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世渡り上手は君子だけ  作者: 秋豊
6/9

世渡り上手は君子だけ 其の六

 町外れの川を渡り、枝垂れ柳の向こうにその街はある。

 街は全て日本家屋で統一され、道々を店先にある屋号の入った提灯が照らす。行き交う人々も着物姿だ。街は道に立つ声掛けの女の人と行き交う客のやり取りや、客引きの声で賑わう。

 色街の門を潜ってから、旦那はあちこちの女の人に声をかけられる。それも全員美人で魅力的だ。それなのにオレがいるせいか、それともいつものことなのか軽くあしらって先を行く。

「…旦那、もしかして遊び慣れてます?」

「ん?いや、今日みたいな用でならガキの頃から来ているが、そうそう遊びには来たことないな」

 …旦那のお父さん、あなたは息子になんて教育によろしくないことを…

「着いたぞ」

 旦那はある店の前で止まった。

 頭上には『(ろう)月屋(げつや)』と書かれた大きな看板がある。…構えからして遊女宿だろうな。

 玄関でオレ達は中年の男の人に出迎えられた。

「これは古屋の旦那。(ねえ)さんが首を長くしていましたよ」

「そうかい」

 あっさりと旦那が言うと、男の人はオレに目を向ける。どうも値踏みされているみたいで落ち着かない。

「おや、こちらは坊ちゃんで?」

「いや。こいつは同居人。これから使いに出すだろうから頼む」

 …十三で遊女宿に出入りするようになりたくなかったな…

 何を勘違いしたか男の人はニヤリと笑う。どうも旦那と違って追従というか、下卑た笑い方だった。

「ああ、ゆくゆくは菊乃きくのの旦…」

「オイコラ。それ以上減らず口を叩くと付け届けをやらんぞ」

 オレには旦那の背中しか見えないんだが、急にゾクリときた。目の前の男の人も真っ青になってるし。菊乃さんというのは旦那の知り合いか何かなのだろうか。それにしたって尋常じゃない。

「冗談だ。他の奴らと飲んでくれ」

 旦那は打って変わってカラリと笑うと、固まった男の人の袖にするりとポチ袋を入れて三和土たたきに上がった。オレも後に続く。今のが『付け届け』って奴だろう。

 

 勝手知ったるで旦那はズンズンと廊下を歩いて行く。

 手前の明るく灯された部屋の障子越しに三味線の音色や笑い声が、奥に行くと明かりも消えて暗い中で時折妙に色っぽい女の人の声がしてきた。

 慣れない場所とその艶っぽい空気に気まずくなってきたが、何とかついて行く。

 

 角を曲がると渡り廊下があり、離れにつながっていた。

「おや旦那。随分お久しぶりですこと」

 その声に振り向くと、闇からけ出るように女の人が姿を現した。

 昔の人みたいに髷を結っていて、帯を体の前で結んで肩や胸元を露わにしている。

まるで吉原の遊女のような恰好だった。

「そうか?ついこの前来たと思うが?」

「…半年前でついこの前ですか?」

 女の人はスッと目を細める。

 …本当に旦那は人付き合いが淡白すぎる

 

 オレが居候したこの二年近く、依頼以外で旦那の家に来る人は誰もいなかった。盆も正月も年末年始もだ。お中元やお歳暮は届くから世間と関わりを絶っているわけじゃないんだろうが、旦那の元に誰か訪ねてきたり、仕事以外で旦那が足を運んだりすることは一切なかった。


「姐さんはそれはそれは心配しておいででしたよ」

「どーりで近頃あいつが夢枕に立つと思った」

「いや、その前に会いに来ましょうよ‼」

 それもう生霊になってるよ‼

 女の人も深くため息をついた。


 女の人と別れて離れに入ると、またもや旦那は戸惑いも無く歩いて行く。途中の角に差し掛かった時に足元に鞠が転がって来た。旦那は屈んで鞠を拾い上げる。

「菊乃か?」

 旦那が声をかけると女の子が柱から顔を覗かせる。白い大きな花を描いた赤い着物に髷を結った頭で、シャラリと涼やかな音を立てて簪が揺れる。

 女の子は旦那に気づくとにぱっと笑ってとたとたと駆け寄った。女の子が抱きつくと旦那は片手で抱き上げて立ち上がった。女の子に向けられた旦那の目は優しく温かかった。

「……旦那、その子は?」

「菊乃だ。菊乃、これは士郎お兄ちゃんだ。これからちょいちょい来るから遊んでもらいな」

「うん‼」

 菊乃ちゃんは旦那に満面の笑みで頷く。微笑ましくなってオレは菊乃ちゃんの頭を撫でる。

「よろしくね」

「士郎」

「はい?」

 オレは旦那に向けられた目にゾッとした。旦那の目は細められ、冴え冴えとしていた。きっとさっきの男の人が向けられたのと同じ顔だ。

「もしかしてお前には妙な()は無いよな?」

「もちろんであります‼オレは子供には全くもって興味はありません‼」

 着物なのに敬礼に踵を合わせた直立不動の構えを取った。そうでもないと殺されかねない殺気に溢れていた。

「…そうか。なら安心したよ。言っておくが、お前と菊乃は五歳差だ。菊乃が年頃になると手頃な年齢差だろうが、くれぐれも…」

「はっ‼もちろんであります閣下‼」

「馬鹿モン‼軍曹と呼べ‼」

 自称なのに下士官でいいのだろうか。まぁ、旦那は士官は士官でも叩き上げの下士官のイメージだが。それに旦那を将に据えると部隊が全滅する。旦那は勇気と無謀を取り違える人ではないが、部下達は旦那の無茶に疲弊し、心神耗弱を引き起こすだろう。

 

 それから旦那とオレは鞠つきをしたりお手玉をしたり肩車をしたりして菊乃ちゃんと遊んだ。菊乃ちゃんは人見知りしないのか、初対面のオレにも懐いてくれた。

 

 オレは小さい時に両親が亡くなったし、そうでなくとも母さんが病弱だったから弟妹きょうだいなんて望めなかっただろう。だからこうしていると妹ができたみたいで嬉しかった。

 

 旦那も菊乃ちゃんを将来有望と見て横取りされないように目を光らせているわけじゃなくて、娘みたいに可愛がっているみたいだ。だから菊乃ちゃんを『妹』とすると旦那がオレの『お父さん』になる。

 …お父さん、か…

 両親には悪いが、はっきり言って顔も覚えていないし記憶も薄い。だから実感は湧かないけど、もし生きてくれていたらこんな感じだったのかな。

 旦那は片親で、オレは天涯孤独の身で、お互い家族とは縁が薄く育った。だから家族の団欒とか距離感がよくわからない。

そんなオレ達は一緒に暮らしていても家族にはなれないし、そうなるつもりもない。もし〝家族〟を演じようとしたらままごとのような空虚なものになるとお互いわかっている。だから旦那は兄のような友人のような砕けた立ち位置で、オレも旦那の世話を焼き振り回される小僧で居続ける。

 …けど…それはちょっと寂しいかな…

 旦那にはいい加減振り回されているが一緒にいることを後悔することも、愛想を尽かす気も無い。

 何というか旦那は憎めない人だ。悪戯はしても陰湿ないじめはしない、気持ちのいい人だ。そしてオレも祖父ちゃんと一緒に色んな人に引き合わされていたから人当たりも良いし、大人には受け入れられやすい性格をしている。その分同年代からは『真面目』『いい子』とか言われて敬遠されがちだ。

 だからオレと旦那は仲が良いだろうし、二年も一緒にいれば互いの呼吸がわかって円滑に日常生活を送るが、やっぱり〝家族〟にはなりきれない。


「じゃあな、菊乃」

 旦那は菊乃ちゃんの頭を撫でる。

「また来てくれる?」

「ああ。ゆ~び切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます。指切った」

 指切りをしてから旦那は菊乃ちゃんを置いて立ち去った。オレが振り返って『バイバ~イ』って手を振ってたら、首根っこ掴んで引き摺られた。


 菊乃ちゃんと別れてから離れをぐるりと囲む回廊を歩いて行き、ある部屋の前で声をかける。

月乃つきの、オレだ」

「どうぞ」

 部屋の中にいたのはさっきの女の人と同じ格好をした(ひと)だった。

 その女はゆるりと脇息にもたれていて、その手には煙管があった。

 流し目を向けられてオレはドキリとしたが、旦那は平気なようですぐ側にドカリと座る。

「ちょっと頼みがある」

「ほう、随分つれなくしたくせに、頼み事かい?」

「…今度〝神殺し〟を持ってくる」

 〝神殺し〟って何だよ。もしかして酒の名前か?〝鬼殺し〟なら知ってっけど更に物騒だな。

「じゃあ、ほんの少々もらおうかね」

「…生憎一本しかないんだが…」

 旦那は苦笑している。

 …少々って二升のことかよ。もしかして高知の人か?

 高知の女性は酒に強くて、少々と升々をかけた洒落が有名だ。(升々というのは升が二つ、つまり二升のことだ)まあ、実際そこまで飲んで平気な人もいないだろうけど。

「で、その坊やは?」

「同居人の仁野士郎だ。これから使いに出すだろうからよろしく頼む」

「仁野士郎です」

 旦那に紹介されて、月乃さんに頭を下げた。

「私は月乃だよ。じゃあ、酒よりお菓子がいいかねぇ」

 月乃さんが手を叩いて隣の間に声をかけるとお茶とお菓子が用意された。

 それから茶を飲み、お菓子を食べながら旦那は事情を話していく。することも無いんでオレは黙々と出されたお菓子を食べていく。気のせいかせっとうさんの名前が出ると月乃さんの眉がピクリと動いた。知り合いなのかなと思ったが、表情の険しさからあまりいい関係じゃないみたいだ。

 ……あれ?何だか急に眠く……

 オレは耐えられない眠気に糸が切れたように倒れ込んだ。

 こんなこと前にもあったなとぼんやりと思っていると、旦那が深々とため息をつく。

「……盛ったな……」

 旦那の言葉に月乃さんはただ微笑む。

 気のせいか蕩けるような甘い笑みだった。そのくせほのぼのとしていて癒されるような心温まる笑みではなく、本能的に生命の危機を感じるような笑みだ。今のオレには蛇に睨まれた蛙の心境がよくわかる。

 旦那は観念したのかすっくと立ち上がる。

「じゃあ、場所を変えようか」

 月乃さんも立ち上がって裾をからげる。

「そうだね。久々にアンタと心行くまで語り合いたいからね」

「……後で奴さんとの対面を後に控えてるからお手柔らかに頼みたいもんだがな」

「そうかい」

 月乃さんは先んじて部屋を仕切っていた襖の奥に消える。旦那は部屋を出る直前に襖に手をかけてオレを振り返る。

「目が覚めても大人しくここで待ってろ」

 旦那が消えるとオレは意識を手離した。


 気が付くとオレは布団に寝かされていて、傍らには旦那の姿があった。気のせいかやつれたような疲れたような顔をしている。よっぽど月乃さんにこってりと絞られたらしい。

 オレは旦那を叱れる人が存在したことに心の中で快哉を叫ぶ。何なら踊り出したい位だが体が言うことを聞かない。

「気分はどうだ?」

「何か頭が重いです」

 寝過ぎとかじゃなくて、頭の芯からズシリと重い。

「……お前には・・・・眠り薬か……」

 旦那には何を盛られたのか気になったが、聞かない方がいい気がした。

 旦那に助けられて身を起こすと水の入ったコップを渡された。冷たい水を飲み干すと心なしか頭がスッキリした。

「歩けるか?」

「はい」

 オレは布団から抜け出ると三つ折りに畳んだ。手早く畳んでいくオレに旦那が感心したように言う。

「そういう所はしっかりしてるよな」

「自分のことは自分でするように躾けられたんで」

「うん。ちゃんと育てられたんだな」

 祖父ちゃん達のことを褒められて嬉しくなった。旦那が素直に人を褒めるのは気まぐれかさもなくば疾しいことがある時だが、そこは目をつぶろう。今回の場合、はっきりさせた所で誰も幸せにならない気がする。

「月乃の所に行くぞ」

「はい」

 

 旦那に先導されてさっきの部屋に戻ると、月乃さんがゆるりと脇息にもたれていた。

「おや、お目覚めかい?」

 オレに流し目を向ける月乃さんは平常運転だった。あえて言えば旦那とは対照的に生き生きしている気がする。ここ半年で溜まりに溜まった溜飲が下がったんだろう。晴れ晴れとした顔をしている。

「さて。じゃあ、アンタがここに来た理由を聞こうかね」

「そりゃありがたいね」

 旦那が苦い顔で言うと月乃さんはどこ吹く風だ。

「何だい。私にはアンタには感謝されど恨まれる覚えは無いよ」

「……ほう……あれだけのことをやっておいてそううそぶくとはな。お前は大した女だよ」

 旦那は顔を引きつらせている。本当に何があったんだろうか。


 後にオレは二人の本当の(・・・)関係を知り、何となく何があったのかわかった。でも、知って後悔することになる。けど、その時のオレは純粋に疑問に思っていた。


「…ということでな。矢立(こいつ)の穢れを祓えば跡を追えると思ったんでここに来た」

「…ふうん。それはそうと、あんたも随分と因果を抱え込んでたね」

 月乃さんは旦那に目を向ける。素っ気なく言っているけど、旦那を心配しているのが伝わってくる。それを知ってか知らずか旦那はあっさりと言う。

「…ん~、まあ、何回かあっち(・・・)側に行ったしな」

 …あっち側って何だ?あの世か?人外の世界か?…旦那ならどっちでもありえるな…

 オレは胡乱げな目を旦那に向けるが、月乃さんはうんざりしたように言う。

「全く。あんたは昔から無茶ばかり。もうちょっとお灸を据えるべきかねぇい」

「いや、もう勘弁」

 旦那が片手で月乃さんを拝む。

 何か月乃さんは旦那のお姉さんや母親のようだ。いや、母親は失礼か。見たところ旦那より一つ二つ上くらいだし。

色々と言いたいことはあるんだろうが、さっきまでで散々言ってくどいと思ったのか、月乃さんはもう何も言わなかった。それからは二人の間で話は進んでいった。

「じゃ、頼む」

「はいはい」

 月乃さんは煙管盆から煙管を手にする。何をするのかと思って見ていると、スウと煙を吸ってしばらく口に含んでから、おとがいを上げてフウと吐き出す。

 漂う紫煙が月乃さんの頭上に集まって、やがて標のように一筋の煙になる。煙は細く開けられた障子から外に出て行っていた。

「ありがとな」

 旦那は月乃さんにニイと笑いかけると、煙をたどって立ち去っていった。

「坊や」

 旦那の後を追おうとすると、声をかけられた。振り返ると月乃さんは微笑んでいた。

「龍介を頼むよ」

「は、はぁ…」

 曖昧にうなずいていると、旦那に呼ばれたんであわてて後を追う。

「…私はまだ勝てないかねぇ」

 チラリと見ると、そう呟いた月乃さんは少し寂しそうだった。一体誰のことを思い浮かべたんだろう。

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