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第10話 悪霊憑依

1


 目覚めたシーラは窓を開けた。

 シュリハスラの花が咲き誇っている。もう花の数は数えられないほど多い。朝起きてこの光景を眺めると、幸せな気分で一日を始めることができる。

 朝食の席は、いつもの通りリサの隣だった。

「おはよう」

「おはよう。あ、タダもおはよう」

「おはようさん」

「ねえ、シーラ」

「うん?」

「みてよ。今日もドルド芋がついてるわ。ここのところ毎日毎日、毎食毎食じゃない。いいかげん嫌にならない?」

「うーん。私はドルド芋が大好きだから、まだ飽きないわ。でも、確かに続くわね」

「内緒の話だけどね。ドルド芋から次々に芽が出るんで、早く使ってしまわないといけないらしいわ」

「そうなの。それじゃしかたないわね」

 部屋に帰ったシーラは、ドアの下から手紙が差し込まれているのを発見した。

 年頃の女の子にとって手紙を誰かからもらうというのは、それだけで事件である。

 宛先は確かにシーラ・イグルとなっている。

——男の子の筆跡だわ。そんな感じがする。

 ちょっぴりどきどきしながら裏をみたが、差出人の名前は書いていない。

 机の前に座り、封を切ってなかをみた。


2


「こ、この教室よね」

 午前の授業は終わり、昼食も済んだ。

 今日は午後の授業がない日である。

 シーラは呼び出された教室にやって来た。

 恐る恐るドアを開け、なかのようすをうかがう。

 いた。

 男子生徒が一人、ドアに背を向け、窓から外を見ている。

——黒い髪。ちょっと小柄。誰だろう。

 シーラは教室に入って、音をさせないように気をつけながら、ドアを閉めた。

「あ、あの」

 遠慮がちに声をかけたが、男の子は振り向かない。

 シーラは窓のほうに歩いていった。教室のなかほどまで歩いたとき、男の子が振り返った。

「あ」

 アルゴ・ネスだ。クラスメイトである。

「やあ、シーラ・イグル。よく来たね。そしてさようなら」

「え?」

 アルゴはつかつかとシーラに近寄ると、右手に持っていた瓶の中身をシーラにぶちまけた。

 だがその液体は、シーラの体にかかる直前で、見えない壁にはじかれた。

「なにっ?」

 アルゴは驚きの声を上げる。

 そのとき、ドアのほうから強い声が響いた。

「あんた、ちょっと! シーラに何をするつもりなのっ」

 リサだ。部屋の中に飛び込んで来る。そのあとからタダもやって来た。

 じつはこの二人は、シーラがそわそわしているのに気がついていた。また、懐に何かの手紙を隠し持っているのにも気づいた。

「タダ。シーラが誰かからラブレターをもらったわ」

「ええっ? どうしてそこまでわかるの?」

「女の勘よ。そしてシーラは失恋するわ」

「ちょっと、怖いよ、リサ! それは勘というより願望なんじゃ」

「うるさいわね。とにかく、事が起きたらシーラを慰めてあげないとね。あとをつけるわよ」

「いや、それは」

「うるさい! とにかく一緒に来なさい」

 と、そんな会話をして、こっそりシーラのあとをつけてきたのだ。

 リサとタダに詰め寄られ、アルゴは動揺した。

「く、くそっ。お前たちこそ、これをくらえっ」

 懐から瓶を出して栓を抜くと、その中身をリサとタダに振りかけた。じゅうっと音がして白い煙が上がる。

「きゃあっ?」

「うおっ?」

 二人がひるむ隙に、アルゴは素早く部屋を飛び出して行った。一瞬あとを追おうかと思ったシーラだが、今はリサとタダが気にかかる。

「ちょ、ちょっと、二人とも、大丈夫なの?」

「あれ? びっくりしたけど、何てことはないみたい」

「うん。痛くも何とも……」

 そのとき、二人に恐ろしい変化が起きた。

 びきびきと音を立てながら、顔が醜くゆがんでゆく。

 体中の皮膚が黒く変色してゆく。

 耳はとがり、口からは牙が伸び、目は赤い光を放ち、表情は毒々しいものに変わってゆく。

「うそっ。悪霊? 悪霊が憑依したの?」

 それは話に聞く悪霊憑依の症状だ。だが、結界に守られたこの魔法学校のなかで、そんなことが起こり得るのか。

「グルルルルッ」

「グエッッ」

 狂気の波動を放ちながら、二人はシーラに襲いかかった。鋭く伸びた爪がシーラに襲いかかる。

「きゃああああっ」

 だがその爪は、再びみえない壁に阻まれた。

 そしてシーラの横に、騎士エルガーが顕現する。

 二度にわたりシーラを守った見えない壁は、騎士エルガーによるものだったのだ。

「シーラ。後ろに下がれ」

 そう言いながら騎士エルガーは巨大な剣を抜いた。

「だ、だめっ。殺しちゃだめ」

「えっ? じゃあ、どうすればいいんだ?」

 リサはシーラに、タダは騎士エルガーに襲いかかろうとするが、見えない壁が二人を食い止めている。

「そうだっ。悪霊を体から追い出す呪文が。ええっと」

 ふざけた呪文だと思ったため、その文言はよく覚えている。

 シーラは杖をリサに向け、その呪文を唱えようとして、気がついた。

「あ、だめだ。私に、地属性の上級呪文が発動できるわけがない」

「シーラ。地属性の呪文だよな?」

「そうよ、騎士エルガー。私には地属性の適性がないの」

「そんなこたあない。シーラ。地霊獣アーカンスを呼び出して、その呪文を唱えるんだ」

 何のことかわからなかったが、シーラは騎士エルガーの言葉に従った。

「地霊獣アーカンス! 私を助けて。〈ヤット=グ・ルルキレ〉(地精よ癒せ)」

 そのとき、世界を包み込むかと思うほどのまばゆい黄色の光が教室にあふれた。

 呪文には確かな手応えがあった。発動に成功したのだ。

 杖の先はリサに向いていたが、リサだけでなくタダにも呪文の効果が及んでいた。二人の体から醜い悪霊が飛び出して実体化する。実体化した悪霊は、今まで以上に凶暴にシーラと騎士エルガーに襲いかかった。

「騎士エルガー。悪霊を斬って!」

「あいよ!」

 大剣が振られ、二体の悪霊はまっぷたつになった。

 だが、安心したのもつかのま、二体の悪霊はすぐにもとの姿に戻り、攻撃を再開する。

「だめなのっ? そうか、騎士エルガーの剣は実体のないものは斬れないんだ」

 こんな場合、騎士エルガーの剣に聖属性の加護を付加するなり、何らかの付与を与えれば悪霊に効果があるはずだ。だがそんな呪文は学んでいない。

 突然、ガラスの割れる音がした。

 ガーゴイルが飛び込んでくる。そのガーゴイルは両手で、二体の悪霊の頭をそれぞれ握りつぶした。

 あぜんとして口もきけないシーラにちらりと視線を送ると、ガーゴイルは窓の外に飛び出し、どこかに飛んで行った。

 悪霊たちがいた場所には、くすんだ緑色の気持ち悪い液体がこぼれているばかりである。


3


 リサとタダは倒れたままで、揺さぶっても起きようとしない。

 シーラは部屋を飛び出して、誰か相談できる人を捜した。

 最初に発見したのはカプカル教授だった。かいつまんで事情を説明すると、カプカル教授はヨール教授を連れて、問題の教室に向かう。むろん、シーラも一緒である。

 意識を失ったままのリサとタダは医務室に運ばれ、手当を受けた。

 シーラは校長室に呼び出され、経緯を説明するよう求められた。

 校長室に入ったシーラは、あっ、と声を上げた。

 校長の右後ろの魔除けの像が、先ほど自分を助けてくれはガーゴイルにそっくりだったからである。

 というか、あらためてみてみると、校長自身もガーゴイルに似ている。

「シーラ・イグル。説明してもらえるかな。何が起きたのだ」

 シーラは出来事をありのままに語った。

 そのうちにヨール教授が校長室に来た。二人の手当が終わったのだろう。

「校長先生。リサ・トゥランとタダ・ウジルの手当が終わりました。二人は悪霊に憑依された痕跡があります。けれど時間が短かったようで、魔獣化はまぬがれたようですわ」

「それは何より。シーラ・イグル。君の呪文が二人を助けたのだ」

「えっ? まさか、シーラが悪霊分離呪文に成功したんですの?」

「そうだ。ヨール教授」

「で、でも、シーラ・イグルには地属性の適性がなかったはずでは?」

「いや、そうではない。それより、こんなことをしでかした犯人が野放しになっているのは危険だ。シーラ・イグルの証言によれば、呪われた薬品を持ち込んだのはアルゴ・ネスだということじゃが」

「ええ、校長先生。わたくしがリサとタダに聞いたところでも、アルゴ・ネスが部屋のなかにいて、二人に瓶に入った液体を振りかけたということです。それと、タダが言うには、十日ほど前、夜中にアルゴ・ネスが両面鳥から何かを受け取ったというのです」

「ほう? カプカル教授。アルゴ・ネスの所在を確認し、ここに連れてきててもらえるかな」

「はい、校長」

「シーラ・イグル。ご苦労だった。すまんがこの件については、当分のあいだ他言を禁じる。よいな」

「は、はい」


4


「失礼します」

「うむ。入りなさい」

 指導室に入ると、そこにはカプカル教授のほかに、意外な人物がいた。

「ワグス先輩?」

「シーラ・イグル。先日の事件について調査が一段落した。ワグス・デューンは当事者の一人として、説明を受け持ってもらう」

「当事者?」

 それからカプカル教授は判明した事実を説明していった。

 まず、初めて森に入ったとき甲殻獣が襲ってきた事件は、じつはアルゴ・ネスのしわざだった。魔獣を呼び寄せる薬品をシーラに振りかけたのだ。

 そして、今回の事件も、いうまでもなくアルゴ・ネスのしわざだ。悪霊それ自体を溶かし込んだ薬液をシーラに振りかけたが、騎士エルガーの加護に阻まれ、あとから教室に入って来たリサとタダに標的を変えた。悪霊が取り憑いた二人がシーラを殺すことを狙ったのだ。

 二種類の魔術薬品は、極めて高度で複雑な操作によって生み出されるものであり、材料となる媒体は非常に高価だ。しかも悪霊をひそかに封印して手元に置いておいたのだから、国法にもふれる可能性がある。

 説明を受けて、何が起きたのかはわかった。

 だが、なぜアルゴはそんなことをしたのか。なぜシーラは標的になったのか。

 ワグスが口を開いた。

「それはね。僕の母のせいなんだ」

「お母さま、ですか?」

「うん。母はもちろんこの魔法学校の出身だけれども、シーラ・イグルの父上や母上と同級生だった」

「ええっ? そうなんですか?」

「ちなみに、僕の父も同級生だ」

 突然知らされた事実に、シーラは言葉もない。

「そして母は君の父上に恋をした。しかし君の父上は君の母上を選んだ。それが母が君を憎む理由だ」

 シーラは、ぽかん、と口をあけた。

「ネス家はわがデューン家の分家でね。母はアルゴに、ぼくの動静を見張って、時々に報告するように、とアルゴに命令していたんだ」

 そういえば、アルゴ・ネス自身が、デューン家の親戚の末端だと言っていたような気がする。

「僕がわざわざ一年生の塔を訪ねて、シーラ・イグルに贈り物をして励ましたことを、アルゴは母に伝えた。そこで母が何を感じたかはわからない。とにかく母は、シーラ・イグルをこらしめる必要を感じた」

「こらしめるというか、死にかかったんですけど。というか、どうしてワグス先輩の行動をみて、私をこらしめなくちゃいけないんですか」

 ワグス・デューンは困った顔をした。

「いや。本当に申しわけない。母は普段はおとなしい人なんだけど、時々激しい行動に出ることがあってね」

 カプカル教授が言葉を挟んだ。

「シーラ・イグル。高位の貴族には、そういう考え方はよくあるのだ。下位貴族を奴隷のように使役したり、気に障る振る舞いをした下位貴族に、ひどく残酷な懲罰を与えるというようなことはね。そして公爵夫人にとりワグスはかわいい跡取り息子だ。ワグス自身の行動をどうこうしようなどとは発想もしない。邪魔者を排除しようと考えるだけなのだ」

「邪魔者ですって?」

「怒るな、シーラ・イグル。君も貴族になるのだから、貴族たちの考え方を知っておかねばならない」

「では先生。今回、公爵夫人がなさったことに、学校はどう対処されるのですか」

「うむ。じつにしっかりした質問だ。君はしっかりと出来事をみきわめようとしているね。公爵夫人の考え方や分家に対する影響力について、われわれが何か意見を言うことはない。しかし、魔法学校は独立不羈の存在であり、その独立性は国家体制維持のため、極めて重要な要件であると認められている。ここは権力の及ばない場所なのだ。そこを無法に踏み荒らしたのだから、公爵家にはしかるべき罰則が科せられる」

「公爵夫人ではなく、公爵家にですか?」

「そうだ。この場合、国が罰するのは家だ。公爵家のなかで夫人がどのようなとがめを受けるのか、あるいは受けないのかは、われわれの関知するところではない。付け加えるならば、個人ではなく家が罰せられることによって、公爵夫人はより大きな反省をすることにもなるし、今後似たような行動を控えるようにもなるだろう」

「その罰則の中身は、私も知ることができますか」

「できない。ただしそれは必ず行われる。校長が今、王宮とのあいだで調整中だ」

「アルゴはどうなるんでしょう」

「彼は体調不良のため休学となる。来年か再来年、彼の弟が魔法学校に入学するだろう。アルゴは家の相続権を剥奪される」

「それは厳しいことなんでしょうね。でも、人を三人も殺そうとしたんだから、しかたないんでしょうね」

「アルゴ自身は、魔法薬の中身が、シーラ・イグルを殺すほどのものだとは思っていなかったようだ。どちらの場合についてもね」

 シーラはこの説明を聞いて、一瞬、ああそうだったんだ、とアルゴを許す気になった。そして次の瞬間、それはおかしいと気づく。

「でも、一度やって甲殻獣が出たんだから、二度目も同じぐらい危険な効果があるって気づきそうなものですよね」

「そこがアルゴの頭のなかでどう理解されていたか、よくわからない。無礼な下位貴族の娘を懲らしめるという、公爵夫人の言葉だけが彼を支配していた」

 この説明を聞いて、シーラはアルゴへの興味をほとんどなくしてしまった。つまり、かばう気持ちをなくしたということである。

「申しわけない、シーラ・イグル」

 ワグスが深々と頭を下げた。

「そんな。ワグス先輩には、何の責任もありません」

「そう言ってくれるのはうれしい。だけど今聞いたように、これは公爵家全体の責任なんだ。ところがそうであるのに、公爵家から被害者である君に対して、形ある謝罪をすることができない。本当にすまない」

「そのことについては、学校として判断した。つまり、今回の事件は、公式にはなかったこととして処理される。悪霊に憑依されたなどということが表沙汰になれば、リサ・トゥランとタダ・ウジルのこれからの生涯に、ぬぐいがたい傷を与える。シーラ・イグルが公爵夫人にうとまれて魔獣と悪霊をけしかけられたという事実も、記録に残ったり人々の知るところとなれば、君とイグル家にとって益はない。それは少々の謝罪金やわびの品を得たからといって引き換えにする価値はない、と勝手ながら学校では判断したのだ」

「はい。そんなことは人に知られないほうがいいです」

 このときシーラが考えていたのは、リサとタダのことだ。悪霊に憑依されたなんて、絶対に人に知られてはいけない。

「シーラ・イグル」

「はい、ワグス先輩」

「今表立った謝罪はできないが、罪は忘れない。わがデューン家は、シーラ・イグルとイグル家に借りができた。このことを僕ワグス・デューンは忘れない」

 ワグスは、右のこぶしを胸に当てて腰を折った。

 その姿があまりにも美しいので、シーラはしばらくみほれてしまった。

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