第2話 杖との契約
1
「おい、なんだい、あの杖は」
「庭の木の枝を切ってそのまま持ってきたんじゃないの」
「貴族なのに、杖を買うお金もなかったのかしら」
クラスメートはシーラの無骨な杖を笑いものにした。
こうなることは分かっていたので、シーラは心の準備をしていたのだが、やはりつらかった。
くすくすと笑う声でその場が満たされると、シーラはいたたまれなくなり、意識を外に向けた。
杖の契約に使われる教室は、青空教室だ。ベランダのように張り出した城の一角であり、湖がよく見える。
今日の湖はよくさえ渡って明るい緑色にみえる。その向こうの森の色を映しているのだろう。
静かな風に吹かれる湖の美しさは、シーラの心をなぐさめてくれた。
「静かにしたまえ」
おとなの声が響いた。
「ふむ。人数はそろっているようだな。私が君たちの杖の契約を指導する。名はカプカル・ミードという」
それは五十代後半ぐらいの少し痩せた男の先生で、珍しい両眼鏡をかけ、髪は真ん中でわけて左右になでつけている。十四歳の少年少女たちに混ざると、ちょっとした巨人のようである。
「杖というのは魔法の発動体として最も優れている。よくなじんだ杖は魔法の微妙なコントロールを助けてくれるのだ。ただし発動体は杖でなくてはならないわけではない。諸君の中で魔法騎士の道に進む者がいるとすれば、剣を発動体にするかもしれない。とっさの場合に魔法を使いたい者は指輪を発動体にするかもしれない。しかし魔法の基本は杖で学ぶのだ。杖との契約ができるまで、授業には入らない。君たちには」
カプカルは、左手の指を三本立ててみせた。
「三回のチャンスが与えられている。つまり三回の授業だ。三回の授業のうちに杖と契約できればよい。しかし安心したまえ。もしも三回の授業で契約できなかったとしても、学校は君たちを見捨てはしない。私が個人指導をして、必ず契約をさせる」
「カプカル先生!」
赤毛の長い髪をしたあごのとがった少年が手を挙げた。
「ふむ。質問かね。名前を名乗ってから質問をのべたまえ」
「エネス・パイクです。魔力判定で合格しても杖との契約ができずにこの学校をやめた人も時々いると聞きますが、どのくらいそんな人がいるんですか」
「ふむ。多くはない。ここ十年のうちに三人だな。しかしその者たちは、魔力判定で不正をした疑いがある。つまり、エネス・パイク。ちゃんと魔力判定に合格したのであれば、杖との契約を不安に思う必要はない」
「はい。よく分かりました」
そう言いながらエネスという少年はちらりとシーラを見た。ほかにも何人かシーラを見ている。
シーラはどきりとした。
——みんな、私は杖と契約できないかもしれないと思ってるんだわ。
風が吹いてきた。静かだった湖の水面に、ざわざわと波が立っている。
2
「説明は以上だ。名を呼ばれた者から前に出て、契約の呪文を唱えなさい。では、アルゴ・ネス」
「はい」
小柄の黒髪の少年が進み出て、杖を高々と掲げ、呪文を唱えた。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)!」
杖の先にうっすらと赤い光の玉が浮かび上がった。
「うむ、成功だ。おめでとう」
カプカルが拍手したので、クラスの生徒たちも拍手をした。
赤い光だったということは、この少年は火の精霊オドルの祝福を受けている。火系の魔術に適性があるということだ。
「次、イーリア・パルモア」
「はいっ」
金髪で長身の少女が進み出た。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)!」
杖の先にうっすらと緑と青の光の玉が浮かび上がった。
見守るクラスメートからざわめきが起きる。無理もない。この少女は、風の精霊マトと水の精霊スルラーラという二つの精霊の祝福を受けているのだ。
「成功だ。おめでとう」
今度の拍手は最初より大きかった。
「次、エネス・パイク」
「はい」
あのいやな目つきの少年だ。エネスは杖を構えると、後ろのクラスメートを振り返った。口には不敵な笑いが浮かんでいる。その目線がシーラの所で一瞬、止まった。
——いやなやつ。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)!」
今度は赤と黄と紫の光がともった。
この少年は、火の精霊オドルと、地の精霊ヤット=グと、闇の精霊ノイシと、三つの祝福を受けているのだ。
「成功だ。おめでとう」
エネスは大きな拍手を浴びながら、得意満面の顔で列に戻った。
そのあと二人の少年と一人の少女が、いずれもたった一度で杖との契約を成功させた。
いずれも、進み出て呪文を唱える姿が、全然不安そうではない。できて当たり前という顔つきなのだ。
ここまでくるとシーラにも事情が飲み込めた。
——なんてこと。みんなもう杖との契約を済ませてきているんだわ。
領主たちはみな魔法使いなのだから、自分の子どもに魔法を教えることはできる。しかし、魔法学校で魔法の基礎を学んでいない者に魔法を教えることは、国法に反する。杖との契約も、魔法学校できちんと指導を受けながらしなくてはならないはずだ。みんな、ずるをしているのだ。
「次、シーラ・イグル」
「は、はいっ」
シーラは進み出た。
——落ち着け、私。落ち着くのよ。
どういうわけかシーラはクラスの中でいじめの対象にされてしまったようだ。だから見返してやらなくてはならない。今まで祝福の数はエネスの三つが最高で、次が長身の少女の二つだ。ほかの人は一つだった。だけどシーラは……。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)!」
何も起きなかった。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)!」
再び呪文を唱えた。だが何も起きなかった。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)!」
もう一度呪文を唱えたが、無駄だった。
「ふむ。少し心に乱れがあるのかもしれない。少し休んで落ち着きなさい」
結局、シーラ以外の十八人は一度で呪文を成功させた。
「本日の授業はこれで終わる。昼食を済ませたら、各自自習しなさい」
シーラは部屋に走って帰り、ベッドに突っ伏して泣いた。
3
夕食は大食堂で全員が一斉に取る。
大食堂にでかけるには、ずいぶん勇気を振り絞る必要があった。
テーブルに着いたシーラは、じっとうつむいて料理が配られるのを待った。両隣に座ったクラスメイトのタダ・ウジルとリサ・トゥランが何度か話しかけようとしたが、シーラはかたくなにうつむいたままだった。
——タダもリサも、たった一度で杖の契約をした。ううん。もとから契約していたのよ。ずるしてたんだわ。
そう思うと会話をする気になれなかったのだ。
その日シーラは早く寝た。
4
杖の契約の二日目である。
クラスメイトはみんな契約に成功しているのだから、先生と十八人の見守るなか、シーラはたった一人で杖の契約に挑戦しなくてはならない。さらしものである。
「シーラ・イグル。始めなさい」
カプカル先生の声は冷たい。
「はい」
シーラは杖を構えて呪文を唱えた。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)」
どきどきしながらも、反応を待った。
だが、何も起きない。
シーラは二度目の呪文を唱えるため、息を吸い込もうとした。
呼吸は喉にひっかかり、うまく空気が吸えない。胸も妙に震える。
それでも息を吸い込んで、シーラははっきりとした声で呪文を唱えた。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)!」
そのままの姿勢で待った。
だが、何も起きない。
じんわりと、涙がにじんできた。視界がぼやける。
後ろで見守るクラスメイトたちがざわつき始めた。
「やれやれ」
それは小さなつぶやきだったが、シーラの耳には、はっきり聞こえた。エネス・パイクの声だ。間違いない。シーラのせいでクラスメイト全員が余計な時間を取られている。シーラ一人のせいで。そのことをエネスは責めたのだ。
シーラはのろのろと杖を掲げた。
もともと重く長い杖である。クラスメイトたちの杖も長さはさまざまだが、そのうちの最も長いもののさらに倍の長さがあるのだ。今のシーラには、ふらつかせずに杖を構えることは不可能だった。
それでもシーラは杖を構えて、呪文を唱えた。
「クァルデン・パツラ・ウィドー(われと絆を結べ)」
すこしかすれた声で発されたその呪文は、どんな効果も生まなかった。
カプカル先生が言った。
「シーラ・イグル。部屋に帰って休め。今日の授業はここまでとする」
5
その日の夕食のときも、シーラはうつむいたままで、誰とも顔を合わせなかった。
しかし、部屋に帰って考えた。
——どうして? どうして私のほうが引け目を感じなくてはならないの? ずるをしてるのはみんなのほうじゃない。私は正しいことをしているのよ。ちゃんと一生懸命授業を受けているのよ。私がみんなを怖がったり、みんなに遠慮したりする必要が、どこにあるの。反対にみんなのほうが私に遠慮したっていいぐらいのものだわ。
そう考え始めると、だんだんと心に怒りと元気が湧いてきた。
翌朝、廊下を歩くときには、頭を上げた。
すれちがった人にはあいさつをした。
朝食の席では、タダとリサにあいさつを返した。
「あの、シーラ」
「なに?」
「がんばってね」
「え?」
「うん、シーラ。僕も応援している」
「ありがと。……リサ。タダ」
ちょっとばかりずるをした子たちかもしれないけれど、タダもリサも悪い子じゃない。
それに他人がどうあろうと関係ないではないか。
——胸を張るのよ、シーラ・イグル。たとえ困難が待っていても、誇りを持って立ち向かいなさい。
何度も母から言い聞かされた言葉を、シーラは自分自身に言い聞かせた。