第二話
オルニスの召喚にうっかり成功してから早くも半月。
悪魔が従者になったからといって、生活が劇的に変わる……なんてことはなかった。
起床時間は変わらず日が登って少しした後くらいだし、やることも特にないから本ばかり読んでいる。変化らしい変化と言えば、一人の時間が減ったことくらいか。
具体的に言えば、書庫に入り浸っていた時間がめっきり減った。
今だって、書庫で本を読んでいる最中だというのに、どたどたと廊下を走る音が扉越しに聞こえてくる。その足音が誰のものかくらい、考えなくてもわかった。
足音が一直線にこちらに向かって来て、音が止まると同時に書庫の扉が勢いよく開く。
「ルーツィエ殿! またこんなところにいましたか!」
現れたのは、ついこの間私の従者になった青髪の男。目が合って、オルニスはそこそこの顔に喜色を滲ませた後、むっとした表情になる。
「どうしていつもいつも俺から逃げるんですか!」
つかつかとこちらに向かって歩いてきたと思ったら、ぬっと顔を寄せられる。
「はいはい、そんなことないわよ気のせい気のせい。オルニス、近いから」
静かな空間で本を読むためにオルニスの隙を突いて逃げてるので全然気のせいではないが、軽くあしらっておく。ついでに、さっきまで読んでいた本を使ってオルニスの顔を遮断した。初めて会ったときはどぎまぎしていたオルニスのこの行動にも、最近、慣れてきた気がする。何故だろう、有り難みが減ったのだろうか。
「あ、すみません! って、そうじゃないです! どうして従者の俺から離れようとするんですかって聞いてるんです俺は!」
うるさいからだよ、と正直に言ってみたらどうなるか気になるけど、傷つけそうなのでやめておく。
「ルーツィエ殿が仕事をくれないからここ半月ずっと暇なんです! 責任とって、もっと俺に構って下さい!」
「いやそれは……あっ」
言い返す前にオルニスに本を取り上げられた。オルニスは私から没収した本をそのままひょいと本棚の上に置いてしまう。
オルニスにとっては大した高さではないだろうが、背の低い私からしたら本棚の上のものを取るのはそう容易にできるものではない。
取ろうと思えば台を持ってくるなり方法もあるが、この場合、その間に確実に妨害される。
「わかった。わかったわよ」
わざわざ取りに行く気力もない。自分が押しに弱いのを自覚しつつも、オルニスに連れられ書庫を出た。
「いやぁ、それにしても……」
自室に向かう途中、後ろからついてきているオルニスが話しかけてきた。
「俺、ルーツィエ殿がぼっちな理由、わかった気がします!」
「え、ああ、でしょうね」
しみじみと言われるが、私は何と返答すればいいのだろう。
……まあ、普段の生活を見ていれば、私がぼっちの理由などすぐに知れる。人とろくに関わらず、書庫に籠って読書に励んで、たまに日を浴びに庭に出る。屋敷で完結した生活をしていて、知り合いが増える筈もない。だから、当然嫌いな人はできず、オルニスの出番もない。
オルニスと言えば、最初は直ぐに帰ってもらっても構わないと考えていたが、彼に慣れ始めている今、あまり屋敷にこの人外がいることは気にしていない。使用人たちとも上手くやっているようだし。
つまり、それは私がオルニスに心を開きかけているということで。
まずい兆候だと、自分でも思う。
今でこそ人と同じなりをしているが、オルニスは決して人ではない。油断していい相手ではない筈だ。
「ルーツィエ殿、今日は何をしますか!」
「昨日のボードゲームの続きで良いんじゃないかしら。ほら、昨日オルニスが投げた奴」
「あ、あれ、ですか……」
適当に流しつつ、オルニスの顔を盗み見る。少しだけ憂鬱そうな声とは裏腹に、口元は機嫌良さそうに弧を描いていた。
オルニスの屈託ない……ように見える笑顔を見ていると、段々警戒心がなくなっていく自分がいる。
あ、これ絆されてる。
わかっていても、やはり警戒する気は起きず。……なんだこれ、オルニスの人徳か、なんて馬鹿な考えが過ってしまう。
首を捻っている内に、部屋に着いた。オルニスに構う準備をする最中、扉をノックする音が響く。
「ルーツィエ様。少しよろしいですか?」
その声に、入室を許可する。ノックの主は家令だ。
「バスティアン様からお手紙が届いております」
「ありがとう」
私が白い封筒を受け取ると、家令は一礼してから下がっていった。それを見届けてから、引き出しから取り出したナイフで封蝋を丁寧に剥がす。
「ルーツィエ殿……ぼっちじゃなかったんですね!」
そんな私を、オルニスが意外そうな目で見てくる。この男が人の姿になってからよく思うのだが、ちょっと諸々の感情が表に出すぎじゃなかろうか。
「それで、そのバスティアン殿というのは、誰なんですか?」
「婚約者よ」
「えっ」
その可能性はまるで考えてなかった、と表情から見てとれる。……だから諸々の感情が表に以下略。
バスティアン様は、お父様の友人の息子だ。お父様の友人は貴族ではないが事業で成功して、一財産を築いており、息子であるバスティアン様がその跡を継ぐらしい。お父様は当人と面識があるそうで、とても誠実ないい人だと言っていた。それが私の婚約者にした決め手だとも。
「まあ、会ったことないけれど」
このご時世、結婚式で初めて会うなんてことは珍しくない。その例に漏れず、私はバスティアン様と言葉を交わしたことは一度もなかった。せいぜい肖像画を見たくらい。婚約者とは名ばかりの、赤の他人ともいう。
交流と言えば、それこそこの手紙のやり取りくらいだ。バスティアン様は律儀……というよりそつがないと言うべきか、定期的に近況を綴った手紙を寄越してくる。
今回も、仕事が上手くいったとか、道端に綺麗な花が咲いていたとか、他愛ない話が書かれている。
「……はぁ」
……ああ、どうしよう。読み進めば読み進む程、バスティアン様への疑惑が頭をちらつき、暗い気持ちになる。
「ルーツィエ殿、もしかして困ってますか?」
「……ええ、まあ。やっぱり、わかる?」
「勿論です! ルーツィエ殿のことですから!」
自信満々にそんな返しをされたが、私は声を大にして言いたい。
なんだそのバカップルみたいな台詞は。本人に告げても「え、何がですか?」とか言われそうなので黙っておくけど。
「大方、ぼっちだから書くことがなくて困ってるんでしょう!」
この直接的な言い方は、オルニスの長所であると同時に、短所でもあると思う。私自身図太い自覚はあるが、こうも真正面から断言されると少し傷つく。
こちらの気も知らず、オルニスがしたり顔でじっとこちらを見詰めてくる。それが微妙に可愛く見えるのは、きっと私が精神的にやられているからだろう。
「まあそれもあるわね」
半月しか付き合いのない悪魔の中で私がぼっちだと確定していることに悲しさを覚えつつ、言われてみればとオルニスの言葉を肯定する。
確かに、毎度書くことに迷い、結局最近読んだ本の感想を送りつけているのは事実。だが、元々困っているのはそこではない。
私の言葉に含みを感じたか「違うんですか?」と首を傾げるオルニス。
「この人、他に女の人がいるのよね。多分」
重い空気にならないよう、婚約者への疑惑についてさらっと告げる。
きっかけは、たまたま盗み聞きする形になった使用人の会話だった。
――ねえ。今日、買い出しのとき偶然見たんだけど。バスティアン様、女性と腕を組んでらして……。
――バスティアン様が? でも、バスティアン様はルーツィエ様の婚約者じゃない。誠実な方だと聞くし、見間違いじゃないの?
使用人たちは腑に落ちない様子だったが、そこでやり取りを終えた。盗み聞いた私はと言えば、実際はどうなのか知りたくなった。
バスティアン様は誠実でいい人。お父様のその言葉を信じない訳ではないが、火のないところに煙は立たない。
自分の目でも確かめたくて、普段は出不精の私が、何かと理由をつけて町へ出て。何度目かになって、運が良いのか悪いのか、バスティアン様らしき人が女性と親密にしている姿を見つけてしまった。
いや、遠目で見ただけなので、本人か自信はない。肖像画の雰囲気と似ていたからそうと判断したが、肖像画なんてお金次第でいくらでも美化できるし。その点、バスティアン様は好きなだけ画に注文をつけられるだろう。
まだ確証はない。だが、もしバスティアン様が誠実とは真逆の人だったら?
それで結婚話を蹴るつもりはないけど――それは、とても困る。
「ルーツィエ殿、そんな奴と結婚したいんですか?」
私がずっと胸の内に溜め込んでいたものを口にしてみたら、オルニスの第一声がそれだった。
そんな奴。オルニスの言い方に、微苦笑が漏れる。
まだバスティアン様がそうと決まった訳ではない。あるのは、私が婚約者らしき人の逢い引き現場……と思われるものを見たという証言だけ。だというのに、オルニスの中ではそれが既に真実になっているらしい。
本人に突っ込みを入れても、「ルーツィエ殿が見たならそうなんでしょう」なんて答えるのだろう。
寄せられた絶対的な信頼を少しだけくすぐったく思いながらも、ずっと胸の内に秘めていたものを吐き出す。
「……結婚したいのよ。私」
バスティアン様の人格に不安を抱きつつも何も行動しないのは、それが理由だ。
私は、結婚したい。
もっと正確に言えば、お父様を安心させたい。
お母様は身体が弱く、私が幼い頃に病で亡くなってしまった。以降、お父様は私を幸せにすることを生きがいにしている節がある。
お父様の言う幸せは、恋愛結婚とは言わずとも、お互いに思いやりを持ち、穏やかな家庭を築くことだ。
だから、結婚すれば、きっとお父様を安心させられる。
だが、それを実現するには相手がいる。
この国の結婚適齢期は十代後半。私はあと一年もせずにその枠から外れてしまう。そうしたら、若さだけが取り柄だった私は、元々いなかった買い手が更にいなくなる。
茶会や夜会にしょっちゅう顔を出していて、つてがあったら話は違ってくるだろう。だが、逆に言えば、ろくに社交界に顔を出していない私からすれば、バスティアン様との婚姻はラストチャンスと言っても過言ではない。
「一つわからないのですが……」
オルニスが眉根を寄せ、僅かに首を傾けた。
「それは、ルーツィエ殿が我慢してまでしなければならないことなんですか?」
義務感であるのは認めるが、私がそうしたいと思っているのは本当なのだから、我慢という言い方はおかしい。
私自身、お母様の血を濃く受け継いでいるようで、幼い頃はよく寝込んでいたものだ。季節の変わり目で寝込み、寒いからと寝込み、今度は暑いからと寝込み。たまに風邪を拗らせ死にかけた。その度に、お父様は時間の許す限り私の側にいてくれた。
私はいつも迷惑をかけていて、だからこそ私はそろそろお父様を解放したい。
「我慢なんてしてないわよ」
似たようなことはしている気がするが、それを言うと私の意思で決めたことを否定するような気がして、あえて強気を装う。
……でもどうなんだろう。真似事とはいえ、そもそも悪魔召喚をしたのはこれがきっかけだった。
バスティアン様の疑惑が本当ならば、“穏やかな家庭”など実現不可能だろう。だが、そもそもバスティアン様以外に相手を見繕うのは厳しい。それが、どうしようもなくストレスだった。
だけど、お父様に知られたら婚約解消にもなりかねない。崖っぷちの私はそれだけは避けなければと、使用人にも不安を打ち明けなかった。
でも、誰かが助けてくれればいいのにという思いは捨てきれなくて、つい人外を呼び出す手段に手を伸ばしてしまったのだ。
……あれ、そう考えると私はこの結婚にあまり乗り気ではないのだろうか。
一瞬過ったそんな思考を気のせいということにして言い直す。
「……。うん、やっぱり我慢なんてしてない。してないわ」
「ホントですかぁ?」
オルニスに心底疑わしげな目を向けられてしまった。
「ええ」
「ホントのホントに?」
「本当の本当に」
重ねて問うてくるオルニスに、にっこりと笑顔を返してみる。
「……まあ、俺はルーツィエ殿が幸せなら良いんですが……」
それが良かったのか、納得してない顔つきではあるが、オルニスは引き下がってくれた。
「でも、忘れないで下さいっ」
……と思ったのだが、なぜかがっしりと手を掴まれる。
「ルーツィエ殿には俺がいるんです! ルーツィエ殿の嫌なものは俺がどうにかしますから! だから、それだけは覚えていて下さい!」
やっぱり好感度おかしいな、なんて別のことを考えながらも、そのあまりにも真剣な目に気圧されて、私は突っ込む前に頷いていた。
何となく自分のしていることが間違っていると気づいていても、引くに引けないルーツィエさん。