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バトル・オブ・マンチュリア

 ソ連侵攻軍の攻撃は、まず重砲とスターリンのオルガンと呼ばれたカチューシャ対地ロケットによる制圧射撃と航空機による国境監視哨、ならびに点在する要塞、飛行場に対して行われた。


 しかし、この時点でそれらの陣地や飛行場のほとんどから兵員は撤退しており、飛行場も蛻の殻だった。


 これはソ連軍への迎撃を国境線付近での水際迎撃ではなく、若干内陸部へ入ったところで行うと言う満州国軍の戦略方針によるものだった。この方針には、敵に弾薬と時間の浪費を強いることが目的の中に含まれていた。


 事実、この攻撃でソ連軍は重砲とカチューシャロケットの弾薬1会戦分をなんの戦果も得られぬまま浪費している。


 ちなみに、国境線付近の村や開拓地の住民は既に避難命令を受けて後方に下がっていた。


 そのため、村々での略奪を考えて侵攻したソ連軍先遣隊は肩透かしを喰らう事になった。住民たちは家財道具の殆どを引き上げていたからだ。


 準備砲撃が終わると、いよいよ戦車を中心にした侵攻軍が満州領内に侵入した。これに対して満州国軍も反撃を開始した。


 まず分厚いベトンに防護され、砲撃や爆撃の被害を殆ど喰らわなかった虎頭要塞がその尖兵となった。


 この要塞には日本陸軍から売却された41cm砲が配備されていた。この砲の射程距離は長く、国境の向こう側を走るシベリア鉄道の鉄橋を破壊する事が出来た。


 41cm砲はシベリア鉄道の鉄橋や線路目掛けて砲撃を開始した。


 ソ連極東地域への物資輸送はこのシベリア鉄道が事実上唯一の手段であった。そのため、虎頭要塞によるシベリア鉄道破壊は戦略上重要だった。


 41cm砲は期待に沿い、鉄橋と複数箇所の線路を破壊、分断した。しかし、ソ連軍は既にこの砲の存在はつかんでいたようで、迂回線路を既に建設していた。そのため、シベリア鉄道の運行を完全に止める事は出来なかった。


 虎頭要塞の砲撃に続いて動いたのが、後方基地へと下がっていた航空部隊であった。ソ連軍大部隊満州領内に侵入すとの報告を受けて、彼らも一斉に飛び立った。


 対戦車部隊のP63、対地襲撃部隊のモスキートにP47,さらに戦闘爆撃機に格下げとなった「飛龍」戦闘機、そしてそれらを上空から掩護するハインケル博士自慢の「炎龍」2型戦闘機にアメリカから少数購入されたP51が次々と獲物を狩人となって飛び立っていった。


 航空部隊でまず戦闘に入ったのは、敵戦闘機との空戦を行う「炎龍」戦闘機隊であった。この時彼らと戦闘を行ったのは、主にLag3,Yak7、といったソ連製戦闘機にアメリカから購入したP40にP39という機種であった。


 ソ連戦闘機は、数としては満州国軍側と拮抗していた。しかし、満州国軍の機体に比べ圧倒的に航続距離が短かった。1000km飛べれば御の字という物が多かった。そのため、空戦に入ると短期間で燃料切れとなってしまう機体が続発した。


 また、この時点でソ連の主力部隊はヨーロッパに回されていたために、極東軍に配備された機体自体が旧式機や欠落機が多く、さらにパイロットの練度も劣っていた。


 そのため、空中戦で煙を引いて落ちていく機体は圧倒的にソ連戦闘機の方が多かった。中には爆弾を落とした「飛龍」やモスキートを襲うとして、逆に反撃され撃墜される機体もあった。


 こうして空中戦は満州国側有利で進んだため、爆撃隊は思う存分敵地上軍を攻撃する事が出来た。


 もちろん、ソ連軍部隊も戦車に搭載された車載機銃や、トラックを改造した対空用車両で反撃を試みた。もしこの時、攻撃したのが日本陸軍より売却された旧式の99式襲撃機や97式軽爆撃機だったら、かなりの数が撃墜できた可能性がある。しかし、相手が悪かった。


 先陣を切って攻撃を開始したのは、アメリカ製のP47であった。ヨーロッパ戦線では独逸兵から「ヤーボ」として恐れられた機体はここでも猛威を振るった。


 強力なエンジンと、3t近い重量の機体は旋回性能は他の機種より劣るが、かわりに1t近い爆装が可能で、非常に撃たれ強かった。そのため、この戦闘でもかなりの被弾機は出たが、撃墜された機は少なかった。


 P47はソ連軍部隊目掛けて次々とロケット弾と爆弾で攻撃を行った。着弾によって、戦車の砲塔が吹き飛び、トラックがひっくり返り、爆風で兵士が吹き飛ばされる。攻撃は特に対空砲火を浴びせていた車両に攻撃が集中した。


 P47による攻撃が終わると、続いてP63の部隊が装備した爆弾と、機首に積んだ37mm砲で攻撃を行う。既に対空砲火の妨害はなく、彼らの攻撃を妨害する物はいなかった。


 戦車の上部には装甲が施されていないので易々と37mm砲弾は貫通し、戦車を破壊する。さらに、非装甲のトラックやハーフトラックはズタズタにされた。


 さらに、モスキートや「飛龍」の爆撃と銃撃も加えられた。こうした満州空軍の爆撃が終わった後の地上に動く物はほとんどなく、無残に破壊された戦車やトラック、そして死傷したソ連兵の屍だけが残されていた。


 もっとも、ソ連軍の数は膨大であるから多少の損害に構わず、彼らは遮二無二進撃した。


 さて、こうした激しい戦いが空や地上で繰り広げられる中、河でも戦いの火蓋が切られていた。


 黒龍江には満州陸軍管轄の河川艦隊が存在していた。この艦隊には外洋渡航能力がなく、河でしか動けない。おまけに冬に河が凍ると動けなくなるため、乗員は陸戦隊となって戦うかなり特異な部隊であった。


 この艦隊の敵となったのが、やはりソ連の河川艦隊であった。ソ連軍の河川用砲艦は主砲がT34戦車からの流用品と言う、これまたかなり特徴的な艇だった。もっとも、ソ連ではこの形態の砲艦はよくある物で、さらに日本陸軍の河川用砲艇も戦車の主砲を使用していた。


 史実では、対日不満からこの満州河川艦隊はソ連の宣戦布告後次々と離反し、さらに日本軍と協調して戦闘に加わった艇は撃沈されるなどして大敗している。


 しかし、この世界では乗員の練度、士気ともに高くソ連軍と互角の戦いを繰り広げた。


 ソ連軍の海軍はあまり有名ではないが、こうした河川艦隊は大河を幾つも持ち、大陸国家であるソ連では大活躍した。そのためソ連軍の士気・練度もそれなりだった。


 この戦いは結局痛み分けに終わり、双方に撃沈1と、数隻の被弾艇が出て終わった。ただし、ソ連軍河川艦隊は以後しばらく出撃不能になったことを考えれば、満州側の戦略的勝利ともいえた。


 そして丁度同じ頃、日本海でも戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。数日前に旅順から出撃した我らが義勇艦隊の艦載偵察機が、南下してきたソ連太平洋艦隊を捕捉、航空隊を出撃させようとしていた。


 


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