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世渡り上手は君子だけ  作者: 秋豊
7/9

世渡り上手は君子だけ 其の七

 煙の道を追うと、突然何も無い闇の中にいた。

 戸惑いながらも歩き続けると、その先に提灯を持った旦那の姿があった。

「オウ、遅かったな」

「…旦那、月乃さんとはどういう関係ですか?」

 あの心配する様は、ただの友人だとか顔馴染みの範疇を越えている。まるで家族か恋人のようだった。なのに旦那はこう言い放つ。

「昔馴染みだ」

 あっさりと言って背を向けると、歩きながら説明してくれた。


 月乃さんは〝浪月屋〟の遊女で、色街では知らぬ者がいないという。

 その美しさもさることながら、月乃さんには人に憑いた因果や穢れを祓う力があるから客足が途絶えることは無いらしい。

 何でもその昔〝浪月屋〟に売られた女性にその力があって、以来一人だけ弟子を持って続いてきたらしい。特に呼び名も無いけど、代々『乃』を受け継いでいるそうだ。

 旦那は幼い時からお父さんに連れられて先代の芳乃(よしの)さんに可愛がられていて、その弟子の月乃さんとも仲良くしていたらしい。

 今でも時折通って月乃さんの手に負えない依頼を頼まれたり、一緒に酒を飲んだりしているらしい。

 菊乃ちゃんは月乃さんの弟子でまだ八歳だそうだ。


「…てっきり旦那の恋人かと」

「まさか。ああそうだ。ちなみにあいつは悪い影響を与えられ、力も衰えるってんで客は取ってないぞ?」

「…はぁ…」

 客というのはその…ああいうことをする人のことだろう。オレは明かりを落とした部屋から聞こえた嬌声を思い出す。

「だから残念ながらお前の筆下ろしも…」

「何言ってんですか旦那ァ‼」

 あわてて遮ったが、顔が赤くなったのを感じた。

 

 思春期の入口に差し掛かったオレは色々と自分の劣情を持て余す。そんなオレに旦那はそれとなくその手の物をくれるが、内心ニヤニヤしているに違いない。帰ってきた時にオレの机の上に積み重ねられたエロ本に手を伸ばすには色々な思いがせめぎ合う。…まぁ、結局読むんだけど。


「…まあ、それは冗談として…」

 旦那の冗談は性質(タチ)が悪い。旦那は薄氷を踏んでいる人の前で嬉々として氷を砕きそうだ。もしくは吊り橋を渡る人の前でガタガタ揺らすか飛び跳ねるかしそうだ。

「この先に矢立(あいつ)の本体がいる」

「…どうする気ですか?」

「ん?一人が本体と戦って、もう一人が矢立(これ)に封印する」

「…オレには封印術の心得はありません」

「何を言っている。お前が囮だ」

 呆れたように言う旦那に頭を抱える。どうしてこの人はこうもあっさりと人の命を危険に晒すんだろうか。

 はあ、と深くため息をつくと、旦那は仕方がないなというようにこう言ってきた。

「よし士郎、じゃんけんだ」

 …こういう時って大抵言い出した方が負けるって言うよな…

 少しばかり安心して、グーを作る。

「じゃんけんぽん。あいこでしょ、あいこで…」

 旦那がパーでオレはグー。

 …何でだ?掛け声をしたからか?

「じゃ、お前が囮で」

「そのためのじゃんけんですか‼」

「何だ。わかりやすくていいだろ?」

 何が問題だというように納得していない旦那に言ってやる。

「旦那は簡潔じゃなくて唐突なんですよ‼」

「着いたな」

 オレのことなど歯牙にもかけずに呟く。いつものことなのでもう諦めている。

 

 周囲に気を配ると何となく空気が変わったのを感じた。

 さっきまでの道は何の匂いも味もしなかったが、今オレは冷たく、清浄な空気に包まれた。


 空気を体内に取り込もうと深々と深呼吸していると、旦那はニヤリと笑う。

「違いに気づくとはいい感性だ」

 …旦那が素直に人を褒めるなんてよっぽどだ。いつもだったら言を左右にして散々翻弄したあげく、かえって疲れさせて、嬉しくも何ともない気持ちにさせるのに。

「…だが、それが仇になったな」

 どういうことかと聞く前に肌で感じた。周囲の空気はキンと冷えて気持ちがいいのに、それとは違う冷たさを感じる。ゾワリと鳥肌が立つようなおどろおどろしくて嫌な空気、いや、気配だ。

 旦那は泰然と仁王立ちしてオレの背後を見据えていて、オレも恐る恐る振り返った。

 そこには刀を持った黒い人影があった。輪郭からして甲冑を身に着けているようだ。

 ポカンとしていると、旦那が教えてくれた。

「あれが本体だ」

「何で矢立なんて文化系のもんが落ち武者風になってんですか‼」

「…落ち武者というか、鎧武者だがな」

「ええ。それはもう面具を付けてそうな鎧ですね‼」

 黒い影の塊なのにそんな圧倒的なオーラが伝わってくるよ‼

「ま、死体なんてそうゴロゴロしてないから戦場の死体を使ったんだろう」

「…身ぐるみ剥ぐ代わりに血を抜き取ったんですか…」

 

 武士は戦で負けると近くの農民達の落ち武者狩りに遭ったり、死体だったら刀から一切合切回収されたりする。

 

 …それにしても血で一体何を書いたんだろうか…昔の絵師の中には血を描く時に本物の人の血を使った人もいたらしいが…

 そう思っていると、旦那の言葉に我に戻った。

「よし、頼んだぞ士郎」

「無理です‼オレには武道の心得もありません‼」

「心配するな。骨は拾ってやる。こう見えて拾い慣れている」

「イイ笑顔で不吉なことを言わないでください‼」

 本当に旦那の冗談は笑えない。

 旦那はもうオレ達とは距離を取っている。こうなったら仕方ないので相手することにした。腹を括ると早速相手が刀を振り下ろしてきたんで必死に避ける。影に見えても実体はあるようで、刀身が地面にのめり込む。

「…うわ~」

 これは当たったら洒落にならない。

 旦那ならヒョイと躱してついでに足元をすくったり、目隠し鬼よろしく『鬼さんこちら、手の鳴る方へ』とでも言ったりするんだろうが、オレにそこまでの余裕はない。

 『どうする?』と必死で考えながら後退して避ける。幸いなことにいちいち上段に振り翳すから避けやすいといえば避けやすい。

 …確か調べた中に、古道具などの心無い物が成仏するには真言密教が効果あるとか…

「…観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異色色即是空空即是色…」

「…士郎。それは般若心経だ」

 …うん。祖父ちゃんの友達の住職は真言宗だった。

「自我得仏来所経諸劫数無量百千万億載阿僧祇常説法教化無数億衆生…」

「それは法華経だ‼何で中一で二つもお経が唱えられるんだ‼」

 珍しく旦那が全力で突っ込んだ。

 どっちも祖父ちゃんの茶飲み仲間に可愛がられている内に耳で覚えた。祖父ちゃんの葬式の時にお坊さんに合わせて小さく呟いていたら、伯父さんがギョッとしていたな…

「うっ‼」

 旦那が急に目を押さえた。

「どうしました‼」

「コンタクトがずれた…」

「旦那コンタクトだったんですか⁉」

 …元野性児だってのに文明の利器を…

「いや、裸眼だ」

 あっさり言われて思わず脱力した。

「何の意味が‼」

「何となくだ」

 旦那はそう言ったけど、旦那の口癖が『意味のないことはしない』だから、きっと自分のペースを取り戻そうとしたんだろう。

 

 場の空気や相手に呑まれると自分を見失ってしまう。そんな時は強引にでも自分の領域(テリトリー)やペースを取り戻す。それが大事だと旦那は知っている。


 掛け合いの間は動きを止めていた本体がまた斬りかかってきた。

 旦那のお使いの中で斬った張ったも日常茶飯事だったけど、慣れない着物に足を取られてそろそろ危ない。それを見てとったのか静観していた旦那が懐に手をやった。

「士郎、伏せろ‼」

 旦那が本体に何か放り投げたと思うと、本体の胸に札が貼られていた。何かミミズがのたくったような字が書かれたお札だ。

 本体が動きを止めたんで振り向くと、旦那はニヤリと笑った。

「これが真言密教だ」

「…何て読むんです?」

「わからん。知り合いに頼んだからな」

 あっさり言われて、肩透かしを食らった。

「さーって、そろそろ年貢の納め時だぜ?」

 旦那が懐から矢立を取り出すと、本体が踵を返して逃げ出した。

「あっ‼…っくそ、やっぱしあのオッサンのじゃダメだったか…」

 そうぼやいてから旦那は頭を掻く。

「…徳の高い僧が一筆認めた霊験あらたかな札じゃないんですね」

 旦那の知り合いだと生臭さ坊主か胡散臭い修験者くらいしか思い浮かばない。多分酒でも飲みながら書いたんだろう。

「追うぞ、士郎」

「あっ、はい」

 散々刀を避けて疲れたけど、何とか走り出す。先を行く旦那は羽織をはためかせて走っているのに、何故か羽織が肩から離れない。

 一体どういう仕組みなんだろうか、と能天気なことを考えながら足を前に進める。

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