第一話
突っ込みどころ満載です。ゆるい気持ちでお読みください。
“それ”に手を出したのは、ほんの出来心――軽い気持ちだった。
屋敷の書庫に何冊もある、眉唾物の魔導書。革の表紙の古めかしいそれを適当に選び、何となく目についた呪文を唱える。
しかし、唱え終わって暫くしても、何かが起こる気配はない。
……何をやってるんだろう、私。
はっと我に返り、馬鹿馬鹿しくなって本を閉じようとした途端、本が目映い光を放った。
「な、何……?」
あまりの光量に、思わず目を瞑る。
少しして光が晴れ、目を開けたら、眼前に青色の鳥が直立していた。
……。……鳥? いや、男?
しげしげと、その鳥……みたいなものを眺める。
じっくり見ても、どっちに分類したらいいのかよくわからない。
私より頭二つ分程背が高いそれは、人間っぽい体つきをしているが、まるきり人間の身体という訳ではなかった。まず、胴体の上に、人頭ではなく、きりっとした目付きの青い鳥の頭が乗っかっている。肩から手にかけては人間と変わらないようだが、足は猛禽が持つそれだし、背中からは翼が、臀部辺りからは尾羽が生えている。
鳥ではない。が、確実に人間でもない。
えらいもんを見た衝撃で、暫く動けなかった。
鳥男の鋭い金の目と見詰めあうこと幾ばくか。鳥の嘴が、不意にカッと開き、
「俺は魔界から来ました、悪魔オルニスです! 以後お見知りおきをッ!」
見事と言いたくなるくらい流暢に、私が理解できる言語を話した。
オウムでもない鳥の口から、人が使う言葉を聞く日がくるとは思わなかった。
内心変なところで感動しながら、オルニスとやらが言ったことを反芻する。
魔界。悪魔。
……。
「は、はは……」
思わず乾いた笑いが漏れる。
「私、疲れてるのかしら」
独り言の筈だったのに、目の前にいる人外が反応した。
「いや俺に言われても知りませんが。そうなんですか?」
「いやだってこんな……悪魔がいるなんて白昼夢を」
「俺は現実ですが!」
「いや、夢よ」
そうに違いない、そう思わないとやってられない!
対話した事実に軽く恐慌状態に陥ったので、一旦この鳥男を視界から締め出すべく部屋を出る。
「ふー。……よし」
深く息を吸って、もう一度部屋に入る。相変わらず突っ立っている鳥男の姿に、口の端が引きつった。
もしかして、夢じゃない?
「あの、どうかしましたか?」
無言で項垂れる私をどう思ったか、鳥男が気遣わしげな口調で語りかけてくる。このオルニスとやらは、随分と人が良い……いや、鳥が良いらしい。
この異常事態に頭が追いつかない。冗談で呪文を口にしただけなのに、まさか本当に悪魔が召喚されるなんて誰が想像するんだ。生け贄もなかったのに。まだ昼なのに。
「貴方、その……本物、なの?」
「はい! あ、触ってみますか?」
快活というか、距離をぐいぐい詰めてくるというか。初対面なのにそれで良いのかと突っ込みたくなる程躊躇いもなく許可をくれた。どうかと思うが許可は許可なので、遠慮なく鳥面に手を伸ばす。しっかり羽の感触があった。
……マジか。
混乱していると、オルニスと名乗った鳥頭が、ぐいと顔を近づけてくる。
「それで、俺は何をすれば良いんでしょうか!」
「……へ? 何って?」
質問の意味を測りかね聞き返すと、逆に不思議そうに訊ねられた。
「俺を……悪魔を喚んだということは、相応の欲望を抱いていて、どうにかしたいということでしょう?」
ああ、そうか。悪魔を召喚するというのはそう言う意味だ。
悪魔に魂を売り渡し、ある者は巨万の富を、ある者は才を、ある者は地位を得る。そういう話は、よく聞く話だ。
そして、私はそういった者たちと同じ道を歩もうとしている。
今更ながら、とんでもないことをしてしまった。
取り消しってできないのだろうか。自分の魂を犠牲にしてまで成したいことなんてないのだが。
「それで、……あの、ところで何と呼べば」
「ルーツィエ」
「ルーツィエ殿。俺は誰を殺せばいいんでしょうか!」
いきなり飛躍した。
「……。そこは、代償を差し出すなら何でも願いを叶えてやる……とかじゃないの?」
「何でもって……」
よく本で見る台詞を言っただけなのに、ハッとせせら笑われた。
「無理でしょう、常識的に考えて!」
常識的と言われて、違和感を覚える私はおかしいのだろうか。私から見れば、非常識なのは目の前にいる鳥の存在そのものだ。そんな奴の口から常識だなんて。
「俺たちが万能だと思わないで下さい! 悪魔にだって、得手不得手も、できることとできないこともあります。俺に願い事をしても無理なものは無理です! 楽器を上手く弾きたいなら練習して下さい! 金が欲しいなら必死で働いて下さい! そういった欲を満たせる悪魔もいますが、俺は、契約主の嫌いな奴を消すくらいしかできません!」
あまりの開き直りぶりに言葉も出ない。……取りあえず、常識的に無理なのではなく、目の前にいる悪魔ができないだけというのはわかった。
「さあ、どんどん言って下さいルーツィエ殿! 何でも対応しますよ! 本当なら色々貰うんですが、ルーツィエ殿の為ならいくらでもタダ働きします!」
元々近かった顔の距離が更に縮まり、顔を覗き込まれる。
「だから、言って下さい、ルーツィエ殿。嫌いな奴は、誰ですか?」
さっきまではきはきとしていた大声が潜められた。それだけなのに、妙に煽られているというか、唆されている気になる。
至近距離にある悪魔の金の瞳に、心の奥底まで見透かされている気がして、ぞくりと背筋が粟立った。
その怯えにも似た気持ちを払う為、あえて冷静な態度を取り繕う。
「あの、……近い」
今にも顔がくっつきそうな距離で言うことではないだろうと、私は持っていた本でオルニスの顔を力一杯押し退ける。
「失礼しました! で、誰にしますか。何人でも構いませんよ!」
オルニスが離れてほっとした矢先、話の続きをされて、ぎくりとしてしまう。
「ごめんなさい、喚んでおいてどうかと思うけど、特に誰かを殺そうという気はないわ。だから、その……魔界? とかいうところに帰って……」
「嫌です!」
食い気味に即答された。
「でも、本当に予定はないし……居座られてもお互い困るでしょう」
極々普通のことを言った筈なのに、オルニスは何を言っているのかわからないという様子で首を傾げる。首から上が鳥の為、イマイチ表情が読み取れない。これは、困惑していると思っても良いのだろうか。
「そう思うなら、誰か適当に上げれば良いのでは? 殺したいほど嫌いな奴はいなくても、顔見たくないなーなんて思う奴くらい、一人や二人」
「私、そもそも好きか嫌いか判断できるほど関わってる人なんていないのよね」
「……。俺は人ではないですが、ルーツィエ殿が悲しいことを言ってることくらいはわかります」
数秒して返された言葉には、複雑なものがたくさん含まれていた。
鳥頭のせいで、会ってからというもの顔から全く感情を読めなかったが、今だけは憐れみを向けられていると断言できる。
今まで人との交流がほとんどないことをどうこう思ったことはないが、鳥頭人身、おまけに有翼というあからさまな人外に憐れまれるのは流石にいたたまれない。
「いないなら仕方ないですね……」
そうこうしている内に、オルニスの中でどうするか固まったらしい。
「それなら、こうしましょうか。俺、暫くルーツィエ殿の側にいますから、こいつならいなくなっても良いかなって思える奴ができたら俺に言って下さい! 即、殺りに行きます!」
そして、オルニスは元いた場所に帰る、と。
提案ともとれるが、それは決定事項のようだった。どうあっても、私の嫌いな奴を殺したいらしい。
私自身は、直ぐに帰ってもらっても良かったのだが、仕方ない。身から出た錆だし、大人しく要求を飲もう。
だが、オルニスが居座るとして、問題は山積みだ。
どうやってこの悪魔を屋敷に置こう。
私は一応貴族の娘という立場で、使用人に囲まれて生活している。人の目がある中、鳥頭人身なオルニスを屋敷に滞在させるにはどうしたら良いのだろう。
ここに閉じ込めるわけにもいかないし。
……ああうん、無理だ。それっぽい理由が思いつかない。
「ええと、オルニス、さん? 貴方、人の姿になれたりしない?」
「呼び捨ててもらって構いません! 人の姿ですが、やろうと思えばできます! できますが……」
そこで、オルニスは僅かに目を伏せた。
「……やはり、ルーツィエ殿から見たら、俺の姿は気味が悪いですか」
自分のなりを気にするオルニスの言動を意外に思いつつも、首を横に振る。
「私? 気味が悪いとかは特に……」
他人がどうかは知らないが、私はオルニスが不気味とは思わない。
お父様の趣味で、この屋敷には、今手にしている魔導書をはじめオカルトチックなものが多い。本の挿絵や屋敷に飾られている絵画で見ただけだが、人外にも耐性はあるので、第一印象が快活そうな鳥人間に恐怖も嫌悪も覚えたりはしない。……いや、こちらを見透かすような目はちょっと怖いが。
「私、この屋敷に一人で住んでいるわけではないの。家令もメイドもいるし、たまにだけどお父様も帰ってくるし……屋敷を歩き回るのに今の姿だと色々と不便でしょう」
この説明で、オルニスは私が言いたいことを悟ってくれた。
「ああ、そういうことですか! それなら確かに、」
オルニスが納得したように一つ大きく頷きかけて、
「……俺がルーツィエ殿の家を歩き回って良いんですか?」
やがて、ぽかんと嘴を開けた。
「勿論、人の姿でないと困るわ。一応貴方を私の従者として連れ回そうと思っているのだけど」
屋敷に置く期間がどのくらいかもわからないのだから、客として滞在させるよりも、住み込みの仕事をさせる方のが理由作りがしやすい。勿論、従者は表向きで、オルニスに仕事を頼む気はないが。
「……駄目、かしら」
もしかして何かまずいことでも……いや、悪魔のプライド的に人間の下につくのが耐えられない、とかならあるかもしれない。
実際はどうなんだと距離を詰めると、オルニスはようやく我に返った。
「あっ、そのー、大したことではないんですが、驚いてしまって。ルーツィエ殿から見たら、俺って得体の知れないものですよね。なのに、手元に置こうとするなんて変わってるなあ、と思いまして」
オルニスはそう説明した後、僅かに目元を緩ませた……ように見えたのは私の気のせいか。
「それだけです。ルーツィエ殿の側にいられるのは、俺個人としては、嬉しいです! とても!」
こちらの都合を押しつけただけなのに、そんな無防備な台詞を聞くと何だか申し訳なくなる。
そんな罪悪感を抱くと同時、好感度の高い反応に、こっちが驚いてしまう。
私の側にいることに抵抗がないどころか、むしろ嬉しいと言う思考は、一体どこから来るのだろう。初対面の筈なのに、妙に懐かれている気がする。
悶々としていると、オルニスがぶつぶつと何かを唱え始めた。
徐々にオルニスの身体から光が溢れ出す。反射的に目を細め、腕で目を庇う。
やがて光が収まり、オルニスがいた場所に目をやるが、そこに鳥男の姿はなかった。
代わりに、一人の男が直立している。
「こんな感じでどうでしょうか!」
こちらに様子を聞いてくる声は、先程までいた鳥のものと同じだ。
「……オルニス?」
「はい!」
「何というか……手品みたいねぇ」
あっという間の早変わりに、暢気にそんな感想を抱く。
鳥の頭を乗せていたときの印象そのまま、人の姿をしたオルニスは、凛々しい青年だった。
見た目だけなら、二十代前半といったところか。髪は青く短く、黄金色の目は鋭い。美丈夫とまではいかないが、そこそこ整った顔をした、見る者に好印象を与える姿だ。
「ルーツィエ殿?」
まじまじと人姿を見つめる私をどう思ったか、ずいっと顔を近づけるオルニス。
「ッ……そんな近くなくても聞こえるわよ」
不意の接近に上擦りかける声を飲み込み、冷静に見えるよう淡々とした調子を意識する。
どうやら、会話する相手に顔を寄せるのがオルニスの癖らしい。他意はないとわかっているが、人外のときは流せるものも、好青年の姿では平静を保つのが難しい。
ひとえに、あまり社交界にいかず、男慣れしていない自分のせいだ。思い通りにならない心臓に苛立ちながらも、距離をとろうと背中を仰け反らせる。オルニスは「失礼しました!」と直ぐに離れてくれた。
全く、心臓に悪い。内心オルニスに文句を垂れながらも、やはり一瞬でもときめきかけた自分が一番恨めしい。
「あの、どうかしましたか? 顔が赤いようですが!」
「……気のせいよ」
こんな状態が続くと心臓がままならない。オルニスの顔に早い内に慣れようと固く決意した。
それから直ぐに、屋敷を取り仕切っている家令のところへ「どうしてもオルニスを側に置きたいの」と熱弁しに行き、オルニスは無事、私の従者に収まった。
かくして私の人生初の悪魔召喚は成功し、人生初の悪魔との共同生活が始まった。
オルニス、都合上一話でフォルムチェンジ。