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練習空母「雛鳥」 上

 日露戦争以来、日本海軍は戦時になると頻繁に民間船を徴用して使用した。いわゆる特設艦船である。日露戦争ではこの内の一隻である特設巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊を発見し、連合艦隊司令部へ報告を打電し後々の勝利に大きく繋がる働きをしている。


 こうした軍が民間船を徴用して使うのはどこの海軍でも同じである。米国は多数の商船に飛行甲板を張って護衛空母としている。また英国は商船にカタパルトを搭載してハリケーン戦闘機を1機だけ搭載した船を造った。


 しかし、日本軍の場合元々が艦船、特に後方支援任務につく艦船が不足していたため多数の商船や漁船が特設水上機母艦や特設潜水艦母艦、特設監視艇として徴用されている。


 その中で特に活躍したのは、やはり空母に改装された船たちである。ちなみに、日本の場合商船改造空母の使用用途が米英とは大きく違っていた。


 米英では先にも述べたが、商船改造空母は護衛空母という名で使われている。その名の通り、任務は主に大西洋上で跳梁跋扈する独逸海軍のUボートや独逸空軍機の空襲から小船団を守りぬくことが任務であった。その他に航空機の運搬にも活躍している。


 一方で日本海軍はこうした商船改造空母は艦隊決戦時の空母不足の穴埋め様として計画されていた。そのため、こうした商船改造空母は英米に比べると本格的な改装を受けている。


 しかし、いざ造ってみると問題が続出した。まず速力が遅いこと。一番速い「隼鷹」でも25ノットであった。これは「長門」級戦艦と同等であるが、正規空母の30ノット以上に比べると明らかに遅い。日本郵船の豪華客船である「八幡丸」級を改装した「大鷹」級に至っては21ノットで、もっとも鈍足な戦艦である「山城」級のスピード(24ノット)にさえ及ばない。これではとても艦隊行動は無理である。


 さらに、速力が遅いと飛行機を飛び立たせるために必要な合成風力も満足に起こせない。ただでさえ甲板の長さが足りないのにこれでは重量が重い機体を運用するなど夢のまた夢である。幸い、この飛行機の発艦に関する問題はその後英国から導入した技術で油圧カタパルトを完成させたために解決した。


 しかし、航空機の発艦可能の是非に加えて、やはり商船改造の防御力の弱さが指摘された。なにせ装甲もない。ダメージコントロール力も低い。場合によっては一発の爆弾、魚雷で致命傷を負いかねないのだ。


 結局、こうした改装空母は日本海軍では12隻竣工したが、この内海軍で使われたのは速力の速い「隼鷹」、「飛鷹」、「海鷹」、「瑞鷹」と練習用空母となった「翔鷹」だけで、その他の船は早々と海上護衛総隊に移管されて、護衛空母として使用されている。


 海上護衛総隊でのこれら商船改造空母の運用に関するノウハウを授けたのが、義勇海軍である。義勇海軍は商船改造空母の運用では、帝国海軍よりも1歩も2歩も先に進んでいたからだ。


 義勇海軍の商船改造空母としては「白虎」級空母が特に有名であるが、その後これらの紛失に備えて一回り小さい「飛翔」級空母が建造されている。


「飛翔」級は厳密には商船改造空母ではなく、商船の船体を流用して設計された新規建造の空母だ。米国の「カサブランカ」級護衛空母と同じである。排水量は9600tで最高速力は23ノット。搭載機は30機である。


 このクラスは義勇艦隊用に2隻建造された他、朝鮮海上警備隊向けに1隻、台湾海上警備隊向けに3隻、中華民国海軍向けに2隻、タイ海軍向けに1隻建造されている。


 これらの空母は護衛空母として各方面で大活躍している。特に台湾海軍では3隻合計実に13隻の潜水艦を血祭りに上げたとされている。また朝鮮海軍の2隻はソ満戦争の時に出動して、ソ連潜水艦を撃沈している。


 義勇海軍では、「白虎」級の紛失が結局終戦までなかったため、「飛翔」級の内実戦に使用されたのは1隻のみである。もう一隻は「雛鳥」と命名されて日本海で主に練習空母として使用された。










1942年10月。舞鶴沖日本海海上。


 冬が近づくにつれて海上のうねりは段々激しくなる。甲板は絶えず上下しており着艦する条件としては良くない。しかしながら、戦争はこの瞬間も続いており、一向に終わる気配がない。そのため、搭乗員の養成は急務であり、辞めるわけには行かない。リスクは高いが、1人でも多くの空母発着艦可能な練度を有するパイロットを1秒でも早く前線に送り出す必要があった。


 その想いを噛み締めて、空母「雛鳥」艦長の大橋忠彦中佐は上空でグルグル旋回する8機のオレンジ色に塗られた複葉機を見つめていた。


この日は風が若干強く、波も高いが天候は雲量1の晴天である。機影を見つけるのは容易い。複葉機は編隊を作って綺麗に旋回し続けている。


「大分練度が上がりましたね。」


そう後ろから彼に声を掛けるのは、副長兼砲術長の(りん)少佐だ。中国人である彼は生粋の船乗りである。大橋も彼を大いに信頼していた。


大橋は今年39歳。15歳の頃から飛行クラブに所属していて飛行機の操縦は出来る。その後旅順の海洋学院で船乗りとしての教育を受けたが、その後も航空基地で過ごした時間が長く、船を操るのは今でも不安である。


林は大橋より4つ下であるが、彼は先ほどのように生粋の船乗りであるからその腕は確かである。そのため大橋は、操船の大部分を彼に委託していた。


この日「雛鳥」は乗り込んできて1週間になる飛行練習兵の着艦訓練を行っていた。いずれも飛行時間200時間前後の若鷲である。中には17歳という者までいた。しかしながら、最初こそ少し不安げに飛んでいた連中も、1週間の猛特訓のおかげか、すでに編隊飛行が出来る所までに上達していた。


その彼らが操る艦載用に改修した93式中間練習機、通称赤とんぼを着艦させるタイミングを、大橋らは見計らっていた。


波が高く上下運動が激しいと、とても着艦などさせられない。機体が甲板に叩きつけられてしまうからだ。場合によっては最寄の陸上基地へ向かうよう指示しなければいけない。


「練度が上がっても、この状況での着艦は難しいな。」


そう呟いて彼は腕時計を見る。赤とんぼ隊の燃料残量はまだ余裕があるが、それも永遠に続くわけではない。ある程度余裕を持って行動させないと危険である。特に、今赤とんぼを操っているのは新兵である。燃料が少なくなるとパニックまではいかないまでも、不安になって操作を誤るかもしれない。


「30分経っても波が収まらない時は陸上基地へ向かうよう指示する。」


彼はそう決めると上空の赤とんぼとの直接会話可能である無線電話の受話器を取り、今言った内容を練習飛行隊隊長に伝えた。


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