第十話 道化灼熱
いらっしゃい。
テーブルに二人分の食事が並べば、当然そのテーブルには二人席に着くことになるだろう。
今日もその理に則り、食堂では悪魔の少女と村の剣士が並び座る。
「………………」
昨日とは打って変わり、外には晴れ渡った空が広がっている。しかし、それとは対照的に二人の表情は暗く重い。腹は減っている。けれどもスプーンを持つ手は牛の歩みだ。
皿に盛られた大量のエンドウ豆と、チーズの浮かんだスープを前に二人は天を仰ぐ。
「あ、あの、あのぉ……」
藁をも掴む。一縷の望みに託した小さき声。得られることのない返事。
「……諦めろ」
剣士が少女に諭す。
人生には試練がある。幾度かは逃れることも出来るだろう。だが、避け続けた過去は回りまわって己の道に壁を築くのだ。果たして、私はこれまでの道のりで壁を砕く手段を得ることが出来ただろうか?
受け入れるしかない。強くなることを避けてきた私に責があるのだ。救いがあるとすれば、スープに浮かぶそれは大した量ではなく、慈悲が感じられることだろうか。
服毒の思いで黄白色の恵みを流し込み、居候の身に提供される温かな食事に感謝する。
「おいしいかい?」
「あ、あい……」
「だろうねえ」
「…………」
辛い。
シャヴィさんは怒ると尾を引くタイプらしい。会話が短く、言葉尻にいちいち含みがある。横に目をやると、涼しげな顔で苦悶するドラ息子の姿がある。慣れた様子だ。この家では「これ」がルールになっているのだろう。
どうしたものか。
とはいえ、なのだ。あの時はそうすべきだと思ったし、再び同じような機会が訪れたならば、やはり同じことをするだろうよ。村民の命を盾にして安穏としていられるほど肝は太くない。
……考えるべきだな。とりあえず、村長と話してみよう。魔術に関してなら役に立つこともあるだろう。
村の居住区には大きな建物が二つある。シャヴィ・サリエンが居住し、村人たちの寄り合い所にもなっている大食堂。そして、村の行事や大事について話し合う集会所。
この日は、昨日の魔獣襲撃、加えて謎の亜人少女出没を受け、柵の補修強化が議論されていた。普段は暇な長老たちとジルナートで話し合いをまとめてしまうのだが、昨日の事態を重く見た村人たちが大勢集まっていた。その中には悪魔の少女の姿もあった。村長の隣に。
辛い。
なぜ自分が一番目立つ場所にいるのだろうか。ただ村の能力が知りたくて長老に魔術について尋ねただけなのだ。『あれは人形創造ではないか』、と。すると、長老は驚いたような表情をした後に考え込み、
「そういえば、まだちゃんとした紹介をしていなかったな」と言って、集会所に連れてこられ、今に至った。
タイミングを間違えたのかもしれん。考えても後の祭りだがね。苦しい祭りはこれからだがね。
「みんな知っとると思うが、少し前からこの子も村に暮らすことになった。記憶をなくし、名前も分からない不憫な子じゃ。見た通り、人間ではないが言葉は理解しているし、受け答えもできる。今はサリエンさんの所に寄っておるでの、どうか優しく接してやってほしい」
村民たちの視線が一斉に注がれる。村長、やめてくれ。有難いことではあるが、彼らの視線には質量がある。突き刺さったそれが記憶喪失という嘘を刺激して心が痛む。果たして、私はこの場を正気で切り抜けることが出来るだろうか。
「それでじゃな、実はこの子を呼んだのは、わしらの魔術について話しておこうと思ったんじゃ。魔獣が現れたのは十年ぶりだったかの。それも、前は村の外での話じゃ。森の中で何か異変があったのかもしれん。魔術の必要性を確認する良い機会じゃろうてな。よいか?」
皆に異論は出ない。中には戸惑う者もいたが、周りの反応をうかがい首を縦に振る。そもそも何が問題になるのか分かっていない者もいる。
「最近では村の歴史に関心の薄いものも増えておる。魔術然り、オホネ様然りな」
ジルナートがムッとした表情を作る。年を取ると当てこすりが増えるのは人間の性か。
「日々の暮らしに追われ、歴史を伝えることを怠ったわしら老人の責任でもある。まずは、魔術がこの村に伝わった経緯を話そうかの」
顎に蓄えた真っ白な髭をよじりながら、視線を落とし、記憶を辿る。
「かつて、戦争から逃れるために森へ入ったご先祖様は、魔術ではなく槍と弓によって自分達の身を守った。じゃが、それではやはり被害が出るのを避けることは出来なかった。最初の数十年はそれでも耐えて生活基盤を作ることに成功したそうじゃ。帰る場所がなかったからの。しかしのう、一度魔獣が現れれば多くの血が流れ、段々と人が減っていく中で迷いが生まれたそうじゃ。このまま森の中で一族が途絶えるよりも、人里に出て奴隷となるほうがましなんじゃないか、とな。もしかしたら戦争の行方が好転して、自分達が森に逃れるのを助けてくれた、サリエン様の一族が爵位を上げているかもしれんとな」
……なるほど、情報量が多い。ちょっと待て、戦争って悪魔とじゃなくて? 人里に出たら奴隷って、つまり人間同士か? なんで? 悪魔はどうした? それにサリエンって……、あぁん? おぉん?
「そんな時、村に旅の魔術師が訪れたそうじゃ。村の者は外の情報が欲しくて、たいそうもてなしたそうじゃ。じゃが、魔術師は隠遁生活を送っていて、戦争の行方も何も知らず、ご先祖様はひどく落ち込んだらしい。それを見た魔術師は対価を何も払えないのは申し訳ないと、魔術を一つだけ教えてくれた。それが、村に伝わる魔術『人形創造』じゃ」
なるほど、そうか。それで人形創造か。
「どうじゃ、お嬢さん、これが昨日の魔術が使えた理由じゃ。何か気になったことはあるかの?」
「あ、あい。そ、その、ま魔術、師、は、ゆ、優秀、だと、お、思う。そ、その魔術は、て、適正、が、ある、し、お、応用、が、きいて、べ、便利」
村長が再び驚きの表情を見せる。そう言えば、これだけ饒舌に喋るのは村に来て初めてかもしれない。得意分野だからと、少しはしゃいだかもしれない。
思わず少女は顔を赤くして俯く。
「お嬢さん、もしかして、魔術に詳しいのかい?」
「あ……、あい、そ、それ、なり、に……」
「……お嬢さん、どうかそれをわしらに教えてもらうことは出来んだろうか? ついては、適正とは一体どのようなものなのか教えてもらえると有難いのじゃが……」
お、そうだ、私もそれの相談に来たのであったな。この様子だと、村の力にもなれそうだし、村での立ち位置もよくなりそうだ。別に上に立ちたいという気持ちはさらさらないのだが、認められるということは安心を得ると同義であり、平穏への道でもある。
「あい! に、人形、創造、は、つ、土や、ぃ火、み、水、をそ、素材に、ま、魔力、を、精霊、にな、流して、に、人形、をつく、る、魔術。む、村の、に、人間は、つ、土をさ、触る、ことが、お、多い、から、つ、土の精霊、が、み、見えやすい。こ、これ、が、て、適正」
「ほう、火や水でも……、なるほどのう。村の生活基盤を作るのに最も苦労したのは大地を切り開き、開墾することだったと聞いておる。今よりも土に触れることが多かったじゃろうな」
「嬢ちゃん、すげえじゃねえか!」
「ほんに物知りだねぇ」
「でも、精霊の姿なんて見えたことないぞ」
「んなもんハートだよ。心で感じるんだよ!」
「ほら、聞きましたか! やっぱり、ただの鬼じゃありませんよ、きっと! すごいなあ、やっぱりなあ、僕は前々から神秘性を感じていたんだよね! いやあ、そうだと思ったんだよなあ!」
村人たちから驚きの声が上がる。素直に少女の知識を褒める者、自身に適性があると聞き喜ぶ者、好奇心のくすぐられる者、よく分からないテンションの者。
村長は村に少女をを連れてきたことが正解だったのだろうと確信する。その一方で、少女があとどれ程の知識を持ち、何故それだけの知識を得られたのか疑問に思うが、今は置いて
おくことにした。
「そ、そそそれに、ま、魔術は、魔力量が、多い、と、危険、だけど、つ、土は、ほ、他より、も、扱ぃひ、やすい。に、人間は、く、訓練し、しないと、魔力、が、ふふ増えない、から、に、人形創造で、創った、人形、が、お、大きすぎてつ、潰される、ことは、な、なないと、思う。だ、だか、ら、土、の人形創造、をえ、選んだ、ま、魔術師、は、優秀」
「そうじゃったのか。確かに話に聞くような火を動かしたりするなど、わしらにできるとは思えんからの。わしらにはおあつらえ向きの魔術じゃったということかのう」
「それでだがよ、結局のところ、俺たちに他の魔術は使えたりはしねえのか? 訓練がどんなもんか分かんねえが、魔力? だったかは増やせるんだろ?」
「でも危ないんでしょ? 魔獣にも魔術を使うやつがいるって聞いたことがあるし、魔術がどんなものか教えてもらうだけでも助かるんじゃないの?」
「いやいや、百聞は一見に如かずじゃろうて。実際に見ねば判断も難しかろう。カレフさんや、一度その子に魔術がどんなものか見せてもらうこと、お願いしてもよいじゃろうかの?」
「確かにわしらでは分からんことが多すぎるな。……お嬢さん、すまんがわしらの願いを聞いてくれんじゃろうか。こんな田舎村では大したお礼も出来んが……」
「え? あ、いや、わ、分りまし、た。し、します、さ、させてぃひ、い、いただき、ます!」
いや、最初からそいう心づもりだったんだけどね。村長に畏まられると焦るわ。それに、礼ではななく、信用や信頼を得たい。そういう悪魔に私はなりたい。
広場には話を聞きつけた村人が大勢集まっていた。中には懐疑的な目で眺めるルヴナクヒエの姿もある。魔術への関心の高さが伺える。一方で単純に村の娯楽が少ないため、物見遊山に仕事を切り上げるものも多くいた。
「ではお嬢さん、ここでかまわんかの? 皆には距離は取らせとるから、扱える魔術を気兼ねなく使ってくだされ」
「あ、あい、あい」
緊張するなあ。普段通りやれば大丈夫だと思うけど、普段そんなに魔術使わないんだよなあ。失敗しないように集中してやろう。きっと大丈夫、大丈夫だ。
少女が深呼吸を始めたのを見て、村人たちは期待感を高める。きっと土や水が宙に浮かぶんだ、いや、空中から火が出るんじゃないか、地面を凍らせるのかもしれないぞ。
未だ魔術を一つしか知らない村人たちは、大道芸を見物するような感覚で、ひょっこりと村に突如現れた魔術使いの亜人少女を眺めていた。
「で、では、い、いい、いきま、す」
館を出る際に念のため目立たないように抑えていた魔力を開放し、手の平を前にかざす。
村人たちは固唾を飲んで見つめる。
地面が白く輝きだし、辺り一帯に熱波が走る。地面の下にあった岩が溶け出し、家の屋根を超えるような高さの火柱が上がる。
村人たちは目を白黒させる。
さらに、湧き上がった炎の塊を使い人型を作る。炎による人形創造である。炎を圧縮するように体が固定化され、精霊を多量に取り込んだことで、次第に自我を形成してゆく。
一瞬、熱によって空気が歪み体が膨張したように錯覚する。魔術は成功した。炎の塊は黄白に輝く体を誇示するように腕を広げると、青く揺らぐ目をゆっくりと開いた。
炎熱の巨人が現れた!
炎熱の巨人は辺り一帯を燃やし尽く――
「キャ、キャキャ、キャンセェーーーーーイル!!! キ、キャンセル! キャンセィル!!」
少女は叫んだ。
叫ぶ声と同時に、炎の巨人は驚きと悲しさの混じった表情で大気中に溶けていった。
あ、危なかった。地面の下で融解した岩が気化しかけていた。そうなれば、この村は終わりだ。
「……え、えぇと、い、今の、様、に、ま、魔力、のり、量を、ま、ままま間違えると、た、たた大変に、危険。お、お分かり、い、いた、いただけた、で、しょう、か?」
広場に来る前よりも顔に赤みがかった村人たちは表情を強張らせたまま頷いた。
ちょっと張り切りすぎただろうか。魔術の怖さは知ってもらえたと思うが……。
少女は解けた地面の熱を奪い、地ならしをしながら、村人たちにどう評価してもらえるのか考えた。その心には不安もあったが、期待感に溢れていた。
少女は勘違いしていた。
少女にとって人形創造は高等魔術だという認識があった。イメージを素材によって固定化し、柔軟で複雑な命令回路を維持する必要がある。だが、それは理屈で考えればの話で、村人たちは、もちろんそんなことを考えながら魔術を使ってはいない。ただ単純に人形を作って土の精霊にお願いをするというだけで、一つの精霊にしか頼らず、感覚としては捉えやすい魔術なのである。
そして、そんな魔術であっても、人間で扱えるのは高位魔術師や土精霊を専門に研究する学者や魔術師くらいなのだ。むしろ、ほぼ全ての者が人形創造を扱えるこの村が異端なのである。何代にもわたって魔獣と戦い受け継がれてきた、その術はいわば村の秘術と言えるだろう。
それが感覚を狂わせた。だからこそ少女は魔術に理解のある村人と考えたし、期待に答えようともした。
さらなる不幸は、悪魔と人間とでは魔術に対する認識が異なっていたことであろうか。
人間の社会では魔術が尊ばれ、専門の研究所を国が作り、貴族の嗜みとされている上に、教会に勤めるには魔術の心得が必須である。そして、魔術師を志す者が魔術を研鑽する上で最大の目標とするのが、『魔法』への到達である。魔術とは歴史を重ねることで築かれた人間の叡智であるが、その先にあるものが、人間の理解を超えた『魔法』である。
人間の歴史で『魔法』を会得できたものは100を少し超える程度。その全てが人間の理を外れ、長大な寿命を持った 『超越者』 となっている。魔法を得るということは力と栄誉だけでなく、さらなる命を得るということでもあるのだ。
そして、少女が村で使った魔術だが、それは間違いなく『魔法』であった。人間の理解からすれば、間違いなく『魔法』の範疇にあった。だが、少女はそれを知らない。
悪魔は魔術と魔法に明確な区別などつけていないのだから。
ある悪魔は単に必要とする魔力量によって区別し、ある悪魔は四大精霊全て行使したものを魔法と考えた。少女の場合は人間と同じように理屈を解せるかで区別はしていた。だが、結果として、少女にとって魔法だと感じるのは時間と空間に関する数種のみであった。
人間と同じように、少女にとっても『魔法』は身近な存在という訳ではない。しかし、その内実には大きな隔たりがあった。そして、少女にとっての『魔法』は、理屈が完全には分からなくとも、扱うことが出来ないわけではなかった。
お疲れさまでした。
首と肩に痛みが出てきました。悪化したら一時休載になると思います。