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世渡り上手は君子だけ  作者: 秋豊
3/9

世渡り上手は君子だけ 其の三

「ここ…だよな」

 オレはとある屋敷の門の前で立ち尽くした。

 たどり着いたのは昔の武家屋敷のように堂々たる門構えで、右手の太い柱には黒々とした毛筆で『雪藤(せっとう)』と書かれた表札があった。

一見、政治家か暴力団の組長の家のような厳しく、威圧的な雰囲気だが、由緒正しい名家らしい。

 しばらく息を整えてから一歩踏み込んだ。

 子供の頃初めて旦那の家に忍び込んだ時とは、また違った緊張感が全身を包み込む。はっきり言ってこっちの方が旦那の家に入った時よりも敷居が高い。救いは今のオレは招かれた身だということだ。

 

 打ち水のされた飛び石の敷き詰められた歩道の左右は見事な日本庭園だった。歩いているうちに枯山水になり、大きな石や白州や苔が配置されている。白州というのは邸宅の玄関や庭先に白い砂や玉砂利が敷き詰められている所だ。流水のような紋などが表現されており、これは庭師さんが水で作り出しているそうだ。


「…何か寺みたいだな…」

 オレは祖父ちゃんが寺に行くのによくついて行っていたから、親しみ深かった。

 それからも庭園を満喫していたが、次第にそうもいかなくなった。

 途中で緩やかな坂になり、階段を登っていく。コンクリートじゃなくて、土で踏み固め、石で縁どられている昔ながらの本格的なものだ。階段を登ってから下った先には池があった。

「…………え?池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)?」

 

 回遊式庭園は日本庭園の形式の一つで、園内を回遊して鑑賞する庭園のことだ。回遊式庭園にも種類があって、最も一般的なのが池泉回遊式だ。

 大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現してある。園路の所々には、散策中の休憩所として、また、庭園を眺望する展望所として、茶亭、東屋なども設けられていたりすることもある。

 

 ……史跡とかならともかく、まさか個人の邸宅でお目にかかれるとは…

 左手には噴水のように滾滾(こんこん)と水が湧き出る放水口がある。オレはおっかなびっくり池に架けられた石の橋を渡る。もしかしてと池を覗き込むとやっぱり錦鯉が何匹か悠々と泳いでいた。

 池を渡るとまた茂みや木々が立ち並ぶ。

 これまでの、ただ門から玄関に至るまでの道としては凝っている庭に驚いていたが、やっと心が落ち着いた。

 ……ああ…ここまでなら何とか……

 これだけの規模の庭園ならこれまでにも散々見てきたじゃないか。大丈夫、ごく普通の豪邸だ。……そう、思い込むことでどうにか平静を保っていられた。


 竹で組まれた門扉を潜るまでは。


 低い竹の門を身を屈めて潜ると、左手側の一角に鬱蒼とした竹林があった。

「何で個人宅に竹林があるんですか⁉いや、あるとこもあるだろうけど、何で玄関までの間にあるんですか⁉」

 混乱しきっていたオレは誰もいないのに丁寧な口調で突っ込む。

 不幸にも誰もいないと思っていたら、本当は近くに人がいた。肩を上下してから振り向くと、オレの右手の横道にひっそりと女性が立っていた。

「………あ………」

 女中さんらしい中年の女の人はそっと目を背けて教えてくれた。

「…奥様より、お客様が迷っているかもしれないから探して来るよう命じられまして…」

 確かにこの近辺は大きな屋敷が立ち並んでいて、来るまで散々迷った。だからその気遣いはありがたいが、少しばかりタイミングが悪かったように思う。

 オレが引きつった顔で固まっていると、女中さんはクルリとオレに背を向ける。

「こちらにございます」

「……はい……」

 竹林を抜けた先にまた池があった。今度は石の橋じゃなくて石畳で渡るようになっていた。木々に囲まれ、まるで森の中のように心が安らぐ。

 また坂を階段で登り、腰の辺りまでの丈の茂みや木に囲まれた石畳を通り抜けた先に立派な玄関があった。

 

 こうしてやっと玄関にたどり着くと女中さんの案内で応接間に通された。

「しばらくお待ちください」

 庭もそうだったが、通された応接間も豪華絢爛だった。見た目こそ質素な佇まいだが、家具はどれも年代物特有の落ち着きと風格が醸し出されている。

 向かい合わせに長ソファが置かれ、その間には木の机があった。木目の美しい艶やかな机だ。オレが寝そべって手足を伸ばしてもまだ余裕がありそうな大きさだ。

 何となく場違いの気がしてぎこちなく座っていると、後ろから声をかけられた。


「お待たせしました」


 振り返ると髪の長い着物姿の女性がドアから入って来た。

 

 その女性は思わず見惚れてしまうような美人だった。

 艶やかで黒々とした髪を緩く結んで胸の前に垂らしている。身に纏うは上品な夏らしい水色の地に色とりどりの朝顔の着物だ。

この(ひと)はキビキビした動作もあって屋敷の奥深くに籠っている世間知らずの奥方というよりも、表に立って家内を取り仕切る有能な女主人に見える。

 

 ぼうっと見つめていると、その女はコクリと首を傾げた。

旦那と同じ位の年なんだろうが、綺麗な美人でありながらそんな仕種が良く似合う可憐さがある。

 今更ながら、挨拶もしないでジロジロと眺めて不躾だったとあわてて目を伏せる。その女はオレの前に座った。座る姿は姿勢がよくてシャンとしていた。その姿勢には隙がないから何か武道でもやっているのかもしれない。

「初めまして。私が依頼人のせっとうです」

「あ、オレ…いや、僕は仁野士郎です」

 雪藤さんの雰囲気にオレは思わず深々と頭を下げた。雪藤さんには何となく丁寧に、礼儀を尽くして接したくなる。ここに旦那がいたらニヤニヤ笑ったに違いない。

 雪藤さんにクスリと笑われ、オレは恥ずかしさから顔を上げる。雪藤さんは柔らかく微笑んでいた。

「士郎君ね。中学生かしら?」

「はい。一年生です」

 それから雪藤さんは親戚のお姉さんのように色々と聞いてきた。

オレにはそんな人はいなかったから新鮮だった。

祖父ちゃんの葬式から母方の親戚との関係は完全に絶たれ、父方の親戚もいない。旦那もオレが口に出さない限りオレの身の回りのことをあれこれ聞いたりしない。たまに話すとちゃんと聞いてくれるから、オレに関心が無いと、いうよりはわざわざ聞くようなことではないと思っている節がある。聞くと、旦那も学生の頃は、家で学校でのことを話したことが無かったらしい。

「見てもらいたいのはこれなの」

 そう言って雪藤さんは紫の袱紗に包まれた物を机の上に置いた。断ってから中身を確かめる。

中に入っていたのは黒い漆塗りで、小さな柄杓に蓋と紐をつけたような物だった。

「矢立といって、昔の携帯用の筆記用具なの」

「ああ、『奥の細道』に出てきましたね」

 つい最近習ったばかりだ。中にはまだ筆も入っていたが、墨を沁み込ませる綿は入っていなかった。

 オレの小学校の写生大会では割り箸の先を鉛筆のように削った割り箸ペンと、空のフィルムケースに墨を沁み込ませた脱脂綿を入れて持って行っていた。あれは現代版矢立といっても差し支えないだろう。

「この矢立が何か?」

 こんな古い家なら曰くつきの代物の一つや二つはあるもんだが、一応内容を聞いてないと対処しようがない。その前に家まで持ち運ぶオレの身の安全の確保のためにも。

 聞くと古くからこの家に伝わっているものの、価値は無いらしい。なのに色々と怪奇現象を引き起こし、使用人が怖がるのだとか。そこでいっそのこと処分することに決めたのだとか。

「…その怪奇現象は?」

「大したことはないのよ?その矢立のすぐ側に黒い影が現れるとか、動かした覚えもないのに移動したとか…」

 …十分大したことあると思う。見た目と違って雪藤さんは豪胆な女のようだった。


 オレは受け取った矢立を懐に仕舞う。依頼の品なのに扱いがぞんざいだろうが、仕方がない。オレは手に鞄を持ちたくない主義だし、この大きさなら持って歩くよりはこうした方が安全だ。

矢立も預かったので、オレはそろそろ失礼することにした。帰るオレを雪藤さんは門の外まで見送ってくれた。

「龍介は元気かしら?」

「はい。旦那…いえ、主人は元気ですよ」

「…そう…」

 雪藤さんは少し嬉しそうな、寂しそうな顔で微笑んだ。


 この時のオレにはその表情の理由がわからなかった。そしてどこか怪我して動けないわけでも、忙しいわけでもないようなのにこちら側から出向くようにさせたのかも。それ以外にもし行けない理由があったとしても、家人に持って行ってもらうこともできたのに。

 

 そんなことを微塵も考えず、オレは空を見上げる。いつの間にか日も暮れて、すっかり暗くなっていた。秋の夜は釣瓶落としだ。出ているはずの月も雲に隠れていて、旦那の家へと帰るには通りの切れかけの電灯を頼りにするしかない。明かりを貸すと言ってくれたが、提灯をぶら下げて帰る気にはならなかった。


 ただ、家に帰るまでが何とやらで、オレはすっかり忘れていた。旦那のお使いがただで済むはずがないことを。


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