで。
新たな問題の発覚により、身を守る方策を考えねばならなくなった悪魔の少女。その一方で、村人たちの間に奇妙な流れが生まれていた。
「天使様じゃ……」
村長が一言だけ、ポツリと漏らした言葉があった。
「フフフ、そうよね、まるで天使みたい」
「あんなすごい魔法が使えて、こんな辺鄙な場所に突然現れるんだもんな」
「本当に、本当にそうなのかもな」
「天使か……」
村人たちの、その亜人の少女に対して向けていた目は、すっかりと色を変えていた。
「お嬢さん!!」
「ゔぇっ!? あ゛っ、……ぁああ??? ぁい!?」
意識を思考に集中していた少女は、村長の奇襲じみた呼びかけに動転した。
「お嬢さんは名前も思い出せず困っておりましたな?」
「え? ……まぁ、あい、そ、その通り、です、あいあい……」
唐突な質問によって混乱に拍車がかかる。とりあえず、思い出せないというのは完全な嘘だが、名前がないというのは事実だし、困るかと言われれば、そいう時もあった気がする。だが、それが一体どうしたと――
「私が名前をつけてもよろしいですかな?」
「え?」
名前? 私にか? 3000年以上私は私だったのに?
「この村にいる間だけでもいいんですじゃ。どうですかな?」
分からない。他者に与えられた名前に価値はあるのだろうか?
分からない。でも……。
少女は少しだけ考えた後、村長に任せてみることにした。
「アンジェラ様……、とお呼びしたいのじゃが……、どうじゃろうか?」
アンジェラ……、意味は分からないが……、何となく自分にピッタリな気がする。アンジェラ。そうか。アンジェラ・ネームレス。これが私の名前なのだ。
意味や価値など無くてもいい。ただ、親しい相手から貰えたこと、それがきっと特別なのだ。
「さ、様は、いら、ない」
一言だけ答えたアンジェラの顔は、少し赤く、照れたようにはにかんでいた。
アンジェラ。
少女が館で過ごした3000年の間に人間の社会で生まれた、天使を意味する名前。
少女は強大な力を持った大悪魔である。年は3000と少し。
今日からは名前もある。
お疲れ様でし。