新鋭機 前編
物語はしばし時を遡る。
昭和17年6月10日、満州国奉天。ここには奉天国際空港があった。
この時期、この空港からは大連やソウル、そして日本の羽田や伊丹を結ぶ旅客機や貨物機が行き交っていた。戦時中であるため本数は減便されていたが、それでも満州と日本を行き交う人間や荷物を運ぶために運行されていた。
その奉天国際空港は官民共用空港のため、半分は満州国空軍や訓練のために時折飛来する日本軍機も使用していた。
そしてこの日は空軍基地側がいつも以上に慌しかった。
エプロンに引き出されている機体自体は少なかったのだが、それを取り囲む人間はいずれも満州国軍や日本軍の高級士官ばかりであった。さらに、数年前まで敵対国であった中華民国の軍服をまとっている人間までいた。
この日行われたのは各企業が作った新型戦闘機、そして鹵獲や購入した外国戦闘機の性能テストであった。
このテストは単なる性能の確認だけでなく、満州国(義勇海軍を含む)や日本陸海軍、さらには中華民国への機体売り込みの意味も含んでいた。
実は中華民国もいるのは、この時期中華民国が満州国や大日本帝国からの兵器輸入を行っていたからだ。
中満戦争後共産党軍との内戦に突入した国民党軍は苦境に立たされていた。
まず、それまでの兵器の輸入先の一つであったソ連は敵となった共産党軍への支援を始めてしまった。これによって航空機や戦車の供給量がガクンと減ってしまった。また、もう一つの支援国のアメリカは長く続く政情不安定とヨーロッパへの支援強化や自国軍備の増強のために支援を渋り始めていた。
こうなると支援できる相手が限られてくる。何せ英国やドイツ、フランスといった兵器量産可能国はいずれも戦時下に入ってしまったため、とても他人の国の戦争に支援をしている余裕などない。そのため、頼りになるのは兵器生産能力を持つ日本と満州国ぐらいであった。
内心は嫌であったが、兵器輸入可能国が限られているのに加えて、この時期国民党内も一枚岩でなかったことも影響した。特に一時期上海に独自の政府を作ろうとした汪兆銘は、共産党を容認する融和派のトップであった。ただし、それは一政党として活動を認可するという意味であったが、そういう現状に対する不満分子の存在は頭の痛い問題であった。
そういうわけで、国民党総統の蒋介石としては早急に共産党を潰す必要があり、なおかつそのために必要な大量の兵器を手に入れる必要があった。そうなると、ついこないだまで敵だったからという贅沢は言っていられない。
一方、日本側としてはそれなりに予想のつくことであり、好都合であった。
実は満州事変以降の軍の急速な近代化に合わせて、38式小銃や38式野砲といった余剰兵器が発生していた。これらの多くは満州国やタイなどに輸出されたが、その両国とも数としては少数だった。
満州国は日本軍と歩調を合わせて軍の装備を近代化する方針であったため、タイはそれほどの需要が無かったからである。
そういうわけで、これらの旧式兵器はほぼ捨て値に近い値段で中華民国軍に在庫処分品として売却された。
もちろん売却されたのはこれだけでなく、航空機や戦車、装甲車もであった。
そのため、この時期の国民党軍を写した写真には青天白日旗をつけた89式中戦車や94式装甲車、95式戦闘機の姿が数多くあった。こうした期間は昭和17年初頭まで続いた。
しかし、同じように在庫処分とばかりに多数の旧式余剰兵器を共産党軍に売り込んだのがソ連であった。
時期的にはソ連軍の方が遅く(本格化は昭和16年以降)、また戦車や航空機の操縦経験者が少なかった共産党軍であったが、時がたつにつれてこれらの兵器を徐々に使いこなすようになった。そのため、中国共産党独特の赤い星をつけたイ15、16戦闘機やT26戦車が戦場に現れるようになった。
その多くは少数での使用であったために、数に勝る国民党軍の敵でなかったが、スペックだけみれば日本製兵器よりも優秀であった。
そのため、国民党軍では航空機や戦車という分野では日満と同等の新兵器をそろえる必要があった。
中華民国軍の兵士がここにいるのもそのためであった。
この日奉天空港に用意されたのは、三菱製の零戦33型。中島製のキ84.川崎製のキ61.そして満州飛行機の「飛龍改」等10機種であった。
零戦33型はエンジンを1500馬力の金星エンジンに強化した大改造版である。キ84は試験段階のハ45を搭載した2000馬力級の戦闘機で、中島の自信作であった。川崎製のキ61はマリーンエンジンを模倣したハ140を搭載した優美な戦闘機である。
「飛龍改」は義勇海軍の主力艦載戦闘機である「飛龍」の改良版で、エンジンを零戦33型と同じ金星エンジンに強化し、外付け式の機銃ポットを固定式にしたものだ。
これら新型機以外には、外国製の機体が並べられていた。ブリュ−スター・F2AバッファローにF4Fワイルドキャット、P40ウォーホークにP39エアコブラ等が並べられていた。
これらの機体は主にフィリピン等の占領地で鹵獲された物や、臨検して捕まった貨物船に搭載されていた物だ。
その中でひときわ異彩を放っていたのが、ソ連製のラグ3型戦闘機と、ハインケルマンチュリア社製のM1型戦闘機であった。であった。
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