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第5話 浮遊呪文

1


「ほう。今日はまた格別に気合いが入っているようだね。いいことだ。では、浮遊呪文を唱えてごらん」

 オッコ教授は、小さくて丸っこい体を精いっぱい伸び上がらせて、自分の杖を縦に立てて笑顔を見せた。

 シーラはといえば、ひどく引き締まった顔をしている。

 昨夜、部屋に帰ってから、ワグス先輩の訪問の意味を考えたのだ。

 先輩は、「元気を出して」と言った。

 差し入れのプラークの砂糖漬けは、シーラを元気づけるためのものだ。

 ということは、ワグス先輩は、シーラが失敗続きなのを知っているのだ!

 この魔法学校の中のどれほどの人が、シーラの成績の悪さを知っているのだろうか。

 先生がたは、当然知っている。

 同級生には知られている。何しろ一緒に食事を取る。食事時間はあまりうるさく会話をしてはいけないが、人の失敗の噂などというものは、ついつい興味を持ってしまうものなのだ。また、談話室などでは、同級生同士が会話する機会は多い。同級生がシーラの噂をしているのを、シーラは何度も耳に挟んでいる。

 だが、まさか上級生にまで知られていようとは。

 一年生は他の学年の生徒と切り離されていて、会話をしたりする機会はほぼない。だからこちらは向こうのことを知らない。当然向こうもこちらのことを知らないと思っていた。だがそれは間違いだったようだ。

 どうしてワグス先輩がシーラを励まそうと思ったかは分からないが、励ましがいるほどシーラが落ち込んでいることを、ワグス先輩は知っていたのだ。

 五年生のワグス先輩の耳に入っているということは、ひょっとした二年生にも三年生にも四年生にも知られているということなのではなかろうか。

——なんてこと!

 こうなれば、何としてでも今日浮遊呪文を成功させなくてはならない。

 シーラは気合いを入れて、呪文を唱えた。

〈レイ・アーレ〉

 だが、だめだった。

 積み木はぴくりともしない。

〈レイ・アーレ〉

〈レイ・アーレ〉

 繰り返しても、繰り返しても、ちっとも積み木は浮かび上がらない。

 目の前のオッコ教授がにこにこ笑っているのも気にくわない。

 できるはずのものができないのなら心配してくれるはずだ。ところがオッコ教授は笑っている。シーラにはできなくて当然と思っているのだ。

 だんだん、腹が立ってきた。

——だいたい、どうして浮遊呪文が〈レイ・アーレ〉なの? レイは〈風〉、アールは〈運ぶ〉で、アーレはその命令形。つまり〈レイ・アーレ〉って、〈風よ、運べ〉って意味じゃない。そんなあいまいな呪文で積み木を浮かばせたり運んだりするなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。

 シーラの父も母も、息をするように魔法を使っている。杖を振りながら古代語で話しかけるような調子で。シーラも魔法学校に入れば、自由自在に魔法を使えるものと思っていたのだ。だが何と、魔法学校の授業では、決められた呪文以外で魔法を発動してはならないという。それはひどく危険な行為だというのだ。

 だがもうがまんがならなかった。

 シーラの忍耐が限界に近づいたとき、クラスメイトから呼ばれてオッコ教授がシーラのそばを離れた。

——今だわ!

 シーラは積み木に杖をかざし、わざと大きな声で呪文を唱えた。

「レイ・アーレ!」

 そしてそのあと、小さな声で、しかし決然と唱えた。

飛び上がれ(ガット・ゲラーレ)!!)

 そのとたん、飛び上がった。

 机が。

 黒リンザの木の机だ。

 大きさはそれほどでもないが、重く、硬い。

 積み木を置いていた黒リンザの机が突然浮遊した。

 浮遊したなどというものではない。はじけるように飛び上がった。

 黒リンザの木はすさまじい勢いで天井に衝突し、粉々に砕け散った。

 とてつもなく大きな破砕音が教室に響き渡る。

「きゃあ!」

「うわっ」

「いやあっ」

「何が、何が起きたんだ?」

 近くにいたクラスメイトたちは破片を浴びてわめき声を上げた。

 とはいえ、シーラは教室の端っこのほうにぽつんと離れていたので、至近距離には誰もいない。だから被害というほどのものは出なかった。

 至近距離にいて最も危険だったのはシーラ本人だったのだが、不思議なことに砕け散った黒リンザの破片は、シーラをよけるように床に落下した。

 しいんとした教室に、拍手の音が響いた。

「シーラ君。成功したね。おめでとう」

 オッコ教授だ。

「あ、ありがとう……ございます?」

 何と答えてよいか分からず、取りあえず礼を言った。

 クラスメイトたちも、ぱらぱらと拍手をくれた。


2


「あんたってば、ほんとに驚いた人ね! 手加減てものを知らないの?」

「う。ごめん」

「まあまあ、リサ。とにかく、シーラ、成功おめでとう」

「うん。ありがとう」

「馬鹿ね、タダ。シーラは〈虹〉なのよ。成功するに決まってるでしょ。問題は成功のしかたよ」

「そんなに言うなよ、リサ。なかなか浮遊呪文に成功しなくて、シーラがすごく落ち込んでたのは知ってるじゃないか」

「そんなこと分かってるわ。でもこのことで、シーラに〈破壊者〉とか、〈爆発姫〉とか、〈黒リンザ潰し〉とかいうあだ名がついたら嫌でしょう?」

「そ、そんなあだ名がつきそうなの?」

 シーラはびっくりした。そんな物騒なあだ名は願い下げだ。

「いいえ、まだよ」

——まだって、どういうことよ!

 シーラは心の中で突っ込んだ。だがこの話題を続けたくはなかったので、別のことを聞いた。

「ところでリサ。あなたはどうしてワグス先輩のことを知ってたの?」

「え? 何言ってんの。めぼしい上級生や同級生の情報は集めてから入学するでしょ」

 そんな常識は知らない。

「私も私の両親も、そんなことには無関心だったわ」

「え? それは変わってるわね。それにワグス様は有名人だからね。お名前は誰だって知ってるでしょ。クラスの何人かは、王都のパーティーでおみかけしたことがあるみたいよ」

 王都でのパーティー。

 シーラには縁のないものだ。

「いいなあ、ワグス様。今は近寄ることもできないけど、二年生になったらサークル活動とかもできるし、お知り合いになれるチャンスよね。ってか、シーラ。紹介してよ!」

「紹介するほど知らないわ」

 その後シーラは、〈素敵な上級生〉たちについてのリサの話をさんざん聞かされるはめになった。

 考えてみれば、リサのような反応が普通なのだ。魔法学校は身分や派閥を越えて貴族の若い男女が出会える場所でもある。有力者の子弟と懇意になることを狙ったり、あわよくば玉の輿を狙うような考えを持つ生徒は少なくない。

 だがシーラには関係ない。シーラの両親には親戚というものがなく、両親と子ども二人だけが領主家一族なのだから、とてもではないがシーラは外に出られない。出る気もない。

 シーラは婿を取ることになるだろう。そしてシーラは治癒魔術によって領地と領民のために働くのだ。

 それぞれの思いを抱きながら話に興じるリサとシーラを、タダはちょっぴり複雑な表情で見ていた。


3


 朝起きて窓を見ると、花が増えている。

 シュリハスラの花が四輪咲いていた。

 シーラは白い四つの花に囲まれて、とても幸せな気持ちになった。

 さて、十回目の浮遊魔法の授業である。

 拍子抜けしたことに、シーラはあっさりと〈レイ・アーレ〉の呪文を成功させた。

 周りのみんなは二度目だと思っているが、実はこれは初成功である。シーラは脱力するほどほっとした。

 昨日の魔法の発動によって、何かの回路がうまくつながったのだろうか。

 浮かばせた積み木はふらふらと宙をただようばかりである。

 杖に従って移動させようとすると、ぽとりと落ちてしまう。

 それをまた〈レイ・アーレ〉の呪文で浮かばせる。そして移動しようとしてはまた落とす。その繰り返しである。

 クラスメイトたちはずいぶん複雑な動きもできるようになっていたが、シーラができるのは、この単純な作用だけだ。

 でもシーラは自分の成果に満足していた。

 そのようすを、ちらりとミード教授が見に来ていたのだが、魔法に集中していたシーラは気づかなかった。

 この日シーラは四十何度か浮遊呪文を成功させた。



 

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