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英国参戦

 1942年8月時点で、日本軍は米軍の反攻がどの方向から来るかわからなかった。


 中部太平洋の島々を飛び石の様に攻めてやって来るか、それとも北のキスカ・アッツ等のアリューシャン列島方面から千島へ攻めてくるか。


 日本軍上層部が考える米軍の侵攻ルートには、この2つのルートが有力視されていた。


 しかしながら、これ以外にも政府上層部で出ている意見があった。それは、米国がイギリスに対日参戦を要請するという物だった。


 この時期、英国は中東ならびに西部戦線において独軍と対峙していた。しかしながら、エジプトは既に突破される寸前で、その先の膨大な油田地帯を持つイラク、イラン方面へ独軍が雪崩れ込む事が予想されていた。また、再び始まったバトル・オブ・ブリテンでは独軍の最新鋭戦闘機であるFw190が英国戦闘機隊に大きな打撃を与えていた。


 英国は独軍に対して圧倒的に海軍力では優位に立っていた。しかしながら独艦隊主力はバルト海に篭ったまま出てこようとしなかった。おかげで、英国主力艦隊はただ指を加えて本土空襲を見ているしかなかった。


 5月に米国が一応対独参戦はしたが、未だ戦力の主力は太平洋方面に向けられていた。


 日本の情報機関は、米国が大規模な英国への爆撃隊、戦闘機隊派遣の見返りに、英国やその連邦国による日本への参戦を促しているという情報を掴んでいた。


 もし英国が参戦すれば、状況は大きく変わる。なぜなら、米軍がオーストラリア方面からの反撃を行えるようになるからだ。そうなると、今まで黙っていたオランダ政府も日本への参戦を行うかもしれない。


 実際、チャーチルは迷っていた。英国本土を守るためなら、例えシンガポールやマレー半島を失っても惜しくはないと。ただし、日本へ参戦する理由がなかった。


 一方で満州国側は、米国がソ連を焚きつけているという情報を手にしていた。


 ソ連はこの時点でいずれの国とも戦争状態には入っていなかった。スターリンはヒトラーと未だにお互い警戒しつつも、剣を抜いてはいなかったのだ。


 これは、スターリンが英米の連合がドイツに勝利する可能性のほうが高いと踏んでいたからだ。それどころか、ソ連にとってはナチス・ドイツが敗北し、英米が大きく力を消耗する事を望んでいた。そうすれば、欧州における共産革命が容易になると。


 スターリン自身は、急速に発展する満州国をソ連の勢力圏におければ相当なメリットがあると考えていた。ただし、満州と開戦すれば日本とも戦う可能性が高いのも事実だった。そうなると海軍力で優位に立つ日本軍によってソ連も大きな打撃を被る。


 そのため、スターリンは対日参戦するについては、アメリカに対して幾つかの条件を出していた。


 その一つが海軍力の増強、すなわち艦艇の譲渡で、結局米国は日本との開戦前に売った艦艇プラス、新たな艦艇を譲渡している。


 また、艦艇だけではなく、航空機、戦車等その他の不足する製品も売却または譲渡していた。ちなみに余談となるが、史実ではソ連は第二次大戦中の兵器貸与に関する支払いを戦後数十年放置し、さらに支払った時も使えない兵器が多かったといういちゃもんをつけて3分の1まで値切ったという話がある。


 閑話休題。


 とにかく満州国の情報機関はこうした情報を工作員から得ていた。ただし、満州国の掴んでいない恐るべき情報もあったのであるが、それは後に判明するだろう。


 英国かソ連か、どちらが先に日本に出るかが大きな焦点になっていた。最悪なのは両方が一斉に攻めてくる事だった。


 そして、8月7日。その情報は日本と満州に届いた。


「英東洋艦隊増強サル。」


 シンガポールにある日本領事館からの電報だった。


 チャーチルは対日参戦準備に入ったのだ。彼はセイロン島まで下げていた東洋艦隊を再びシンガポールまで進めたのであった。


この日シンガポールに入港したのは戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、「リベンジ」、巡洋戦艦「レパルス」、空母「インドミダブル」、「ハーミス」、巡洋艦3隻、駆逐艦5隻だった。


 この内、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は最新鋭艦だった。その他の艦と併せても、この艦隊は相当な打撃力を持っていた。ただし、護衛作戦に使うその他の艦種は少なかった。


 そして、この日以降英国は日本の商船に対する臨検を強化した。これが決定的だった。


 英国と日本との間が破局する事となる契機となった事件は8月11日に起きた。英国の臨検を受けた貨物船「足柄丸」が英駆逐艦によって撃沈されたのだ。


 英国側は日本商船が停戦命令を無視し、かつ武器を使って攻撃してきたため止むを得ず撃沈したと発表した。


 対し、日本側は英国駆逐艦の一方的攻撃として非難し、謝罪要求をした。もちろん、英国は何の返答もしなかった。


 8月15日、全陸海軍部隊に対英戦争突入への警戒に入るよう通達が出された。



 運命の9月2日、ついに英国は対日戦線布告を行った。そして、それに連なる形で、9月11日にはオランダが対日参戦布告をした。


 一切の石油の輸入源が絶たれた日本には、南方進出という手段以外に手はなかった。


 だが、その前に英東洋艦隊を壊滅させる必要があった。そしてその戦いに、義勇艦隊も巻き込まれることとなる。

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