街路樹にUSB
雲ひとつない、良く晴れた夏の日のことでした。
学校のテストが終わった解放感に私は胸を満たされ、大きな伸びをしました。セミ達の遠慮ない鳴き声が木々の隙間を埋めています。
いつもより早い下校時間を持て余した私は、帰路を少し外れて、寄り道をすることに決めます。人通りの多い商店街。遠慮しているかのように小さくたたずむ書店。とがったセンスで珍妙な輸入品を並べるセレクトショップ。
普段あまり訪れることのない大きな通りを歩いているとき、私は自身の疲労に気付き、容赦ない日差しに若干の眩暈を感じました。
そろそろ帰ろう。
そう思った私は踵を返し、来た道を戻り始めました。
夏の太陽へのささやかな抵抗として、私は街路樹の作る小さな影を渡ります。
同じ大きさで、等間隔に、整然と並んだ、まばらな影。
何処で曲がれば帰れるだろうかとあたりを見回すと、ふと不思議なものが目に留まります。
景観のため綺麗に整えられた街路樹のうちの一本、その表面、ちょうど私の目の高さくらいのところに、小さな穴が開いているのです。
小指も入らないほどのその小さな穴は、角のとれた長方形をしていました。穴の中には白い幅広の突起と、いくつかの金属端子が顔を覗かせています。
どこかで見たことのあるような穴でした。私は懸命に記憶の糸を手繰ります。
USBポート?
ユニバーサルシリアルバス。様々な周辺機器を接続するための、世界共通の規格。
マウスやキーボード、フラッシュメモリ等の一般的な機器のみでなく、最近では加湿器、扇風機、ドリンクの保温機など、実に様々な電気製品がこのUSB規格に対応しているそうです。
そんなUSBポートがなぜ、こんな街路樹の幹などという有機的な場所にあるのでしょう?
実に不釣合いです。
念のためあたりを確認してみますが、電源コードのようなものは無し。完全に独立した一本の樹でした。
もしかしたら樹の内部が削られていて、地下を通して外部の電源を引っ張っているのでしょうか? でも、そんな面倒なことをして何のメリットが? 謎は深まるばかりでした。
うんうんと思案にふけっていると、次第に、いたずらな好奇心が芽生えてきました。
ちょっと試してみよう。
私はおもむろにカバンの中を探り、少し古いタイプの携帯電話とその充電ケーブルを取り出しました。なんせ、ユニバーサルというくらいです。もしかしたら使えるかもしれません。
私は恐る恐る、しかし多少の興奮を感じながら、充電ケーブルをその穴に差し込みます。
ぴったりはまりました。やはり、USBポートで間違いないようです。
はやる気持ちを抑えて、私は充電ケーブルと携帯電話をつなぎます。
すると、何拍かの間をおいて、携帯電話の起動画面が表示されます。そして画面の端には充電中を示すマーク。
使えた……!
そのときの私はなぜか不思議な感動を覚えたのですが、不意に冷静になり、自分がすごく悪いことをしているような気分になりました。周りの目が気になって、あたりを見回します。
誰もいません。
違和感があります。
人っ子一人いないのです。
いくら平日の非活動的な時間帯だからといって、そのようなことがあるでしょうか。歩行者も、自転車も、車もいない。
そして……セミの声すらも聞こえなくなっていました。
代わりに、自分の心臓がどくどくとうるさく高鳴っているのが聞こえます。
制服の裏で、汗が体を伝います。暑さによるものではない、嫌な汗です。
あわてて手元の携帯電話に目を戻すと、そこではなんとも奇妙な現象が起きていました。
画面が、ゆっくりと、波打っているのです。
波打つ映像が表示されているのではなく、画面自体が、物理的に振動しているのです。風のない湖面を指でやさしく撫でたときみたいに。
始めは一つだった小さな波は、画面の端で反射を繰り返すたびにその数を増やし、互いに干渉し合い、次第に大きなうねりを生み出していました。画面の波の成長はとどまる所を知らず、ついには沸騰した液面のように暴れ狂い、数多の気泡が生まれては飲み込まれ消えていくまでになりました。
とりわけ大きな気泡が浮き上がり、破裂したとき、飛び散った水滴が――水ではないはずなので水滴という表現は不適切ですが――私の手にかかったのです。
熱い!
本当に熱かったのか、あるいは私のイメージがその感覚を呼び起こしたのか、思わず私はのけぞり、勢い余ってしりもちをつきました。携帯電話は私の手を離れ、樹の幹に刺さった充電ケーブルに一瞬ぶら下がりましたが、すぐにその重みに耐えかねて抜け落ちてしまいました。
私はすっかり腰が砕けてしまい、落ちた携帯電話と充電ケーブルを惚けたようにじっと見つめていました。
チリン、チリン、と後ろから自転車のベルが鳴り、迷惑そうに私を一瞥しながら脇を通り過ぎました。
気付けばあたりには人の気配があり、セミがいっそううるさく鳴いていました。
私はふうっと息を吐きながら立ち上がり、携帯電話と充電ケーブルを拾いました。画面には何の異常もなく、電源ボタンを押すとすぐに起動しました。充電中のマークもついていません。
街路樹の幹のほうに目をやりましたが、そこにはもう何もありませんでした。
それはずいぶんと当然なことのように感じられたので、私は手荷物をカバンにしまい、そのまま家に向かって歩き出しました。
不思議と足取りは軽く、先ほどまで感じていた疲労も嘘のように消えていました。
大通りの脇に整然と並んだ街路樹。
その影が一つだけ、他よりも小さくなっていました。