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太平洋戦争終結

 マリアナ上陸作戦の失敗は米国の戦争継続に致命的な打撃となった。特に戦わずして戦死した海兵隊1万名の損害に、米国国民は激昂した。


 二度の決戦に敗北し、作戦目的を果たせなかった米軍上層部、とりわけルーズベルト大統領への国民の不満は頂点に達した。各地で反戦デモが起こり、政府の支持率は急降下した。


 ルーズベルト大統領としては太平洋艦隊の損害は4ヶ月もあれば回復できる範囲であり、マリアナにB29を配備しさえすれば、日本を屈服させられる自信があった。多額の予算を投じて作った原子爆弾も、後半年で実験にこぎつけられる段階に来ていた。


 しかし、国民の反戦意識はそこまでの猶予を許してはくれなかった。さらに、この時期ヨーロッパ各地に解放名目で侵攻したソ連軍の非道ぶりが英国経由でアメリカに配信されるに及んで、ルーズベルト政権の命運は決まった。


 ルーズベルトはソ連に対して多量の武器や民生品の供与ならびに貸与を行っていたからだ。


 1944年12月24日。国民や議会からのバッシングへの対応で疲れ果てていたルーズベルト大統領はついに倒れた。そしてその数時間後に死亡が確認された。


 米国政府は法にのっとり、ただちに副大統領のトルーマンを後任大統領とした。国内の情勢を鑑み、さらに反共派であったトルーマンはただちに日本との終戦工作に入った。


 そして1945年2月11日。ハワイ真珠湾で日米の正式講和会議が開かれた。この会議では米国は満州帝国をソ連と自由圏国家との緩衝国として残す代わりに米国企業の進出を容認する事。フィリピン等の新興国家の独立を即時認めること。日本は南洋諸島の領有権を破棄する事などが定められた。


 ちなみに、丁度この時期開戦前にハワイで起きた日系人テロがアメリカの自作自演であったことが公式発表され、それを容認した高官多数が更迭されている。これによって米国の戦争継続派はほぼ消滅した。


 また、日本でも戦争継続派が軍の若手将校を中心にかなりいたが、今上天皇が定例の記者発表で、「講和会議がまとまることを祈ります」と言ったことで黙った。


 統帥権を政府に委任し、さらには憲法も改正への動きが加速していたこの時期、その権力は大きく落ちていた天皇であったが、その発言力はまだまだ極めて大きかったのだ。


 それでも行動に出ようとした者には、憲兵隊や上層部が厳しく対応し、芽を摘んで事なきを得た。


 日本と米国が講和した翌日、満州帝国も正式にアメリカと講和した。こうして、環太平洋圏の戦争、いわゆる太平洋戦争は幕を閉じたのであった。


 一方、覇権大戦とよばれるソ連と自由圏国家との戦いは急加速していた。ソ連軍は解放という大義名文を持って各地に侵攻していた。既に1945年3月時点においてポーランド、ギリシャ、チェコ、ルーマニア等で共産主義政府が発足していた。もちろん、こうした政府は事実上のソ連の傀儡政権であった。


 一方、これに対抗するのは英独等であったが、英国は先の戦争の損害から正式な参戦が出来ずにいた。また独逸も連合国との戦争の結果から国力が大きく疲弊しており、ソ連軍の自国への侵攻を止めるのが精一杯という有様であった。


 イタリアやフランスなど、もとから軍事的に弱体化していた国などもはや論外であった。


 また、アメリカは大戦中に作った多数の余剰兵器をこうした国へ売却こそしたが、直接参戦までは出来る雰囲気ではなかった。国民は戦争に飽き飽きしており、1,2年はとてもできそうになかった。


 一方、日満はソ連が直接侵攻次第反撃に出る予定であった。


 満州国はアメリカとの講和が終了すると、ただちに長距離爆撃機(B24を60機)の購入を行っている。これはソ連の兵站線であるシベリア鉄道を攻撃するために用意され、突貫での乗員訓練が開始された、


 またトラックやジープ等の後方での補給偵察任務に必要な車両も大量購入を行っている。この数は膨大で、満州国軍は旧式の車両をわずか5ヶ月で交換している。


 また航空機もあらたにP63「キングコブラ」やP47「サンダーボルト」を購入し、残存していた97式戦闘機や99式襲撃機を掃討している。


 余談ではあるが、この時廃棄された旧式機の多くは映画会社に買い取られ、戦争映画で迫力の空戦シーンを撮影するのに活用されている。


 また船団護衛任務を解かれた義勇海軍も久しぶりに旅順に終結し、装備の改変を行っている。主に電探や対潜兵器をアメリカから放出された高品質の物に代えたり、これまでに完全に装備できなかった小型艦艇にも装備するのがその内容であった。


 また、空母や巡洋艦の艦載機もエンジン出力をアップした「炎龍」2型や、日本から購入した「流星」艦攻や、「瑞雲」水偵に代えられている。


 義勇海軍では大戦中に艦艇数を大きく増強したが、その殆どが船団護衛任務に使用する小型対潜用艦艇であった。そのため、アメリカからの艦艇購入で戦力を増強したソ連太平洋艦隊に対抗するには空母や戦艦、巡洋艦が必要であった。


 そこで、これらの問題を解決するために、なんと日本海軍から艦隊を乗員込みで貸与してもらっている。これは日本海軍が終戦と共に予算が削られ、大幅な軍事力削減の必要に迫られてことと関係していた。


 軍事予算の縮小で、帝国海軍は余剰艦艇の廃棄と乗員の解雇を余儀なくされた。しかし数万人単位での再雇用が直ぐに出来る筈がない。そこで、義勇海軍で対ソ戦争の間だけ再雇用するという手段にでたのだ。


 帝国海軍としても乗員がそのまま食っていけて、さらにその後のスクラップ処理も義勇海軍が行うという提案が出ていたので喜んで引き受けた。


 この方法で義勇海軍に貸与されたのは、戦艦が「長門」、「陸奥」、空母が竣工したばかりの「笠置」、巡洋艦が「妙高」、「那智」であった。ちなみに「笠置」はパイロット込みでの貸し出しである。


 これらの艦艇は1945年5月に、菊の紋章を外すなどの処置を施され、旅順に回航されている。ちなみにこれらの艦艇は改名されず引き渡されている。


 こうして、義勇海軍は戦艦2、空母8、重巡2、軽巡4、駆逐艦16を即応戦力として整備し、ソ連太平洋艦隊と拮抗する戦力を整備した。


 


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