girls side
人間、目覚ましの音で目を覚ますことはほとんどない。目覚ましの鳴る前に起きているのが常である。
よって、私は目覚ましの鳴る前に目を覚ました。
カーテンを開け、窓から新鮮な空気を取り入れる。
「うぅ・・・寒っ。」
春先の朝の空気は冷たかった。しかし、それは悪いことではない。今日がいい天気になるという前兆だ。
あまり暑くなりすぎるのも困るがな、と思いながら、私は窓を閉める。
春先の朝は寒い。
私は伸びと欠伸を同時にした後、食事を採るために部屋を出る。
私の部屋は二階にあり、食卓は一階にある。
私は下の階へと向かうまでの廊下にある扉を足で蹴る。
ドガ、ドガ、ドガ、と景気のいい音がドアからする。
「おい。千秋。起きろ。いつまで寝ているつもりだ。遅刻でもしてみろ。泣く子も黙る生徒指導部に監禁するぞ。」
「はい。今すぐ。」
そう言って、ドアを開けたのは一人の少女だった。
「他の三人も起こせ。」
「いや、それは僕には・・・」
「できないのか?」
「いえ。やらせていただきます。」
そう言って、千秋は部屋に戻っていく。
どうせ時間かかかるだろうから、私は先に食卓へと階段を下りる。
階段を下りながら、千秋の部屋から大きな音が聞こえた。千秋も毎朝ご苦労なことだ。あんな猛獣どものお守りをしなければならないのだからな。
「おはようございます。お母さま。」
「あら、おはよう。ゆっきゅん。」
「お母さま。その呼び方はやめていただきたいといつも言っているではありませんか。もう、私は二十八なのですよ。」
「ええ~。いやだよう。」
そう言って私の母は子どものように駄々をこねる。歳を考えてもらいたいものだ。
「ゆっきゅんでいいでしょ~。」
「何度もその呼び方で呼ぶなと言ってるだろうが。」
「じゃあ、お母さまなんて呼び方やめてよお。一昨年まで、ママだったじゃない。」
「どちらも嫌です。お母さま。私は教師なのです。教師とは生徒の模範となるべき姿であるのでしてね・・・」
「いやだよ、いやだよ、いやだよお。」
「黙れクソババア。ぶち殺すぞ。」
「うわあああん。ゆっきゅんが、ゆっきゅんが私をいじめるうううう。」
「どうしたんですか。大家さん。」
そう言って、千秋だ居間に入ってくる。
「また朝から茶番をやってるのかよ。」
そう言って、少女がもう一人居間へ入ってくる。
「朝から仲がよろしいんですね。」
と言ってもう一人。
最後の一人は何も言わず、音一つ立てずに居間に入ってくる。
「ほら。お母さま。みんな朝食を待っています。」
「うわあああああん。」
私は溜息をつく。ハア。
「ママ。みんな待ってるから、朝ご飯にして。」
「はあい。」
そう言って、母は満面の笑みを浮かべ、台所へと嬉しそうに進んでいく。
私はもう一度溜息をつく。ハア。
テレビでは星占いが始まる。
占いなど、バカげている。当たるはずなどない。未来がどうなるかなど、分かるはずがないのだ。そうなると、確率だって信頼のしようがなくなるのだが。お、今日の一位は双子座か。やった。なになに?意中の人と急接近しそう。積極的に行動を起こして。ラッキーアイテムはチョーク。ふむふむ。チョークはいつも持ち歩いているから問題はないな。
しかし、意中の人か・・・う~ん・・・
私は車を駐車場に止め、職場へと向かう。
実は車で来なくても平気な距離なのだが、そこは教師の威厳である。
「おはようございます。」
私が言った。
「おはようございます。」
誰かが言った。
私は生徒指導室の自分の机に座る。
「おはよう。大久保先生。」
白衣を着た女性が私の横に座って言った。手にはなぜかビデオカメラが握られている。
「おはようございます。真田先生。」
私は横の白衣の女性に言った。
「ところで、先生。そのビデオカメラはなんですか。」
「ああ、これ?これはね、ちょっといたずらに使ってるの。」
真田はニコニコしながら言った。
泣く子も黙る生徒指導部がこれでいいのだろうか。
「今日、先生は一限からでしたっけ?」
「ええ。」
私は真田の質問に返答する。
「じゃあ、気をつけてくださいね?」
「はあ?」
「どうも疲れてるみたいだから。」
そうなのだろうか。私は自分では実感がなかったのだが。しかし、保健医が言うのだからそうなのだろう。
「ありがとうございます。」
そろそろ教室へ行こうと私は席を立った。
「先生。ほどほどにね。PTAを敵に回すと厄介よ。」
これでも私はほどほどなのだが。
「分かりました。気をつけます。」
私は形だけの返事をする。
この女はいつもそうだった。
私とは違い、物事を広く見られる視野を持っている。私が彼女にどれだけ助けられたことか。忠告を聞かずに行動した私も悪いのだが。
ほどほどに、ほどほどに。
仏の顔も三度まで。
仏というものは案外心の広いものだ。
私には二度目はない。
私がわざわざ授業をやってやっているというのに、寝ている輩を私は許さない。私という崇高な存在を愚弄するとは、怪しからんやつだ。
そんなヤツが今、私の目の前にいる。
後藤又兵衛。
私は去年もコイツのいるクラスで数学の授業をしていた。
居眠りをするたびにチョークを飛ばして、目を覚まさせてやっていたのだが、新年度初めての数学の授業、それも私の授業でよだれを垂らしながら寝ているとは。
修正してやる。
私は一番前の席で惰眠を貪っている後藤又兵衛の額にチョークを投げつける。
「いってえぇぇぇぇ!」
大袈裟なリアクションと共に、又兵衛は後方へと倒れていく。
又兵衛が倒れてくることを予測していた後ろの席の小木は、机を後ろに引いて、又兵衛と自分の机との衝突を避けていた。
又兵衛はしばらくの間、動かずにいた。
一瞬、私は又兵衛の頭の打ちどころが悪く、昏睡状態に陥ったのではないか、と心配したが、その後、又兵衛は身を起こし、首を左右に振って周りの状況を確認していた。
「私の授業で居眠りをするとはいい度胸だ。」
私は又兵衛の滑稽な様子に、笑いをこらえて言った。
「お、おはようございます。大久保先生。」
又兵衛は恐る恐るといった様子で私に言う。
どうやら、灸をすえねばならないらしい。
「顔を洗って出直して来い!」
「はい!」
私の言った言葉に又兵衛は元気よく返事をして、教室を出て行こうとする。
まさか、本当に顔を洗いに行くとは思っていなかった私は少し戸惑った。
「放課後、生徒指導部に来い。」
何故私はこんなにも怒っているのだろう。
生徒指導部に出頭させようとは微塵も思っていなかったのに、私の口から自然と言葉が出てしまった。
その後、又兵衛は教室に戻ってきて、授業をしっかりと受けた。
又兵衛の額が膨らんでいるのを私は少し気になった。しかし、自業自得である。
「で?屋上に呼び出して、お前らは何の用だ?」
屋上には三人の人物がいた。
私と二人の女子生徒である。
「アンタ、マタちゃんを随分いじめてくれたみたいね。」
そう言った女子の身体の周囲からは稲妻が発生している。
「先生。私も少し、先生はやり過ぎなんじゃないか、と思います。」
そう言った女子の周りには桜の花びらが舞っている。
あのお節介がこの女子どもに情報を流したようである。
白衣を着た悪魔めが。
「では、お前らはどうするつもりだ?」
私は二人の女子に問う。
「マタちゃんをいじめていいのは私だけよ!」
「滅殺!」
その返答が私たちの戦闘の合図となった。
二人は互いに距離をとりながら、私の方へ向かって走ってくる。
お互いの能力で攻撃を相殺しないための配慮であろう。なかなかやる。
ビリビリ女、服部叶が先行して走ってくる。紅鏡花は後行する。
時間差で攻撃をするためだろう。同時攻撃は威力が強いが、合理的とは言えない。二人以上で共闘するのなら、一撃目を避けられた場合を考え、攻撃をわけて行う方が確実性を増す。
服部叶が近づいてくる。距離は二メートルほどか。そろそろヤツの能力の間合いに入る。
私はポケットからチョークを八本取り出し、片手に四本づつ、指の間に挟む。
そして、私は能力を発動し、チョークを叶に直撃させる。
チョーク自体は私の能力ではない。
私の能力は万有引力操作能力。
物体と物体の間には必ず引力という力が働いている。
その力はとても弱く、また、地球の重力に阻害されて、普段人間がその力を実感することはない。
私はその万有引力という力を大きくしたり、逆に小さくしたりできる。
叶には、私が指でチョークを挟む力以上の力でチョークが激突した。
叶は腕でガードし、顔を守ったが、その間、能力が解けた。
私は叶を私との間の引力を操作する。
そして、私は叶の方へ跳ぶ。
私の体は叶へと引き寄せられ、私の突き出した拳は、叶の腹部にめり込んだ。
「ふん。まだまだだな。」
もし、叶の能力である電撃の威力がチョークを粉々にするほどならば、私はなす術がなかったであろう。
地面に桜の花びらが落ちているのが見えた。
しまった。私は鏡花の能力範囲に入ってしまっていたのだ。
私は急いで地球と自分自身との引力を小さくする。
そうすることで、私の質量は小さくなり、私は高速で移動が可能となる。
鏡花は私が移動した位置に桜吹雪を集めて叩きつけるように攻撃する。
鏡花の能力は、花びらを具現化させ、それを操作する能力である。桜の花びら自身が彼女の能力であった。
「お前の能力は文系のようだな。」
鏡花が背後の私の姿に気が付いたときにはもう遅かった。
私は地球との重力を重くし、鏡花に強烈な蹴りを繰り出す。
鏡花から多くの息が吐き出される音とともに、鏡花は正面から地面に倒れる。
能力には文系、理系、体育会系がある、と私は考えている。
ちなみに、私の能力は、私の見立てでは、理系である。
「くううう。」
可愛げな声とともに、叶が必死で立ち上がろうとしていた。
「立ち上がるのは止めておけ。立ち上がったところで、お前らは私には絶対に勝てん。」
そう。お前らでは私には勝てない。まだ、な。
「もしもっと力を得たいのなら、自らの能力の本質を見極めろ。」
私の見立てが間違っていなければ、服部叶の能力は、電撃を周囲に発生させる能力ではない。おそらく、ヤツの本当の能力は・・・
鏡花がもぞもぞと動いているのが分かる。
ヤツの能力は恐らく戦闘向きではない。能力自体がそれほど殺傷力の強い能力ではないのだ。だが、能力範囲が広いのはかなりの利点である。また、文系能力の特徴としては、能力の使用用途が幅広いことである。様々な用途を生み出せば、もしくは・・・
「授業に遅れるなよ。」
そう言って、私は屋上を出る扉に進む。
「待ちなさいよ。」
叶が言った。
往生際の悪い小娘である。
「続きは放課後してやる。」
そう言って、私は階段を下りていった。
階段を下りながら、私は放課後又兵衛を呼び出したことを思い出した。
まあ、いいか。
「紫。あんまりけが人をださないでちょうだい。」
放課後、生徒指導部で書類の整理をしていると、保健医の真田麻衣子が私の隣の席に着いて言った。
「だから、大久保先生と呼べって言っているだろう。」
「ねえ。」
麻衣子は真剣みのある声で言った。
そして、瞳の奥を覗き込むような勢いで、私の目をじっと見つめる。
「前の学校で何があったの?あなたは高校の時、そんな子じゃなかった。誰かを簡単に傷付けられるような子じゃなかった。」
この女はいつもそうだ。私のことをなんでも分かっているとでも言いたいのか。
「誰かのためなら自分を犠牲にするようなバカだったけど、自分を偽って、自分を自分で苦しめるようなバカじゃなかった。」
うるさい。お前に、お前に何が分かる。私の決意を脅かすような言葉を浴びせるな。
「し、失礼します。」
恐怖と緊張とが入り混じった声で、後藤又兵衛が生徒指導部の教室に入ってきた。
「よく来た。こっちに座れ。」
私は麻衣子との話を切り上げ、又兵衛をソファへと誘導する。
この教室にはソファが安置されている。
理由は簡単。
問題を起こした生徒の親がよくこの教室を訪れるためである。
「とりあえず、なにか弁解はあるか。」
「滅相もございません。」
「では、どうして私の授業で寝る?私がどんな気持ちでお前たちに授業をしていると思っているんだ。」
久々にこんな大声を出した気がする。私の心の底からの叫びのような声だった。
「分かっている、なんて言えません。でも、先生が心から俺たちのためを思っているのは分かっているつもりです。なぜなら・・・」
「なら、寝るなよ!」
私は又兵衛の言葉を遮るように、大声で私の言葉を被せる。
「すいません。でも、先生。先生は・・・」
言わないで。
その続きを言われたら、私は・・・
「次に居眠りをしたら、命はないと思え。私は忙しいんだ。さっさと立ち去れ。」
そう言って、私は又兵衛を帰す。
「先生。ありがとうございました。」
又兵衛は生徒指導部を去り際に、私にこう言った。
「怒られたのにお礼を言うなんて、変な子ね。後藤くんって。」
麻衣子はソファで脱力している私のそばへ来て言った。
「後藤を知っているのか。」
私はかすれた声で言った。
「まあね。私の大事なおもちゃよ。」
「後藤も災難だな。」
この女のおもちゃにされた男の運命は、言葉では表せないほど悲惨なものであった。
「あの子、あの歳で色々と修羅場を経験してるみたいよ。」
私の前では男子でさえも泣き出すというのに、まあ、よく耐えられたものだ。
「八歳のころ両親が離婚して、母親と離れ離れになったみたい。下には六歳の妹と四歳の弟がいた。父親は後藤くんの祖父母の家に同棲することにした。でも、祖母は相当厳しい人だったみたい。父親は自分の母親には逆らえず、子どもに対してもそれほど愛情はなかった。妹とは仲が悪いみたいで、その妹は祖母に似て横暴な性格。それ故、幼い弟の母親代わりを後藤くんが務めていたみたい。」
だからと言って、なんなのだ。
私に同情をしろとでも言うのだろうか。
「だから、きっと、あなたのことも分かってる。あなたの本当の気持ちも。」
「うるさい。」
私は力なく言った。
私は気が進まないながら、生徒指導部の教室を出て行く。
「どこに行くの?」
麻衣子からの問いかけに私は答えた。
「生徒の指導に。」
橙色の空を夜の藍色が塗りつぶそうとしていた。
ここは四百号館と文化部棟との間の広い空間。私がこの高校に通っていた当時は中庭であったところだ。
そこには二人の女生徒が仁王立ちで立っている。
「部活や塾を休んでまで私と決着をつけたいのか?」
私は二人の女生徒に言った。
「アンタが待たせるから悪いんでしょうが。何をしてたのよ。まさか、忘れてたわけじゃないわよね。」
服部叶がそう言った。
私は冷ややかな笑いを作って言った。
「後藤又兵衛を叱り飛ばしていたんだよ。」
二人の顔が険しくなる。
雰囲気が一変する。
この空気は戦場の空気。
広い空間いっぱいに緊張感が走る。
強い春風が吹き、私の髪をなびかせる。二人の女生徒のスカートも、髪と同時になびく。
風に流されて桜の花びらが私の目の前をよぎる。
桜の花びら・・・
まさか!
時はすでに遅く、私は花びらの渦の中に取り込まれていた。
視界が遮られている。
紅鏡花。あの女は今まで自分の能力の効果範囲を偽っていたようだ。二メートル前後だと予測していたが、実際にはさらに一メートル広かったのだ。
あの女、麻衣子に匹敵するほどの悪女に成長するな、と私は確信していた。
私は視覚以外の感覚を研ぎ澄ます。
これほど広範囲に花びらを展開させている以上、鏡花の攻撃にそれほどの殺傷力はない。よって、鏡花の攻撃は特に注意を払わなくてもよい。
注意すべきは、服部叶だ。
どこから来る。
後ろか。
上か。
右か左か。
否。
前か!
「うおりゃあああ!」
叶は私に拳を突き出す。
私はそれを避けるしかない。
叶は自分の体に電撃をまとっているからである。
しかし、当たらなければいい。
叶は自分の周りに広く電撃を放つことができない。
能力同士は反発しあう。
ここで叶が能力で電撃を周囲に広げてしまうと、桜吹雪の目隠しが灰燼と化してしまうからだ。
叶の拳を避けた後、私は自分の右腕を伸ばし、その場で回転する。
これは叶に当てるためではない。叶に拳を当ててしまうと、私は感電してしまう。
私の拳が痛みを発する。
拳が当たったのだ。
背後の紅鏡花に。
その後、私はその場を素早く離れる。
紅鏡花から三メートル離れた距離に。
私は未だ自分の能力を使っていない。
能力を使っていない私に勝てないとは。
全く、青二才である。
「こんな程度か。お前たちは。」
こんな程度では、この学校を来年お前たちに託すことなどできない。
一々私が能力の使い方を教えなければならないのか。
私は知っている。
そんなことに何の意味もない事を。
教鞭をとって痛感したのだ。自分の無力さを。
どれだけ熱心に教えたところで、夢を実現させるために努力しなければならないのは、生徒自身なのだ。自分自身が変わろうとしなければ、そうしなければ、私は、私は再び生徒が夢破れ、絶望し、涙を流す姿を見なければならない。
私は、もう、生徒が自分を責めて苦しむ姿を見たくないから。だから、私は憎まれ役を担う決意をしたのだ。
私はいくら嫌われてもいい。それで生徒が苦しまずに済むのなら。
「さあ、立て。まだ私に指一本触れていないだろう。」
叶は鏡花に手を差し伸べている。
普段は犬猿の仲だというのに、又兵衛のこととなると、こいつらはどうして協力を惜しまないのだろうか。
「お前たちはどうして後藤にそう執着する。あのつまらない男に何の価値を見いだしている。」
ヤツらとて、自分たちが私に太刀打ちできないことが分からないはずがない。
どうして後藤のために戦う?
「そんなの、分からない。でも、後藤くんは受け入れてくれるはずだから。理解してくれるはずだから。こんな変な力を手に入れてしまった私たちを。彼には誰かの痛みが分かる、優しい心があるのだから。」
鏡花が言った。
理解するだけでは、優しいだけでは、どうにもならないのだ。この、残酷な現実では。
「優しさなど、無意味だ。この現実では。」
「現実に流されて、大人になるにつれて、優しさは無くなっていく。だからこそ、決して変わらないマタちゃんの優しさが必要なのよ。」
そう言って、叶は舌打ちをする。
すると、電撃が叶の周囲一メートルに発生する。
しかし、今回の電撃は昼休みのものとは比較にならない。
圧倒的な光。
叶は私に向かって突進してくる。
猪突猛進。
しかし、私はそのことを考慮していないわけではなかった。
私はスーツのポケットからスーパーボールを取り出す。
チョークの時と同じように、指の間に挟む。
私の能力には効果範囲は存在しない。
視認できる範囲であれば、自由に引力を操作できる。
しかし、制約も存在する。
二つの物体についての引力操作で、その片方の物体に触れていなければならないこと。
そして、これは物理法則的な問題だが、その能力は二つの物体同士、同じ力が働くこと。
つまり、軽い物体は思い物体に引き寄せられ、同じ重さの物体は互いに引き寄せられる。物体を直接相手に当てる場合、当てようとしている力と同様の力で相手を引っ張っているに等しい。移動中の相手に能力を使うのは、避けるべきだ。
私は叶の移動地点を予測し、スーパーボールを私と叶との中間地点に当てるように、スーパーボールと地球との間の引力を強くし、スーパーボールを放つ。
放たれたスーパーボールは指定したところで跳ね返り、何個かが叶に当たる。
私の能力には弱点がある。
物体を移動させる時には、その物体はまっすぐにしか進めない。
スーパーボールを反発させることで、その弱点を克服しているのだ。
チョークを使ってもよかったのだが、私はそれをためらった。
今の叶には効かないという、漠然とした何かを感じたのだ。
突然の攻撃にバランスを崩した叶は、地面に倒れる。
目の前に桜吹雪が迫るが、私は回避しようとしない。
桜吹雪は私の鼻先にもう少しで届きそうなところで、急に動きを止める。
私は鏡花の能力範囲外に立っていたのだ。
鏡花が一歩でも進めれば、私に攻撃をすることが出来たかもしれないが、鏡花は私の拳によって脳を揺さぶられ、立っているのがやっとであろう。
まだ、お前たちは真の能力の一端さえ発揮できていない。
戦闘によってそれを引き出せるかと思って、期待したが、それも買いかぶり過ぎだったようだ。
「二、三日は動けないようにしてやる。遠足の日は家で寝込んでいるんだな。」
こんなヤツらでは、足手まといだ。
ならば、命を落とさないように、二度と戦えない身体にしておくべきだろう。
せめてもの慈悲だ。
『ぴんぽんぱんぽーん。大久保先生、大久保先生。至急生徒指導部まで戻ってきてください。』
校内放送が人の気配の消えた校内に響く。
先ほどの放送は、真田麻衣子の声だった。
ほどほどにしておけ、ということか。
麻衣子を怒らせると怖いので、私は二人にとどめをささずにその場を去る。
私はなぜか安堵感に包まれていた。
「なあ。小倉。後藤はどんなヤツなんだ?」
私は家に帰って、小倉千秋に質問する。
「そうですね・・・ひねくれものですかね。自分に自信がないものだから、自分の優しさを隠している・・・そんな男の子ですかね。」
「ヤツのことをよく知ってるのか。」
「ええ。小学四年生からの付き合いですから。ここに下宿するまでは又兵衛の近所に住んでたんですよ。」
私には、後藤又兵衛という人間がよく分からない。どうしてそれほどまでに人を惹きつけるのか。
そして、どうして私が又兵衛に興味を持っているのかも。