第9話 撃剣コース
1
「シーラ・イグル。呼び出して申しわけない。単刀直入に聞くが、森に出たとき、〈力ある言葉〉を使ったか?」
「カプカル先生。私、先生に言われた通り、古代語は使っていません」
カプカル教授は、じっとシーラの目を見た。嘘をついているようではない。
「そうか。それが確認したかったのだ」
「先生。私から報告とご相談があります」
「ほう」
シーラは騎士エルガーのことをカプカル教授に説明し、その加護を受けるつもりだと話した。
「ああ、あの騎士か。あの騎士は杖に宿っていたのか」
「気がついておられたんですか?」
「杖との契約のとき、君の前に顕現しているのをみた。危険なもののようではなかったし、特に大きな魔力も感じなかったから、校長には報告したが、そのままにしていたのだ。しかし、そうか。強力な騎士だったのだな」
このときカプカル教授は勘違いをしていた。
死者の魂が場所や物品に宿ったり、なにがしかの働きを現すことは、ままあることである。縁者である人物の守護霊になることもある。だが、そうした守護霊にはそれほど大きな力はないし、死後五十年とはたたずに消滅してしまうものだ。まさか死後千年を経た偉大な守護霊だとは思ってもいなかった。
「あの騎士なら守護霊とするにふさわしいだろう。加護を受けるといい」
「はい」
「よければ、今この場で騎士を呼び出し、契約を結んではどうかな。危険がないか、私がみまもってあげよう」
「あっ。そうしていただけると安心です」
シーラは、こほん、と喉の調子を整えて、杖に向かって話しかけた。
「騎士エルガー。聞こえますか。私はあなたの加護を受けることにしました。騎士エルガー」
するとシーラの目の前に、ふわりと柔らかな光が満ちて、それが収まったとき、そこには片膝をついた騎士エルガーがいた。
「御前に」
片膝をついていても、シーラより大きい。立ち上がればカプカル教授よりもずっと身長は高いだろう。
「おおっ」
カプカル教授が声をあげた。目の前でみた騎士エルガーの力強い姿に感銘を受けたのだ。だが、やはり危険な感じはしない。魔法使いにとり、相手の危険性を見抜くことは基本的な能力のひとつといってよいが、カプカル教授は危険なものとそうでないものをみぬく力に優れている。その目からみて、騎士エルガーには危険も悪意も感じ取れない。むしろよいものである、と直感が告げている。
「騎士エルガー。私、あなたの加護を受けることにしたわ」
「おおっ。それはありがたきこと」
「契約というのは、どうすればいいの?」
「杖を私の肩に当てて、シーラ・イグルの名において命ずる、騎士エルガーよわが守護騎士となれ、とおっしゃればよいのです」
シーラは、杖をひざまずく騎士エルガーの肩に当てた。
さて、カプカル教授は、ここまでのエルガーとシーラの会話を理解していない。だが、それが古代語による会話である、ということはわかった。
——古代語をあやつる騎士だと? 魔力は感じないのだが。だが、古代語をあやつる以上、それだけの魔力を持っていなければならないはず。これはいったいどういうことなのだ?
騎士エルガーの時代には、万物が強い霊力を持っており、それによって〈力ある言葉〉を行使できた。それゆえ、騎士エルガーの時代には、言葉での約束や命令が非常に強い意味を持ったのである。のちに〈力ある言葉〉は失われ、魔法言語として再発見されるのだが、そうした歴史まではカプカル教授の知るところではなかった。
「シーラ・イグルの名において命ずる。騎士エルガーよ、わが守護騎士となれ」
「騎士エルガー・ロアの名において、シーラ・イグルの守護騎士をお引き受けいたします」
契約が結ばれた瞬間、とてつもなく力強い霊力の波動が満ちた。それは霊力を感知できないはずのカプカル教授にも明確に感じられる力の波動だった。まばゆい光が満ちたように視界が奪われ、光が収まったときに、そこには巨人のような騎士が立っていた。
「はっはっは。実体化できたぞっ。再びこの世に降り立つことができるとは」
騎士エルガーは巨大な剣を抜き放ち、ぶうんと一振りした。
そのようすをそばで見守っていたカプカル教授は、これがとてつもない力を持つ神霊であることを理解した。
「し、シーラ・イグル」
「は、はい。カプカル先生」
「こ、この守護騎士は、ずっと姿を現したままなのかね?」
「ど、どうなの、騎士エルガー」
騎士エルガーは剣を鞘に収め、カプカル教授に軽い礼をした。
「カプカル教授殿、あるじがお世話になり、感謝する。俺は普段は杖のなかにいる。だが、あるじに危険が迫ったときには、自分の判断であるじに加護を与えることもできるし、短い時間であればこのように姿を現してみずから剣をふるうこともできる」
ここで騎士エルガーはシーラのほうに向き直り、再びひざまずいた。
「あるじよ。俺はあんたに仕え、あんたをお守りする。あんたが攻撃強化呪文や防御強化呪文を使うとき、俺の加護により、呪文には大幅な力が加えられる。しかし、あんたはこの学びやで学んでる途中だ。訓練の最中に俺が全力の加護を加えたんじゃ、訓練にならん。だから普段、俺の加護は最小限に抑えるぜ。加護を強く引き出したいときは、エルガー、と名を呼んでくれ」
「う、うん。わかったわ。ところで、あなた、口調変わってない?」
にやりと笑って、騎士エルガーは消えた。杖に戻ったのだろう。
2
地属性の基礎呪文の授業である。
担当はヨール教授。ヨール教授が魔法を行使するとき、シーラの目には黄色と青色がちらつく。ヨール教授の魔法属性は、地と水なのである。
——はああ。うらやましいなあ。
治療魔術師をめざすシーラにとって、最も必要なのは地属性の魔法である。生命の成長と癒しをつかさどる魔法は、ほとんど地属性に集中している。多色持ちであるシーラだが、よりによって地属性だけを持たない。つまりシーラには高度な治療魔術を使える見込みはほとんどなく、他の属性を巧みに使った薬の精製を目指さざるを得ない。もっとも光属性にも治癒促進の魔法はあり、治癒系の魔術がまったく使えないというわけではない。
「さて皆さん。前回覚えた成長促進呪文は、やたらと長い呪文でしたわね。今日覚えてもらう止血外傷治癒の呪文は、とっても短いので、ご安心を。では、注意して聞いてくださいな」
ヨール教授は自分の杖を自分の左手に当てて呪文を唱えた。
「〈ヤット=グ・ルルキレ・シェイト〉(地精よ傷口を癒せ)!」
黄色の魔法が発動した。だが何も起きない。傷など負っていないのだから当然である。それ以前に、そもそもこの呪文は、自分自身に行使しても効果がない。ただし発動はする。だから練習のときは、自分に対して呪文を唱えるのだ。
「このように、この呪文は、生き物の体に杖を当てるようにすると発動しやすいのですわ。練習のときは、自分の左手に杖を当てるようにしてくださいな。では、もう一度呪文を聞かせます。よく覚えてくださいな。〈ヤット=グ・ルルキレ・シェイト〉(地精よ傷口を癒せ)!」
よし、覚えた。そして発動してやる。
シーラは固く決意していた。地属性の魔法に適性がないといっても、基礎呪文なら使えるはずであり、この止血外傷治癒の呪文は、ひどく有用だ。誰よりも上手にこの呪文を使いこなせるようになりたい。
「では、皆さん、準備をなさって」
生徒たちは、それぞれ杖を左手に当てた。
リサは左利きなので、左手に持った杖の先を右手に当てた。
また、シーラの杖は長すぎるので、杖の先を左足に当てた。
「いきますわよ。〈ヤット=グ・ルルキレ・シェイト〉(地精よ傷口を癒せ)!」
ヨール教授の呪文にならって、生徒たちもそれぞれ呪文を唱えた。
成功した者もいる。成功しなかった者もいる。このころになると、もう生徒たちも、呪文が成功したか失敗したか、手応えでわかるようになっている。
たぶん、一度で成功した人のほうが少ない。だが、珍しいことに、シーラは一度で成功した。
——やるじゃない、私! もしかして地属性に適性があるんじゃない?
「あらあら。たくさんの人が成功したみたいですわね。うれしいわ。この呪文はとても生活の役に立つ呪文ですからね。前回の成長促進呪文では、ほとんど成功した人がいませんでしたから、なおさらうれしいわ」
ヨール教授が雑談を始めた。なにしろ一度の授業で呪文を試せるのは五回程度だ。座学で時間をつながなくてはならない。
成長促進呪文を成功させた人が少ないのは無理もない。呪文が長すぎる。〈ヤット=グ・キゼイレ・ゼリクォル・マルゴス・ソルトゥン・グェダ・ジュル・マーテル〉(地精よ地に生えるものに豊かな成長をもたらせ)というのが、その呪文だ。一度でこれを覚えられたのは、たぶんシーラだけである。そしてシーラは、一年次にはマスターする人が少ないというこの難しい呪文も、たった一度で成功させた。
「ところで、ついでにお教えしておきますね。地属性の上位呪文に、憑依した悪霊を体から追い出す呪文があります。光属性の悪霊を弱くしたり消滅させたりする呪文と併用すると、とても便利なのですわ。その悪霊分離呪文は、この止血外傷治癒呪文を少し短くしたものなのです。〈ヤット=グ・ルルキレ〉。面白いでしょ」
またまた意味不明な呪文である。〈ヤット=グ・ルルキレ〉とは、地精よ癒せ、という意味だ。これがどうして悪霊を追い出す呪文になるのだろう。呪文を考え出した人に、法則を聞いてみたい、と考えるシーラだった。
3
「やあ、ファーリ・イグル(イグル家のおじょうさん)。撃剣コースにようこそ」
「こ、こんにちは」
「ああ、その子がそうか」
上級生たちがシーラを取り囲んで物珍しげに見つめ、自己紹介をしたり、それぞれに話しかけてきた。物おじしないシーラも、少し引きぎみだ。なにしろこの教室にはたぶん五十人をだいぶ超える数の生徒が集まっている。そして、ワグス・デューンもいる。つまり最上級生も一緒なのだ。たぶん、全学年の生徒が一緒なのだろう。そして女性は五人ほどしかいない。
「シーラ・イグル。ヨク来タ」
「パンギルド先生、よろしくお願いします」
「ウム。マズ剣ヲ選ンデ契約セヨ」
「契約?」
そういえば、魔法騎士は剣を発動体として契約すると聞いたことがある。
「あ、で、でも私、一年生で、まだ基礎呪文を習得中で。こ、この杖がないと」
「フム。ワグス。説明シテアゲナサイ」
「はい、教授。シーラ・イグル。杖は杖で持っていればいいんだ。そのうえで、剣とも契約するんだ。普通の授業は杖で魔法を使い、撃剣コースの実習のときは、剣で魔法を使うんだ。二つも発動体を持つと、最初のうちはとまどうけれど、結局それが一番の早道なんだよ」
そう言われれば、なるほどそういうものかとも思う。しかしシーラには特殊事情がある。騎士エルガーの加護なしでは、とても撃剣コースとやらについていける気がしない。そして騎士エルガーはこの杖に宿っているのだ。
「あ、あのっ」
「うん? どうしたのかな、ファーリ・イグル(イグル家のおじょうさん)」
「こ、この杖で戦うわけにはいきませんかっ?」
シーラの発言を受けて、周りの生徒たちは一瞬沈黙し、そして大いに笑った。
「お、おいおい。相当硬質化呪文に自信があるのかしらないが、杖で剣と戦えるわけがないだろう」
「でもずいぶん長くて立派そうな杖だもんな。それで戦いたくなる気持ちもわからなくはないけどね」
シーラはむっとした。自分がちょっとおばかなことを言っている自覚はある。しかし、あざけり笑われたら、やはり腹立たしい。特にこの杖を笑われるのにはがまんならない。
目の前でひときわ大きく笑っている先輩に向かい、シーラは言った。
「なら、試してみてもらえませんか」
「えっ?」
ざわざわと笑いさざめいていた生徒たちが静まる。
シーラが挑戦状をたたきつけた先輩は、金色のカールした髪を持つ背の高い貴公子だ。笑いを収めてシーラを見下ろす目つきには、どことなく爬虫類を思わせるものがある。
「シーラ・イグル。この僕に挑戦したのか? よかろう。受けてあげる」
「おい、スルート。一年生相手におとなげないぞ」
「ワグスは黙っていてくれ。このお嬢さんは、体験しなければ納得できない人のようだ。なあに、体にはかすり傷一つ付けないさ。杖は、僕の持っている予備のなかから最高級の杖を進呈する」
周りの生徒たちが畏怖を込めた目で遠巻きにしている。もしかしたら、この先輩は敵に回してはいけない人だったのかもしれない。しかしもう遅い。
「パンギルド教授」
ワグス・デューンが教授に仲裁を求めた。だが、教授は二人を止めようとはしなかった。
「ウム。何事モ実際ニ経験シテミルノガ一番デアル。デハ二人デ試合ヲシナサイ。タダシ、速度付加ヲ始メトスル付加呪文ハ使用禁止ダ。幻惑魔法ヤ攻撃魔法モ使用禁止ダ。楯モ使用禁止ダ。攻撃用硬質化呪文ダケデ戦ウモノトスル」
生徒たちは、スルートとシーラを残して壁際に散って行った。
「〈スタドリアレ・パッロ・シャトラ〉(刃のごとく硬くあれ)」
スルートが、右手に持った剣に呪文を唱えた。力強い藍色の光がはじけ、スルートの剣に硬質化がかかる。
「〈スタドリアレ・パッロ・シャトラ〉(刃のごとく硬くあれ)」
シーラも自分の杖に硬質化呪文をかけた。スルートにまさるまぶしい恩寵の光があふれ出る。
「お」
「おおっ」
「これは」
「なかなかやる」
じつのところ、発動体それ自身に呪文をかけるというのはなかなか高度な技術なのだが、シーラはそんなことは知らない。ただし周りがざわついているのは、シーラの発動した魔法にただならぬ力強さを感じたからだ。
「ふふん。言うだけあって、大した魔力だ。だてに〈虹〉と呼ばれてはいないようだね」
たぶん目の前の先輩も多色持ちだ。何色持ちなのだろう。
「ただし多くの属性を持つからといって、優れた魔法使いになれるわけではない。優れた魔法使いとは、みずからに与えられた才能を成長させ、使いこなす者のことだ」
シーラはだまったまま、自分を見下ろすスルートをにらみつけている。
スルートは剣を顔の前にかかげて立てた。
「スルート・ウルス。正義と名誉にかけて」
スルートの宣言を聞きながら、シーラはじっとスルートをにらみつけている。
「シーラ。スルートと同じように宣言するんだ」
後ろからワグスに声をかけられ、シーラも杖を顔の前に立て、宣言した。
「シーラ・イグル。正義と名誉にかけて」
スルートが一歩下がり、剣を下段におろす。
シーラは顔の前の杖にささやいた。
「騎士エルガー。力を貸しなさい」
そして、そのまま前に一歩踏み込んで、スルートの剣に杖を打ち当てた。
シーラの動作に意表をつかれたのか、スルートの反応は早くはなかった。それでもかわそうと思えばかわせたはずだ。しかし、スルートはシーラの杖が自分の剣に当たるにまかせた。それが失敗だった。
するどい金属の破砕音が鳴り響き、スルートの剣が真っ二つに折れて飛んだ。
スルートは一瞬呆然と折れた剣をみつめ、驚きの声を発した。
「えええええっ?」
周りの生徒たちもざわついている。
「こ、こんなっ。こんな、ばかな……」
目を大きく見開いて、折れた剣を凝視する表情は意外にかわいい。
「納得シタカネ、スルート・ウルス」
パンギルド教授がスルートに話しかけた。もしかすると、実際に経験してみるのが一番というのは、シーラのことでなく、スルートのことだったのだろうか。
「シーラ・イグルノ攻撃用硬質化呪文ト防御用硬質化呪文ハ、マレニミル優秀ナモノダ。ダカラコソ私ハ彼女ヲ撃剣コースニ招イタノダ。彼女カラハ君タチモ得ルモノモ多イト思ウ」
「そうだったのか……」
ざわつきながら周囲の生徒たちがみまもるなか、スルートは、剣の残骸を左手に持ち替えると、一歩進み出て右手を差し出した。
「謝罪する、シーラ・イグル。僕の非礼な態度を許してくれ」
仲直りと謝罪のために、握手を求めているのだ。シーラはあわあわと慌てながら、杖を左手に持ち、右手を差し出した。
するとスルートは、シーラの右手を握ろうとはせず、自分の指先で下から支え、上半身をかがめて、シーラの右手にキスをした。
シーラは硬直した。
「こら、スルート。いつまでキスをしているつもりだ」
「いや。このお嬢さんの手は、なぜか心地いい」
そう言いながらもスルートはシーラの右手を放した。シーラは固まったままである。
「シーラ・イグル。今年の撃剣試合の団体戦を、ぜひ一緒に戦ってほしい」
「あ、こら、スルート! ずるいぞ。シーラには僕が申し込むんだ」
ワグスとスルートが言い合うのを呆然と聞きながら、シーラはようやく右手を下ろした。今までスルートのくちびるがふれていた部分が、しびれたようにくすぐったい。思わずハンカチを出してごしごし拭いた。スルートが目を見開いてそれをみている。
「それはちょっとひどいんじゃ……」
「はははははっ。汚れは拭き取らないとね。なるほど、なるほど」
そのときになってシーラは、周りの視線が気になった。大勢の生徒たちに取り囲まれて凝視されるのは、ひどく居心地が悪い。
「あ、あの。ワグス先輩」
「うん? 何かな、ファーリ・イグル(イグル家のおじょうさん)」
「この撃剣コースって、いつも全学年の生徒が全員集まるんですか?」
「いや。今日は特別だよ。もうすぐ今年の撃剣試合が始まるからね。団体戦のチームを組まなくちゃいけない。それで今日は全員が集まっているんだよ」
「へえ、そうなんだ。……えっ? でも、私はチームに入らなくてもいいんですよね?」
「いや。撃剣コースの生徒は、個人戦も団体戦も強制参加だ。撃剣コース以外の生徒も、希望すれば個人戦には参加できる」
「えええええっ? 無理、無理です」
「でも決まっていることだから」