表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/88

欧州戦線概況 下

 地中海戦線への最後のパンチ。それは昭和18年の3月下旬に行われた日本軍とスペイン軍による攻撃だった。


 この時期、英国との講和を目指していた日本軍は、英国への最後の大打撃を与える作戦を考えていた。そこで行われたのがGZ作戦と呼ばれるインド洋方面での英国の戦力を一掃する作戦であった。


 この作戦は、空母「隼鷹」を旗艦とする軽空母中心の第7艦隊を臨時編成して行われた。既に相次ぐアフリカ方面戦線への戦力を抽出していた英国軍に、この第7艦隊を止める事は出来なかった。


 この時、第7艦隊には最新鋭戦艦の「信濃」と「飛騨」が同行していた。この2隻は俗に「信濃」級と呼ばれる改「大和」級戦艦だ。46cm主砲9門という主武装は同一だが、機関出力が上げられ、最高速力は29ノットまで出せた。副砲は設計時から削除され、代わりに「大和」級の倍近い対空砲を載せていた。その全てが最新鋭の10cm高角砲だった。


 10cm高角砲というのは、「秋月」型対空駆逐艦の主砲で有名な高角砲で、それまでの八九式12,7cm高角砲より口径こそ劣るが、威力や初速で勝っていた。機構が複雑なため生産が遅延気味だったが、満州や朝鮮王国の工場にも発注してなんとか必要量を保つ事が出来た。


 ちなみに、この対空砲の性能を引き出す高射指揮装置として、二式、三式指揮装置も新たに開発されている。


 また、「信濃」級は艦底が二重底から三重底になったため水中防御力も大きく強化されている。これに加えて指揮通信、司令部施設も増強され、代わりに水上機搭載設備が縮小されている。


 今回この「信濃」級が艦隊編成に組み込まれたのは乗員の練度上げもあったが、何よりも対空護衛戦艦としてのテスト運用という意味合いを含んでいた。


 戦艦も最新鋭なら航空機も最新鋭だった。搭載された航空機は中島製の三式艦上戦闘機「疾風」、愛知製の艦上爆撃機「彗星」、中島製の艦上攻撃機「天山」であった。それまでの機体に比べて一回り大きい次世代機であった。艦隊の空母はいずれも中軽空母だったが、カタパルトを装備することによってこれら新型機の運用が可能であった。


 この最新鋭戦艦と新鋭機を搭載する空母で編成された機動部隊は、サイクロンのごとくインド洋で暴れ回った。


 まずセイロン島のコロンボとトリンコマリーが襲われた。この2港は英東洋艦隊の基地であり、設備も整っていた。しかしこの時点で東洋艦隊残存艦艇はアッズ環礁に逃げていたため、艦隊はいなかった。そのため、基地施設と飛行場が徹底的な攻撃を受けた。


 英軍の防空戦闘機も飛び上がったが、旧式のハリケーンやフルマーでは「疾風」の敵ではなく、一方的にやられてしまい、日本機の跳梁を許すしかなかった。こうしてセイロン島の2軍港は壊滅的な打撃を負ってしまった。


 そして翌日にはアッズ環礁に立てこもっていた英東洋艦隊も日本側に発見されてしまう。この時点で同艦隊の艦艇の多くが地中海に引き抜かれていたため、戦艦「リベンジ」を中心とした僅かな数の艦艇しか残されていなかった。


 その最後の英東洋艦隊に日本海軍の攻撃隊120機が襲い掛かった。そして激闘約2時間、戦艦「リベンジ」、巡洋艦「デリー」の撃沈をもって、英東洋艦隊は事実上壊滅した。生き残った僅かな艦艇はインドのコーチン港に逃げ込むしかなかった。


 一方、第7艦隊の攻撃はこれだけに留まらなかった。その後2日ほど彼らは行方をくらましたが、今度はカルカッタを空襲した。この時点でカルカッタは日本が占領したビルマから散発的な空襲を受けていたが、未だに多くの戦力が無傷で残っていた。特に、戦車や航空機はそうであった。


 これらの戦力は中東戦線への最後の抽出戦力となる予定だった。しかし、それらを第7艦隊の空襲が木っ端微塵に砕いてしまった。この時の空襲には陸軍の最新鋭爆撃機「泰山」が同時参加していた。


「泰山」は三菱製の4発爆撃機で、原案段階で中止された1式陸攻の4発バージョンを大きく改修した機体だった。もちろん、1式陸攻とは段違いの防弾設備や爆弾等裁量を誇っていた。


 この海軍機動部隊と陸軍重爆隊の共同作戦は大成功を収め、カルカッタの英軍は壊滅した。さらに、この攻撃はチッタゴンにも行われ、こちらも壊滅的な被害を被っている。


 もちろん、英軍も反撃を試みた。第7艦隊へ向けて放たれた約50機が同艦隊に襲い掛かった。この攻撃で空母「龍驤」が撃沈されたが、防空戦闘機と「信濃」、「飛騨」の奮戦によって英軍機を全滅させる事に成功している。


 チッタゴン攻撃によって第7艦隊によるGZ作戦は終了した。最終的に英国は航空機500以上をはじめとする戦力を失い、地中海へ送る予定だった戦力の殆どを失ってしまった。こうして、英国が計画していた極東からの地中海への戦力増強は不可能となってしまった。


 





 そしてもう一つの英国へのパンチとなったのがスペイン軍によるジブラルタル攻撃であった。


 スペインはこの戦争では中立を貫いていた。独裁者のフランコ将軍はナチスドイツに恩があったものの、内戦から立ち直っていないスペインが戦争に本格参戦する事は自殺行為であると考えていたのだ。そのため、義勇軍や義勇パイロットこそ送り出してはいたが、正式な枢軸軍ではなかった。


 しかし、この時は状況が違う。スペインにとって千載一遇のチャンスであった。駐エジプト英軍は虫の息、英地中海艦隊は壊滅。今こそイギリスからジブラルタルを奪い返すチャンスであった。


 フランコ将軍は決断した。


「陸海空軍の総力を挙げて、可及的速やかにジブラルタルを占領せよ!!」


 彼の命令に従ってスペイン軍はジブラルタルに襲い掛かった。


 ドイツから購入した空軍のMe109とHe111が飛行場にや基地施設への空襲を行い、英国の「ケント」級重巡を元に設計された海軍の「カナリアス」級重巡が港湾と要塞へ向けて艦砲射撃を行った。そして英軍の反撃能力が失われた所で、陸軍が直接侵攻した。


 ジブラルタルは僅か1日で陥落した。このスピード占領こそ、フランコ将軍の狙いだった。英国はスペインに厳重抗議し、スペインに直接参戦する構えを見せた。


 しかしスペイン側は、英国からの攻撃(もちろんでっち上げた物)に対する正当防衛と発表した。もちろん戦時下であるため調査などできる筈がない。スペインは休戦の条件として、ジブラルタルのスペインへの割譲を要求した。


 英国としては実力行使に出たかったが、ただでさえ戦力不足である状況でありとてもスペインに構っている余裕はなかった。この時期再会されたドイツ軍による英本土爆撃に対応するので精一杯であったからだ。結局、スペインの要求を呑むしかなかった。


 こうして、地中海は完全に枢軸軍の物となり。4月18日。エジプトの英軍は全面降伏した。


 御意見・御感想をお待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ