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世渡り上手は君子だけ  作者: 秋豊
1/9

世渡り上手は君子だけ 其の一

 何でも人生というのは選択の連続らしい。

 そしてどんな困難や苦労も避けて通ることはできないし、もし逃げたり回り道をしたりしても結局いつかは訪れるのだ。だから、それよりは潔く受け止め、もがいた方がずっといい、らしい。

 らしい、というのはまだ実感できてないからだ。何たって僕はまだ十一歳だし。

 …では、僕が今しているのは何か?

きっと祖父ちゃんはこめかみに人さし指をやって深々とため息をついてこう呟くことだろう。

 士郎、それは逃避だよ、と。


 留め金が壊れているのか、木造の門からキイキイと軋む音が響く。風に揺られてか重みに従ってか前後に揺れる門扉を前に僕は固唾を飲む。

そんな僕に後ろから声がかかる。

「オイ(じん)()、早く行けよ」

 そう急かしてくる同級生を振り返る。みんな僕からたっぷりと三メートルは距離を取って固まっている。

 …何で言い出しっぺが下がってるのさ…

「…けどさ…」

「何だよこの意気地なし‼」

 …だったら僕に行かせる君達は?


 この界隈には、どんな悪ガキも恐れをなして近づかない化け物屋敷がある。

 見た目は二階建ての立派な日本家屋なんだけど、その周囲は塀に囲まれ、庭に生い茂った木々で外からは中の様子は窺い知れない。

 夜に近くを通ったら鬼火を見たとか、怪しい呻き声がしたとか不気味な噂には事欠かないし、親達も子供には近づくなと言い聞かせている。

 僕は?いや、全く。

 誤解しないでもらいたいけど、僕の祖父ちゃんは放任主義というわけではない。むしろこれ以上ない程熱心だ。何たって僕に話す言葉全てが格言と言っても差し支えない程含蓄があり、機知に富んでいる。

 なのに何も言わないのは、わざわざ言い聞かせなくても僕は怖がりだから、こんないかにも怪しい場所には近寄らないとわかってのことだ。

 そんな気弱さもまた祖父ちゃんの悩みの種なんだけど、それはまたそれで。


「仁野~、どうした?」

「…別に…」

 あえて言えば全力で逃げ出したい。けど、そしたらどうせまた明日もこうなるんだろうから内心ため息をつきつつ門を潜ると走り出した。

 足元のぼうぼうに伸びた雑草が皆の足を絡め取っている。どうせなら途中で置いていかれないようにしっかりと離さないでいてほしいものだ。

 今度の学級新聞でこの化け物屋敷の実態解明を載せるとのことで、僕にお鉢が回って来た、というよりとばっちりが来た。本当は気が進まないけど、こうなったからには全力を尽くすのみ。

 走るのは潜入に向かないと思われるけど、意外とそうでもない。いち早く標的に接近し、潜伏場所や退路を確保する為にもある程度は迅速さが必要だ。勿論標的に近づいたら足音を潜め、息を殺す。

 走りながら左右を見回すと屋敷の全容を頭に叩き込む。

 庭には木が生い茂っているけど、意外と小綺麗で、少しは手を加えてあるみたいだ。

 家の角を曲がりかけて人影を見つけ、あわてて足を止めて後ずさる。陰に身を潜めてそろりと窺うと男の人が庭にしゃがみこんでいた。

 その人は着流し姿で羽織を肩にかけていた。髪が少し長めで、櫛を入れていないのか乱れている。俯いてじっと何かを見ているけど、僕には分からない。

 そこまで見て僕は、足元に枯れ枝とか音のする物が無いのを確認してから、その場を立ち去ろうと一歩踏み出した。

「何やってんだ?」

 その声を聞いて僕はあわてて走り出した。

「別に取って食いはしねーのに」

 声がどこからしたのか分からずにあちこちを見ていると、「ここだここ。上見な」と言われた。バッと見上げると木の枝の上で幹にもたれて腕を組んでいる男の人の姿があった。

「え‼でもさっき…」

 振り返っても、さっきいた所には誰もいなかった。

驚いて見上げた僕に男の人はニヤリと笑う。その笑みは子供が悪戯をして上手くいった時と同じ笑みだ。歯を見せてどこか得意げだ。

「よっ」、と男の人は木から飛び降りた。そして頭を掻きながら呆れたように言う。

「ったく、何か用があるんなら玄関から堂々と入って来い」

「あ、すみません。…もう帰ります」

 頭を下げてから歩き去っていく僕の背に男の人は声をかけた。

「…帰り道わかんのか?」

「え?そりゃ来た道を戻れば…」

 振り返ってそう答えると、男の人は側にやって来た。

「ま、送るよ。泣きじゃくるガキの相手はできん」

 納得しかねる言い方だったけど、ちゃんと主に会って来たって他の子達に証明できるしいいかな、と思って一緒に歩いた。

 だけどいつまでたっても門にはたどり着かなかった。歩いても歩いても庭から抜け出せず、角を曲がったはずなのに同じ所に出てしまう。

いつの間にか日も暮れて、頭上を見たことも無い鳥が飛んでいった。鳥は不気味な鳴き声を残して飛び去っていった。

ビクリと身を竦ませる僕に男の人は少し身を屈めて声をかける。

「…小僧、泣くなよ?」

「泣きません‼」

 見上げてキッとなって言うと、男の人は「そうかい」と言って笑ってた。

 …けど、この人は一体いくつなんだろ…

 僕の伯父さんよりはずっと若く見えるし、いとこのお兄さんよりは年上に見える。貫録というのか、妙に頼もしく見えるから、〝兄貴〟とか〝旦那〟のイメージだ。

「ったく、小僧。お前どうやって来たんだ?」

「小僧じゃありません。仁野…」

 名乗りかけると手で口を塞がれた。

「ここじゃ名乗るな」

 わけがわからなかったけど、そこからは黙って歩いた。男の人は途中で立ち止まると頭を掻いた。

「…仕方ないな…」

 そう言うと拳を構えていきなり横の塀を殴った。塀は粉々に吹き飛び、ポッカリと穴が空いた。男の人は何事も無かったかのようにヒョイと穴から出る。

「どうした?来いよ」

 突然のことに呆然と立ち尽くす僕を男の人は不思議そうに振り返る。じわじわと状況を飲み込んだ僕は思わず絶叫してしまった。

「何してんですか旦那ァ‼」

「…旦那?」

 片目をすがめた男の人に僕はしまったと思った。けど男の人はおかしそうに笑いながら僕を手招きした。

「こっから続く道が見えるか?」

「ええ」

 男の人が指差した先に妙にクネクネしている細い道があった。不思議なことに道端に雑草が生えているその道しか見えず、真っ暗だった。

「これを通って帰れ」

「はい。ではありがとうございました」

 頭を下げてから僕はその道を歩いていった。


 門を潜ると皆の姿は無かった。裏切られた物悲しさと、置いていかれた寂しさが胸に満ちたけど、いつものことだ。

橙色の夕日で街は赤く染まっている。帰る時間だと後押しするようにどこからか『夕焼け小焼け』が聞こえてきた。

 僕はそれを聞きながら家に足を向けた。


「祖父ちゃん、ただいま~」

 玄関でそう言って靴を脱ぐときちんと揃える。

僕は祖父ちゃんと祖母ちゃんに引き取られてからきちんと躾けられたので、行儀作法を自然とこなせるようになっている。そのせいか先生とか大人には受け入れられるけど、同年代には〝真面目くん〟と敬遠されている。

 いつもなら柔和な笑みを浮かべて「お帰り士郎」と祖父ちゃんが出迎えてくれるのに来なかった。だから「祖父ちゃ~ん」と呼びかけながら家中を歩き回っていく。

旦那の家と同じく僕の家も日本家屋だ。古い家なので歩く度に床板がギシギシと軋み、家族がどこにいるのかわかるようになっている。この家には祖父ちゃんと僕しかいないから、僕の声に気づかなかったにしろ、こうして足音がしたら祖父ちゃんは自分のいる所から出てきてくれる。

それなのに何の動きもないままで、僕は探し続けた。一階の部屋を探し終え、二階に上がると、まず突き当りの書斎のドアノブを捻る。少し開けると、祖父ちゃんの姿があった。ホッとして「祖父ちゃん」、と声をかけようとしたけど、祖父ちゃんの様子に思いとどまった。

 祖父ちゃんはとても厳しい顔をして手紙に目を通していた。

ややあってふう、とため息をつくと目を閉じて右のこめかみに人さし指をやった。

 それは祖父ちゃんが困った時の癖だった。

「…祖父ちゃん」

 おずおずと呼ぶと祖父ちゃんはハッとしたような顔になって手紙を懐に入れると、いつものように柔和な笑みで「お帰り」と言った。

「…ただいま…」

「士郎。祖父ちゃん、ちょっと用事ができてね。しばらく家を空けることになったけど、大丈夫かい?」

「…うん…」

僕は羽織を羽織ってキュッと紐を締めた祖父ちゃんに頷いた。祖父ちゃんは僕の頭を撫でて微笑むと家を出た。


今思うと嫌な予感はしたんだ。でもここまでは予想していなかった。


祖父ちゃんがいなくなって一月程してから、祖父ちゃんの知り合いという人から祖父ちゃんが死んだと連絡が来た。


 両親も祖母ちゃんもとっくに死んだ僕には、もう祖父ちゃんしか身内はいなかった。

僕は今度こそ一人ぼっちになった、はずだった。


 

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