手紙
小高い丘の上にある小さな墓を、月に一度、政務を抜けだして様子を見にくるのが彼のここ数十年の日課だった。
本来ならばお供一人つけずに外出など到底認められる立場ではないが、かつては勇者一行の一人として戦い、今なお鍛錬を怠らない彼に敵うものはそうそうおらず、臣下も諦めて黙認している状態だ。
「ふう、やれやれ……」
若い頃ならまだしも、最近はめっきり足腰が弱りこの丘を登るのも一苦労である。
墓の横によっこらせと腰を落とすと目の前に広がる海をしばし眺める。
「……先日、孫が生まれた」
ぽつりと呟かれた言葉に、返される言葉はない。
「このわしに孫ができたんじゃ。信じられるか?」
玉のように可愛い赤ん坊だった。初めて会った時は顔が緩むのを抑えきれず、妻や娘からも苦笑されてしまった。
「わしだけじゃあない、他の連中の所にも子供や孫ができてる。……あの頃からは想像もつかんわい」
本当に、幸せだと思う。
愛する者と共に生きる。これ以上の幸福はないのだろう。
しかし、だからこそ気がかりなこともある。この平和の、幸せの為に戦い、そして散った彼が残していったもの。
懐から一通の手紙を取り出した。
便せん一枚だけのそれは決して長々と書かれているわけではないが、どんなことが書かれているかはわからない。なにせ、ここに書かれている文字を使っていた人物はもういないのだから。
「お前の使っていたこのニホンゴとかいうやつ、今でも城の学者たちでも解読できないんだぞ」
墓に向かって愚痴るように呟く。
それはこの世界のどの言語にも属さない異世界の文字。多くの学者が知的好奇心を刺激され何十年とわたって解明に挑んだが未だに一文も読み解くことができていない。
「何が『そのうち教える』だ……教える前にいなくなりやがって」
頭に浮かぶ悪童めいた笑顔が忌々しいったらない。
魔王に挑むその前夜。彼は何を思ってこれを書いたのだろう。何を思ってこれを残したのだろう。
もしかしたら、郷里にいる家族や友人へ向けた言葉だろうか、愛する女性への秘めたる想いだろうか、戦いへの恐怖をつづったのだろうか、死を覚悟して自分を奮い立たせた言葉だろうか……それとも、異世界にいきなり連れてこられて命がけの戦いを強いられたことに対する恨み言だろうか。
答えを知る人はもういない。
「……なあ、この手紙には、なんて書いてあるんだ?」
かつて、共に戦った元王子の言葉に、勇者はやはり何も返さなかったのだった。




