ユビキタス・ケン
Tron の父である坂村健は、コンピュータ科学者であり東大名誉教授であり「ユビキタスコンピューティング」の発案者であるが「ユビキタス」という言葉は流行らなかった。当然、流行語大賞にノミネートされたこともない。とにかく流行らなかったのだ。坂村健教授が(以下、ケンさんと呼ぶ)、大根を洗うときにいちいちバーコードを読むなんてことはできないだろう? だから、IC タグが便利なんだ、と言ったとしても IC タグが流行るのは、値段的にユニクロの精算機位なものなのだ。IC タグの読み取りに Tron が利用されているかどうかわからないが、少なくとも RTOSが使われているのは確かなことだ(要出典)。もちろん、RTOS の中身は Tron ベースであるのは皆さんご存じのことである(これは正しいです)。
さて、ケンさんは「ユビキタス」という用語を流行らせようとした。流行っていれば問題がないというのは、いまだからいうことであって、当時はあちこちにコンピュータがあるという状況をユビキタスコンピューティングとして提唱したのであった。いまでこそ、皆がスマホを持つ時代になっていて、スマホでぽちぽちと電卓を叩いたりするわけだが、それこそがユビキタスの真髄である。コンピューターが計算機であればこそ、電卓がユビキタスになるのだ。スマホの画面をぽちぽちと指で突っつくからユビキタス、というわけではない。ここは重要だ。肘を突っつけば、ヒジキタス、頭で突っつければ、アタマキタス、となるわけだ。時にはヘディングというかもしれない。最近では小学生の脳に影響がでてくるので、ヘディングが禁止になっているが、大人ならば大丈夫だ。ちょっと位、揺れても頭の固い大人ならば問題がない。もっとも、私のような頭の柔らかい大人はヘディングには向かないのだが。
話がずれてしまったが、指だけを使うからユビキタスというのは、一般に広まりそうで広まらなかった誤解である。誤解であるものの、誰にも広まらなかったので誰も知らない誤解なのだ。なので、誤解なのかもともと言わなかったギャグなのかは今となっては分からないのである。
どこでもコンピューティングという発想は、スマホの場合にはノートパソコンであった。デスクトップパソコンのでかい筐体とモニタから離れられる、それこそ移動するコンピューティング環境、つまりユビキタスに近い環境が用意されていたのである。ノートパソコンにはキーボードとモニタが付き物で、今のようなミニ PC に会社の巨大モニタをくっつけるという発想はなかった。それこそ JR の広告モニタの後ろにあるラズベリーパイという美味しそうな名前のお菓子なのかコンピュータだかわからないものがくっ付くのは後の話である。ノートパソコンという中にも、膝上に乗っかるノートパソコンや、掌に乗っかるノートパソコンもあった、ポケットに無理矢理入れるノートパソコンもあって、もうあちこちにノートパソコンが氾濫していたのである。つまりは、膝がひどくでかい人とか、掌が巨大な人とか、胸のポケットがひどくでかい人とかがいたわけである。そう、いまではスマホになってしまったので、それぞれのノートパソコンは消えてしまったわけだが、実際に膝や手がでかい人がそこかしこに居たのかどうかは分からないのである。記憶というのは曖昧なものだ。
どこでもコンピューターという意味では、ケンさんは何処にでも出現するのであった。スマホのようにケンさんを誰もが持ち歩けるわけではない。ケンさんは何処にもいて、私達に便利を提供してくれるユビキタス・ケンなのである。
街を歩けばバス停がある。バス停の時刻表を確認するのはスマホではない。ユビキタス・ケンが現れて「今は何時ですからね。ええ、後 20 分位でバスが来ます。今日は暑いですから、そのあたりのコンビニで冷たいものを買っておくといいですよ」と教えてくれるのである。
あたりを見渡すと、コンビニがある。そう、コンビニの冷蔵庫の前で何を買おうかと迷っていると、再び、ユビキタス・ケンが現れるのである。
「おやおや、ジュースを買おうとしましたね。いやいや、あなたの血糖値はちょっと高めなので甘いものを控えたほうがいいですよ。ほら、こちらの十六茶なんてどうですか。カテキンとかが入っていて、血糖値にもいいですよ」とお勧めをしてくれるのである。
じゃあ、十六茶にしようかと思ったら、実はアサヒ飲料のアレコレのおかげで十六茶は売り切れである。そうすると、ふたたび、ユビキタス・ケンがやってきて言うのである。
「あらあら、申し訳ございません。ここのコンビニには十六茶が出回っていないようですね。そうなると、伊右衛門とか、爽健美茶とか、いろいろありますが、あなたの好みからすると爽健美茶がいいと思いますよ。ほら、カフェインも入っていませんし、ビタミン C も入っていますから、夏バテ防止にもなりますよ」と状況に応じて返答を変えてくれるのである。
じゃあ、伊右衛門にするか、と思ってコンビニのレジにもっていくと、これまたセルフレジでいろいろややこしいのである。カードなのかスマホなのか決済あれこれを迷ってしまいそうになるので、そこもユビキタス・ケンの出番である。
「いやいや、大丈夫ですよ。あなたのスマホであれこれとアプリを立ち上げなくてもほら、ここに顔を近づけて顔認証を使えばいいんです。ほら、簡単でしょう? このユビキタス・ケンは、あなたの顔をばっちり覚えていますから、問題ありません。さっと、口座から自動的に引き落としてあげます」
なるほど、ユビキタス・ケンはあちこちにいる。そして、あちこちのユビキタス・ケンが私を手伝ってくれるのである。感心なことだ。スマホよりも、ケンさんがいるほうが頼りになる。
そうこうしているうちに、バス停にはバスが止まっていた。
あ、ドアがしまって、発車しそうになっている。
「あれ? ええと、バスは 20 分後じゃなかったっけ? え、ちょっと、待ってーーーッ!!! ケンさん、ケンさんも手伝ってよ」
ユビキタス・ケンは言う「自分、不器用ですから・・・大声を出すのは苦手で」
『ユビキタスとは何か―情報・技術・人間』あたりを参考に




