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異世界恋愛短編集

断罪されたので、魔王に嫁ぎましたが「え、あなたも転生者だったんですか!?」

作者: 百鬼清風

「地球の文化、地味に根付かせてるわね」


「魔王ですから」


 その万能ぶりには感心を通り越して呆れるしかなかったが、正直、ありがたい。


 異世界の食事は素材が独特なこともあり、慣れるまで時間がかかる。そんな中で、少しでも馴染みの味があるというのは、精神的に救われる。


 けれど、それでも心の奥には引っかかるものがあった。


 エミリア。王太子。そして、王宮。


 私は、あの日断罪された。


 けれど、本当は誰が嘘をつき、誰が利益を得ていたのか。


 それを突き止めなければ、私はただの敗者のままだ。


 


 数日後、ルリナが城の一室で私に声をかけてきた。


「お嬢様、少しお時間よろしいでしょうか」


「何かあったの?」


「……情報が入りました。聖女エミリアが、王宮内で“異例の昇進”を果たしたそうです」


「……っ!」


 胸の奥がきゅっと痛んだ。


「具体的には?」


「宮廷魔法省の特別顧問に就任。そして、王太子リュシアン殿下との婚約も、近日中に発表される見通しとのことです」


 思っていた通り。


 最初から、私を排除してその座を手に入れるつもりだったのだ。


「つまり――私の追放劇は、政略だったのね」


「はい。ただ、それだけではありません。もうひとつ、気になる情報がございます」


「なに?」


「聖女エミリアも――“転生者”である可能性が高いと」


「……っ!」


 衝撃で言葉を失った。


 私が罪とされた“転生者”であること。


 それを告発したエミリア自身が、同じ立場だったかもしれないなんて。


「王宮内には、“現代知識を持つ者”を秘密裏に保護し、利用する動きがあるとの報告も」


「……つまり、私が拒んだから排除された?」


「その可能性が高いです。お嬢様は侯爵家として堅実に活動されていましたが、国家的には“従順な道具”の方が都合が良いのでしょう」


 吐き気がした。


 あの日の断罪は、ただの“処分”ではなかった。


 もっと冷たい、無機質な計算の結果だった。


「ルリナ、王宮の内情をもっと詳しく探れそう?」


「可能ですが、王宮への潜入は極めて危険です」


「でも、必要なことよ。私は……絶対に許さない」


 私から家族を、地位を、人生を奪ったあの女を。


 笑顔で嘘を吐き、私を悪者に仕立て上げた、あの聖女エミリアを。


 


 その夜、食堂でレグナが妙に神妙な顔をしていた。


「おい、レナリア。ちょっと真面目な話していい?」


「なによ。急に」


「……王都、行く気だろ?」


「……っ、どうしてわかったの?」


「君の目が、完全に“情報収集モード”になってたからな。昔と変わってない」


 そう言って、彼は少しだけ笑った。けれど、その奥にある目は、真剣だった。


「俺からも言いたいことがある。君が王都に行くなら、俺の庇護を受けろ」


「庇護?」


「魔王の妻として。堂々と、使節団の一員として」


「……正妃の肩書きを利用しろってこと?」


「違うか?」


「……都合いい魔王ね」


「お互い様だろ?」


 ぐうの音も出なかった。


 けれど、私は――静かに頷いた。


「わかった。私、行く。王都へ。そして、真実をこの目で確かめる」


 


 その夜、私は久しぶりに夢を見た。


 幼い頃の記憶。侯爵家の広い庭で、母と遊んだ日のこと。


 母は笑っていた。あんなに優しい笑顔だったのに。


 今、彼女はどんな顔で過ごしているのだろう。


 私がいなくなった家は、どうなっているのだろう。


「……戻るよ、絶対に」


 そのとき、ベッド脇にレグナが現れた。


「なんでいるのよ!? 女子の寝室に!?」


「ルリナが、寝言が物騒だったから様子見ろって」


「……ルリナ、絶対あとで〆る」


「まあ落ち着け。君に土産を持ってきた」


 レグナは、私の手に何かを握らせた。


 それは、小さな魔導具だった。


「それ、身につけてれば俺の魔力が君を守る。非常時には俺が駆けつける仕様。GPS付きの通話対応な」


「現代人すぎるでしょ……」


「嫁を送り出すには、それくらいして当然だ」


 その“嫁”という言い方に、胸が少しだけ熱くなった。


 


 こうして、私は再び――王都に向かう決意を固めた。


 奪われた全てを取り戻すために。


 かつての自分に、決着をつけるために。


 そして、“今の自分”を証明するために。


 王都への旅路は、予想していたよりも平穏だった。


 私とレグナは、魔王領からの正式な使節団として、豪奢な魔導馬車に乗り、堂々と国境を越えた。従者としてルリナが同行し、護衛の騎士たちも魔王直属の精鋭。旅の途中で盗賊などが出る隙すらない。


「なあ、レナリア」


「なに?」


「この使節団、正直……国王にとっては脅威だよな」


「でしょうね。魔王自ら来訪。しかも、正妃として“冤罪追放された元貴族令嬢”を連れて」


 要するに、私たちは「外交」という名のカウンターを叩きつけに行っているのだ。


 私を捨てた国に、今度は“魔王の妻”として戻る。


 この状況だけで、王宮は確実に揺れる。


 けれど、それでいい。


 あの偽りの平穏に、私は殺されかけたのだから。


 


 王都が見えたとき、胸がひどくざわついた。


 石造りの高い城壁。幾重にも重なった防御魔法。魔導灯の光で彩られた街並み。


 かつて、私の“日常”だった場所。


 だけど今は、すべてが敵の巣に見える。


 私を断罪し、捨てた者たちがいる場所――それが、王都だった。


 


 馬車が王城の正門前に到着すると、すぐに使者が出迎えに来た。


「魔王陛下、ならびに正妃レナリア殿下。王都へのご来訪、心より歓迎いたします」


「形式はいい。案内しろ」


 レグナの一言に、使者は緊張した顔で頷いた。


 私はレグナの隣を歩く。誰よりも堂々とした足取りで。だって今の私は――


 この国が恐れる“魔王の妻”なのだから。


 


 謁見の間には、国王と王族、そして宰相を始めとした重臣たちが勢揃いしていた。


「魔王レグナ・アルヴァ殿。この度は友好使節としてのご来訪、感謝いたします」


「感謝される筋合いはない。目的があって来ただけだ」


 レグナは端的に答えると、視線をまっすぐに国王へ向けた。


「俺の妻、レナリアは、貴国の元侯爵令嬢。そして、冤罪により追放された犠牲者だ」


 場の空気が、ぴしりと張り詰めた。


 私の名が公然と出されたことに、王族の誰もが目を丸くする。


 とくに、王太子リュシアンの顔は、蒼白だった。


「お、お前が……レナリア……?」


「お久しぶりです。王太子殿下」


 私は、完璧な礼儀作法で一礼した。


「こうして“魔王の正妃”として戻ってまいりました」


「お、お前が何を……!」


 リュシアンの声は怒りに震えていたが、焦りが混じっている。


 そう、これは完全に“外交上の爆弾”だ。


 冤罪で追放した元婚約者が、今や敵国のトップレディとなって戻ってきた。


 まさに、最高の皮肉。


「こちらとしては、過去のことは追及しない。だが、同じ過ちを繰り返すようであれば、それなりの対応をさせてもらう」


 レグナの声は静かだったが、誰もが息を呑んだ。


「……!」


 国王も、沈黙のまま口をつぐむ。


 これ以上、私に何か言えば、火に油を注ぐだけだと察しているのだ。


 


 謁見が終わり、私たちは城内の客間に通された。


 私は、静かに息を吐いた。


「……成功した、わね」


「完璧だったよ。レナリア、ほんとに貴族令嬢だな」


「一応、十八年やってきたからね」


「俺なんて、国王に会ったら『ワンチャンねーかな』とか思ってた」


「それ言うな。威厳ないでしょ」


「……冗談だよ。今は君のために動いてる」


 その言葉に、心臓が小さく跳ねた。


 この人は、いつだって冗談混じりに大事なことを言う。


 けれど、それが嘘ではないことも、わかってしまう。


「レグナ……ありがとう」


「俺の妻を守るのは、当然だろ?」


 


 その夜。ルリナが、こっそり私の元に忍び寄った。


「お嬢様、先ほどの謁見の影響で、王宮内が一気に動き始めました」


「どういう動き?」


「聖女エミリア殿下が、急ぎ魔法省の監査部門を強化。おそらく、情報漏洩と妨害工作に備えたものと思われます」


「……なるほど」


 彼女は、自分が追い詰められたことを悟ったのだ。


 このまま表立っての争いは避けたい。けれど、水面下では――私を消しにくる可能性もある。


「ルリナ。夜明け前に動くわ。例の場所へ」


「かしこまりました」


 私は、かつての自分の屋敷――フォルトナ侯爵家へ向かう。


 真実を知るために。


 家族が何をされ、何を守ってくれたのか。


 過去と向き合いに行くために。


 


 馬車の車輪が、静かに夜の石畳を転がる。


 あの日、泣きながらここを去った少女はもういない。


 今ここにいるのは――復讐と覚悟を胸に秘めた、魔王の正妃。


 レナリア・フォルトナ・アルヴァ。


 私の物語は、ここから本当の幕を開ける。


  夜明け前の王都は静かだった。


 魔導灯に照らされた石畳の道を、馬車の車輪が控えめに鳴る。街はまだ眠っていて、通りに人影はない。私は、懐かしくも忌まわしい景色を黙って見つめていた。


 あの角を曲がれば、かつての我が家――フォルトナ侯爵邸。


 王都の北部、貴族街の一角に立つ白亜の館。それは、私が育った場所であり、すべてを奪われた場所でもある。


 馬車が止まり、私は一人で降り立った。


「ルリナ、ここから先は私一人で行くわ」


「ですがお嬢様、危険が――」


「もしもの時は、隠れていて」


「……了解しました。必ずお呼びください」


 私は頷いて、門扉に手をかける。錠前は変わっていたけれど、あの頃と同じ薔薇の紋章が刻まれていた。


 しばらくすると、中から足音がして、使用人服の老執事が現れた。


「……どちら様で?」


「レナリア・フォルトナです。侯爵閣下にお目通りを願います」


 彼の顔に、ありえないものを見るような驚きが浮かぶ。


「……お、お嬢様……!? ですが、あなたは……」


「お父様に会わせて。話があります」


「しかし……」


「私は、魔王の正妃になりました。今はその立場でここに来ています。拒否されるなら、それ相応の手続きを取るわ」


 脅しではなかった。魔王城に帰れば、レグナが本気で動くだろう。私が無礼を受けたとなれば、それは“国同士の問題”になる。


「……少々お待ちくださいませ」


 執事は慌てて中へ消えていった。


 


 数分後、私が招き入れられたのは、懐かしい応接間だった。


 変わらぬ家具の配置、香の匂い、カーテン越しの朝の光。


 だというのに、私はここに“帰ってきた”という実感を持てなかった。


「……久しいな、レナリア」


 ゆっくりと入ってきた父は、髪に白いものが混じり、以前よりも痩せて見えた。


「お久しぶりです。お父様」


「……魔王の妻となったそうだな」


「はい。おかげさまで、元気に暮らしています」


 皮肉めいた笑みを浮かべてしまったのは、我ながら大人げなかったかもしれない。


 でも、どうしても――あの日のことを思い出してしまう。


「……なぜ、あのとき私を庇ってくれなかったのですか?」


 私は、真っすぐ父の目を見た。


「エミリアが嘘をついていたのは、今では明らかです。彼女が転生者である可能性も高く、しかも王家と結託していた」


「……レナリア」


「私は家族だと思っていた。でも、あなたは黙って私を見送った。まるで、どうでもいい娘だったかのように」


 父は長く沈黙した。そして、低い声で答えた。


「……お前を、守れなかった。ただ、それだけだ」


「守れなかった?」


「あのとき、侯爵家は王家から睨まれていた。お前が才覚を見せれば見せるほど、王太子と並び立つには都合が悪かった。王太子が望んだのは“従順な妃”であって、“実力者”ではなかった」


「だから、見捨てたと?」


「違う……だが、結果的にそうなった。私には、お前を守る力が足りなかった。それが、父としての限界だった」


 初めて聞く“後悔”の言葉。


 けれど、それは私にとっては遅すぎた。


 私は、もう“娘”ではない。


「……母様は? 元気にしているの?」


「病に伏せっている。……お前の追放以来、体調を崩してな」


 胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。


「……会わせてくれる?」


「……好きにするといい。いまは東棟の療養室にいる」


 


 私は無言で立ち上がり、廊下を進んだ。


 東棟。陽がよく差す静かな部屋。その扉の前に立ったとき、なぜか指が震えた。


 失われた日々。


 それを取り戻すことはできないけれど、確かめることはできる。


 私はそっとノックし、扉を開いた。


「……母様」


 ベッドの上にいた女性が、ゆっくりと目を開ける。


 その瞳が、私を捉えた瞬間。


「……レナ……リア……?」


 掠れた声が、確かに私の名前を呼んだ。


「……帰ってきたのね……」


 母は、涙を浮かべながら微笑んだ。


「……うん。ただいま、母様」


 私は、静かにその手を握った。


 あの日、引き裂かれた家族の絆が、ほんの少しだけ戻った気がした。


 


 帰りの馬車で、私は窓の外をぼんやりと眺めていた。


 ルリナが隣で静かに控えている。


「……ありがとう、ルリナ」


「何を、でしょうか」


「今日、私がここに来られたのは、あなたがいてくれたから」


「……私はお嬢様に仕えているだけです」


 それでも、彼女の声がどこか柔らかくなっているのを感じた。


 


 王都での滞在はあと数日。けれど、その間に――私は決着をつける。


 聖女エミリア。


 あの女が私にしたことの“報い”を、必ず。


  王都に戻ってきて四日目。


 私はついに、聖女エミリアと対面する機会を得た。


 きっかけは、国王主催の晩餐会だった。表向きは魔王領との友好を祝すための宴。だが、実質は、火種になりかねない“魔王の正妃”と“聖女”を並べ、火花が散らないかを確認する場だった。


 宮廷内の大広間は、金と宝石の装飾で煌びやかに彩られていた。高い天井から下がる魔導灯のシャンデリア。食卓に並ぶ精緻な料理。王族や重臣、貴族たちが着飾って集うなか、私は堂々と歩を進める。


 魔王レグナは、相変わらず黒と赤のきらびやかな軍服で、隣に私の手を取りながら立っていた。


「なんか視線が刺さってる気がするけど?」


「うん。全方向からね」


「慣れてるだろ?」


「一応、元婚約者よ? 派手な登場すればそりゃ……」


 そのとき、大広間の入り口に声が響いた。


「お集まりの皆様、ご注目ください。これより、聖女エミリア殿下がご到着です」


 場が静まり返る。


 そして入ってきたのは――


 白銀のドレスに身を包み、清らかな微笑みを浮かべた、かつての“親友”。


 エミリア・ルクレール。


 薄桃色の巻き髪、完璧に整えられた化粧、誰が見ても“気品”の塊。


 けれど、その眼差しの奥にあるものは、私だけが知っている。


 それは、私のすべてを壊した“嘘つきの瞳”だった。


「まあ……レナリアさん? ご無沙汰しておりましたわ」


 まるで何事もなかったかのように、微笑みながら彼女は近づいてくる。


「……ええ。まさか、再会できるとは思いませんでした。しかもこうして“表舞台”で」


「私も驚きましたの。魔王陛下とご結婚されたとは、まさに運命の巡り合わせですわね」


「ええ、そうね。あなたが私を追放したおかげで、人生が好転しました」


 一瞬、エミリアのまつげがぴくりと揺れた。


 だが、すぐに笑顔で切り返す。


「ふふ……あのときは、私も未熟で……ですが、あれは“神託”でしたのよ」


「神託、ね」


 私の言葉に、レグナが小さく鼻を鳴らした。


「神が“転生者”を断罪せよと命じた、という話だったな」


「ええ、そうですわ。神の御心に従い、王家と協力し、秩序を守ったまでですの」


「へえ。なら、君が“転生者”であるという話も、神託ですか?」


「……何をおっしゃって?」


 初めて、エミリアの顔から笑みが消えた。


 沈黙が一瞬、場を凍らせる。


「面白いことに、こちらにも“神”に関する情報源がありましてね」


 レグナの声は低く、冷たい。


「神託を操り、己の利益のために他者を陥れた者がいると。その者は、“異邦の知識”を使い、聖女の座に就いたと聞いています」


「……っ」


「まさか、それが貴女だったとは、私も思っていませんでした」


 私が言うと、周囲からざわめきが起こる。


 転生者。神託の捏造。聖女の虚偽。


 この場でそのどれか一つでも真実になれば、エミリアの地位は崩壊する。


「……レナリアさん。あなた、まさか私に嫉妬して……?」


「嫉妬?」


 私は思わず笑ってしまった。


「私は、あなたに復讐するつもりでここに来た。でも、もういいわ。こんな卑怯者、罰する価値もない」


「……!」


「あなたの顔を、これだけの人前で“暴いて”あげただけで、もう充分」


 エミリアの表情は凍りつき、指先がわずかに震えていた。


 王族たちもざわめき、王太子リュシアンは俯いたまま動かない。


 沈黙。緊張。裂け目のような空気の中で、私たちの視線だけがぶつかっていた。


 


 その夜、レグナとともに客室に戻った私は、窓辺でワインを飲みながら静かに息をついた。


「少しやりすぎたかしら」


「いや、あれでちょうどいい。あの女、完全に“権力”に乗っかって生きてきたタイプだ。揺さぶりをかければ崩れる」


「崩れてくれるといいけど」


「それより、お疲れ」


 レグナが近づいてきて、私の肩にそっと手を置いた。


「……ありがとう」


「君が堂々とあいつと対峙してるのを見て、正直、誇らしかった」


「それって、“妻として”?」


「……ああ、もちろん」


 その言葉が、なぜか心にすとんと落ちた。


 敵を討つこと。それも大事だけれど、私にとってもっと大事なのは――


 誰かに、味方だと言ってもらえることだったのかもしれない。


 この世界に、もう一度“自分の居場所”を作るために。


 


 翌朝。王都の街がざわめきに包まれた。


 聖女エミリアが、公的な立場を一時停止し、王都を離れるという知らせが飛び込んできたのだ。


「逃げたのか?」


「おそらくね。でも……勝負はこれからよ」


 私は、静かに窓の外を見つめる。


 戦いは終わっていない。けれど、確実に一歩、前に進んだ。


 レナリア・フォルトナ。かつて追放された少女は、もうどこにもいない。


 今ここにいるのは、魔王の正妃であり、誰にも奪わせない人生を生きる女。


 エミリアが王都から姿を消してから、空気が変わった。


 明らかに、王宮内の動きが鈍くなった。彼女が握っていた“神託”という権威が消えた今、王太子派の貴族たちは右往左往し始めた。誰もが、崩れゆく足場から逃げ出そうとしていた。


 それを、私は見逃さなかった。


「ルリナ。次の一手を打つわよ」


「承知いたしました。標的は?」


「“あの夜”の証人。エミリアの嘘に加担した者たちを一人ずつ炙り出すわ」


 私が断罪されたあの夜、聖女の涙と王太子の言葉に頷いた貴族たち。


 誰も、私を庇わなかった。むしろ、口を閉ざし、ただ流れに乗っただけだった。


 だからこそ、私が“力”を持った今、彼らは黙ってはいられない。


 証言すれば保身。黙れば共犯。


 それが、今の構図だった。


 


 王都に残された数日間。私は王宮の中枢にいる者たちを、一人ずつ訪ねて回った。


 ある者は私の姿を見るなり額を床につけて謝罪し、ある者は震えながら「私はあのとき止めたんです」と言い訳を並べた。


 中には、開き直る者もいた。


「君のような“転生者”に権力を持たせるわけにはいかなかった」


「……なるほど。つまり、転生者というだけで危険視されたと」


「当然だ。我々はこの世界の民だ。異邦の知識を持ち込む君たちは、言わば……侵略者だ」


 その言葉を聞いたとき、私はふっと笑った。


「だったら、なぜ聖女エミリアの“現代知識”は見逃されたのかしら?」


「っ……」


「どうせ使うなら、従順な方がいい。そういうことよね」


 その男は言葉を失い、視線を逸らした。


 そう。結局、私は“都合が悪かった”だけ。


 頭がよく、影響力があり、なにより自分で考えて動ける女。


 それは、“操れない”からこそ、排除された。


 


 やがて、正式な形で“誤審の再審議”が行われることになった。


 王宮で、王族立会いのもと、私にかけられた罪が再検証される。


 証言台に立った私は、当時の証拠と、各方面から集めた情報を突きつけた。


 エミリアが何をし、どう国王の側近たちと接触していたか。


 彼女が密かに使っていた“魔導書”が、異世界の言語で記されていたこと。


 それらすべてを、静かに、だが確実に語っていった。


 


「……以上が、私が受けた不当な断罪の実態です」


 私はそう締めくくった。


 静まり返る会場の中で、国王がゆっくりと椅子から立ち上がる。


「レナリア・フォルトナ殿。今回の再審の結果――」


 重々しい声が広間に響いた。


「あなたにかけられた罪状を、すべて“無効”と認める。加えて、あなたの爵位と財産、家名の名誉を回復し、旧侯爵家を“復帰”とする」


 その言葉に、場の空気が大きく揺れた。


 私の肩にかけられていた“断罪の烙印”は、今この瞬間に消えたのだ。


 


 広間を出ると、レグナが壁にもたれかかっていた。


「やるじゃん。立派だったよ、レナリア」


「……正直、まだ実感がないわ」


「いいんだよ。本当に実感が湧くのは、帰ってからだ」


「帰る?」


「魔王城にさ。君の家はあそこだろ?」


 その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。


 私の家。私の居場所。


 この世界で、もう一度信じられるものを見つけられたのだと、ようやく実感できた。


 


 その夜、王都を離れる準備を整える中で、ひとつの書状が届けられた。


 送り主は――王太子リュシアン。


 


『レナリアへ


 君の言葉がすべて正しかったと、今なら理解できる。


 だが私は、君に謝罪する資格すらない。


 それでも……君がかつて、私の婚約者であったことは、人生最大の誇りだった。


 どうか、君が幸せであるように。


   リュシアン』


 


「……ずいぶん、遅いのね」


 私は手紙をそっと畳み、炎にくべた。


「レナリア……?」


「大丈夫。これは、必要な別れだったから」


 過去に区切りをつけて、私は“今”を生きる。


 魔王の正妃として。


 そして、一人の女として。


 


 出発の朝、王都の門を出るとき。


 私はもう、一切の未練を残していなかった。


 魔王城に戻ったとき、私は自分でも驚くほど穏やかな気持ちでいた。


 王都でのすべての“整理”を終え、失われた地位と名誉を取り戻した。けれど、それ以上に大きかったのは、自分自身の心の“重さ”が取れたことだった。


 そして今、私は再び――この場所に立っている。


「お帰りなさいませ、お嬢様。いえ……正妃様」


 ルリナが深く頭を下げる。


「ただいま、ルリナ。……そして、ありがとう」


「……いえ、私は貴女の侍女ですから」


 彼女の声が、少しだけ震えていたのを私は見逃さなかった。


 


 玉座の間に足を踏み入れると、レグナが背を向けて書類に目を通していた。魔王らしく、黒いマントを翻して、いつも通りの余裕を漂わせている。


「……帰ったよ」


「おう、おかえり。早かったな」


「“やること”は全部やったから」


「まさか、王宮の再審議までやるとは思わなかったぞ。レナリア、君はやっぱり強い」


「強くなったの。あの夜、死にかけて気づいたの。誰かに人生を委ねてるようじゃ、また壊されるって」


「……そうだな」


 レグナは書類を机に置き、こちらを向いた。


「それで? 君はもう“魔王の正妃”だ。正式に、堂々と。それで満足か?」


「ううん」


「……え?」


「“契約”で妻になった。でも、それだけじゃ足りない。私はもう……あなたを“契約相手”じゃなく、“夫”として見てる」


 レグナの目が、驚きに大きく開かれた。


「レナリア……」


「レグナ。あなたは私を拾ってくれた。守ってくれた。信じてくれた。何より、“選ばせて”くれた」


 私はゆっくりと、彼の前に歩み寄った。


「だから今度は、私の方から“選びたい”」


 彼の目の奥に、色んな感情が浮かぶのが見えた。


 驚き。戸惑い。……そして、安堵。


「レグナ・アルヴァ。私はあなたを――“契約ではなく、愛として”夫に迎えたい」


 その瞬間、彼の口元がぐにゃりと歪んだ。


「おい、それ……俺が言うやつだろ……」


「先に言ったもん勝ちよ」


 彼は笑った。そして、私の手を取った。


「レナリア・フォルトナ・アルヴァ。君は世界で唯一、俺の心に踏み込んできた女だ。俺のすべてを、喜んで差し出す。だから、どうか……俺の隣にいてくれ」


「……はい。喜んで」


 


 その夜。城の高台から、二人で星空を見上げた。


 風がやさしく吹いていた。


「思えばさ。高校の頃、君に話しかけるきっかけが欲しかったんだよな」


「図書室で?」


「うん。君が落とした本、拾っただけで、なんかすごく特別なことした気分になってた」


「……あれが始まりだったんだね」


「そう。異世界でも、変わらない。君は俺にとって、ずっと特別なんだよ」


 私は、そっと彼の肩に頭を預けた。


 長い戦いだった。


 でも、そのすべてが、この夜へとつながっていた。


 


 契約の指輪ではない。


 心から交わした、真実の絆。


 私はもう、“捨てられた令嬢”ではない。


 私は、魔王の正妃。


 そして――彼の愛するたったひとりの妻。


 


 これが、私の“物語の結末”。


 そして、“ふたりの始まり”。


 

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