第十一話 星が落ちる
いらっしゃい。
いやはや、世の中とは不思議に溢れ、予想だにしないことが濁流のごとく押し寄せるものでございます。何かがおかしい、そう思った時は想像の十倍はおかしくなっているのかもしれません。
「あ、あの、こ、こんにち、は」
「え! ……あ、あぁ、こんにちは……」
「あ、あの」
「! お、おう! 嬢ちゃん元気か! ハ、ハハ……」
「あ、」
「おっと、畑に急がんとな! 畑にぃ!」
……どうしたことでしょうなあ。
おかしいですなあ、朝からこの調子でございます。村に何か起こったのでございましょうか? ……心当たりは一つしかございません。昨日……のことでしょうなあ。
何か間違ったん?
難しいなあ、人間の社会は難しいなあ。どうしたらいいのかなあ。
少女は涙目になりながら今日の予定を考える。昨日から普通に接してくれるのはシャヴィさんしかいない。村長は険しい顔つきで考え事をしていたので、話しかけることが出来なかった。ジルナートも珍しく忙しいようで、自分に仕事を割り振ってくれる人間がいない。
結局、この日は自宅で――居候ではあるが――謹慎することとなった。
ベッドに横になるも、外から差す月明かりに窓を閉める気分にはならない。
失敗したというのなら、それは仕方ないことかもしれない。同じ過ちをしないよう改善する努力をしよう。だがね、そもそも何が失敗か分からない時はどうすればいいのでしょうかね?
難しい。難しいのです。私は魔術が得意であります。故にこれによって認められたかったのであります。ですが、それは、その思いは、露と消えてしまったようであります。
指透かし 星眺むるも 夢潰え 平に映すは 夏の月影
無念です。侘しいです。儚いのです。私は、私は人間と、人間と仲良くなりたかったのだと思います。私は無力です。魔術しか取り柄がありません。しかし、この状況を好転させる魔術など知り得ません。私は無力なのです。ゴミです。
少女は自分の顔を覆いたくなる衝動に駆られ、枕に顔を埋める。角があって寝返りが打てないので、一度立ち上がりうつぶせになったのである。
枕が冷たくなるのを感じながら、少女は自分の出来ることを必死に考えた。
その夜、集会所では連日の話し合いが行われていた。議題は分かり切ったことである。
「なあカレフさん、話が違うじゃねえか。あの子は怖い思いして逃げてきたんじゃなかったのか? あんな力があるなら逃げる必要もないんじゃないか?」
「いえ、それは僕の想像です。それに、その可能性はまだ否定できません」
「おいおい、だったらもっとまずいんじゃないか? あの子よりも強いやつがいるってこったろ? あの子を追ってきたらどうするんだい?」
「可能性の話ではありますが、あり得ると思います。ただ、追いかけているとは限りませんし、この村の中で静かに生活していれば見つかる危険性も低いと思います。それに、あの子が村にいるいないは関係なく襲い掛かってくるかもしれません」
「まじかよ……。だったら、あの子にいてもらった方が心強いんじゃないか?」
「でも、逃げ出したんじゃないの?」
「そもそもが仮定の話なので、結論を急ぐのは危険です。仮に逃げ出したのが真実でも、相手は魔獣や亜人とは限りません。土砂崩れといった自然現象など、抗えない力によって退避を余儀なくされた可能性もあります」
「うーん、よく分からんなあ……」
「そもそもで言えば、あの子は大丈夫なのか? 魔術は危険なんだろ?」
「何か、間違いをしなければいいんだけど……」
話し合いは長引いていた。
村人たちの熱のこもった声が飛び交う中、長老ネイエイ・カレフはただ静かに待っていた。最初から話をまとめるのではなく、心に留めた正直な声を出させておくべきだと考えたからだ。出来ることならば、皆の考えで結論が出てほしいと望んでいた。
眠れぬ夜は続いていた。
遠くから自分のことを話す声が聞こえてくる中、悪魔の少女はただ静かに震えていた。最初から盗み聞きするつもりなどなく、悪魔の持つ鋭敏な聴覚が自然と声を拾ってしまうのだ。出来ることならば、控えめな声で議論してほしいと望んでいた。
恨めしい。もしも、昨日のように早く寝ていれば、聞かずに済んだというのに。もしも、窓を閉めていれば、これほどはっきりと聞こえることもなかったろうに。
だが、もう遅い。時すでに遅しだ。聞こえた内容が内容なだけに聞かぬわけにはいかない。もう、なんというか、絶対にそんなことないんだけど、知らないまま処刑が決定されていても納得できた気がする。とにかく、今が辛いわ。頼むから早く終わっとくれい。
「……あの子が魔術使えるだとか、危険だとか、そんなこと今更じゃないかい」
聞き慣れた声がした。
「今更? あの魔術を見ただろ? ありゃきっと魔法だぜ? 誰だって腰抜かすさ。それでも今更だってのかい?」
「そうさ、今更だよ。きっとあの子はすごい魔術が使えるだろうくらいは、とっくに思ってたさ」
意外な言葉に集会所は水を打ったように静まり、村人たちの視線が一人の女性に注がれる。その眼には驚きと疑念に満ちていた。
「そりゃ、そりゃあどういうこったい?」
「魔術が使えることに気づいていたということですか?」
「別に魔術を使うところを見たわけじゃないさ。あの子がここに来た時に身に着けてた服を覚えているかい? 無駄な装飾のない、簡素な黒いドレスだよ。生地がすごく滑らかでさ、畑に行ったと聞いた時は本当に腹が立ったよ。どうやって洗ったらいい、汚れは落ちるのかってさ。だけどさ、ドレスは一切汚れてなかったんだよ。ポンとはたいたら土ぼこりが全部落ちちまった。あんな物見たことも聞いたこともない。あれはきっと魔法がかかってるんだろうさ。そんなものを身に着けてる子が魔術を知らない普通の子だと思うかい?」
「いや、でもたかが服だろ? 確かに魔法のかかった服なんて聞いたことないが……」
「ちょっと待て、一時的に鎧を丈夫にする魔術だとかは聞いたことあるが、あの子は半日は動き回ってたんじゃないか? そのドレスにまだ魔法がかかっているとしたら、一体どれほどの価値になるだ……?」
「きっと町にもないんじゃない? 貴族が欲しがるんじゃないかしら」
それまで黙っていた村長が咳ばらいをする。話が逸れ始めていることに気づいた村人たちは姿勢を正し、村長の言葉を待つ。
「それで、サリエンさんや、他にも気づいたことはあったのかの?」
「あとはそうさね、あの子が水で体を洗ったのに、体が冷えるどころか温かかったり、部屋が全く汚れないってことかね」
「なるほどのう……。確かに不思議じゃな」
「私が気づいたのはそれだけさ。あの子は、今まで身近な生活の中でしか魔術を使おうとしてなかったんだよ」
「ふむ、そうだのう……。じゃがな」
村長は言葉を溜め、諭すように話しかけた。
「サリエンさんや、何故それをわしらに話してくれなんだ?」
シャヴィ・サリエンは思わず言葉に詰まる。
「……想像はつく。あの子を思うてじゃろうな。それに、確かにあの子の性格を考えるとの……」
気弱な少女の姿を思い浮かべる。もし、ドレスに価値のあることが村に知れ渡れば、彼女は自ら差し出してくるような気がした。
村長はさきほどまでドレスの価値に言及していた者たちに目を向けながら話を続ける。
「先に言っておくがの、わしらがあの子を助けようと思ったのは見返りを求めたからではない。じゃからの、今からどういう結論が出されようとも、あの子の所有物はあの子が持つ。その上で話を続けよう。あの子をこれからどうするとな」
村人たちは一様に黙りだす。
自分たちの喋りたい気持ちはあるのだが、意見と言えるほどまとまった言葉が出てこない。それに、そんなもやもやした状態で出した言葉が決断に繋がって欲しくもない。
これといった意見の出ぬまま、時だけが過ぎてゆく。前日に続き、今日も結論は出ないのかと皆が諦めかけていた中、男が一人痺れを切らした。
「なあ、サリエンさん、本当に知ってることはそれで全てなのかい?」
「あたしゃさっき喋った通りだよ」
「そうかい。あんたのことだから何か庇ってんじゃねえかと思ったんだがな」
「……どういう意味だい?」
「言っちゃ悪いがな、あんた、まだ娘さんのこと引きずってんだろ? 同じ背丈のあの子に入れ込んじまうのは分かるが、情報は共有してほしかったってことだよ」
「なんだって……!!」
「おい、そこまでにしろよ」
皆の輪に加わらず、部屋の隅に座った男が二人を諫めた。男は俯いたまま剣を固く握りしめていた。
「……すまねえ、悪気はねえんだ。余計な世話を焼いちまったようだ。……だがよう、俺はこれ以上考えたかねえんだよ。小さい女の子をこれからどうするかなんてな。サリエンさん、頼むよ、何か、何かないのか?」
「……あたしは……、あたしは、ただ助けたい。それだけだよ。出せる情報はみんなの知ってる通り、あの子は真面目で気遣いの出来る子だってことくらいさ」
「そうだよな、あの子は悪い子じゃないんだよな。……なあ、あんたはどう思ってるんだ? ルヴナクヒエ。あんたも近くで見てたはずだろ?」
「……俺か。俺は……」
少し考えた後、吐き出すように言った。
「分からねえ」
「ルヴ!! あんた……!!」
村長の咳払いが響く。
集会所に再び音のない時間が訪れる。
少女と仲良くしていた様に見えたルヴナクヒエの意外な言葉に、場の空気は一段と沈み始めた。結論の一つに現実味が出たのだと、村人たちも理解できたからだ。
「なあ、ルヴ坊よ」
体の大きな男が沈黙を破り、俯いた若き剣士に語り掛ける。その呼び方をする者は村に一人しかいない。
「お前悔しいんだろ?」
「……」
「俺たちゃ仕事の合間によ、必死こいて槍だの剣だの振ってなんとか生きながらえてきたんだ。それがよ、あんな小さい子が手えかざしただけであれだぜ? 俺だってマジかよって思ったさ。今までやってきたのは何だったんだって、人間はそんなに弱いのかってよ」
その言葉に村の男たちの幾人かが反応した。そして気づいた。自分たちの持つ、なんとなく納得することが出来ないもやもやとした感情。意見になど出せるわけがない。自分が幼い少女に嫉妬していたなどと。
「だがな、俺はあの子と初めて会った時のことをよく覚えてるんだ。オホネ様の前で会ったあの子はよ、俺をよ、俺を見て怯えてたんだぜ。」
剣を握りしめた男はハッとして顔を上げる。
「きっとあの子は俺より強いだろうよ。だがな、あの子は子供だよ。親とはぐれた小さな子供だ」
ルヴナクヒエは思い出した。
初めて会った時、声をかけると村長の後ろに隠れ、震えながら見つめてきた少女の姿を。
「……フンッ、俺もどうかしてたぜ。ありゃガキだな。村にいたってどうもこうもねーよ」
張り詰めて固まっていた空気が弛緩した。止まっていた秒針が動き出すように、村人たちから声が上がり始める。
「そうだよ、大の大人が子供を怖がってどうすんだよ! 俺は男だぞ!」
「まあ、私は生活に影響が出ないなら……」
「そうねぇ、あの子が村に来たのもねぇ、きっとねぇ、オホネ様の思し召しだと思うのねぇ」
「……決まりだな」
ヴァンデルとルヴナクヒエの言葉によって話し合いの流れは決そうとしていた。そんな中、神妙な面持ちで考え込む男がいた。
「あ、あのよう……」
「ん? どうしたビルさん」
「俺も意見を、……言っていいかな?」
普段とは打って変わった真剣さに、皆固唾を飲んで見守る。
「……可哀そうだと思うんだ」
「……」
「…………あの子はとても可哀そうだと思うんだ」
ん?
「ビルさん、それ……だけなのかい?」
「……ああ。可哀そうだ……」
一同揃って力が抜けるのを感じた。
とはいえ、結論としてはそれでよかったのだ。
そもそも、村人たちの中に少女を追い出そうと考える者など、一人もいなかった。そして、それに気づいているのは村長ただ一人だった。
最初から村長は、少女を村に残すことを結論において議論させていたのである。村人たちにそれぞれの考えを出し合わせることで、少女への認識を確認させる。万が一の時があっても、村長の権限で従わせるつもりであった。
「さて、皆さん、議論は十分に交わされたと思います。これまでの話し合いをまとめますと、あの子には今まで通り村で生活してもらう。これが皆さんの結論でよろしいでしょうか?」
かまわない、それでいい、といった声が飛び交い、周囲に頷く顔が見える。
「可能性の話ではありますが、あの子を追って危険な魔獣や亜人が現れるかもしれません。それでもかまいませんか?」
え? といった顔をするものもいたが、今更流れを変えられるわけもなく、かまわん、その時はその時だ、と調子のいい声に押し切られる。
ジルナートも村長同様に少女を村に残すことは決定事項であった。ただ、それでも議論は経験として積んでおくことが、今後の村の柔軟さや迅速さを生むと考え、適度に情報を与える仕切り役に徹していた。いざという時は一人一人言いくるめるつもりだった。
「あ、あの、こ、こんにちは」
「あら、こんにちは、鬼子ちゃん」
「あ、あの、こ、こんにちは」
「おう、元気か嬢ちゃん! いい天気だなハハ!」
「あ、あの」
「おうよ! 畑に急がんと! 遅刻だぁ!」
……あいつまじで急いでたのか。
それにしても、空は快晴、挨拶する気分も晴れ晴れするというもの。たった一日で世界とは変わるものだ。世の中は不思議に溢れ、我が智慧の及ぶところで無し。
昨夜は血を吐く心持ちではあったが、学んだものも大きかった。今日であれば星がよく見えるであろうか。
「おや、ここにいたのかい。村長があんたに頼みたいことがあるってさ」
「あい! ……あ、あの」
「どうしたんだい?」
「ま、魔術は、あ、あ危ない、から、な、なな、なるべく、つ、使わな、ないように、す、する」
意表を突く言葉に目を丸くする。
「そうかい。それがいいかもしれないね」
自分を見つめる女性の細めた目に、少女は自分の欲しがっていた魔術を手に入れた気がした。
お疲れさまでした。
食欲がなくても、ある程度は食べるようにせなあかんで。