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東洋のスペイン内戦

 


中国海軍に大勝した義勇海軍の艦艇は翌日、捕獲した巡洋艦「蘭州」を土産に旅順に帰港した。


 「蘭州」はその後仮修理がなされ、義勇海軍では用途なしということで、帝国海軍に売却され、重巡「鈴鹿」として編入されている。そして後の対米戦に参加することとなる。


 今回の海戦で敵を逸早く見つけだし活躍した2名の女性パイロットや勇猛果敢に部隊を指揮した駆逐戦隊司令の岡本大佐には、皇帝名での勲章が授与された。


 市民も歓呼して艦隊を出迎えた。


 一方で、今回の海戦で戦死したものたちの追悼式も行われた。


 総司令の白根は、大勝利したとはいえ、犠牲者をだしてしまったことに、改めて現実,戦争の厳しさを思い知らされた。


 さて、こうして海の戦いは満州側の一方的勝利で終了したが、陸の戦いはいまだ激しく続いていた。


 満州陸軍側は少ない戦力の消耗を恐れ、戦略的に撤退を繰り返し、中国軍の戦線が延びきるのを待った。


 そして、日本からの義勇部隊が到着するのを待って、反撃に移った。


 日本からの義勇部隊で特に大きな戦力となったのは、帝国海軍が派遣した新鋭の96式艦戦や96式陸攻といった航空戦力であった。また、陸軍も複葉ではあったが、95式戦闘機などを派遣した。


 これらの機体は、制空権をあっというまに掌握し、中国軍の後方基地を攻撃し、兵站戦を脅かした。


 96式艦戦はいかなる中国戦闘機の性能を圧倒し、96陸攻は中国奥深くまで侵攻が可能であったからだ。また、陸海軍の搭乗員はいずれもベテランぞろいであった。


 ちなみに、これら日本軍は国籍から制服に至るまで全て満州国軍の物へ変更していた。


 結局、その後半年に渡る激戦の末、満州国軍(実際は日満連合軍)は中国軍を国境線の向こう側に押し戻した。


 その後、中国国内での治安、国民感情悪化、さらには共産党の規模拡大を受け、蒋介石は戦争を終わらせる必要に迫られ、満州側の出した講和条件を受け入れざる得なかった。


 満州側が示した条件は、満州国の承認ただ一つであった。蒋介石はそれを飲んだ。


 条約とは所詮紙切れ、いずれ力押しで再び奪回できるとも考えたらしい。しかし、中国が満州へ再び牙を向ける、かなり後のことである。


 一方、この戦いを宣伝することによって、満州国は国民の意識統一運動に弾みをつけることとなる。今回の戦いで、あらためて満州国政府は国民特に軍の意識統一の重要性を知ったのだ。実は、今回の戦いでは一部の兵士が戦わずして遁走する事態が多発したのだ。いずれも、もと軍閥系の軍隊出身者であった。彼らには、国、最低でも故郷を守るというこの時代の兵隊としての基礎的な考えが欠如していたのだ。


 また、義勇軍を派遣した日本軍も様々な戦訓を得ることとなった。特に、海軍は96式陸攻の脆弱性を思い知らされ、また陸軍は試作段階に関わらず投入した中戦車が中華民国のソ連製T26や独逸製2号戦車等の戦車に敗北したことにより、戦車の設計を改めることとなる。


 また、この時ごく少数だが参加していたソ連やアメリカの中国軍義勇兵たちも、戦闘のレポートを本国に持ち帰っている。


 この戦いは、後に東洋のスペイン内戦とも呼ばれるようになる。



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