軽巡「海龍」
北上技師は「夕張」を参考に新型軽巡の設計を開始した。ただし、「夕張」の全てを参考にするわけではない。どんな優秀な設計でも、万能という設計はありえない。実は「夕張」も致命的な欠点を抱えていた。
実は「夕張」を設計した平賀造船中将は保守的な設計家で、電気溶接は全く採用していなかった。だから、電気溶接で造る大亜細亜造船でそのまま模倣するだけでも、鋲の分の重さを考えて、再設計が必要となる。もっとも、今回は完全模倣ではないのでこれは特に問題ではない。問題となるのは、「夕張」の余裕のない設計であった。
平賀中将の設計艦艇はいずれも排水量限界の装備が施されており、その後の改装で新たな装備を施すことが難しかった。
コンパクトに艦艇を完成させられる反面、その後の改装が難しい。だから技術が日進月歩の時代に、それでは直ぐに艦が使い物にならなくなる可能性が高い。
北上はこの点を考慮して、新たに設計しなければ成らない。
結局、「夕張」のみならず、ジェーン海軍年鑑で見たイタリアやフランス、オランダなどといった海外の艦艇も考慮しながら、北上は新型艦の設計を行った。
とりあえず基準排水量5000t。全長145m。速力30ノット。武装15cm連装砲3基に水偵1機を搭載するというコンセプトで設計を詰め、最終的に1ヶ月で終わらせた。もちろん、高い量産性を持たせるために電気溶接やブロック工法を用いた建造を前提に設計した事は言うまでもない。
そして設計完了の翌月には起工式が行われるという超スピードで建造は進められた。それだけ彼らも追い詰められていたのだ。
建造開始から13ヵ月後の昭和9年7月。新型軽巡「海龍」と「神龍」はそろって竣工した。
同艦の性能は、全長144m、排水量5120t。速力30,3ノット。主武装は日本海軍から購入した15,5cm連装砲3基6門。その他に8,8cm単装高角砲2基2門。40mm連装機関砲4基8門。61cm3連装魚雷発射管1基3門。水偵1機。爆雷投射器ならびに爆雷投下軌条。乗員450名であった。
15,5cm砲は「最上」型軽巡に搭載されたものと同型であった。設計した日本海軍側は当初は新型砲の輸出を渋ったが、海軍の力を義勇海軍に及ぼしておきたいという思惑もあってか、最終的に譲渡している。
8,8cm高角砲はあのドイツ製88mm砲の模倣砲である。後に4基に増強されたが、この時点では2基のみである。水偵は日本から輸入した90式水偵が搭載され、カタパルト発進する方式だった。61cm魚雷は今回も空気魚雷である。
また、この2隻と同時に新たに駆逐艦2隻も建造、配備されたことにより、義勇海軍の戦力は軽巡2、駆逐艦6、補給艦1、漁業保護船1となった。
弱小海軍の域は出ないものの、それでも建国から時を経ていない満州国がこれだけの海軍を整備したことは、充分な成果であった。
この2隻の竣工によってかは分からないが、その後しばらくの間、中華民国海軍は大規模な行動を起こさなかった。
しかし、それは嵐の前の静けさであった。
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