第三話
※注意
ちょっとルーツィエのワガママが目立ちます。
「それなら、良いです」
私が首を縦に振るのを見て、オルニスの真剣だった表情が目に見えて緩んだ。
その笑みとも取れるそれに、一瞬、どきりとする。
……いや、ときめいたというよりも、虚を突かれたというか。私を案じていると嫌でもわかる、とても優しい顔つきに見えたから、びっくりしてしまった。
それにしても、どうしてこんなに気にかけてくれるのだろう。所詮、私たちの関係は悪魔とその契約主だ。私を気遣う理由はない筈なのに。
「あのー、ルーツィエ殿?」
「え? あ……」
名前を呼ばれて初めて、それまでオルニスを食い入るように見つめていたと気づく。
「……何?」
「何って、それは俺の台詞です! 何です、俺の顔、じぃーっと見て……あっ、もしかして元の姿に戻ってますか!? すみません! 感情が高ぶったり気が緩むとどうしても気が回らなくて!」
オルニスが、人形が解ける条件を一人で暴露して焦っているのを聞いて、ようやく頭が回り出す。
これはもしかして、さっきまでオルニスの笑顔に見惚れていた、ということになるのだろうか。……考え出すと何だか恥ずかしいものが込み上げてきたので、そっとオルニスから目を逸らす。
「……。オルニス、近い」
「え、そうですか?」
離れてほしい一心で言ったはいいものの、全然そんなことはない。いたって普通の距離感だと思う。……最近オルニスに慣れてきたのでちょっと自信はないが。
オルニスも、いつも私が「近い」と言う距離と違うので、いまいちぴんと来ない様子だ。
「って、どうして距離を縮めてくるのよ! 近すぎよ!」
不意にぐいと近づいてきたオルニスを、遮るものがなかったので、反射的に手で押し退ける。
……いや待て。何だこの大袈裟な反応は。
ついさっき、書庫ではもっと冷静に対応した筈だ。おまけに、慣れたとか、有り難みが減ったとか豪語していたのに。
なのに、一般的な距離で笑いかけられただけでこんなに動揺するなんて、一体どういうことだ。
「いや、ルーツィエ殿が過敏に反応するのはこれくらい距離だよなぁ、と」
「だっだからっていきなり実験しないでよ!」
「……ルーツィエ殿、どうかしましたか? 何だか機嫌悪いですね!」
いつもよりもつんけんした口調の私に違和感があるのか、オルニスがきょとんとしている。
「機嫌は別に……! ……別に、悪くないけど」
また声を荒げそうになって、慌てて言い方を修正する。
駄目だ、冷静にならないと。必死に言い聞かせるが、あまり気持ちは落ち着かない。オルニスの笑顔に見惚れ、その気配に敏感になっている自分が思っている以上にショックだったようだ。
……本当に、どうして見惚れてしまったのだろう。
基本私に懐いているオルニスは、私の前では楽しそうに笑っていることが多い。だから、オルニスの笑顔なんて既に見慣れたと思っていたのに。
……思っていただけで、実はそうでもなかったのだろうか。
好青年の爽やかな笑顔に慣れるなんて、引きこもりには到底無理な話だったのかもしれない、なんて卑屈なことを考えながら、視線を遠くにやる。
「……本が読みたいわ」
ふと漏らすと、「えっ」とオルニスが素っ頓狂な声を上げた。
「ボードゲームするって言いませんでしたか!?」
ほら! とオルニスが準備しかけのゲーム盤を指差した。
……うん、それはその通りなんだけど。
今、オルニスと対面していると、酷い対応をしそうな自分がいる。
オルニスの笑顔が悪い訳ではない。ただ、私が勝手にどきっとして、それを悟られたくないからときつい言葉を投げてしまう。
そんな八つ当たりじみたことをしたくないので、少しでいいから一人になって落ち着きたい……のだけど。
……この気遣ってるんだか逃げてるんだかよくわからない理由を、まさか当人にぶちまける訳にはいかない。
「少しだけ一人にしてくれないかしら」
「ルーツィエ殿! 何でですか!?」
「何でも良いじゃない」
「良くないです!」
でしょうね、私も同じ立場だったら似たようなことを言うだろう。……ああ、上手く説明することも誤魔化すこともできない自分に苛々する。
……私がバスティアン様のことで困っているのは「ルーツィエ殿のことだから」と看破できたオルニスだが、私の気持ちの機微まではわからないようだ。いや、困っている理由は微妙に間違っていたし、あまり期待するのは酷なことだろうか。
心の中でオルニスに無理難題を押し付けながら、従者から逃げるように……というか実際に逃げるために、書庫に向かう。
「あ、ルーツィエ殿!」
「ついてこないで良いわよ」
そうは言ったものの、オルニスの中にその選択肢はないだろう。思った通り、オルニスは私の態度の変化に触れず、私についてくることを選んだ。
つまり、それはこの一連の流れへの追及をやめるということでもある。
そうするとわかっていて行動しているのだから、私も相当オルニスに甘えている……というより性格が悪い。……罪悪感と自己嫌悪でちょっとどうにかなりそうなので、気持ちが落ち着いたら、オルニスが私を嫌いになるくらいまで構い倒そう。
固く決心して、そういえば、オルニスに本を取り上げられたままだったと思い出した。
書庫に着いて、オルニスが本を置いた場所を見る。
「変なところに置いたわね」
オルニスが置いたのは、本棚の上に積んであった本の更に上。かなり高さがあるし、おまけにバランスが悪い。
「俺取りましょうか」
「大丈夫」
ここでもオルニスに頼るのは気が引けて、自分で取ることにした。
書庫の隅の方にあった台を持ってきて、台の上で背伸びする。
「う……」
もう少し。
必死で手を伸ばして本のへりに指をかける。そのまま指先に力を込め、どうにか目当ての本を取ることができた。
「……あ」
誤算だったのは、目当ての本をとった拍子に、その下にあった本も落ちてきたことだ。私自身もバランスを崩し、本を持ったまま後方に身体が傾いでしまう。
これでは頭を庇うこともできない。
痛みを覚悟して、ぎゅっと目を瞑ったそのとき。
「ルーツィエ殿!」
今までずっと快活だったオルニスの、珍しく切羽詰まったような声が私の名を呼んだ。
と同時に、身体を引っ張られ、何かが覆い被さる気配がした。
次いで、どさどさと本が降ってくる。
無事ではすまないと思っていたのに、痛みはなかった。一体何がどうなったのか。恐る恐る目を開ける。置かれた状況を知り、私は言葉を失った。
私は、オルニスの腕の中にいた。さっき私に何かが覆い被さった気配は、これが原因だったらしい。本が落ちてくる寸前に、咄嗟に庇ってくれたようだ。
しっかりと抱き込まれ、身動きがとれない。おまけに、密着しているので、見た目細いのに、意外に筋肉があるのがよくわかる……って、そうではなくて。
「オルニス、大丈夫!?」
「ルーツィエ殿こそ、怪我は……うぐッ!」
お互いがお互いの無事を確めようとした矢先、とどめとばかりに、分厚い本がオルニスの頭に落下した。
完全に見えたわけではないが、今の、角が直撃していなかったか?
真実を確かめる勇気はないが、オルニス自身も痛みに耐えられなかったのだろう。私の背と後頭部に回していた手で頭を押さえ、しゃがみ込む。
拘束も解け、自然見下ろす形になった。数秒経ってもオルニスがぴくりとも動かないので、流石に心配になって顔を覗く。
「ええと……本当に大丈夫?」
「お、俺は平気です。人より丈夫ですし。ルーツィエ殿はご無事でしたか……」
全然平気に見えないオルニスが、自分をよそに、絞り出すような声で私の無事を訊いてきた。
「ええ、オルニスのお陰で。ありがとう……って、いや、あの取りあえず手当てを……」
……。救急箱をどこにしまったかを思い出さねば。
救急箱がどこにあるのかわからなかったので、結局家令に言って出してもらった。そのまま家令が手当てしようとしたのを止め、自分で手当てをしたいとわがままを口にする。
「しかし、ルーツィエ様は……」
「知識としては頭に入っているから、手順は問題ないわ。多分!」
「……。まあ、手当てを受けるのはオルニスですし、判断は本人に任せます」
家令の言葉を受け、オルニスに視線をやると、素人の手当てを受ける悪魔はぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。
断られなかったことに少し安堵していると、家令が「それでは何かあったらお呼びください」と退室する。
それを横目に、早速オルニスの手当てを開始した。
と言っても、やることは少ない。
頭に本が直撃したオルニスだが、受け答えも足取りもしっかりしていた。今のところ、脳に異常はないだろう。頭部については、冷やすものを用意すれば良い。
「じゃあ、オルニス。脱いで」
「えっ、全部ですか!?」
あれ、今のは私の言い方が悪かったのだろうか。
意味を深く訊いてみたい気もするが、もし万が一のことがあったら困るので止めておくことにした。
「背中を見せてほしいのよ。本が当たったでしょう」
「う、ですが……」
ちょっと渋るオルニスに、おやと思う。
「やっぱり私の手当てが嫌なら家令に」
「そういう訳ではないんですが! ですが、あまり見ない方が……」
言いにくそうに言葉をすぼめ、オルニスが僅かに顔を伏せた。
予定より一話増えることが確定しました…。
キリが悪いところできってしまったので、早めに次を上げれるよう頑張ります。