断罪されたので、魔王に嫁ぎましたが「え、あなたも転生者だったんですか!?」
「地球の文化、地味に根付かせてるわね」
「魔王ですから」
その万能ぶりには感心を通り越して呆れるしかなかったが、正直、ありがたい。
異世界の食事は素材が独特なこともあり、慣れるまで時間がかかる。そんな中で、少しでも馴染みの味があるというのは、精神的に救われる。
けれど、それでも心の奥には引っかかるものがあった。
エミリア。王太子。そして、王宮。
私は、あの日断罪された。
けれど、本当は誰が嘘をつき、誰が利益を得ていたのか。
それを突き止めなければ、私はただの敗者のままだ。
数日後、ルリナが城の一室で私に声をかけてきた。
「お嬢様、少しお時間よろしいでしょうか」
「何かあったの?」
「……情報が入りました。聖女エミリアが、王宮内で“異例の昇進”を果たしたそうです」
「……っ!」
胸の奥がきゅっと痛んだ。
「具体的には?」
「宮廷魔法省の特別顧問に就任。そして、王太子リュシアン殿下との婚約も、近日中に発表される見通しとのことです」
思っていた通り。
最初から、私を排除してその座を手に入れるつもりだったのだ。
「つまり――私の追放劇は、政略だったのね」
「はい。ただ、それだけではありません。もうひとつ、気になる情報がございます」
「なに?」
「聖女エミリアも――“転生者”である可能性が高いと」
「……っ!」
衝撃で言葉を失った。
私が罪とされた“転生者”であること。
それを告発したエミリア自身が、同じ立場だったかもしれないなんて。
「王宮内には、“現代知識を持つ者”を秘密裏に保護し、利用する動きがあるとの報告も」
「……つまり、私が拒んだから排除された?」
「その可能性が高いです。お嬢様は侯爵家として堅実に活動されていましたが、国家的には“従順な道具”の方が都合が良いのでしょう」
吐き気がした。
あの日の断罪は、ただの“処分”ではなかった。
もっと冷たい、無機質な計算の結果だった。
「ルリナ、王宮の内情をもっと詳しく探れそう?」
「可能ですが、王宮への潜入は極めて危険です」
「でも、必要なことよ。私は……絶対に許さない」
私から家族を、地位を、人生を奪ったあの女を。
笑顔で嘘を吐き、私を悪者に仕立て上げた、あの聖女エミリアを。
その夜、食堂でレグナが妙に神妙な顔をしていた。
「おい、レナリア。ちょっと真面目な話していい?」
「なによ。急に」
「……王都、行く気だろ?」
「……っ、どうしてわかったの?」
「君の目が、完全に“情報収集モード”になってたからな。昔と変わってない」
そう言って、彼は少しだけ笑った。けれど、その奥にある目は、真剣だった。
「俺からも言いたいことがある。君が王都に行くなら、俺の庇護を受けろ」
「庇護?」
「魔王の妻として。堂々と、使節団の一員として」
「……正妃の肩書きを利用しろってこと?」
「違うか?」
「……都合いい魔王ね」
「お互い様だろ?」
ぐうの音も出なかった。
けれど、私は――静かに頷いた。
「わかった。私、行く。王都へ。そして、真実をこの目で確かめる」
その夜、私は久しぶりに夢を見た。
幼い頃の記憶。侯爵家の広い庭で、母と遊んだ日のこと。
母は笑っていた。あんなに優しい笑顔だったのに。
今、彼女はどんな顔で過ごしているのだろう。
私がいなくなった家は、どうなっているのだろう。
「……戻るよ、絶対に」
そのとき、ベッド脇にレグナが現れた。
「なんでいるのよ!? 女子の寝室に!?」
「ルリナが、寝言が物騒だったから様子見ろって」
「……ルリナ、絶対あとで〆る」
「まあ落ち着け。君に土産を持ってきた」
レグナは、私の手に何かを握らせた。
それは、小さな魔導具だった。
「それ、身につけてれば俺の魔力が君を守る。非常時には俺が駆けつける仕様。GPS付きの通話対応な」
「現代人すぎるでしょ……」
「嫁を送り出すには、それくらいして当然だ」
その“嫁”という言い方に、胸が少しだけ熱くなった。
こうして、私は再び――王都に向かう決意を固めた。
奪われた全てを取り戻すために。
かつての自分に、決着をつけるために。
そして、“今の自分”を証明するために。
王都への旅路は、予想していたよりも平穏だった。
私とレグナは、魔王領からの正式な使節団として、豪奢な魔導馬車に乗り、堂々と国境を越えた。従者としてルリナが同行し、護衛の騎士たちも魔王直属の精鋭。旅の途中で盗賊などが出る隙すらない。
「なあ、レナリア」
「なに?」
「この使節団、正直……国王にとっては脅威だよな」
「でしょうね。魔王自ら来訪。しかも、正妃として“冤罪追放された元貴族令嬢”を連れて」
要するに、私たちは「外交」という名のカウンターを叩きつけに行っているのだ。
私を捨てた国に、今度は“魔王の妻”として戻る。
この状況だけで、王宮は確実に揺れる。
けれど、それでいい。
あの偽りの平穏に、私は殺されかけたのだから。
王都が見えたとき、胸がひどくざわついた。
石造りの高い城壁。幾重にも重なった防御魔法。魔導灯の光で彩られた街並み。
かつて、私の“日常”だった場所。
だけど今は、すべてが敵の巣に見える。
私を断罪し、捨てた者たちがいる場所――それが、王都だった。
馬車が王城の正門前に到着すると、すぐに使者が出迎えに来た。
「魔王陛下、ならびに正妃レナリア殿下。王都へのご来訪、心より歓迎いたします」
「形式はいい。案内しろ」
レグナの一言に、使者は緊張した顔で頷いた。
私はレグナの隣を歩く。誰よりも堂々とした足取りで。だって今の私は――
この国が恐れる“魔王の妻”なのだから。
謁見の間には、国王と王族、そして宰相を始めとした重臣たちが勢揃いしていた。
「魔王レグナ・アルヴァ殿。この度は友好使節としてのご来訪、感謝いたします」
「感謝される筋合いはない。目的があって来ただけだ」
レグナは端的に答えると、視線をまっすぐに国王へ向けた。
「俺の妻、レナリアは、貴国の元侯爵令嬢。そして、冤罪により追放された犠牲者だ」
場の空気が、ぴしりと張り詰めた。
私の名が公然と出されたことに、王族の誰もが目を丸くする。
とくに、王太子リュシアンの顔は、蒼白だった。
「お、お前が……レナリア……?」
「お久しぶりです。王太子殿下」
私は、完璧な礼儀作法で一礼した。
「こうして“魔王の正妃”として戻ってまいりました」
「お、お前が何を……!」
リュシアンの声は怒りに震えていたが、焦りが混じっている。
そう、これは完全に“外交上の爆弾”だ。
冤罪で追放した元婚約者が、今や敵国のトップレディとなって戻ってきた。
まさに、最高の皮肉。
「こちらとしては、過去のことは追及しない。だが、同じ過ちを繰り返すようであれば、それなりの対応をさせてもらう」
レグナの声は静かだったが、誰もが息を呑んだ。
「……!」
国王も、沈黙のまま口をつぐむ。
これ以上、私に何か言えば、火に油を注ぐだけだと察しているのだ。
謁見が終わり、私たちは城内の客間に通された。
私は、静かに息を吐いた。
「……成功した、わね」
「完璧だったよ。レナリア、ほんとに貴族令嬢だな」
「一応、十八年やってきたからね」
「俺なんて、国王に会ったら『ワンチャンねーかな』とか思ってた」
「それ言うな。威厳ないでしょ」
「……冗談だよ。今は君のために動いてる」
その言葉に、心臓が小さく跳ねた。
この人は、いつだって冗談混じりに大事なことを言う。
けれど、それが嘘ではないことも、わかってしまう。
「レグナ……ありがとう」
「俺の妻を守るのは、当然だろ?」
その夜。ルリナが、こっそり私の元に忍び寄った。
「お嬢様、先ほどの謁見の影響で、王宮内が一気に動き始めました」
「どういう動き?」
「聖女エミリア殿下が、急ぎ魔法省の監査部門を強化。おそらく、情報漏洩と妨害工作に備えたものと思われます」
「……なるほど」
彼女は、自分が追い詰められたことを悟ったのだ。
このまま表立っての争いは避けたい。けれど、水面下では――私を消しにくる可能性もある。
「ルリナ。夜明け前に動くわ。例の場所へ」
「かしこまりました」
私は、かつての自分の屋敷――フォルトナ侯爵家へ向かう。
真実を知るために。
家族が何をされ、何を守ってくれたのか。
過去と向き合いに行くために。
馬車の車輪が、静かに夜の石畳を転がる。
あの日、泣きながらここを去った少女はもういない。
今ここにいるのは――復讐と覚悟を胸に秘めた、魔王の正妃。
レナリア・フォルトナ・アルヴァ。
私の物語は、ここから本当の幕を開ける。
夜明け前の王都は静かだった。
魔導灯に照らされた石畳の道を、馬車の車輪が控えめに鳴る。街はまだ眠っていて、通りに人影はない。私は、懐かしくも忌まわしい景色を黙って見つめていた。
あの角を曲がれば、かつての我が家――フォルトナ侯爵邸。
王都の北部、貴族街の一角に立つ白亜の館。それは、私が育った場所であり、すべてを奪われた場所でもある。
馬車が止まり、私は一人で降り立った。
「ルリナ、ここから先は私一人で行くわ」
「ですがお嬢様、危険が――」
「もしもの時は、隠れていて」
「……了解しました。必ずお呼びください」
私は頷いて、門扉に手をかける。錠前は変わっていたけれど、あの頃と同じ薔薇の紋章が刻まれていた。
しばらくすると、中から足音がして、使用人服の老執事が現れた。
「……どちら様で?」
「レナリア・フォルトナです。侯爵閣下にお目通りを願います」
彼の顔に、ありえないものを見るような驚きが浮かぶ。
「……お、お嬢様……!? ですが、あなたは……」
「お父様に会わせて。話があります」
「しかし……」
「私は、魔王の正妃になりました。今はその立場でここに来ています。拒否されるなら、それ相応の手続きを取るわ」
脅しではなかった。魔王城に帰れば、レグナが本気で動くだろう。私が無礼を受けたとなれば、それは“国同士の問題”になる。
「……少々お待ちくださいませ」
執事は慌てて中へ消えていった。
数分後、私が招き入れられたのは、懐かしい応接間だった。
変わらぬ家具の配置、香の匂い、カーテン越しの朝の光。
だというのに、私はここに“帰ってきた”という実感を持てなかった。
「……久しいな、レナリア」
ゆっくりと入ってきた父は、髪に白いものが混じり、以前よりも痩せて見えた。
「お久しぶりです。お父様」
「……魔王の妻となったそうだな」
「はい。おかげさまで、元気に暮らしています」
皮肉めいた笑みを浮かべてしまったのは、我ながら大人げなかったかもしれない。
でも、どうしても――あの日のことを思い出してしまう。
「……なぜ、あのとき私を庇ってくれなかったのですか?」
私は、真っすぐ父の目を見た。
「エミリアが嘘をついていたのは、今では明らかです。彼女が転生者である可能性も高く、しかも王家と結託していた」
「……レナリア」
「私は家族だと思っていた。でも、あなたは黙って私を見送った。まるで、どうでもいい娘だったかのように」
父は長く沈黙した。そして、低い声で答えた。
「……お前を、守れなかった。ただ、それだけだ」
「守れなかった?」
「あのとき、侯爵家は王家から睨まれていた。お前が才覚を見せれば見せるほど、王太子と並び立つには都合が悪かった。王太子が望んだのは“従順な妃”であって、“実力者”ではなかった」
「だから、見捨てたと?」
「違う……だが、結果的にそうなった。私には、お前を守る力が足りなかった。それが、父としての限界だった」
初めて聞く“後悔”の言葉。
けれど、それは私にとっては遅すぎた。
私は、もう“娘”ではない。
「……母様は? 元気にしているの?」
「病に伏せっている。……お前の追放以来、体調を崩してな」
胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。
「……会わせてくれる?」
「……好きにするといい。いまは東棟の療養室にいる」
私は無言で立ち上がり、廊下を進んだ。
東棟。陽がよく差す静かな部屋。その扉の前に立ったとき、なぜか指が震えた。
失われた日々。
それを取り戻すことはできないけれど、確かめることはできる。
私はそっとノックし、扉を開いた。
「……母様」
ベッドの上にいた女性が、ゆっくりと目を開ける。
その瞳が、私を捉えた瞬間。
「……レナ……リア……?」
掠れた声が、確かに私の名前を呼んだ。
「……帰ってきたのね……」
母は、涙を浮かべながら微笑んだ。
「……うん。ただいま、母様」
私は、静かにその手を握った。
あの日、引き裂かれた家族の絆が、ほんの少しだけ戻った気がした。
帰りの馬車で、私は窓の外をぼんやりと眺めていた。
ルリナが隣で静かに控えている。
「……ありがとう、ルリナ」
「何を、でしょうか」
「今日、私がここに来られたのは、あなたがいてくれたから」
「……私はお嬢様に仕えているだけです」
それでも、彼女の声がどこか柔らかくなっているのを感じた。
王都での滞在はあと数日。けれど、その間に――私は決着をつける。
聖女エミリア。
あの女が私にしたことの“報い”を、必ず。
王都に戻ってきて四日目。
私はついに、聖女エミリアと対面する機会を得た。
きっかけは、国王主催の晩餐会だった。表向きは魔王領との友好を祝すための宴。だが、実質は、火種になりかねない“魔王の正妃”と“聖女”を並べ、火花が散らないかを確認する場だった。
宮廷内の大広間は、金と宝石の装飾で煌びやかに彩られていた。高い天井から下がる魔導灯のシャンデリア。食卓に並ぶ精緻な料理。王族や重臣、貴族たちが着飾って集うなか、私は堂々と歩を進める。
魔王レグナは、相変わらず黒と赤のきらびやかな軍服で、隣に私の手を取りながら立っていた。
「なんか視線が刺さってる気がするけど?」
「うん。全方向からね」
「慣れてるだろ?」
「一応、元婚約者よ? 派手な登場すればそりゃ……」
そのとき、大広間の入り口に声が響いた。
「お集まりの皆様、ご注目ください。これより、聖女エミリア殿下がご到着です」
場が静まり返る。
そして入ってきたのは――
白銀のドレスに身を包み、清らかな微笑みを浮かべた、かつての“親友”。
エミリア・ルクレール。
薄桃色の巻き髪、完璧に整えられた化粧、誰が見ても“気品”の塊。
けれど、その眼差しの奥にあるものは、私だけが知っている。
それは、私のすべてを壊した“嘘つきの瞳”だった。
「まあ……レナリアさん? ご無沙汰しておりましたわ」
まるで何事もなかったかのように、微笑みながら彼女は近づいてくる。
「……ええ。まさか、再会できるとは思いませんでした。しかもこうして“表舞台”で」
「私も驚きましたの。魔王陛下とご結婚されたとは、まさに運命の巡り合わせですわね」
「ええ、そうね。あなたが私を追放したおかげで、人生が好転しました」
一瞬、エミリアのまつげがぴくりと揺れた。
だが、すぐに笑顔で切り返す。
「ふふ……あのときは、私も未熟で……ですが、あれは“神託”でしたのよ」
「神託、ね」
私の言葉に、レグナが小さく鼻を鳴らした。
「神が“転生者”を断罪せよと命じた、という話だったな」
「ええ、そうですわ。神の御心に従い、王家と協力し、秩序を守ったまでですの」
「へえ。なら、君が“転生者”であるという話も、神託ですか?」
「……何をおっしゃって?」
初めて、エミリアの顔から笑みが消えた。
沈黙が一瞬、場を凍らせる。
「面白いことに、こちらにも“神”に関する情報源がありましてね」
レグナの声は低く、冷たい。
「神託を操り、己の利益のために他者を陥れた者がいると。その者は、“異邦の知識”を使い、聖女の座に就いたと聞いています」
「……っ」
「まさか、それが貴女だったとは、私も思っていませんでした」
私が言うと、周囲からざわめきが起こる。
転生者。神託の捏造。聖女の虚偽。
この場でそのどれか一つでも真実になれば、エミリアの地位は崩壊する。
「……レナリアさん。あなた、まさか私に嫉妬して……?」
「嫉妬?」
私は思わず笑ってしまった。
「私は、あなたに復讐するつもりでここに来た。でも、もういいわ。こんな卑怯者、罰する価値もない」
「……!」
「あなたの顔を、これだけの人前で“暴いて”あげただけで、もう充分」
エミリアの表情は凍りつき、指先がわずかに震えていた。
王族たちもざわめき、王太子リュシアンは俯いたまま動かない。
沈黙。緊張。裂け目のような空気の中で、私たちの視線だけがぶつかっていた。
その夜、レグナとともに客室に戻った私は、窓辺でワインを飲みながら静かに息をついた。
「少しやりすぎたかしら」
「いや、あれでちょうどいい。あの女、完全に“権力”に乗っかって生きてきたタイプだ。揺さぶりをかければ崩れる」
「崩れてくれるといいけど」
「それより、お疲れ」
レグナが近づいてきて、私の肩にそっと手を置いた。
「……ありがとう」
「君が堂々とあいつと対峙してるのを見て、正直、誇らしかった」
「それって、“妻として”?」
「……ああ、もちろん」
その言葉が、なぜか心にすとんと落ちた。
敵を討つこと。それも大事だけれど、私にとってもっと大事なのは――
誰かに、味方だと言ってもらえることだったのかもしれない。
この世界に、もう一度“自分の居場所”を作るために。
翌朝。王都の街がざわめきに包まれた。
聖女エミリアが、公的な立場を一時停止し、王都を離れるという知らせが飛び込んできたのだ。
「逃げたのか?」
「おそらくね。でも……勝負はこれからよ」
私は、静かに窓の外を見つめる。
戦いは終わっていない。けれど、確実に一歩、前に進んだ。
レナリア・フォルトナ。かつて追放された少女は、もうどこにもいない。
今ここにいるのは、魔王の正妃であり、誰にも奪わせない人生を生きる女。
エミリアが王都から姿を消してから、空気が変わった。
明らかに、王宮内の動きが鈍くなった。彼女が握っていた“神託”という権威が消えた今、王太子派の貴族たちは右往左往し始めた。誰もが、崩れゆく足場から逃げ出そうとしていた。
それを、私は見逃さなかった。
「ルリナ。次の一手を打つわよ」
「承知いたしました。標的は?」
「“あの夜”の証人。エミリアの嘘に加担した者たちを一人ずつ炙り出すわ」
私が断罪されたあの夜、聖女の涙と王太子の言葉に頷いた貴族たち。
誰も、私を庇わなかった。むしろ、口を閉ざし、ただ流れに乗っただけだった。
だからこそ、私が“力”を持った今、彼らは黙ってはいられない。
証言すれば保身。黙れば共犯。
それが、今の構図だった。
王都に残された数日間。私は王宮の中枢にいる者たちを、一人ずつ訪ねて回った。
ある者は私の姿を見るなり額を床につけて謝罪し、ある者は震えながら「私はあのとき止めたんです」と言い訳を並べた。
中には、開き直る者もいた。
「君のような“転生者”に権力を持たせるわけにはいかなかった」
「……なるほど。つまり、転生者というだけで危険視されたと」
「当然だ。我々はこの世界の民だ。異邦の知識を持ち込む君たちは、言わば……侵略者だ」
その言葉を聞いたとき、私はふっと笑った。
「だったら、なぜ聖女エミリアの“現代知識”は見逃されたのかしら?」
「っ……」
「どうせ使うなら、従順な方がいい。そういうことよね」
その男は言葉を失い、視線を逸らした。
そう。結局、私は“都合が悪かった”だけ。
頭がよく、影響力があり、なにより自分で考えて動ける女。
それは、“操れない”からこそ、排除された。
やがて、正式な形で“誤審の再審議”が行われることになった。
王宮で、王族立会いのもと、私にかけられた罪が再検証される。
証言台に立った私は、当時の証拠と、各方面から集めた情報を突きつけた。
エミリアが何をし、どう国王の側近たちと接触していたか。
彼女が密かに使っていた“魔導書”が、異世界の言語で記されていたこと。
それらすべてを、静かに、だが確実に語っていった。
「……以上が、私が受けた不当な断罪の実態です」
私はそう締めくくった。
静まり返る会場の中で、国王がゆっくりと椅子から立ち上がる。
「レナリア・フォルトナ殿。今回の再審の結果――」
重々しい声が広間に響いた。
「あなたにかけられた罪状を、すべて“無効”と認める。加えて、あなたの爵位と財産、家名の名誉を回復し、旧侯爵家を“復帰”とする」
その言葉に、場の空気が大きく揺れた。
私の肩にかけられていた“断罪の烙印”は、今この瞬間に消えたのだ。
広間を出ると、レグナが壁にもたれかかっていた。
「やるじゃん。立派だったよ、レナリア」
「……正直、まだ実感がないわ」
「いいんだよ。本当に実感が湧くのは、帰ってからだ」
「帰る?」
「魔王城にさ。君の家はあそこだろ?」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
私の家。私の居場所。
この世界で、もう一度信じられるものを見つけられたのだと、ようやく実感できた。
その夜、王都を離れる準備を整える中で、ひとつの書状が届けられた。
送り主は――王太子リュシアン。
『レナリアへ
君の言葉がすべて正しかったと、今なら理解できる。
だが私は、君に謝罪する資格すらない。
それでも……君がかつて、私の婚約者であったことは、人生最大の誇りだった。
どうか、君が幸せであるように。
リュシアン』
「……ずいぶん、遅いのね」
私は手紙をそっと畳み、炎にくべた。
「レナリア……?」
「大丈夫。これは、必要な別れだったから」
過去に区切りをつけて、私は“今”を生きる。
魔王の正妃として。
そして、一人の女として。
出発の朝、王都の門を出るとき。
私はもう、一切の未練を残していなかった。
魔王城に戻ったとき、私は自分でも驚くほど穏やかな気持ちでいた。
王都でのすべての“整理”を終え、失われた地位と名誉を取り戻した。けれど、それ以上に大きかったのは、自分自身の心の“重さ”が取れたことだった。
そして今、私は再び――この場所に立っている。
「お帰りなさいませ、お嬢様。いえ……正妃様」
ルリナが深く頭を下げる。
「ただいま、ルリナ。……そして、ありがとう」
「……いえ、私は貴女の侍女ですから」
彼女の声が、少しだけ震えていたのを私は見逃さなかった。
玉座の間に足を踏み入れると、レグナが背を向けて書類に目を通していた。魔王らしく、黒いマントを翻して、いつも通りの余裕を漂わせている。
「……帰ったよ」
「おう、おかえり。早かったな」
「“やること”は全部やったから」
「まさか、王宮の再審議までやるとは思わなかったぞ。レナリア、君はやっぱり強い」
「強くなったの。あの夜、死にかけて気づいたの。誰かに人生を委ねてるようじゃ、また壊されるって」
「……そうだな」
レグナは書類を机に置き、こちらを向いた。
「それで? 君はもう“魔王の正妃”だ。正式に、堂々と。それで満足か?」
「ううん」
「……え?」
「“契約”で妻になった。でも、それだけじゃ足りない。私はもう……あなたを“契約相手”じゃなく、“夫”として見てる」
レグナの目が、驚きに大きく開かれた。
「レナリア……」
「レグナ。あなたは私を拾ってくれた。守ってくれた。信じてくれた。何より、“選ばせて”くれた」
私はゆっくりと、彼の前に歩み寄った。
「だから今度は、私の方から“選びたい”」
彼の目の奥に、色んな感情が浮かぶのが見えた。
驚き。戸惑い。……そして、安堵。
「レグナ・アルヴァ。私はあなたを――“契約ではなく、愛として”夫に迎えたい」
その瞬間、彼の口元がぐにゃりと歪んだ。
「おい、それ……俺が言うやつだろ……」
「先に言ったもん勝ちよ」
彼は笑った。そして、私の手を取った。
「レナリア・フォルトナ・アルヴァ。君は世界で唯一、俺の心に踏み込んできた女だ。俺のすべてを、喜んで差し出す。だから、どうか……俺の隣にいてくれ」
「……はい。喜んで」
その夜。城の高台から、二人で星空を見上げた。
風がやさしく吹いていた。
「思えばさ。高校の頃、君に話しかけるきっかけが欲しかったんだよな」
「図書室で?」
「うん。君が落とした本、拾っただけで、なんかすごく特別なことした気分になってた」
「……あれが始まりだったんだね」
「そう。異世界でも、変わらない。君は俺にとって、ずっと特別なんだよ」
私は、そっと彼の肩に頭を預けた。
長い戦いだった。
でも、そのすべてが、この夜へとつながっていた。
契約の指輪ではない。
心から交わした、真実の絆。
私はもう、“捨てられた令嬢”ではない。
私は、魔王の正妃。
そして――彼の愛するたったひとりの妻。
これが、私の“物語の結末”。
そして、“ふたりの始まり”。