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ケーキにイチゴをのせたくて

作者: ペンのひと.

 八歳から十八歳までの十年間。

 女の生涯における他の十年間と同じく、あるいはそれ以上に、この十年の持つ意味は大きい。


 だから語ろう。

 レガーノス伯爵令嬢リリアネルの、そんな十年間についての物語を。

 はつ恋と、純愛と、イチゴのショートケーキの話を。




        ♢




 恋とはつまり、イチゴなのだ。


 その日、じゃっかん八歳にして伯爵令嬢リリアネルはそう気付いた。

 気付いてしまったのだ。

 たくさん本を読み漁っているうちに、栗毛を編んだ彼女の頭に春の稲妻のごときひらめきが降ったのだ。


 ――まあ、大変!

 恋とはつまり、イチゴなんだわ!!


 こうしてはいられない。

 リリアネルは生家レガーノス伯爵邸の広い書斎を飛びだすと、一目散にお友だちのもとへ向かった。

 たったいま見つけた世界の真理を、いち早くあの子に知らせようと。

 

 表扉とポーチの先。

 屋外の陽はまぶしく、燦々と照り付けてのどかな道中を熱さんばかり。

 光が、リリアネルの二重まぶたと好奇心いっぱいの茶瞳を容赦なく射ようとする。

 ただそれでも、レガーノス邸からいくらも駆けぬうちに、目指す場所が坂の上に見えはじめる。

 そこは、ハーグ辺境伯が懇意のレガーノス伯爵領に構える別荘。

 石門には獅子の家紋が彫られ、縁ある客人のみを庭園へと招く。


 青々と茂る芝生に足を踏み入れて、リリアネルはさけんだ。

「大変よ、ベルッツィオ! 恋とはつまり、イチゴだったの!! この意味、わかる?」


「……――いえ、わかりません」

 風渡る庭の片隅から、男の子の答える声がした。

 声の主――辺境伯令息ベルッツィオはどうやら、おもちゃの兵隊を使って庭先に国防戦線を展開しているところのようだった。

 そこへだしぬけに二つ年上のリリアネル嬢がやって来たので、手を止めた。

 おそらくはそんなところ。

 

 突然の伝令を受け、六才のベルッツィオは戦況を見定める若き少佐のような上目遣いでリリアネルを見た。長いまつ毛に青緑の瞳。しゃがみ込む草地から顔を上げ、そよぐ銀髪。薄い唇が、そして訊き返す。

「また何か見つけたのですか、リリアネル嬢?」


 二人の会話は、たいていこのようにはじまる。

 

「ええ、大発見よ! 美味しいケーキには、かならずイチゴがのっているものでしょう? だってそれが人生だもの。そういうことなの!! さあベルッツィオ、もうおわかり?」

「……――いえ、まったく」


 しゃがんだままのベルッツィオのまなざしが、あどけなくも思慮深そうなとまどいに揺れた。

 細あごに指を添える彼の瞳がうぶな猟犬のように潤んで、銀の前髪越しにリリアネルをやっぱり見あげてくる。

 何かを考えこむときに、ベルッツィオがよくやる仕草だ。

 こういう際、仁王立ちするリリアネルの心は決まってほのかな優越感にズキズキした。


 なるほど年下の、しかも男の子のベルッツィオにはまだ難しかったかもしれない。

 読書家のリリアネルは胸を張り、説明してあげることにする。


「考えてみて。恋のない人生って、どんなだと思う?」

「…………? ううん、さあ、わかりませ――」

「そうよ、ベルッツィオ。ああ、恋のない人生! そんなのまるで、イチゴがのってないケーキと同じじゃない。どんなにふかふかで立派なスポンジ生地を、どれだけ贅沢な甘~い生クリームたっぷりに塗り固めたとしても、それだけなら人生は空虚だわ。そう、恋とはつまり、イチゴなのよ!!」

「ひょっとしてリリアネル、君、……お腹が空いているんですか?」


『坊ちゃま、ガゼボにお茶とケーキのご用意ができましたよ。リリアネルお嬢様もおいでなのでしょう、さあこちらへ!』

 辺境伯家仕えの侍女が、実に素晴らしい仕事をした。




「はあ~、幸せ。あなたのお家のケーキって、なぜこんなに美味しいのかしら。どうして、ベルッツィオ?」

「どうでしょう、辺境伯領ではごくふつうのものだと聞いていますが。……というか、君はいつでも幸せそうに見えますよ、リリアネル」

「あら、そんなことないわ。イチゴのショートケーキなんて、このお家へ来るまでわたし見たことも聞いたこともなかったもの。ベルッツィオのご実家のある辺境伯領って、やっぱり文化が独特なのね。あの、やっぱりもう一つ頂いていいかしら?」

「ええ、もちろん」

 

 陽光と芝と花々の彩りあふれる庭園に、涼やかな日陰をつくるガゼボ。

 テーブルで切り分けたケーキを、ベルッツィオが騎士風の振る舞いで恭しく供してくれる。

 イチゴのショートケーキ。


 諸説あるが、何でも異世界から現れた聖女が初代ハーグ辺境伯へ親愛の証として献じたのがこのケーキの起源だとか。

 しかしそんなエピソードも一瞬でかすむほど、実物の魅力たるや圧倒的である。


 ふっくらとしたスポンジ生地に、きめ細やかな生クリームのデコレーション。

 その純白の上にのった、粒よりの真っ赤なイチゴ。


 そっとフォークを通せば、ふんわり二層の生地に挟まれた断面にもクリームとイチゴソースの豊潤な金脈が現れる。

 ひとさじすくって口へ運べば、それはまさに……。


「う~ん、幸せ。人生の味がするわ。なんと言ってもとっておきはこれ、このケーキにのったイチゴの甘酸っぱさと愛おしさ。ああ、もうほっぺが落ちそうよ、ベルッツィオ」


 そのリリアネルの落ちそうなほっぺと紅潮した鼻先に付いた生クリームを、若き少佐ベルッツィオが取り出したハンカチーフで静かに拭ってくれる。

 嬉しいとき、楽しいとき、心からケーキが美味しいと感じるとき。

 気持ちがたかぶると、リリアネルの鼻先はどういうわけかいつも熱く紅潮する。

 ベルッツィオにとっては見慣れたものだ。

 幼馴染のご令嬢の顔から生クリームをきれいさっぱり拭きとり終えると、ふいに彼は、なぜか得心したように瞳を輝かせ言うのだった。


「すごいですね、リリアネル。……たしかに君の言うとおりだ」




 リリアネルにとって、ハーグ辺境伯令息ベルッツィオは幼馴染そのものである。

 ハーグ家のような国防戦線に立つ辺境伯が女子供を安全な他家領地へ住まわせるのは、ままあること。王国の国境では常に異国との戦火が上がっては消えを繰り返すから。

 平穏なレガーノス伯爵領に生まれたリリアネルが物心ついた頃にはすでに、生家から遠からぬ敷地のハーグ辺境伯別邸にベルッツィオもまた産声をあげていた。


 両家はもともと懇意の間柄。

 二つしか年の違わぬリリアネルとベルッツィオが、お友だちになるのにさして時間はかからなかった。


 いわゆる本の虫であるリリアネルは書物から得る感銘やひらめきについて話せる相手をずっと求めていたし、どちらかというと寡黙で大人しい性格のベルッツィオはまさに聞き役にうってつけだった。

 おまけにハーグ辺境伯別邸では、それまでリリアネルが知らなかった美味しいイチゴのショートケーキがお茶の時間に出てくるのだ。

 通わない理由を探す方が難しかろう。

 実は早産の女児で体のあまり丈夫でないリリアネルだったが、毎日両家の間をウキウキと早足で行き来するうちにすっかり健康になってしまった。


 リリアネルは語り、ベルッツィオは聞き、そうして二人は一緒に学びを深め成長していった。もちろん、イチゴのショートケーキを頬張りながら。

 話題の多くはその日リリアネルが読んだ童話やら恋愛小説やら哲学書やら百科事典やらに関するものがほとんどだったが、時には、たがいの将来について語り合うこともあった。


「リリアネルは本当に博識ですね。それにお話も上手だ。将来はきっと素晴らしい小説家か学者様になれますよ」

「そ、そうかしら? えっへん、何だか照れるわ。あなたはどうするの、ベルッツィオ?」

「いずれは父から家督を継ぐことになるでしょう。でもその前に、ここを出て王都の特級士官学校へ通うつもりです。辺境伯を務めるには、騎士道だけでなく治世や経営についても研鑚が必要ですから。とはいえ全寮制の士官学校への入学を許されるのは十歳からなので、もうしばらく先ですね」


 ベルッツィオが十歳になるなんて、たしかにまだ何年も先の話だ。

 かすかな胸のざわめきを押し込めるように、リリアネルはそう自分に言い聞かせるのだった。




 だが時は、瞬く間に過ぎ――。

 十歳になったベルッツィオが、遠く王都の特級士官学校へとうとう旅立つ日。

 すでに荷積みを終えた馬車の脇で、まごつく幼馴染の少年少女。

 それはリリアネルが、人生ではじめて経験する別れ。


「では、もう行きますね、リリアネル」

「…………うん」


 どうしてもっと、愛想良くできないのだろう。

 なぜただ笑って、「いってらっしゃい」と言ってあげられないんだろう。

 すねたようにうつむく自分が、リリアネルは恥ずかしくてならなかった。

 鼻先が熱かった。


 ベルッツィオが困ったように首を傾げ、それから敬礼をして馬車に乗り込むのが気配でわかった。

 閉まるドアの音、御者が鞭を打つ音、馬のいななき、そして走りだす蹄と車輪の音――。


 寂しい。

 本当は寂しくてたまらない。


(いかないで)


 どんなはなむけの言葉よりも、口を開けばそんな台詞がついて出そうだ。

 だからリリアネルはこの日、ずっと唇をかんでいた。


(でも、――このままでいいの?)


 ……ううん、いいわけない。

 いつもそばにいてくれたベルッツィオが、ずっとずっと自分の話を聞いてくれていたベルッツィオが、たくさんたくさんイチゴのショートケーキを切り分けて食べさせてくれたベルッツィオが、今、旅立っていくのだから。

 

「……――ベルッツィオ!」 


 遅ればせなリリアネルの呼び声に、馬車の窓から身を乗りだしベルッツィオが手を振ってくれる。

 けれどその姿は、けして追いつけない速さで遠ざかっていく。

 

「さよなら……、さよなら、ベルッツィオ! 頑張って!!」


 ジンワリぼやける視界のかなたへとベルッツィオが消えるまで、ちゃんと涙をこぼさず笑っていられただろうか?

 確信はないけれど、それでもリリアネルは大きく大きく手を振った。




        ♢




 幼馴染から三年ほど遅れ、伯爵令嬢リリアネルも十五歳で王立学園へ入学した。

 とはいえ王都の本校ではなく、地方都市の分校へ、ではあるが。

 レガーノスを含む三つの伯爵領地のはざまに置かれた学舎。

 通ってくるのはどれも貴族良家の、ただし家格も成績も中位層の令息令嬢ばかり。


 学園の生徒は皆、同じことを考えている。


 ――ほどほどの成績で紳士淑女教育をすませ卒業資格を得れば、後のことは親がどうとでもしてくれる。学業もスクールライフもそこそこに楽しんで、他人からバカにされない程度に見栄えのする将来が手に入ればそれでいい、と。


 つまり、リリアネルのような、人生に素晴らしいひらめきやロマンスを探したり、隠された世界の真理を発見して胸をときめかせたりする者はこの学園に一人もいなかったのである。


 同胞に出会えずリリアネルは落ち込んだが、何よりがっかりしたのは、そんな校風に心のどこかで馴染もうとしている自分がいることだった。

 もう小さな子供ではない。

 かといって、周囲から浮くことを恐れずにいられるほど大人にもなれない。

 本にも何にも没頭しなくなったのは、いつからだろう?

 変わらないのは栗毛を編んだ髪型だけ。

 しだいに味気ない学園生活が当たり前になり、他の女生徒たちと毒にも薬にもならない雑談を交わして歳月は過ぎていく。

 退屈で、平穏だった。

 

 一度だけ、ささやかな恋の真似ごとをしてみた。

 相手は同級生のシラー伯爵令息エイデン。

 二年生の時にクラスが同じになり、彼の方から声をかけてきた。

 金髪碧眼の美男子で、エイデンはいつも輪の中心にいた。

 級長で面倒見もいいから、彼が地味なリリアネルに声をかけたとしても不思議ではなかった。

 そう、この頃にはもう、リリアネルは地味な女子になっていたのだ。


「困っていることがあったら、何でも言ってくれよ」

「ねえ、よかったら一緒にランチを食べないかい?」

「夏の休暇に皆で遠乗りするんだ。リリアネルも行こうよ」

「……二人きりで、花火を見ないか? リリアネル」


 エイデンがよそで大勢の女子に同じことを言っていると知っていても、リリアネルはその誘いをむげにはできなかった。

 正直なところ、声をかけてもらえたこと自体は少し嬉しかったし、これで学園生活が良い方へ変わるかもしれないという淡い期待もあった。

 

 だから心に生まれた波風を、リリアネルは恋だと思うことにした。

 卒業までに、エイデンとはなりゆきでキスを交わしたことさえある。


 しかしもちろん、リリアネルの判断は間違っていた。

 大ホールで催された卒業パーティーの檀上。

 卒業生代表エイデンの隣りに立ち晴れやかな婚約者となったのは彼女ではなかった。

 地味なリリアネルは選ばれなかったし、それは驚くほどのことでもなかった。


 無為に過ぎ去った学園生活。

 にぎわう祝賀会場。

 楽団の奏でる音楽が舞踏曲に変わり、卒業生カップルたちのダンスがはじまる。

 壁にもたれるさえない花となりながら、リリアネルはただ思った。


(わたしって、わたしの人生って、空っぽなんだなあ……)


 うつむくと久しぶりに、鼻先が熱かった。

 視界がジンワリにじんでいく。


 だが、ああ、まさにそのとき。


「――あの、失礼。よければ私と、踊ってはいただけませんか?」


(……――え?)


 顔を上げると、ぼやけた視界の真ん中にその人が立っていた。

 精悍な士官服姿で、恭しく手を差しのべる美青年。

 見知らぬ、いや、どこか見覚えのある青緑の瞳と銀色の髪。

 くすぐられる記憶の面影よりもずっと背は高く、大人びているけれど――。 


「……もしかして、……ベルッツィオ……なの?」

「気付いていただけて何よりです。もっとも、式典の間ずっと僕はあちらから君に視線を投げ続けていたのですが、フフッ」


 きまり悪そうに来賓席の辺りを流し目で見やり、その瞳がもう一度リリアネルを見つめ返す。


「何年ぶりでしょうか、リリアネル嬢。でもほら、せっかくの素晴らしい音楽です。積もる話は後回しにして、僕と踊ってはいただけませんか?」


 事態を追いきれぬながらどうにかリリアネルがうなずくと、目の前の美しい青年が優雅に彼女の手を取り舞踏へと導いていく。

 ゆったりと回る景色が、光をちりばめ輝きだして。


「……えっとその……、ずいぶん大きくなったのね、ベルッツィオ。声だって低くて、深くって。何だかあなたじゃないみたい」

「はい、少し背は伸びました。声は、さあ、自分ではよくわかりませんが。でもともかくお陰でこうして、君と立派にダンスを踊れます」

「――クスッ、本当ね……」


 視線が絡みあうと、不思議なくらい素直な気持ちにさせられる。

 身と心を覆っていた氷が融け、本当の自分になれる。

 しばらくはそれ以上交わす言葉もなく、二人は甘やかな楽の音に身をゆだね――。


「やあ、たいそうなご挨拶じゃないか。士官学校の生徒さんかい?」


 だしぬけに、ベルッツィオの肩をわしづかみにして振り向かせる者が現れた。

 エイデンだった。

 

「卒業生代表で、シラー伯爵令息のエイデンだ。あんたは? 来賓に名乗りは無かったと思うけど。その士官服、見たところ、下級生だろ? 祝意はありがたいが、あまりうちの卒業生に馴れ馴れしくしないでもらおうか」


 こめかみにうっすら青筋を浮かべるエイデンからは、自分のつばを付けた獲物を横取りさせてなるものかという苛立ちがただよっている。

 どんなにつまらない獲物でも、それは俺のだ、と言わんばかりだ。

 場が騒然とし音楽が鳴り止むが、この学園においてエイデンが輪の中心にいるのはお馴染みの光景。


 対するベルッツィオは、肩にかけられた手を振り払うでもなく鷹揚に振る舞う。


「ああ、失礼、エイデン君。そのことなら――」

「いいからリリアネルをこっちによこせって」


『バカもん、エイデン! 閣下に向かってなんと言う真似をっ』

『いますぐ頭を下げなさいっ!』


 血相を変えてさらにその場に駆けつけてきたのは、数人の教師たち。

 ベルッツィオに平身低頭する彼らを脇目に、卒業生代表エイデンはなおも納得がいかず不満をたれる。


「何をそんなに慌てることが? こっちはただこのよそ者のガキに、時と立場をわきまえろと……」

『っ!? もう黙れ! わきまえるべきはお前なんだよ、このっ!!』


 年かさの男性教師が青ざめながらエイデンを無理やりひざまずかせる。そしてその耳元に小声の早口でまくしたてた。

『このお方はな、学籍を持ちながら栄えある功績で受勲特進された国防軍最年少作戦参謀ベルッツィオ将校様だ。すでにハーグ家の家督も引き継ぎ、辺境伯閣下でもあらせられる。当然王家からの扱いは侯爵相当、いやそれ以上だ。のんきに学生だけやってたお前らは知らんだろうがな、近年この国の平和を陰に日向にお守りくださっている御仁なんだよ!!』


「なっ!? そんなこと聞いてな……」

『おしまいだぞ、エイデン! 多忙を極める将校様が何とか日程を合わせ急遽お忍びでご来訪くださったというのに。これ以上自分の首を絞めたくなかったら、とにかく伏して謝罪申し上げろ!』


 さすがの卒業生代表エイデンも、ここへきて立場をわきまえずにはいられなくなったか。

 ぐぬ……といううめきに続けて弱々しく非を詫び、脂汗を浮かべながら絞り出すように謝辞を吐きだす。


「も……申し訳ございませんでした、ベルッツィオ様。お詫びいたします。どうか、お慈悲を……」


 静まりかえった祝賀会場の、その輪の中心で。

 ひれ伏す愚かな者を見下ろして。

 将校にして若き辺境伯ベルッツィオが毅然とたたずみ、あくまでも柔らかに微笑んで告げた。


「許そう。エイデン君の処遇はこの学園にお任せします。運よく得た非番に急ぎ足を運んだもので、僕も今日はジャラジャラと勲章を付けては来ませんでした。ああいうのはどうも苦手で……。いずれにせよ、配慮に欠け申し訳ありません。ただ、そうですね、もしこの不快なひとときの埋め合わせを頂けるのなら――」


 所在なくそばで傍観していたリリアネルを引き寄せると、ベルッツィオはウインクして言った。


「彼女をここからさらっても?」




        ♢




 ハーグ辺境伯本城。

 その純白の孤城は、若き領主を得て安寧のただ中にそびえたつ。

 むろん、しばらくのうちに国境ではまた次なる小さな戦火が上がりもしよう。

 しかしそうだとしても、ハーグ城の備えは盤石だ。

 陰に陽に張り巡らされた警備と戦略が、いっさいの死角をすでに消し去っていた。

 愛する者を守り抜くために。


「いつかここに君を迎えたい。そう思っていました」


 青空が天蓋をなす城の優雅なバルコニー席で。

 向かいあう幼馴染どうしが、あらためて何年かぶりの会話を交わす。

 二人のはさむテーブルには、イチゴのショートケーキ。


「おそれ多いわ、ベルッツィオ。いまのわたしはただの、地味でつまらない女なのよ。あなたの知ってるリリアネルは、もうどこにもいないんだわ」

「? まさか、とんでもない。さあ、どうぞケーキを」


 ふっくらとしたスポンジ生地に、きめ細やかな生クリームのデコレーション。

 その純白の上にのった、粒よりの真っ赤なイチゴ。


 そっとフォークを通せば、ふんわり二層の生地に挟まれた断面にもクリームとイチゴソースの豊潤な金脈が現れる。

 ひとさじすくって口へ運べば、それはまさに……。


「……泣けちゃうわ。あなたのお家のケーキって、なぜこんなに美味しいのかしら。どうして、ベルッツィオ?」


 小さな頃から、この味が大好きだった。

 

「人生の味がするからですよ、リリアネル。君がそう教えてくれた」


 とっておきのイチゴを指でつまむと、ベルッツィオはためらわず幼馴染の唇へそれを優しく押しあてる。

 その甘酸っぱい果実を、リリアネルはやや照れながら口に含み味わう。

 懐かしさと愛おしさで、彼女の紅潮する鼻先は熱くなった。


 幼馴染のベルッツィオにとって、それは見慣れた光景だ。

 もうずっと前から。

 あの幼き日に、この人を守りたいと心に決めたのだ。

 そのために強くなろうと。


 愛する者を守り抜く、それが士官学校で得た兵の誇り。

 いかなる戦火と塵芥を浴びようと城は白く保て、それが父辺境伯から家督とともに継いだ矜持。

 そして――。



『考えてみて。恋のない人生って、どんなだと思う?』

『…………? ううん、さあ、わかりませ――』

『そうよ、ベルッツィオ。ああ、恋のない人生! そんなのまるで、イチゴがのってないケーキと同じじゃない。どんなにふかふかで立派なスポンジ生地を、どれだけ贅沢な甘~い生クリームたっぷりに塗り固めたとしても、それだけなら人生は空虚だわ。そう、恋とはつまり、イチゴなのよ!!』

『ひょっとしてリリアネル、君、……お腹が空いているんですか?』



 微笑ましい思い出……。

 でも彼女に出会わなければ、人生で最も大切なことに僕は一生気付かなかったに違いない。

 一人きりではけして理解できない幸せがあることを。


 だからベルッツィオは、目の前にある幼馴染の赤い鼻先をそっとつまんで言う。


「心から愛しています、リリアネル。ずっとそばにいてください。どうか僕の妻になって」


 その求婚の言葉は、彼がもう何度となく思い描き練習してきたものだった。

 それでもいま実際にリリアネルのうなずきを見ると、胸がこのままはじけてしまうかと思った。


 ケーキにイチゴをのせたくて、二人は生きてきたのだ。




        ♢




 新進気鋭の女流作家リリアネル・ハーグが、処女作となる恋愛短編集「ケーキにイチゴをのせたくて」を上梓するのは、それからわずか数カ月後のこと。

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