日米最終決戦
1944年に入ると、日米は最終決戦への準備を着々と進めつつあった。日本は軍港として重要なトラック、米軍爆撃機の基地となる可能性が高いマリアナ、千島の要塞化と基地機能強化を図っていた。
それに伴い、日本はタラワやウェークから段階的に撤兵し、米軍はそれらの島々を次々と占拠し、飛行場や艦艇の停泊地へとしていった。しかし直接的な戦闘はほとんど起きず、両軍上層部は、マリアナ、もしくはトラック沖で決戦をするものと考えていた。
米太平洋艦隊は新たに太平洋に回航した空母、戦艦をようした一大機動艦隊をようして日本連合艦隊を壊滅せんとしていた。
一方、日本側も機動部隊の整備を進めていた。新たに旗艦用装甲空母の「大鳳」、量産型空母「雲龍」級を続々と竣工させ、さらに戦艦も「大和」級と「信濃」級を揃え、士気練度ともに高かった。
また基地航空隊も最新鋭の「連山」、「銀河」、「旋風」(史実のキ83)を揃え、米軍の侵攻艦隊に打撃を与えんと意気込んでいた。
そして昭和19年6月19日、日米機動部隊はトラック島沖で一大決戦を行った。トラック沖海空戦である。この海戦の始まりは、米軍のトラック島への攻撃からであった。
これは米軍が10月に予定していたマリアナ侵攻の前哨戦として行った物で、暗号解読からトラックに敵主力無しと判断し、そのトラック島の基地機能の破壊が主な目的であった。
しかし、日本側はその裏をかいて機動部隊をトラック沖で待ち伏せさせていた。その結果起きた海戦であった。
米太平洋艦隊は戦艦7、正規空母7、軽空母7、巡洋艦35、搭載艦載機約950機。さらに後方の各諸島軍に建設した航空基地の長距離攻撃機(主にB24やP38)300機。
迎え撃つ日本連合艦隊は戦艦6、正規空母9、改造空母9、巡洋艦36、搭載艦載機約900機、トラック島基地航空隊400機であった。
艦隊航空戦力共に拮抗していた。そしてこの海戦は両軍共に痛み分けに終わった。
まず日本海軍は旗艦である「大鳳」が航空機の爆撃プラス潜水艦の雷撃によって撃沈されてしまった。その他に歴戦の空母「飛龍」に軽空母「祥鳳」、「龍鳳」が失われた。その他に巡洋艦「摩耶」や駆逐艦3隻が沈められている。加えて、米軍がVT信管を配備したため、航空機の損耗も機動部隊、基地航空隊併せて320機という甚大な物になった。
一方の米軍も日本側が最新鋭戦闘機「疾風」、最新鋭爆撃機「彗星」、最新鋭攻撃機「流星」といった高性能機を配備していたのに加えて、ベテランパイロット揃いであったために、大きな被害を受けた。VT信管も万能兵器ではなかったのだ。
米軍は空母「ワスプ」、「サラトガ」、「ヨークタウン」(いずれも先代の名を継いだ2世)、軽空母「プリンストン」「ラングレー」、そして巡洋艦4隻に駆逐艦7隻を失った。航空機の損害も440機と日本側を大きく上回る数を失った。また、トラック島への攻撃も日本側が充分な戦闘機を上げていたために不十分で、地上撃破30機、艦艇の撃沈破3という僅少な戦果しか残せなった。
この海戦では、戦艦同士の砲撃戦は発生せず、艦隊決戦主義が時代遅れであること両国海軍にをまざまざと見せ付けた。さらに、米軍上層部と国民を大きく落胆させる結果となった。
実はこの時期、米国内では独逸との休戦から非常に厭戦気分が高まっていた。既に経済は十分に回復し、日本との戦いもあまり意義のない物であったために、米国国民はこれ以上戦争を続ける意味を見出せなくなっていた。
そんな時期に、日本海軍に敗北したのであるから落胆して当然である。
ルーズベルト大統領としては、マリアナを落とし日本本土爆撃を可能にし、自国が原子爆弾を完成させ、さらにソ連が参戦さえしてくれれば、日本を降伏させ、太平洋の覇権をアメリカが勝ち取れると信じていた。しかし国民の反戦意識は日に日に大きくなっていた。
さらに、この時期ソ連軍がヨーロッパ諸国へと侵攻してていため、アメリカ国民のソ連を見る目は冷たい物となり、そのソ連に肩入れするルーズベルト大統領の支持率は落ちる一方だった。
それでも、ルーズベルトは最後の勝利さえ得られればなんとかなると考えていた。新たに太平洋艦隊に空母を回航し、さらにトラックをそのまま放置してでも期日どおりにマリアナ攻略を行うよう海軍に命令した。
海軍のキング作戦部長もルーズベルト政権が倒れれば後がないために、結局この無理な計画を推し進める事となった。
昭和19年10月20日、米軍はマリアナ諸島への攻撃を開始した。今回は戦力を回復した機動部隊のみならず、上陸部隊とその護送艦隊までつけた本格的侵攻作戦であった。
しかし、この作戦にニミッツ太平洋艦隊司令長官は乗り気でなかった。回航してきた艦や新しく配備された航空機のパイロットは練度が不十分であり、さらに航空機も後3ヶ月も待てば新型のF8Fを配備できたというのに、F6F、F4Uという前回の戦いと同じ航空機を投入せざる得なかった。さらに、基地航空隊の支援も受けられない状況での戦いと成った。
対し、日本海軍は機動部隊の戦力は完全回復させられなかったものの、代わりに各戦線から抽出した陸海軍の攻撃機と戦闘機をマリアナに集中配備して待ち構えた。さらに、後方の硫黄島やパラオから航空機の補充を受けられる体制を整えていた。
そして10月25日から3日間に渡って行われた海戦は、史上稀に見るほどの大規模な物となった。
両軍は航空機を計4000機も揃えて戦闘を行ったのである。しかし、準備不足で挑んだ米軍に比べ、日本側は準備万端であった。特に今回参加した陸軍機は海軍から洋上航法を学んだ渡洋攻撃可能部隊で、しかも最新式の誘導ロケット弾を使用した。
これに加えて、海軍も潜水艦搭載型の超大型自動誘導魚雷「回天」に、対VT信管撹乱兵器等最新鋭兵器を惜しみもなく投入した。特に、「回天」は一撃で大型艦を屠る兵器で、故障が多発したものの、見事護衛空母2隻を仕留めている。
海戦の結果、日本側はマリアナ基地施設に甚大な被害を受け、艦艇も戦艦「武蔵」、空母「天城」「千歳」、その他5隻、そして航空機340機を失ったが、米軍の損害はより甚大で、戦艦5隻、正規空母3隻、軽空母3隻、護衛空母4隻、巡洋艦7隻、駆逐艦12隻、輸送艦32隻に航空機560機を失った。
特に、上陸部隊1万名が船上で戦死したのは大打撃であった。こうして、日米最後の決戦は終わりを告げた。
とりあえず次話あたりで日米戦争は終わりますが、今度は第二次ソ満戦争となります。